goo blog サービス終了のお知らせ 
goo

ペナン 金砂海岸

2011-03-05 20:16:20 | マレー半島 花の旅

 ゴールデンサンド・ビーチはシャングリラ系のリゾートだそうです。玄関を入ってホテルを突き抜けるとビーチリゾートが広がっていました。


 

 私はハワイやグアムなどのリゾート地には行ったことがないのですが、旅行会社のパンフレット写真にあるような光景が展開していました。

 幾つものレジャープールや、椰子の下にはカフェテリアがあります。 


 

 海に出ると、カラフルなビーチパラソルが並び、ウォーターバイクが白波を立てています。


 

 白い半袖シャツにズボンを着用した、水着姿ではないグループが、水を詰めたゴム風船を、二人一組に持った布でネット越しに投げて、受けるゲームに興じていました。


 

 暫く、その様子を見ていましたら、一人のコンンガリと日焼けした青年が、最初は英語で、直ぐに日本語で「パラセイリングをしませんか」と声を掛けてきました。

 「おお! 日本語が話せるんですね」

 「はい」

 「日本語学校で覚えたの?」

 「いいえ。日本の知人などから教えてもらったりして自分で覚えました」

 「偉い!」

 「ウォーターバイクも楽しいですよ」

 「いやいや、今日は水着も持ってきていないし、様子を見に来ただけなので、御免ね」


 

 と言う訳で、彼の写真を一枚撮らせてもらってから、ビーチを後にします。


 

 

 ホテルの建物がビーチを取り囲んでいます。ここでは強烈な陽射しを避ける為でしょうか、建物の窓は北向きです。


 

                     

 

 そうだったんですね! だから、島の北側にリゾート地が広がったんですか。

 本当に「所変われば品変わる」ですね。日本では絶対にリゾートホテルの窓は南向きですもの。

 ホテルの建物に戻って、売店やストレッチルームなどを覗いてからホテル前の通りを横切り、町の様子を探索してみました。

 

 そうなんです。ビーチでのんびりと海を眺めて昼寝するなんて、私には退屈で、とってもやってられないんです。

 

 立ち並ぶコンドミニアムの下にネットカフェ、スーパー、カフェテリア、果物屋などが並んでいました。


                       

 

                       

 

 周囲を一廻りして、私は結局この町に40分程も滞在しただけで、ジョージタウンへ帰ることに致しました。


 

 バスに乗る前にホテルで購入したスプライトが11リンギだったので、「暴利だ」と感じたのを覚えています。日本円で300円程度ですけどね。


                      

 

 

 ※他の記事へは マレー半島 花の旅 index をご利用いただくと便利です。

  他の旅の記事へは 旅の目次 をご利用下さい。

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ペナン 島のウルトラマン

2011-03-05 20:06:28 | マレー半島 花の旅

 ジョージタウンに帰ってきたのが11時半頃だったでしょうか。ペナン植物園を訪問することも叶って、今回の旅の目標はこれで100%達成できたことになります。ここから先は全て「おまけ」です。

 

 さて、「おまけ」の時間をどう使いましょうか。

 実はこんなこともあろうかと、幾つかの選択枝を考えていました。

 その一つが、今宿泊しているホテルが提供する、高級ビーチリゾートの利用サービスです。

 北に頭を向けて海亀が泳ぐような形のペナン島。その島の北部、亀の頭から肩にかけてに相当する部分がバトゥフェリンギ・ビーチです。そこにはプライベートビーチが連なり、私が宿泊しているホテルはそのビーチの一つ、ゴールデンサンズに無料送迎バスを運行しているのです。

 

 次のバスの出発時間は13時です。私は部屋に戻るとゆっくりとシャワーを浴び、ホテルの向かいの屋台村で昼食を摂り、バスを待ちました。


         

                 

 

 ホテルの玄関前に停車したバスは、私と東洋人らしき夫婦連れを乗せて出発しました。


 

 車窓からは、昨日とは明らかに異なりますが、「観音寺」という同じ名称の寺院がみえます。

                        

 

 一泊69リンギと表示したGood Hoop INN なる宿泊施設も目にしました。これは安い!何しろ私の宿泊しているホテルは一泊248リンギですから、3分の1以下の2000円程度で泊まれることになります。


 外観からはそんなに汚い様子ではありません。


 と言うか、こざっぱりとして清潔な雰囲気すら感じられます。次はここにしようかな・・・と。

 え!「次の可能性は極めて低いだろうー」ですって。確かに。


                  

 

 なんと!幼稚園らしき場所にウルトラマンが居ますよ。


 

 バスは車窓に様々な景色を映しだし、約40分程でバトゥフェリンギのゴールデンサンズ・リゾートに到着致しました。


 

 

                  

 

 ※他の記事へは マレー半島 花の旅 index をご利用いただくと便利です。

  他の旅の記事へは 旅の目次 をご利用下さい。

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ペナン植物園 石楠花は幻

2011-03-05 18:39:42 | マレー半島 花の旅

 今回の旅の主な目的はシンガポール植物園とペナン植物園を訪問することでした。


 ペナン植物園では熱帯石楠花を期待していたのですが、その姿に廻り合うことはできず、石楠花は幻と終わってしまいました。


 ペナン植物園では来園者に植物を分かり易く展示するという方針はないのでしょうか。あるいは、人件費が十分ではなく、職員不足なのかもしれません。

 

 私は日本で、10年以上に亘って200ヶ所以上の植物園や公園を訪れ、花の写真を撮り続けてきましたが、日本では殆ど全ての植物園において植物に名札が付いています。


 それが当たり前だと思っていたのですが、上海、シンガポール、そしてペナンにおいても、日本程には丁寧に植物にラベルが付されてはいませんでした。今回もまた、日本では当たり前なことが、他国ではそうではないことを、改めて認識させられたのです。

 もっともこれで、全世界が同様だろうと考えるのは危険です。元々植物分類学などというものはヨーロッパで発達してきましたので、欧州では更に様子が違う筈です。


 10年以上も昔のことですが、オランダで植物園を覗いたときは、確かに個々の植物にはラベルが付されていました。

 残念なことに、ペナン植物園では期待していた通りの成果は得られませんでしたが、しかし、それでもやっぱり植物園廻りは楽しいものです。


 熱帯植物初心者の私にとっては見るもの全てが初体験でしたし、何と言っても花や木が植栽、整備された場所を散歩することだけでも、とっても気持ちが良い。


 

 坂道をゆるゆると下ると、上循環路と下循環路の合流地点に出ました。そこから更に進むとお猿さん達が木陰で遊んでいました。


 

 この辺りではキャノンボール・ツリーが名札を付けて花を咲かせていました。

 当然に、私は三脚を立てて、気のすむまで花の姿をフィルムに収めたことでした。

  

 

 ペナン植物園を出て振り返ると、正門横の高木に紅紫の花が咲いているのが望めました。背後には豊かな森も横たわっています。


 

 

 正門前の広場には見慣れた車体に10番の路線番号を表示したバスが出発時刻を待っていました。

 私はワンマンバスの運転手に2リンギを払い、車中の人となりました。


 

 タクシーとは違って、バスは長閑にあちらこちらの町を廻りながらジョージタウンの町へと帰っていったのです。

 

                           

 

                       

 

 ※他の記事へは マレー半島 花の旅 index をご利用いただくと便利です。

  他の旅の記事へは 旅の目次 をご利用下さい。

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ペナン植物園 この木何の樹

2011-03-05 17:30:53 | マレー半島 花の旅

 植物園の最奥部は貯水池でしたが、周囲に金網が廻らせてあり、中を確認することができませんでした。

 また、この辺りが植物園で、最も高度が高いようです。

 

 貯水池から少し下った場所のせせらぎに沿って、小道が森の中に設えてありました。

 

 小道を抜けると、広い芝生広場に出ました。

 振り返れば、歩いてきた散策路を包んでいる森が尾根の下に佇んでいました。

 

 芝生広場に出た所で、 ピンク色の、既に花の盛りを過ぎたと思われる花を見かけましたが、名前が分かりません。

 帰国して、葉の容姿からマメ科を推測し、ピンクの花を咲かせる樹木を検索したところ「ピンクシャワー」あるいは「ピンクレディー」と呼ばれる Cassia javanica ではないかと見当を付けました。

 下の写真ですが、間違っていたら御免なさい。

 ご存知の方のコメントが頂ければ幸いです。

 

 広場の最も高い場所にヤシの木が密集していました。

 椰子というと、高木が等間隔で並んでいる姿の印象しなかったので「珍しいな」と思いました。

 案の定、この木にも名札がありません。

 ネット検索でも判明しませんでした。

 

 東屋の下にぽつんと、一本の木が見えましたので近寄って見ると、名札が付いていました。

 学名は「lagerstroemia speciosa」で一般命はバナバ、あるいは女王花(Queen's Flower)と呼ばれているようです。

 和名は「オオバナサルスベリ」で、葉に糖尿病に効果のある成分が含まれているそうです。

 

 バナバの近くの木には名札がありましたので、控えてきました。

 学名は「Fagraea fragrans」 マチン科の樹木で建築用材や枕木として有用な樹木だそうです。

 公園や街路樹としても植栽され、爽やかな木陰を提供してくれるようです。

 

 このように植物名が表示されていれば、後で調べて、知る楽しみが広がります。

 多分ペナンでは、緑の中で体を動かす人はいても、花や樹の名を調べ、楽しむ人はそれ程多くは居ないのでしょう。

 「この木何の樹」と興味を持って調べると、とても楽しいんですけど。

 

 ※他の記事へは マレー半島 花の旅 index をご利用いただくと便利です。

 

  他の旅の記事へは 旅の目次 をご利用下さい

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ペナン植物園 饒舌な樹

2011-03-05 17:25:26 | マレー半島 花の旅

 ペナン植物園では下循環路と上循環路と名付けられた散策路が二つの輪を重ねたように整備されています

 

 私は下循環路を左周りに歩き始めました。

 

 散策路の下の小川に小さな橋が架かり、その流れの横に黄色い花を咲かせている灌木を見つけたので、近づいてみました。

 

 

 清い流れに身を乗り出すように、今を盛りと花が咲いていました。

 周囲を見回しましたが、相変わらず名札がありません。

 帰国してからネットで調べた結果、どうやらイエロー・サラカ(サラカ カウリフローラ)と呼ばれる樹木のようです。

 

 説明によれば 「イエロー・サラカは偶数複葉で、20センチ程の葉にはは短い柄があり、花は枝にも付くが、幹からも直接出て、花柄はつややかな赤い色をしている」

 ぴったりです。

  

 散策路は左に曲がりながら少しずつ登っています。

 

 

 坂を登って行くと、左手に如何にも熱帯、と言った雰囲気のオレンジ色の花が咲いていました。

 ハンドボール大の実を稔らせています。

  

 

 

 ほっほうー、何これ!

 

 相変わらず名札はありません。

 

 しかし、この花は園内の別の場所の名札で名前を知ることができました。

 

 その名はキャノンボール・ツリー。

 和名では「砲丸の木」と言うそうです。

 確かに果実は大砲玉を思わせます。

 花が咲いた後で一年程の時間を掛けて15~20センチに成長するそうです。

 

 散策路の両側には樹齢を重ねた木々が次次と姿を見せます。

 

 年輪を重ねた木々には独特の雰囲気が備わり、人々を魅了するのは何故なのでしょうか?

 

 

 そして、この木をご覧ください。

 

 岩の上に土が薄く被っただけの、見るからに生育条件の厳しい土地で、逞しく根を張り巡らせ、ひたすらに幹を空に向かって伸ばし続けた歳月を見事に物語っています。

 

 根の周囲には誰もいません。

 只ひたすらに空を見上げて生きてきたのでしょう。

 

 幹を支える根は見事なオブジェとなり、空に向かって広がつ枝葉は、根のオブジェを完成させるために、何十年も光合成を営んできたかのように見えます。

 

 幹の成長を支えた根が、美を表現しています。

 美しいものはいつも何故か、強さを秘めて、孤独な姿を垣間見せてくれます。

 

 

 今思い出してみれば、口もきけぬ樹々が、これほどまで饒舌に語りかけてくれたことが、何だか、とても不思議な印象として記憶に残っています。

 

 ※他の記事へは マレー半島 花の旅 index をご利用いただくと便利です。

 

  他の旅の記事へは 旅の目次 をご利用下さい

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ペナン植物園 散策

2011-03-05 17:17:20 | マレー半島 花の旅

 ペナン植物園正門を入ると直ぐに、大樹が枝を広げて私を出迎えてくれました。

 

 左手の受付らしき建物に寄ってみると、簡単なパンフレットが置いてありました。

 

 パンフレットには園内の略図が記載されていました。

 

 園内周回用の乗用トレーラーが待機しています。

 

 真直ぐ進むと、三叉路に出たので、木々の密度が濃い、右手へと進みます。

 

 小川を渡ると直ぐに、見慣れぬ灌木に白い花が咲いていましたが、植物の側に名札がありません。

 (どなたかご存知の方がおられましたら、コメント欄にお願いします)

 

 

 

 アレ・・・。 もしかして、この植物園も公園機能を重視しているのでしょうか?

 

 植物園の通路は幅4メート程の広さで舗装され、数多くの市民ランナーが走り過ぎて行きます。

 

 本格的なランニングウェアーに身を包んだ欧米人のママさんが二人、ベビーカーを押しながら (驚!)、とても出産後とは思えない引き締まった体型で、 走りすぎて行きます。

 

 私はのんびりと三脚担いで、緩い傾斜の道を登って行きます。

 

 やがて整った樹形の木が見えてきました。

 

 幹の直径は1.5メートル程もあり、見事ですが名前は分かりません。

 

 

 稀に名札の付いている木もあります。

 

 「学名 Eugenia grandis フトモモ科」 の名札が付いた樹は、ゴツゴツした木肌を見せて、5メートル程の高さで四方に枝を広げています。

 

帰国してから調べると、

 シーアップルと呼ばれるマレーシア原産の木で、主に街路樹として植栽され、乾季になると3センチ程の白い花を一斉に咲かせ、センチメンタルな甘い香りを漂わせます。

 

 花に覆われた木はまるで雪を被ったようになると記載されていました。

 

 花の後にオリーブを一回り大きくしたような実を実らせるそうです。

 

 

 確かに、この樹形では、低い位置だと交通の妨げにならず、適度の位置で葉を繁らせて木陰を作りますので、街路樹にはぴったりかもしれません。

 

 ※他の記事へは マレー半島 花の旅 index をご利用いただくと便利です。

 

  他の旅の記事へは 旅の目次 をご利用下さい

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ペナン植物園へ

2011-03-05 17:09:15 | マレー半島 花の旅

 ペナン二日目の朝、カーテンを開けると、外はやっと夜が明けた空色で、時間を確認すると8時数分前でした。

 日本の北半球での太陽の動向とペナンの赤道直下での太陽の動向は少々違って見える印象があります。

  窓の外を見渡すと、世界遺産のジョージタウン市街とは方角が反対でしたが、近代的なコンドミニアムの下に古くからの民家が軒を並べる光景が見渡せ、遥か南にペナン島とマレー半島を結ぶペナン大橋が望めます。

 

                 

 

 今日の目的地はペナン植物園です。

 ホテルには日本人タッフが常駐しており、植物園の情報をお聞きしたのですが、どうやら植物園を目的に宿泊する日本人は殆ど居ないようで、詳しい情報は得られませんでした。

 こんな場合には躊躇せずにタクシーを利用します。

 ホテルのエントランスに降りて、ドアマンにタクシーの手配を依頼しました。

 

                 

 

 タクシーの運転手は私が三脚を持って乗り込むと、植物園に猿の写真を撮りに行くのかと、英語で聞いてきました。

 ペナン植物園には野生の猿が数多く生息しているとの情報を得ていましたので、取り合えず「イエス」と答えておきました。

 タクシーの運転手に熱帯植物の写真撮影が目的だと説明するのはかなり大変そうですから。

 タクシーの座席から振り返ると、宿泊しているホテルが見えましたが、やっぱり、その後ろから昇って来る太陽が、朝8時半にしては少し低すぎる気がします。

 

 道の途中の両側に、かなりの距離に亘って、露店の準備をしている場所がありました。

 運転手の説明によれば、明日からインド系住民の方々の盛大なお祭りが予定されているそうです。

 

 ホテルからタクシーで15分程度、植物園前でタクシーを降りると、噂通り、植物園の柵では野生の猿達が戯れていました。

 

 運転手から、このまま待機しましょうかと聞かれましたが、「何時間掛かるか分からないので」とお断りして、いよいよペナン植物園に歩を進めます。

 ペナン植物園は入園無料で、朝5時から夜8時までの開園です。

 

 

 ※他の記事へは マレー半島 花の旅 index をご利用いただくと便利です。

 

  他の旅の記事へは 旅の目次 をご利用下さい

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ペナン 大東酒楼

2011-03-04 21:41:45 | マレー半島 花の旅

 夕方6時を過ぎていたでしょうか。

 

 ホテルへ戻ってシャワーを浴び、さっぱりと着替えてからカーテンを開け放ち、窓際の椅子に座って、デジカメの画像を見直しました。

 

 3時間ほどでしたが、多くの建造物を訪れ、世界遺産の雰囲気を十二分に満喫した記録がカメラに画像として残されていました。

 

 大脳から満足ホルモンがゆっくりと体中に伝わります。

 

 丁度、満足ホルモンが胃袋に届いた頃、今度は消化管ホルモンが空腹感を伝えてきました。

 

 先ほどの街歩きで飲食店がどの辺りか、凡その見当は付きましたので。早速、ガイドブック片手に出発。

 

 シャワーで汗を流した後でもあり、近くで店を探すことにしました。

 

 飲食店の並ぶチントラ通り〔Lebuh Cintra〕を歩いて行きますと、お肉屋さんが豚肉を製造している現場に出会いました。

 

 今の日本では絶対にお目に掛かれない光景です。

 

 

 チントラ通りからキンバレイ通り〔Lebun Kimberley〕を歩き、幾つかの店を観察しましたが、その中で一番活気のある大東酒楼へ入ることにしました。

 

 この店は北側と西側が通りに解放され、シンガポールで二晩続けて通った「15港潮洲」に店の作りが似ています。

 

 更には、この店は元気の良いおばちゃん達がガスコンロを搭載したワゴンに点心を山盛りに乗せて、絶えず店内を巡回しています。

 

 とっても気さくな田舎のおばちゃんと言った雰囲気で、見ているだけで何だかとっても癒されます。

 

 

                       

 

 席に座ると、おばちゃんが注文を取に来たので、メニューを眺めながら、「どうしょうかな」と日本語で呟きつつ、おばちゃんの顔を見ると、「姜芽鴨」と書かれた料理を指さして、多分「これにしなさい」とおっしゃいました。

 

 私は無条件に頷き、「OK プリーズ」と即答し、英語で「それと、ビールをお願いします」。

 

 おばちゃんは「ビール?」と聞いてきたので「イエス、プリーズ」

 

 ビールが来たので、ワゴンの点心から一皿貰って、

 

 「無事にペナンに来れたこと」、

 

 「無事にねぐらを確保できたこと」、

 

 「無事に夕餉にありつけたこと」を祝して、

 

 「乾杯!」

 

 

                 

 

 おばちゃんが勧めた「姜芽鴨」は本当に美味しくて、

 

 酒飲みの私を知る人は信じられないかもしれませんが、たった一本のビールでフンワリなってしまったので、心から満足すべきペナンの初日を、これで終えることにしました。

 

 

 ※他の記事へは マレー半島 花の旅 index をご利用いただくと便利です。

 

  他の旅の記事へは 旅の目次 をご利用下さい

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ペナン マックジュース

2011-03-04 21:36:51 | マレー半島 花の旅

 海岸に面したコーンウォリス要塞から歩き出し、あみだくじを辿るように、街を東西に幾度も横切りながら、南下しました。

 ジョージタウンの文化遺産としての輪郭は十分理解した気が致します。

  更に、いつものように方角だけを見当に、適当に家々の隙間の小さな路地に紛れ込んでみました。

 観光客が行きかう通りのすぐ裏で、幼い子供達が無邪気に遊んでいました。家屋内はどうやら一間で、簡単に塗装しただけのコンクリートの床がむき出し状態で、クーラーもなさそうです。

 しかし子供達は健康そのもの、その表情には如何ほどの憂いも見当たりません。何処の国でも子供達は皆天使です。

 

 その辺りからはアチェ通りモスクの姿を見ることができます。

 

 このモスクは1808年にスマトラのアチェから移り住んだ裕福なアラブ商人がインディアン囚人を使用して建設したのだそうです。

 周辺には当時の面影を残す民家が残っているとのことですが、私には見分けることは出来ませんでした。

 

 さて、そろそろホテルへ戻ることに致します。

 ホテルのある場所はコムタと呼ばれていますが、そこには65階建ての円形ビルが聳え、市内からは何処からでもこのビルを望むことができますので、丁度良い目印になっています。

 

 コムタ周辺にはショッピングセンターなども並んでいますので、買い物をする時も非常に便利な場所です。

 私はコムタに戻ると、数件のティーショップを覗いた後で、結局マクドナルドへ入り、カウンターでオレンジジュースを注文しました。

 

 

 カウンターでは、日本のマックと同じような年頃の少女達が客のオーダーを受けていました。

 彼女達は頭に頭巾を被ったアラビア系の服装で働いています。多分、この店はアラビア系の方が経営されているのでしょう。

 

 そして、私が受け取ったオレンジジュースがこれです。

 ご覧頂けますでしょうか。

 出てきた紙コップはビールのジョッキほどもあります。

 天然果汁100%のオレンジジュースがこれまた格別に旨い! 全く味覚に期待していなかったのですが、この予期せぬ僥倖は、炎天下を歩き続けてきた私を至福の世界へと導いてくれたのでした。

 こんなことで、とても幸せな気分に浸れるなんて、私はとても恵まれた性格なのかもしれません。

 誰ですか、唯我独尊、自我自賛などと囁いたのは。  

 

 ※他の記事へは マレー半島 花の旅 index をご利用いただくと便利です。

  他の旅の記事へは 旅の目次 をご利用下さい

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ペナン 街を彷徨う

2011-03-04 21:28:15 | マレー半島 花の旅

 ジョージタウンを巡り歩いていますが、ガイドマップの地図が、どうも実際の道と少しずれているようです。

 でも、急ぐ旅でも、目的のある旅でもないので、気ままに異国の雰囲気を楽しみながら彷徨いました。

 

 

                 

 

 路地に陰が広がり始めました。歩き易くはなりましたが、それでも気温は然程変わりません。

 やがて、一軒の寺院の前に出ました。ガイドブックの写真からこの寺院がチアコンシであることに間違いなさそうです。

 チアコンシはペナン華人の最古のコンシ(宗祠)の一つで、1873年に建設されたとのことです。

 マラヤに移住した中国人がマレー、中国、西洋の要素を織り込んで作り上げた典型的な伝統様式を示しているのだそうです。

 

 

 チアコンシの西には19世紀に建立されたヤップコンシ(左下の写真)や、スマトラ島アチェの反オランダ活動で主要な役割を果たした、富裕商人のサイド・アラタス氏が1860年に建設した元住居(右下の写真)などを確認することができました。

 チアコンシの西の方角にも幾つかの歴史的建造物があるようなので足を向けてみました。

  

 

 そうそう、この辺りで、最初にバスに乗るとき、コムタのバス停で一緒にバスを待っていた、ヨーロッパからと思われるご夫婦がトライショーと呼ばれる人力車に乗って現れました。

 お互いに笑顔で片手を上げて、「やあ、暑いですね」と挨拶を交わしましたが、やっぱり、高齢のご婦人には歩いて廻れるような気温ではないです。

 

 ちなみに、トライショーは1時間で30リンギとか40リンギとかの情報があります。

 いずれにしても、この炎天下の1時間で30リンギなら840円程度ですから、お安いことに間違いはありません。

 

 実を申せば私だって、こんな珍しいものに触れないでペナンを去ったら、後で絶対に後悔すると思い、シティーハウスの前で交渉して、ちょっとだけ座らせてもらっていたのです。

 

 シャッターを押してもらった後で、運転手さんに3リンギをお渡ししたら、何だかとっても嬉しそうでしたよ。

 

 ※他の記事へは マレー半島 花の旅 index をご利用いただくと便利です。

  他の旅の記事へは 旅の目次 をご利用下さい

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ペナン インドの香り

2011-03-04 21:20:46 | マレー半島 花の旅

 ハーモニー通り〔Jalan Masjid Kapitan Keling〕をもう少し南西に進むとバッキンガム通り〔Lebuh Buckingham〕と交差しますが、そこに1801年創建のインド系ムスリム寺院、カピタン・クリン・モスクがあります。

 市内循環バスに乗って、窓から見えた最初の印象的な建造物がこれでした。

 この建物は1910年に現在のムーア様式に建て替えられ、その後数回の改修が行われますが、ペナンのみならずマレーシア内でも1、2を争う美しさと称され、ドームの横ではミナレット(突塔)が青い空を背に白さを際立たせていました。

 

 

 このモスクから再びハーモニー通りを戻り、右折してパサー通りへ入りました。

 この辺りはリトルインディアと称される地区で、インド系商店などが店を並べ、インド映画のビデオ屋さんらしき店を見かけました。

 

 

                 

 

 この辺りには美味しいカレー屋さんもあるらしいのですが、事前の調査不足と気力を殺ぐ暑さのために、見つけ出すことが出来ません。

 さて、実を申せば、この後の経路の記憶が定かではないのですが、ガイドブックを頼りに、何とか目的とするナゴーレ・シュラインの前に出ることができました。

 

 この神社は13世紀にナゴーレに住んでいたイスラム教徒の聖人に因み、1800年代初頭に南インドからの移民が建てたのだそうです。

 面白いことに、神社の中では今でも、帽子屋さんと宝石屋さんが普通に営業しているそうです。

 

 

 ※他の記事へは マレー半島 花の旅 index をご利用いただくと便利です。

 

  他の旅の記事へは 旅の目次 をご利用下さい

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ペナン 民族の坩堝

2011-03-04 21:16:25 | マレー半島 花の旅

 プラナカン・マンションを先へ進むとキング・ストリート寺院群が現れます。

 ガイドブックには、18世紀にペナンに定着した中国系の人々の多様性や、広東系寺院と客家系寺院の精密な内部構造などを見ることができると記載されていました。

 同じ様に見える中国系の人々も、どうやら均一の民族ではなさそうです。

 

 更に先へ進むと、通称ハーモニー通り〔Jalan Masjid Kapitan Keling〕の観音寺「中国語ではKuan Yin Temple」が見えてきます。この寺は基礎構造が1728年に設置されたペナン最古の寺院で、今の建造物は1824年に建立されていますが、現在でも中国系の人々の参拝は絶えることがないそうです。

 本堂前では信者が捧げた線香の煙が立ち込めていました。

 

 

                 

 

 この寺の境内で、小鳥を販売している人がいましたが、これはいったい何の鳥で、何をする為の小鳥なのでしょうか? 

 観音寺からハーモニー通りを南西方向へ進むと、ジョージタウン最古のヒンドゥー教寺院であるスリ・マハ・マリアマン寺院の裏門に出ます。この寺院の開基は1801年で、現在の建物は1833年に建立されたそうですが、門の上にヒンドゥー教の神々なのでしょう、見事な彫刻を見ることができます。

 正門へ廻り込みましたが、こちら側も見事な彫刻でデフォルメされておりました。

 

 

 ペナンの歴史を調べますと、この寺院が作られた時代はペナン全島で4万人ほどの人口だったようです。その内、約40%がマレー人、インド人と中国人がほぼ20%、アラブ人が10%弱だったそうです。

 同時代に中国の仏教系寺院とインドのヒンドゥー教寺院が相前後して建立された背景が目に見えるようです。

 

 ※他の記事へは マレー半島 花の旅 index をご利用いただくと便利です。

  他の旅の記事へは 旅の目次 をご利用下さい

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ペナン やっぱり徒歩

2011-03-04 21:13:10 | マレー半島 花の旅

 私はコーンウォリス要塞の受付窓口で、ペナン観光ガイドの冊子を入手することができました。

 その冊子にはジョージタウン市内の歴史的建造物が紹介されていましたので、以降はその冊子を頼りに市内を見学することにしました。

 まずは、要塞を出てキング・エドワード・プレイス(マレー語で〔Pesara King Edward〕と表記:以下〔 〕内はマレー語)と呼ばれる地域に向かいます。そこのロータリーの中央に時計塔が建っていました。この塔は1897年に中国人の実業家がヴィクトリア女王の即位60周年を記念して建設したものです。

 日本では明治30年に当り、その年には京都帝国大学が開設され、「ほととぎす」が正岡子規によって創刊されたりしています。

 

 この時計塔を眺めた時は午後4時を過ぎていたと思いますが、しかし、それにしても暑い!

 多分この時点でも気温は30度を越えていたのではないでしょうか。

 歩くのは辛いので、もう一度循環バスに乗ろうと、先程降りたバス停に戻ってバスを待っていたのですが・・・ 7、8分で痺れを切らしました。

 観光ガイドの冊子に紹介されている施設は殆どが市内中心部に集中し、各施設間の距離は徒歩で数分程度のようです。

 どんなに暑くても、やっぱり徒歩で周ることにしました。

 ロータリーに戻り、ビーチ・ストリート〔Lebuh Pantai〕に歩を進めます。

 路の両側には昔の面影を残した白い建造物が並んでいます。どうやら1880年代に建てられた役所や銀行などのようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 更に先へ進んで右折し、ジェレジャストリート〔Lebuh Gereja〕に入ると、19世紀末に建てられた、緑の壁が印象的なペナン・プラナカン・マンションがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プラナカンとはイギリス植民地時代に渡ってきた中国人が、マレー人の女性と結婚して生まれた子供達のことで、男の子ならババ、女の子はニョニャと呼ばれるのだそうです。

 現在この建物はプラナカン文化に関連した骨董品などを展示する博物館となっているそうですが、残念なことに、閉館時間(~16:30)を過ぎてしまったようです。

 

 ※他の記事へは マレー半島 花の旅 index をご利用いただくと便利です。

  他の旅の記事へは 旅の目次 をご利用下さい

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ペナン 英国の遺産

2011-03-04 21:05:46 | マレー半島 花の旅

 先に記述しましたが、ペナンは18世紀後半にこの地を支配していたスルタンと東インド会社の条約によりイギリスへ植民地として譲渡されました。

 当時のイギリスのコロニアル建築が残されているのが、海に面したコーンウォリス要塞周辺です。

 私は循環バスを降りると、最初に目に付いたタウンホールに向かって歩き始めました。

 このタウンホールは1880年に建てられたビクトリア様式の建造物です。

 ペナン社交界のセンターとして、教会や集会場、ダンスホールなど多くの目的に使用されていたのだそうです。

 

 

 タウンホールの横には1903年に建てられたネオパラディアン様式のシティーホールがあり、現在も市議会関連の目的に使用されているそうです。

 私が訪れた時、その庭の石柱に座っていた青年の、褐色の肌が、熱帯の白亜の建造物と美しく調和していたことが印象に残りました。

 この時「本当に熱帯に来ているのだ」と強く意識したことを記憶しています。

 

                

 

 上記の二つの建造物とコタラマ公園を挟んで位置するのがコーンウォリス要塞です。

 2リンギの入場料を払って中に入りました。開場時間は19時までと表示されていました。

 この要塞は1786年にフランシス・ライトが上陸した場所に設けられました。

 東インド会社の軍事、管理拠点として活用されて、堀で囲まれた要塞の中には火薬庫や教会が備えられていたそうです。

 

                 

 

 コーンウォリス要塞から海に向けられた大砲が物語るように、この地ににも幾つもの戦があったようです。

 海岸には第一次世界大戦から1968年に端を発したマレーシア民族紛争までのモニュメント、戦争慰霊碑が建てられていました。

 

 

 余談ですが、「旅を終えての後に、ブログを書く」という作業は本当に楽しいものです。

 私はこの旅を終えた後で、旅で知り得た幾多の情報を手がかりに、ペナンの歴史や、興味深い幾多の情報を再調査することで、更に知識を広げることができました。

 今ブログを書きながら、もう一度、机上の旅を楽しませて頂いております。

 

 ※他の記事へは マレー半島 花の旅 index をご利用いただくと便利です。

  他の旅の記事へは 旅の目次 をご利用下さい

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ペナン 無料循環バス

2011-03-04 20:56:33 | マレー半島 花の旅

 ホテルに着いて、シャワーを浴び、洗濯を済ませて時間を確認すると、15時頃でした。

 今日はとりあえず、世界遺産であるジョージタウンを見物することにしました。

 ジョージタウンは、シンガポールのように日本でガイドブックが手に入らなかったので、ホテルの横にあるコムタ・バスターミナルから無料市内循環バスを利用して適当に歩き回ることにしました。

 この循環バスは15分に一本程度、市内中心部を周回しているようです。ヨーロッパからと思えるご夫婦と一緒にバスを待っていると、程なくバスがやって来ました。

   

                 

 

 バスはコロニアルな雰囲気の街を、右へ左へと進路と変えながら走ります。

 

                       

 

 市街を回り、先程バスに乗り込んだコムタ・バスターミナル停留所付近へ戻って来ましたが、どうやらこの辺りが市街中心部のようです。道路が最も混雑していました。

 数百メートル程の渋滞で、日本車をかなりの頻度で目にしましたが、韓国車の比率も以外に高いようです。

 

 

  しかし、その後は渋滞は無く、バスの窓にアラブや中華様式の建築物が次々と姿を見せ、好奇心を大いに刺激してくれます。

 

 

                        

 

 やがてバスは海岸に近づいて行きます。

 緑の芝が広がる公園の横に白い建造物が並んでいましたので、この辺りが頃合とバスを降りることにしました。

 

 ※他の記事へは マレー半島 花の旅 index をご利用いただくと便利です。

  他の旅の記事へは 旅の目次 をご利用下さい

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )