西蓮寺の仁王門を入ると、ヒガンバナが境内の林の床を赤く染めていました。
そんなヒガンバナの花の上を、黒揚羽が蜜を求め、ひらりひらりと舞っていました。
そして不思議なことに、数多くの場所で私が見た限り、ヒガンバナに集うのはアゲハ蝶だけなのです。
それがどのような理由なのかに興味を覚えます。
更に不思議なことに、日本産のヒガンバナは、ほゞ全てが三倍体で種子を作りません。
つまり、ヒガンバナは蜜を蝶に供給しても、蝶に花粉を運ぶという対価を期待していないのです。
これだけ鮮やかな花姿に、花咲く理由を窺わせない不思議さが漂います。
振り返れると、燃え立つようなヒガンバナの先に、初秋の明るい陽射しを浴びた仁王門が白く輝きました。
西蓮寺は西暦783年(延暦元年)最澄の弟子の最仙上人が開山したと伝わり、常陸の高野山といわれると、解説板に記載されていました。
境内には二本の大きな雄イチョウが枝を広げています。
左の木は幹回り約6m、樹高25m、右の木は幹回り約8m、樹高27mで、両樹ともに樹齢千年を超えるとされ、見事な樹形を見せています。
一本のイチョウの横に、見慣れぬ塔を目にしました。
この塔は国指定の重要文化財である相輪橖で、元寇の戦勝を記念して、西暦1287年(弘安10年)に建立されたそうです。
石造りの基壇の上に、木芯の周囲に銅製の筒をかぶせ、つなぎ目に帯わが巻いてあるそうです。
相輪橖は天台宗の象徴とされ、比叡山延暦寺、日光輪王寺のものとならぶ貴重な構造物なのだそうです。
車へ戻る途中、寺の敷地の横の小さな谷底を覗くと、赤いヒガンバナが緑の谷をまだら模様に染めていました。
種を作らないヒガンバナがこのように増える理由は、球根が拡散する栄養繁殖以外にありません。
そしてヒガンバナは人が住む場所だけに見られる、いわゆる人里植物ですから、最初は人の手によってその地に持ち込まれた筈ですが、ヒガンバナは球根にリコリンという毒が含まれ、モグラ除けとして田の畔に植えられる程ですから、動物が球根を拡散するとはあり得ないでしょう。
とすれば、この谷にヒガンバナを広げたのは、降雨によっての、地表を洗う水流だった筈と、そんなことを考えながらカメラのシャッタを押しました。
参考までに、小石川植物園で観察したヒガンバナ球根の状況を紹介します。
ヒガンバナの球根は地中の浅い場所に作られます。
雨などによって地表が洗われると、球根は容易に地表に露出します。
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