当初の予定を変更し、ボストンへは向かわず、手前で進路を北へ変えて、ポーツマスを目指しました。

ブログを書くに当って、歴史を調べ直しました。
「ポーツマスでは、1905年(明治38年)に、日露戦争の講和条約であるポーツマス条約が結ばれました。ポーツマス条約は、当時のアメリカ大統領セオドル・ルーズベルトの斡旋により、日本全権小村寿太郎とロシア全権セルゲイ・ウィッテの間で調印がなされたものです。」
と言うことなので、日本人には大変馴染みのある地名ですし、その後の日本の針路に、大きな影響を与えることとなった地でもあります。
ポーツマスの街に入って行くと、赤レンガの建物が目に入ってきました。

何時ものように闇雲に、周囲の様子を参考にしながら、勘を頼りに彷徨いました。
言ってみれば散歩ドライブのようなものです。

静かな街でした。
歴史を感じさせる、落ち着いたたたずまいに好感が持てます。

石を積み重ねた教会が、ひっそりと門を閉ざしていました。

街中に人影を見ません。
白いモクレンが、美しく庭先を飾っていました。

そして、私が探していたのは海。
大西洋です。
もしかすると、目の前に見えているのはポーツマス条約の交渉・締結を行ったポーツマス海軍造船場でしょうか。 そう思いたい。
そして、この時点のこの場所で、私のアメリカ大陸横断ドライブは達成されたことになります。
悪くないシチュエーションです。

小さな橋を渡って、島のような場所へ進み、周囲の海を眺めながら、夕暮れの迫る、寂びた雰囲気の住宅街でユーターンしました。

再度ポーツマスの中心へ戻ってきました。

小さな町です。
人口は2万人弱だそうです。

しかし、この町で宿を探すことはできませんでした。
ボストン近郊へ戻り、モーテルにチェックインしたのは7時半を過ぎていました。
いつものように近隣にスーパーマーケットを探して、ハマチの握りと、トマトを買い求めて、ワインで大陸横断の達成を祝しました。
サンフランシスコを出発してから7日目の夜のことでした。

4月20のルートと位置

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