信大志賀自然教育園の駐車場に車を止めて、園のアプローチに歩を進めます。

まずは、資料館へ寄ってみました。狸やムササビ、野鳥などの剥製が展示されています。志賀高原には何故雷鳥が居ないかなどの解説掲示があって、興味を惹かれましたが、詳細は忘れました。そうそう確か、近年雷鳥を人が富士山へ放鳥したなどと記載されていた記憶があります。
資料館のすぐ裏手がロックガーデンで、そこには確かにホームページで紹介されていた野草が咲いていましたが、本数も少なく、写真の被写体とはなり得ませんでした。
ロックガーデンの奥には総延長3.5kmの散策路が整備されていると案内にあったので、早速三脚担いで湿原の木道へ歩み出すと、すぐに長池と呼ばれる静かな湖の畔に出ました。


もう20年近くも経つでしょうか、新潟に住んでいた頃、志賀高原へスキーをしに来たことを思い出しました。リフトを幾つも乗り継ぎ、広大なパウダースノーを存分に楽しんだ、懐かしい思い出が蘇ります。その時以来の志賀高原ですが、歩を進めるにつれ、私は去り行く夏と、忍び寄る秋の間の、独特の静けさ漂う木立の中に瞬く間に溶け込み、同化して行きます。

静かです。
肺細胞の隅々に葉緑素で浄化された酸素が浸潤していくのが分かります。
散策路の脇に育つ樹木などには名札が付けら、要所要所に解説板も設置されていて、私のような自然大好き人間には本当に愉しい場所です。

6月の新緑の頃も、もっと素敵なんだろうな、と思いながら山道を登って行きました。

終戦直後、この辺りから止む無く切り出した、材木の集積地だった木場と呼ばれる場所に、志賀高原蓮池方面を望むビューポイントがありました。この辺りは湿原になっているので、野の花に出会えるかなと期待していたのですが、ちょっと時期が遅かったようです。解説板には、切り出した木々は冬の積雪を利用して搬出したのだ、と記載されていました。こんな山奥で、終戦直後の物の無い時代には、どんなにか過酷な仕事だったのだろうかと、木を運び出す人々の凍える手足が目に浮かぶようです。
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