糠平で路肩に自転車を止め、バッグからジャムパンを取り出し、簡単な昼食を済ませました。
20分程の休憩後、次の十勝三股を目指し再び自転車をこぎ始めました。
一応の目安として、14時に十勝三股、16時に三国峠の頂上に着けば、今日中に層雲峡まで行けるはずと考えました。
急ぐ旅ではありませんが、ヒグマが棲む山中でテントを張るより、郷に下りて夜を過ごした方がはるかに安全です。
三国峠の稜線と思う尾根が正面に見えてきました。
「案外と低いな」と思いました。
自転車は良く整備された国道を、順調に距離を伸ばします。
雲が空を覆いますが、暑くもなければ寒くもない、サイクリングには最適の気象条件でした。
右手に、旧士幌線の第五音更川橋梁が見えてきました。
糠平から十勝三股まで通じていた旧士幌線は、昭和53年(1978年)に、糠平、十勝三股間の列車運行が休止となり、バスの代行運転が行なわれた後、昭和62年(1987年)に全線が廃止となりました。
士幌線跡には、今でも幾つかのアーチ橋梁が残り、その中でもタウシュベツ川橋梁は湖面に映る美しさから、観光名所の一つとなっています。
十勝三股に近づくにつれて、右手に通称おっぱい山と呼ばれる、西クマネシリ岳、ピリベツ岳のピークが見えてきました。
学生時代にこれらの峰へ、キャラバンシューズにかんじきを付けて登ったことを想い出しました。
やがて前方左手に、ニペソツ山、石狩岳、ユニ石狩岳への登山口に至る林道分岐点が見えてきました。
ここまで来ると、十勝三股はもう目と鼻の先です。
士幌線が十勝三股まで通じていた頃、帯広発の始発列車に乗って、8時過ぎに十勝三股で降り、この分岐から始まる林道を、幾度も歩きました。
その頃の私を、山へ向かわせたのは何だったのでしょうか、
そして今の私を、自転車で峠に向かわせるのは何なのでしょか、
その答えを見付ける為に、今日も自転車をこぎ続けている気がします。
え! 「一生やってろ!」 ですって。
はい、そのつもりでおります。
ニペソツ山への分岐点を過ぎてほどなく、三股山荘に到着しました。
ドアを開けて店内に入りますと、幾つかのテーブルに寛ぐ、先客の姿がありました。
糠平を出てから、休みなくはしり続けてきたので、シュワッとしたコーラが飲みたかったのですが、メニューに無かったので、柚子ソーダを注文しました。
シュワッシュワッと甘酸っぱい香りが喉の奥に広がりました。
私と同年代かと思う、おかみさんと呼ぶにはハイカラすぎるママさんに、
「昔、十勝三股からバスで糠平の小学校に通う子供達のテレビ番組を見たことがありますが、この店ですよね?」とお聞きすると、
「そうですね~ もう三十年ほど前のことです」との返事が返ってきました。
「この辺りの山に、よく登りに来たんですよ。お店はもっと小さかったような記憶があります。」
「ええ、最初の店はもっと小さくて、ここは二軒目なんです。自転車ですか?層雲峡までは3時間ですね」
そう言われて、時計に目をやると、時計の針は2時半を廻っていました。
「層雲峡まで3時間ですか! そろそろ行かなくちゃ」
三股山荘を出て、再び国道273号に戻りました。
十勝三股の標高は661mです。
これから目指す、北海道で一番高い三国峠の最高地点は1139m。
500m弱を登ることになりますが、高尾山は599m、札幌の藻岩山が531m、比叡山は848m、六甲山は931mです。
それらの山を考えれば、どうということはなさそうです。
これから登る正面の稜線も、高いようはに見えません。
美しいシラカバ林の中を、ゆったりペースで進んでゆきました。
厚い雲が稜線を包み始めたので、天気が心配ですが、それは考えても仕方のないことで、雲は風に任せ、運は天に任せました。
国道が左や右へ曲がるたびに前方の景色が変わります。
今見えているのは音更山(おとふけやま)か石狩岳でしょうか。
あの山の裏に広がる山岳高原には、季節になれば桃源郷のようなお花畑が広がるのです。
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