穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

小保方晴子問題をどう考えるか

2014-05-06 08:24:10 | 書評
『科学の解釈学』という考え方は自由奔放な歯止めの利かない危うさがあると危惧する。

STAP細胞研究をめぐる騒動をどう見るのか興味がある。意外に平凡な(伝統的な)考え方を示されるのではないかな。野家氏のファンであるらしい、東北大学教員の生物化学?専攻の女性(名前失念)がテレビのインタビューで小保方氏を激しく非難していたのを思い出して、上記のようなことを考えた。

要するに具体的な例、場合を示さないと読んでいる方では不得要領ということです。一例として小保方現象についての見解に興味を持ったわけです。

データはないが出来たのを観た(ありまーす)、見ないの水掛問答はまさに、科学の解釈学で言う観察者と観察対象の間のゆれ、不確定性問題と関連するかも知れない。勿論彼女の見間違い、思い込み、意図的な主張という解釈もあるでしょうが。それをどう判別するのか。

とにかく、非常に生硬な議論のような気がする。野家氏が30年以上暖めてきた思想らしいが。

さらりとセンチメンタル・ジャーニーをするつもりが以外に長引いている。七つ下りの雨はやまず、か。意味不明?
解釈してください。