日本庭園を出たところに、ジョージ・ワシントン・カーバーさんを記念する庭がありました。
私カーバーさんは南北戦争が始まる前年の1860年にミズーリの農場で奴隷の子として生まれました。
苦学の末に大学で生物学を学び、ビーナッツから300種以上、サツマイモから100種以上のインクや石鹸などの製品を開発した科学者だそうです。
奴隷の子として生まれた人が、1800年代に大学で学問を修めたと聞いただけで、ものすごい話だと感心します。
植物園には鴨が戯れる噴水や、
羊の親子が散歩する姿が見られ、
チューリップの花壇が春を演出し、
数多くの印象的な彫刻が目を楽しませてくれました。
暖かな陽射しが注ぐセントルイスの春の午後、私はミズーリ植物園を十分に堪能し、退園する時に出口で時計を確認すると16時40分を知らせていました。
既に正門は閉ざされて、駐車場にはほんの数台の車しか残されていませんでした。
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