昨夜の「軍師官兵衛」は「本能寺の変」
常に信長が口にする「平家物語・敦盛」の一節。
「人間50年 下天の内を比ぶれば 夢幻の如くなり。
ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」
すべてを思い通りにやりきった信長らしい想いだと思う。
もちろん織田信長の想いは「平家物語」の無常感とは裏腹に、50年に過ぎない人生ならば自分の思い通りに総てやり切ってやろう、というほうだったと思う。
信長の天下統一、世界進出などの壮大な野望とは比べることすらおこがましいが。
自分自身の来し方を振り返ってみると、やはり同じような想いがする。
自分自身の音楽人生において演奏も作曲も趣味の楽しみもやりたいことは総てやった。
そう思ったので3年前、仲間内で自分の「生前葬コンサート」を行った。
今年で自分自身の3回忌になる。
「生前葬」をしたら「思い残すことは何もない。いつ死んでも悔いはない」という思いになった。
現在はしたがって「余生」である。
しかし何もすること無く、ただ死を待つ余生は退屈だ。
思い切り有意義な余生を送りたいと思う。
好きな学問をしたり、趣味を楽しんだり、作曲や演奏で好きなことを思い切りやってみたり。
「余生」は思い切り有意義に楽しもうと思う。
「遊びをせんとや生まれけん。戯れせんとや生まれけん」
「人間50年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり。
ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」