市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

1人での空間

2012-02-17 | 宮崎市の文化
 バレンタインデーである。ぼくはチョコレート嫌いである。だから、おもしろくもたのしくもない。日々は、ぼくにとって楽しみを強制されているような、義務を果たすような感じもする毎日であったのだ。街中に一人でふらふらと出て行って、ゆったりとくつろげる場所は、ほとんどない。街歩きという楽しみも消えてしまっている。喫茶店もあまりなく、画廊も専門店も小さな本屋もなく、シャッター通りを歩いていくしかない。どうすれば楽しくなれるのか、とどのつまりぼくが覚えたのは、一に、写真を撮ってまわることであった。ニに、どこかで本を読んですごすことである。

 都市という場所で、この二つしかさしあたり楽しみ、つまり一人でいることの楽しみがみつけられないというのも情けない話だ。遊べる空間がないのだ。おなじようなことを、他人といっしょにやるというのでは、かえって疎外感が増していく。バレンタインのただ救いは、これで消費が街中ですすむことが、かすかな希望になることである。二年ほど前、20代後半の女性が、わたしはよく海岸にいきますと話してくれたことがあった。海岸に行ってなにをするのかとたずねると、「泣きます」と明るく笑って答えた。なにかひどくリアリティを覚えて、こんな機能も海岸にあるのかと、思えた。

 それでもこのごろは、スターバック、タリース、マクドナルド、最近ではサブウエイなどのチェーン喫茶店やカフェなどで、本を読んだり、パソコンでの作業をしていたりする客が当たり前にみられるようになってきている。ひとりでなにかをしているのが、ごくふつうの様子になってきている。数年前には一人で喫茶店やカフェに座っているような若い女性の姿などは、ほとんどいなかったし、たまたまそういう女性をみるとおもわずエールを送りたくなったり、ひどくかっこよく感じたりしたものだ。これが今では普通のシーンになってきたこと、やはり街は変わってきているのだと、思えるのである。

 先日、コーヒー豆の店を次男がみつけて、その豆を持参した。たいしたことは無いと思ったが、その新鮮さに始めて宮崎市でこんな豆があるとはと、驚きをおぼえたのだ。そこで、一ヶ月ほどして、その店を訪れてみた。場所は月見が丘1丁目の東下の赤江中学校前を南に300メートル進むと、左に「ますみや」その前にある。平屋の3店舗の北端に看板が出ている。ブルーコフィーだったと記憶している。隣の店は、犬・猫の美容室であり、この取り合わせが面白い。それぞれ、店の前に2台か3台くらいの駐車は可能である。

 一見、しがない店に感じられる。ところが、中に入ってショックを受けた。綺麗、コーヒー器具のミル、サーバー、ロート、それにさまざまのカップと、漆黒のカウンターや棚で、みごとな置物となって輝いていた。すでに焙煎を終わった10種類をこえる豆が、容器にはいってならべられている。その容器も、品種を示すラベルのデザインも素晴らしい。いや、包装紙、また豆を収める袋も、半端ではない。聞けばそのまま収納袋として使えるということだった。おもわず声も無く店内をみまわすのであった。隣室には赤い新車の小型車をみるような赤とクローム鋼の魅惑するような機械があり、それが焙煎器であるということだった。宮崎市でみた店舗では、先日閉店したeーCHAFEの再来を感じてうれしかったのだ。店主は50代の男性だが、その口調から、コーヒーが好きで好きでたまらぬ趣味人というか、専門家というか、この人にあってこの店なりと納得させられるのであった。

 ぼくは、コーヒーには無知という態度で通し、あまり深い話をせずに帰ったのであった。今、つくづく思うのは、宮崎市に、この店の200g、せいぜい1200-1500円内外のコーヒー販売にこたえられるコーヒー愛好家は、果たしているのかどうかということである。いないとなれば、いつまでも、新鮮なコーヒーを販売しつづけることは、かなり難しいことになろう。この店はまさに生活の文化であり、アートであるのだが、孤立、孤軍奮闘の日々が流れて行き続けるのだろうと思う。こういう生活文化の土壌にアートが育ってくるのだが、その土壌は、1980年代の末ころから干からびてきた。それに追い討ちをかけたのが、中心市街地の再興という都市計画であった。そのハードオンリーの楽天主義が、街を崩壊に追い込み、生活文化の衰退とアートの衰退を過去20年間にわたり及ぼし、続いている。そしてアートのないところにアートセンターとかが建設され。今もハード主義は健在である。そして、このプロセスが、街の最終崩壊への方向を辿っていると思う。

 もうしばらくすると、街は荒野になろう。そして、荒野が、これまでにない想像を絶する街の形態を示しだすと、思う。この崩壊からあらわれるだろう中心市街地のイメージは、まさに常識を絶した未来形をしている。ときどき目の前に姿を現してくる。それは、町興しというお祭り騒ぎの街とは隔絶したイメージだ。多分、脳天気な都市論者の脳では想像は不可能である。ここから、ようやく宮崎市街は面白くなる。通俗都市論よさらばでもある。
 
コメント
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