市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

ベッドから

2015-12-20 | 日常
 9月9日の投稿「2020年東京オリンピックと不幸」から、今日まで投稿を休んでいましたが、今朝、やっと投稿の原稿を書き出しました。実は、7月から右肩の腱鞘炎が左肩にも生じて、両手が不自由になっていきました。朝もベッドからかんたにおきられなくなっていきました。なんとか、手で体を引き起こすようにして起こすことはまだ可能ではあったのですが、9月になると、両手首も腫れてきて、起床は不可能となりました。それは電動ベッドを借りて、なんとかなったのですが、激痛が日夜を問わず襲い掛かって、不眠がはじまり、鎮痛剤の最後の頼みの綱、ボルタリンを服用したところ、激痛にほとんど効かないのに驚愕させられました。あの抜歯の痛みさへ簡単に止まったのに、なぜだ!!という驚いたのです。

 ただ、どんな激痛であろうと、耐えられないことはないので、耐えられなければ死んでしまうわけですから、まだ死にたくはないので、その欲望で、痛みをしのいではいけました。その対処については、いずれブログで詳細にのべてみたいと思います。

 9月中旬になると、手首ばかりでなくて、膝から下も腫れだして、歩行も困難になって、一日中、ベッドで寝ているばかりの毎日となっていきました。痛みも慣れてきたせいか、なんとか耐えがたい激痛は弱まっていきました。不眠も日常になってきたので、これもなれてくるのですね。

 ただ、両肩、両手手首、膝から下の腫れというのは、ほかの症状ではないのかという、まわりの懸念や僕自身もそうかもと思い出して、近くの善仁会病院に行きました。そこで宮崎医大から派遣さこれはれていた若い女医の診断と彼女との対話でいろいろわかってきたのですが、いくら両肩を無理したからといって腫れるということはないということを知ったわけです。そして,原因はリュウマチか、なにかがある、リュウマチなら一発で治せるのにと言われ、、検査したところリュウマチではなくて、感染症にもなっているということも分かったのです。炎症係数もふつうなら0.2なのに12もある、この炎症の原因はなんなのだろうと彼女がさぐっていってもらい、上司の外科医とも相談の結果、「偽痛風」を突き止め、その対症療法で、ステロイド投与(関節ない注射)となったのです。
 
 その処置が功を奏して、ようやく激痛から解放され、進行も止まり、11月の下旬から、ベッドからでられるようになったわけです。ようやく自転車で5キロくらいは走行できだしました。3時間くらいは、起きていて行動もできますが、そのあとはベッドで休んで、体力を回復させる必要があります。いまは、ステロイド剤のプレド二ゾロン錠と鎮痛剤セレコッコックス錠を服用して、自然治癒をまっているわけです。

 うまれきりて初めての長期療養で、身体に自由を奪われ、激痛の数か月という体験は、まさに意味深で興味ある毎日です。体重は56キロから48キロ台になり、主として40年間に蓄えてきた筋肉が削げ落ちてしまったのがわかりました。こうしてぼくの人生は症状前とは、別の次元に入っていったことを自覚させられました。もう自転車で50キロを走ったり、500メートルを一気にクロールで泳ぐような体にはもどれないと思います。それはそれでいいですね。痛みも消え、一人で衣服も着脱でき、毎度に食事もおいしいのであれば、これ以上の欲望はないとつくづく
感じますね。ということで、ブログ復帰をご報告いたしました。
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