聖イトオテルミー学院グループ 曲梶支部 ブログ

創見者 伊藤金逸医学博士の教えをもとに、温熱刺激療法イトオテルミーの温もりと実(まこと)の健康生活の普及に努力します。

イトオテルミー「近畿大会」(全国)に参加して(再掲載)

2014年01月08日 | イトオテルミー

 平成24年11月25日、ホテルニューオータニ大阪で「イトオテルミー近畿大会」が開催され、2000名の全国のテルミー関係者が参加されました。

 近畿大会では、聖イトオテルミー学院 伊藤元明学院長の記念講演、亀光庵主の土口哲光師の特別講演、大阪府立芥川高校の和太鼓の演奏がありました。

 大会後、同ホテルの会場で懇親会が行われました。伊藤康久理事長の歌声は、会場を魅了しました。

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(写真は、ホテルニューオータニの川沿いの風景です。近くに大阪城が見えます。)

Dscf6278(開会前の会場風景)

 

「伊藤元明学院長の記念講演」を聞いて

演題 「人間の絆をつなぐテルミー」

 初めに

 昨年の3・11(東日本大震災)は、その地の人々を「深い、深い悲しみ」におとしいれました。「本当に医宗一如をかかげるわたしたちは、(その悲しみを)同感すること、共有することの難しさを知りました。人間としての絆を確かめ、健康をあらためて見つめなおしたい。」との主旨を述べられて講演が始まりました。

「息災でなもし」(愛知弁)

 この言葉は、元明学院長のタネおばあさん(金逸博士の奥様)が元明学院長さんたちに言っておられた言葉です。学院長は、「息災とは、仏教用語で仏様の力によって身を護り、災いを取り除くこと。」と説明していただきました。生涯元気でありたいと思うけど、なかなか現実は難しい。わたしたちは、幾度も幾度も病気をしていてもそれを通過して、生きている生かされている。

「生きているということは、環境と個人との絶え間ない相互作用」(元明学院長)

「テルミーは勘考、按配して人様にかけてあげなさい」(金逸博士)

 知識をもったらそれを智慧にまで発展させなければならない。(テルミーのかけかた)

「炎症は病気とたたかう大きな力である。」

「病気とは、回復過程である。」(ナイチンゲール)

「イトオテルミー療法は、家庭健康療法を標榜し、医宗一如の心で人と共に喜び、悲しむ思いで冷温器を握っているわたしたちです。」

「わたしたちの皮膚とは、何か」

 皮膚の発生初期、精子と卵子がドッキングして細胞分裂し、外胚葉、中胚葉、内胚葉ができます。その外胚葉が、将来脳、脊髄、神経になり、一方では私たちのヒフになったのであります。脳、脊髄、神経とわたしたちをすっぽり包んでいる皮膚は、故郷が同じなんです。テルミー刺激をしたあと心をうつ。金逸博士は、「適所、感覚所、心所(テルミー刺激の箇所)は同じ場所で、心の場所である。」(テルミーの温熱刺激は、ヒフ刺激であり、心にも作用する。)と。ヒフそのものが、体のすばらしい臓器です。そして、ヒフの表皮は外の環境に接している。ヒフはた大変な役割をもっている。そのヒフを刺激するイトオテルミー療法でありますから、わたしたちは、冷温器を握る立場の人間として、心、観察力が大事です。患者さんに満足を与える工夫をしていかなければならない。

「がんと緩和ケア」(テルミーの併用による効果)

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 医者が見捨てた(治療の方法がない)がんの人で、がんが自然退縮しているデーターが出てきて科学的にも証明されていることをも学院長は、講演で述べられました。テルミー界においてもアンケート調査で、がんと一緒に10年も20年も生きておられることも分かっています。

 アメリカの腫瘍学会で、「がんの標準治療と緩和ケアの併用による効果」が発表されています。がんの患者さんだけでなく、それを介護するひとも「健康であるから辛い、休みたいんです。」介護者にも心配り、気遣いがいります。テルミーの緩和ケアは、介護者の生きがいにもなる。緩和ケア、テルミー療法や音楽療法等で生存期間が延長している。(ここでの伊藤学院長の講演は、テルミーのがんに対する効果について医学博士らしく実証にもとづいた控えめなものでした。)テルミーを併用することによって家族が幸せになっていく、そして本人がテルミーを介して生きがいを求めていく。いつでもテルミーがそばにあるということを継続していくことがテルミー界の原点である。

Dscf6292 (がん患者の旅路)

 がん患者さんが、ひとりで自分だけだと思い込んで旅路をしておられる。その悲しみを本当にわかるためにわたしたちがどうすればいいかということを考えることがあります。アイデンティティは、きらめく個性にうらづけられた大きなエネルギー、宝物のようなエネルギーを持った、それがアイデンティティと考えるようになりました。しかし、悲しみに打ちひしがれている、あるいはがんを持っている患者さんに、正しくアイデンティティを展開してもらうに方法論はどうあればいいか。アイデンティティをエネルギーをもっと高める、宝物を生かすという考え方を人間として持つ、コミューニケーションを重ね、医宗一如をかかげています。人と共に喜び、人と共に悲しみ、心からテルミーをするわたしたちです。

亀光庵主 土口哲光師 特別講演 辻説法


 演題

 「大いなるいのちの発見」
 

 土口 哲光師は、真言宗総本山東寺で教科部長を務められ、東寺の大師堂の前で13年6か月「辻説法」をされました。現在は、京都府向日市で安らぎの場「亀光庵」の庵主をされています。

 土口師は、登壇されると「会場の皆様は諸天神、諸菩薩、仏様でごございます。」とおっしゃって会場の皆様へ「南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛」と唱えられ合唱礼拝されました。

「医宗一如」

 テルミー界では「医宗一如」といわれていますが、「一如は、二つにない。一つである。二つが一つであるという尊い東洋の思想です。」「医病の宗教、宗教の医病。」

 心身一如で、体と心が離れることが死です。魂魄が分離することです。

「身・口・意」の三つを整えよ

(慈悲の心「意」で、思いやりの言葉をかけ「口」、冷温器を使ってなでくる「身」)

「大阪のボサツさん」

 (菩薩とは、仏になれる修行を積んでいるが、仏にならずに人々の苦しみを救済することを願って活動しています。)

 大阪道頓堀生まれ(明治21年)の米子さんは、踊りが上手で日本舞の名取になり、15歳で大阪堀江の芸妓になりました。芸子置屋の中川万次郎が、妻の不倫を疑い、日本刀で置屋の5人を斬り殺しました。当時芸妓名、妻吉だった米子さんは手を合わせ助けてと頼みましたが、中川は、米子さんの両腕を切り落としました。「大阪堀江の六人斬り」という事件だそうです。両手のない米子さんは、いろいろ苦労をしながらも、口で字を書くことを身につけました。苦しみの度に真言宗のお坊さんに相談しておられました。当時の歌舞伎役者の市川団十郎さんの帯に絵を描いたりされたそうです。

 口で書いた「観音経、般若心経」をもって高野山の管長さんのところに行き「出家したいと。」申し出ましたが、管長さんは、「これは観音さんが書いたお経。社会のためつくしなさい。」と。そのお経が日展に入賞しました。審査委員は口で書いたものだとは、知らなかったそうです。

 京都山科の勧修寺で庵をたて、人々と相談にのったりして菩薩行をされました。

 「六本の位牌」 「腕を斬りおとされても、ありがとう。感謝。」

  いつも六本の位牌を拝んでおられたそうです。五本は大阪堀江で斬り殺された五人のかたのものです。六本目の位牌は五人を斬り殺した置屋の主人中川万次郎のものです。「おとうさん、腕を切り落としてくれてありがとう。切ってくれなっかたら今頃、どうなっていたでしょう。今は、真実の世界を求めて歩み始めることができるようになりました。」と。米子さんは、腕を斬りおとした中川に感謝の日々だったそうです。

「芥川高校の和太鼓演奏」

 大阪府立芥川高校の和太鼓は、会場の皆さんに、若さのエネルギー、にこやかな顔、力いっぱいの演奏で感動を与えました。

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「楽しかった懇親会」

 「近畿大会」終了後、全国のテルミー関係者の懇親会がありました。オペラ歌手の歌声、大阪酒井支部の方のピアノ、ヴァイオリン演奏、カラオケ、近畿支部長さん全員の「なにわ少年少女合唱団」の合唱等があり、にぎやかで親しみあえた懇親会でした。

Dscf6322_3(なにわ少年少女合唱団)

Dscf6324_3(伊藤元明学院長夫妻も合唱団)

★「イトオテルミー近畿大会」ならびに「懇親会」は、盛大に大好評のうちに終わりました。

 

 

 

 

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