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西蓮寺のヒガンバナ

2018-09-27 12:07:42 | 東北のヒガンバナを訪ねて

 

 西蓮寺の仁王門を入ると、ヒガンバナが境内の林の床を赤く染めていました。

 


 

 そんなヒガンバナの花の上を、黒揚羽が蜜を求め、ひらりひらりと舞っていました。

 

 そして不思議なことに、数多くの場所で私が見た限り、ヒガンバナに集うのはアゲハ蝶だけなのです。

 

 それがどのような理由なのかに興味を覚えます。

 

 更に不思議なことに、日本産のヒガンバナは、ほゞ全てが三倍体で種子を作りません。

 

 つまり、ヒガンバナは蜜を蝶に供給しても、蝶に花粉を運ぶという対価を期待していないのです。

 

 これだけ鮮やかな花姿に、花咲く理由を窺わせない不思議さが漂います。

 

 

 

 振り返れると、燃え立つようなヒガンバナの先に、初秋の明るい陽射しを浴びた仁王門が白く輝きました。

 

 

 

 西蓮寺は西暦783年(延暦元年)最澄の弟子の最仙上人が開山したと伝わり、常陸の高野山といわれると、解説板に記載されていました。

 

 境内には二本の大きな雄イチョウが枝を広げています。

 

 左の木は幹回り約6m、樹高25m、右の木は幹回り約8m、樹高27mで、両樹ともに樹齢千年を超えるとされ、見事な樹形を見せています。

 

    

 

 一本のイチョウの横に、見慣れぬ塔を目にしました。

 

 この塔は国指定の重要文化財である相輪橖で、元寇の戦勝を記念して、西暦1287年(弘安10年)に建立されたそうです。

 

 石造りの基壇の上に、木芯の周囲に銅製の筒をかぶせ、つなぎ目に帯わが巻いてあるそうです。

 

 相輪橖は天台宗の象徴とされ、比叡山延暦寺、日光輪王寺のものとならぶ貴重な構造物なのだそうです。

 


 

 車へ戻る途中、寺の敷地の横の小さな谷底を覗くと、赤いヒガンバナが緑の谷をまだら模様に染めていました。

 

 種を作らないヒガンバナがこのように増える理由は、球根が拡散する栄養繁殖以外にありません。

 

 そしてヒガンバナは人が住む場所だけに見られる、いわゆる人里植物ですから、最初は人の手によってその地に持ち込まれた筈ですが、ヒガンバナは球根にリコリンという毒が含まれ、モグラ除けとして田の畔に植えられる程ですから、動物が球根を拡散するとはあり得ないでしょう。

 

 とすれば、この谷にヒガンバナを広げたのは、降雨によっての、地表を洗う水流だった筈と、そんなことを考えながらカメラのシャッタを押しました。

 


 

 参考までに、小石川植物園で観察したヒガンバナ球根の状況を紹介します。

 

 ヒガンバナの球根は地中の浅い場所に作られます。

 

 雨などによって地表が洗われると、球根は容易に地表に露出します。

 

 

 

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