穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

アクロバティックな視点移動

2019-07-09 08:51:33 | ポール・オースター

 オースターの貢献と言えば、見方によってはハチャメチャな視点の浮遊移動であろう。

もっとも、私はひろく現代小説を漁っているわけではないから、なにもオースターの専売特許ではないかもしれないが。前に短編小説のごった煮と書いたが、チャンドラーもこの手を使うが、彼はマーロウの一人称固定であり、ごった煮といってもせいぜい短編二つまでである。一方オースターは錯乱的なごった煮である。腕力でこれを通用させてしまったところがすごい。人称の固定を金科玉条のように唱える日本の文学賞選考委員など吹っ飛んでしまう。

 ま、小説もこういうふうにも書けるんだ、という勇気を後輩に与えた効果はあるだろう。

  そこで彼の小説を要約することは非常に難しい。いま「インヴィンシブル」を読んでいるので、例の「現代作家ガイド」のなかにある要約を読んでいる。なかなか苦労してまとめてある。もっとも冒頭319ページの最後数行の要約は小説の叙述が前後して紹介されているようであるが。

  よくわからないからだろうがこの要約の最後に引用している次の文章がが面白い。

By writing about myself in the first person, I had smothered myself and made myself invisible.

 これって前にも書いたが自分を徹底的に隠蔽して小説なり映画なりに自己表現欲を集中するというオースターの方法論をよく表している。すなわち鍵のかかる部屋の(たしか記述者の友人)や幻影の書の愛人の死体遺棄を手伝って姿をくらましたコメディアンがだれにも見せない映画製作に打ち込む姿に描かれている。

  現代作家ガイドのI氏の評言によれば

「自分を見えなくすることで、自分のことが書けるという逆説」。そういうことだろう。


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