穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ヘミングウェイ「移動祝祭日」

2014-09-04 08:59:35 | 書評
けなした後に褒める、書評の定石である。前回書いた様に「誰がために鐘が鳴る」の冒険小説ぶりに嫌気がさして投げ出してしまったが、表題の本をそのかわりに読んだ。これがなかなかよろしい。

執筆に二、三年かけて死の前年に完成した、ヘイングウェイが25、6歳のころのメモワールである。「はじめに」で書いているように、フィクションのようなノンフィクションのような回想録である。

晩年のこの頃にはヘミングウェイは肉体的衰えのみならず精神的にもかなり酷い状態にあり、原稿をまとめるのにも若い助手に頼らなければならない状態であったらしい。

それにしては大変よい出来映えである。本は死後出版されたもので、夫人等が整理し削除した部分もあったという。それを割り引いてもかなりな水準である。彼の処女作「我らの時代」と対をなすといえる。もっとも内容的にというのではなくて、出来映えとしてはということだが。

パリでの彼の修業時代の回想で、まだ作家としての地位を確立する直前である。1925年頃のパリの様子も興味が深い。パリには何回か行ったが、いつも短期の滞在か通過のためのショートステイだったので、パリがこんなに坂の多い町だとは気が付かなかった。

90年くらい前の時代だから、まだ19世紀の面影があったのだろうが、早朝羊飼いが犬と羊達をつれてパリの場末か下町にミルクを売りにくる。ミルク売りの振る鐘の音を聞いてアパートの主婦がバケツだか容器をもってミルクを買いに降りてくる。羊飼いは直接連れてきた羊の乳房から客の持ってきた容器に乳を絞る。他の羊達がバラバラにならないように犬が羊達を見張っているなんて情景の描写も印象が深い。

彼が執筆をするのは早朝から昼までで仕事場の部屋かカフェである。この辺の描写もうまい。そこへ行く道筋の描写も、前に書いた様に、彼の得意である。散歩の様子、古本屋の店先等の描写はうまいと思うだけでなくて、事情を知るだけでも興味深い。

また、彼のアパートにはトイレがないということも印象的なエピソードとともに書いている。勿論風呂も無い。

競馬場に通い詰めた話も面白い。事前のデータの分析、いわゆる「情報」集め、パドックでの下見、レースの観察など今の日本の競馬狂の生態と変わらないが、これをやっていると小説を書く時間がなくなる。そうだろう。

当時はドーピング検査等なかったそうで、いわゆる噛まされた馬のみわけかたなんていうのも書いてある。それにしても、儲かってしょうがなかったそうだ。ほんとかな、と思う。そんなに時間を費やして狂った様に競馬にのめり込んでも勝てないのが競馬であるのだが。

欧米の、その頃の競馬は日本より単純だったのだろうか。それとも、ヘミングウェイの負けず嫌いの虚言癖なのだろうか。 つづく