穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

オースターの三つの位相の関係

2019-07-08 07:52:58 | ポール・オースター

オースターの三つの位相の関係

まずオースターとあなた(現代作家ガイドの評者)の関係

日本の(専門家)の意見というのは内包も外延も欧米の評論家と同じだろう。

 オースターは積極的にインタビューに応じるタイプらしい。評論家もそれを材料にするだろうから、(あなた)とオースター自身の位相は疑似イコール(つまり50パーセント以上)の関係と想定する。

 そこで私の位相と(あなた)の位相の関係であるが、理論的に全体的に比較できるほどの読み込みはモチロンしていないから、雑駁な印象の羅列になることをお断りしておく。

  これはテーマなのか(使いやすい常用の道具)なのか分からないが、まず印象に残るのはオースターが執拗に繰り返し描写する「失踪」である。失踪は当然追跡あるいは尾行を誘発する(ペアになる)。

 いわゆるニューヨーク三部作が探偵小説的と言われるゆえんである。勿論読者の皆様がご案内のように探偵小説的な謎解きは一切していない。いわば物語のレールというか状況設定である。匿名の依頼者として自分自身の尾行記録を探偵に作成させる作品もある。これって外部的に自分はどう見えるかな、という興味を描いているのだろうか。ホフマンなどが描いた分身(ドッペルゲンガー)現象に通じるところもあるようだ。

 また失踪の裏返しとしての自己露出が付随する。もっともひねりがあって、作品(自分の書いた小説)のみによる露出、(鍵のかかる部屋の場合)や(誰にも見せない映画製作、なんだっけか、幻影の書だったかな)。

  失踪は長期の不在(視野のそと)というケースもある。ほとんどの作品で主要な筋としてではなくても挿話として失踪が組み込まれている。

 失踪が何かを著わす寓話的なものなのか、主要テーマなのかは判然としない。余談だが村上春樹の作品を貫くものは喪失感だとかいうのを読んだ記憶がある。正確かどうかおぼつかないが。失踪されたものには喪失感を味わうのか。いや、これは全くの余談です。言葉遊びでした。

 


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