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いつもわくわくしていたい

Death Anniversary

2018年01月13日 07時28分02秒 | 日記
きょうは娘の記念日です。
命日とも言う。

命日は英語ではデス アニバーサリー
直訳すれば死の記念日


それに比べると、仏教の言葉は何て奥深いんだろうねぇ。

どうして命日と言うのか、検索してみました。
いろいろ出てきました。

まず、ヤフー知恵袋では、


しかしそれは、死すなわち終わりではなく、新しい世界(極楽の世界)への始まりであり、誕生ともいえます。仏教の世界ではこれを往生(おうじょう・いきうまれる)といいます。往生の意味は、極楽の世界へいって仏様に生まれるという意味です。このことを成仏ともいいます。

すなわち人の死は(仏教では生きとし生けるもの、命あるすべての生き物)現世の終わりではあっても、新しい世界へ生まれ変わる始まりであり、新しい命を賜る日でもありますので、これを「命日」というのです。


新しい命にうまれかわる日
死後の世界があるからこその言葉ですね。

あと、こういう説明もありました。
住職の法話、というサイト から引用させていただきます。
http://kohrinji.la.coocan.jp/houwa/houwa/2005-12-j.html

 残された私が亡き方を通して、命の儚さ、掛け替えのなさを、そしてその命を “今”“ここに”いただいていることの不思議さ有り難さを学ばせていただく。命日とはそういう時間です。だからこそ「ご命日」と呼び、大切にしていくのでありましょう



キリスト教では死の記念日に何回も親族が集まるということはしません。一周忌、三回忌・・と、何十年も法要をし続ける仏教とはずいぶん違います。
死者の供養という儀式はキリスト教にはないです。



さて、何はともあれ、15回目の命日、また今年も娘の友だたちがお墓参りに行ってくれて、その帰りにうちに寄ってくれます。

いつもは扉の向こうに飾っている写真や記念のものを、出しておきます。

時が過ぎれば悲しみも柔らかくなっていますが、「会いたい」っていうワードひとつで、あのころと同じだけ、わたしの心深くでは喪失の痛みが消えてないことを知らされます。

きょうもよいお天気で、朝陽がきれいです。
救急車で運び込まれた都立病院のICU用の待合室にずっと泊まっていたので、朝になると、
古い病棟の最上階の窓から、日の出を毎朝眺めながらお祈りをしていました。
懐かしいです。あの古い建物はもう跡形もなくなっています。

きょうだけのオレンジ色の思い出。




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