この南京周遊コースにはガイドさんが付いているのですが、何しろ説明は全部中国語だったので、種を明かせば、以下の解説部分は全て帰国してから調べ直したものばかりです。
橋の次は、朝天宮。明代に文武百官が朝廷での礼儀を学んだので「朝天宮」と呼ばれ、現在は南京市博物館として10万余りの文物を所蔵しているそうです。


南京は222年に呉の孫権が都と定めて以来、300年間に亘り人口100万を越える大都市として繁栄しました。その後も、南唐、明、清末の太平天国、そして中華民国に至るまで、十の王朝や国が、南京を首都と定めています。
呉の時代から隋が中国を統一するまでの期間を六朝時代と呼び、この時期の文化を六朝文化と称しますが、その頃作られ、使われていた石器の説明が掲示されていいました。この頃日本では卑弥呼が国を治めていた時代ですから、それを考えると、その技術の高さには目を見張るものがあります。

そして下の写真にご紹介する御三方はコースのガイドさんと、周遊コースをご一緒した、多分女子高校生とおぼしきお二人。女子高生達は何処へ行っても二人でポーズをとっては、キャッキャと写真を撮りまくっておりました。
マイクロバスに乗った客は、他に、若い両親と小学生の家族連れの一組で、計6人という構成でした。
ガイドさんは良く勉強している様子で、好感のもてるお嬢さんでした。


橋の次は、朝天宮。明代に文武百官が朝廷での礼儀を学んだので「朝天宮」と呼ばれ、現在は南京市博物館として10万余りの文物を所蔵しているそうです。


南京は222年に呉の孫権が都と定めて以来、300年間に亘り人口100万を越える大都市として繁栄しました。その後も、南唐、明、清末の太平天国、そして中華民国に至るまで、十の王朝や国が、南京を首都と定めています。
呉の時代から隋が中国を統一するまでの期間を六朝時代と呼び、この時期の文化を六朝文化と称しますが、その頃作られ、使われていた石器の説明が掲示されていいました。この頃日本では卑弥呼が国を治めていた時代ですから、それを考えると、その技術の高さには目を見張るものがあります。

そして下の写真にご紹介する御三方はコースのガイドさんと、周遊コースをご一緒した、多分女子高校生とおぼしきお二人。女子高生達は何処へ行っても二人でポーズをとっては、キャッキャと写真を撮りまくっておりました。
マイクロバスに乗った客は、他に、若い両親と小学生の家族連れの一組で、計6人という構成でした。
ガイドさんは良く勉強している様子で、好感のもてるお嬢さんでした。



