月見橋の下流に架かる橋が高砂橋です。
以前の「神田川の神田橋」に記しましたが、神田川には2つの月見橋があり、高砂橋と呼ばれる橋も2つあります。
一つの川に、同じ名が2つある橋が、僅か100メートル程も離れた杉並区高井戸西の上下流に隣り合います。
全国にこんな例はそうないかもしれません。
そして、高砂橋の構造がちょっと興味深いのです。
写真では分り難いので、模式図を描きました。
本来の橋の幅は狭いのですが、トラックなどが側道から橋へ曲がる時、余裕をもって曲がれるように、橋の角が川に張り出す構造となっています。
自転車で走っている時は気づかなかったのですが、MapFanなどで確認すると、神田川に架かる橋は全て、必要に応じて同様の構造を見せています。
そして、それは橋に限りません。
交差点などでも良く目にする光景ですから、普段は全く意識しませんが、都市計画などに携わる人々の工夫が、私たちの暮らしを支えてくれています。
いつの間にか日本では、このような社会基盤を整備する人々に、感謝の意を表すことが少なくなってきた気がします。
今回気づかされた、黙々と社会を支える人々の努力と汗に、改めて、ありがとうです。
(このような人々に「いいね!」が伝わる方法を、誰か考えてくれませんか?)
高砂橋から数10メートル下った、下流のあかね橋に立って川を眺めると、河床が緑に覆われていました。
橋の袂に「神田川流域案内板」が掲げられていました。
杉並区が、多くの人に川への関心を深めてもらう為に設置したそうです。
地図に公共施設や交通機関、防災施設などが記されていました。
案内板の中に、神田川の清流復活事業の説明がありました。
神田川は玉川上水から水を導水し、水量の増加によって水質改善が進み、今では魚や水生生物などが生息するまでになったそうです。
杉並区は1985年頃、みすぎ橋と池袋橋の間で河床整備を行い、高砂橋周辺の河床にキショウブを植え、
昭和47(1972)年頃にユスリカが大量発生すると、その対策として鯉を川に放ったそうです。
川に生きるシマイシビルなどが魚の死骸や昆虫などを食べ、川には準絶滅危惧種のナガエミクリなどが育つのだとか。
そういえば、1962年にレイチェル・カーソンが「沈黙の春」を著しています。
そのころは日本でも、多くの人々が環境問題に強い関心を示したことを思い出します。
あかね橋を過ぎると、左岸に緑地帯が現れました。
緑地帯の中でビワが黄色い実を稔らせ、モモイロヒルザキツキミソウが川岸に彩を添えています。
川は高井戸西1丁目アパートの前をながれ、そこに架かる錦橋の上から神田川を眺めると、水は静かに空を映し、
橋の下では、数匹の鯉が「すべて世は事も無し」の風情で水に漂い、シダのレリーフが川壁を飾っていました。
※ 他の記事へは index をご利用頂くと便利です。
自転車で神田川 index
筆者のホームページ 「PAPYRUS」