銭湯の散歩道

神奈川、東京を中心とした銭湯めぐりについて、あれこれ書いていきます。

福助湯

2017-04-13 20:41:42 | 銭湯
JR横浜線大口駅から線路をたどって10分ほど歩くと福助湯に到着する。近くの川沿いを歩き始めると、煙突がみえてくる。
外観はまさに昭和の銭湯で、下足箱のところから男女に分かれている。その下足箱だが松竹錠の鍵がついたところを開けると誰かの靴が入っており、仕方なく別の鍵がついたところをあけると、そこにも靴が…。ようやく三つ目のところで靴のない下足箱を探り当てたが、ここは地元客ばかりなので警戒しないのだろう。
ドアは古びた外観に似合わず自動扉。中に入ると、番台には小柄なおばあさんが座っていた。年齢は分からないが、結構年を召された印象。
その日は仕事帰りだったのでタオルを持ち合わせておらず、貸しタオルがあるか訊ねると、
「ここの使っていいわよ!」
と指し示されたのが、古びて色あせた巨人軍のタオル。おそらく読売新聞の購読者に配ってるタオルだろう(かつて我が家にもあったタオルだ)。
服を脱いで浴室に入ろうとすると「せっけんは?」と聞かれたので、「大丈夫です」とこたえたのだが、なにやら番台の下をゴソゴソ探し始めて石鹸を貸してくれた。小さな石鹸が無数に入ったケースだったが、こういう親切は素直に嬉しい。
浴室は、昔ながらの銭湯にありがちな手前側がカランで奥が浴槽。4:6の割合で、4側が座湯のジェットバス。6側がバイブラ。バイブラはかなり勢いがあるのと、浴槽の側面に赤い光が放たれており、少し不気味な印象がある。そもそも、そういう演出は古びた銭湯の雰囲気と似合わないような気がするのだが。
壁画は、当初、なにを表現しているのか分からなかった。木目調のタイルが凹凸に貼ってあり、逆三角形にグラデーションの青が天井まで続いている。タイルやその青色には白い点が散りばめられており、そのタイルと青の間に巻き貝のようなものがあった。このあたりでおそらく地底をイメージしたものなのだろうと思った。となると、浴槽の赤はマグマの色で、バイブラはそのマグマから吹き出した湧出口?
昭和の古びた銭湯と侮っていたが、なかなか芸術志向のたかい銭湯だ。
温度は足を入れるとけっこう熱く、温度計を確認すると、46℃。他の銭湯よりやや熱めといったところか。
客は自分が入浴したときで4人ほど。会話をしてる人たちもいたが、基本静かだった。
近くには鷲の湯もあって、そちらは同じ時間帯だとごった返しているので少々寂しい気もする。
脱衣場と兼ねた休憩所は、丸テーブルに椅子が並び、かなり大きなガラス張りの植栽。和と洋が入り交じったちぐはぐ感じだが、いかにも個人経営らしい風景だった。

【評価チェック箇所】
・値段 470円
・アクセス(道程) ほどほど近い
・周辺の店 飲食店がある
・休憩所 脱衣場と兼用。洋風テーブル
・混雑ぶり 空いている
・清潔さ それなりに綺麗
・接客 とても親切にしてくれた
・客層 中年の男性がほとんどだった
・脱衣所 規模にしては広い
・キャパシティ 間に合ってる
・洗い場仕切りの有無 なし
・シャワーの出 悪い
・温度 熱い
・高低差 なし
・眺望 壁画が斬新
・食事 なし

【銭湯考】銭湯が先細りしないために

2017-04-13 06:42:03 | 銭湯考
銭湯を訪れると決まって見られるのが高齢者の姿だ。当たり前になりつつある光景だが、こうした高齢者のみに支えられる産業というのはいずれ衰退する運命にある。
ただ、日本の銭湯が若者たちからそっぽを向かれているのかといえば、そうともいえない。スーパー銭湯には若者がたくさん集まるし、雑誌などでもスーパー銭湯特集はよく見られる。
このような現状をみると問題の本質は、銭湯そのものというよりも、経営のあり方にあるといえそうだ。
銭湯というのは特殊な業種で、どの店も均一料金で経営している。こうした業種は銭湯以外にみつからない。
この均一料金は物価統制令と呼ばれるもので、組合に加入することで税制優遇を得られる代わり、均一料金で経営することが義務づけられている。現在でも物価統制令が適用されているのは銭湯のみだ。
おもに水道料金が減免されるのだが、ほかにも様々な恩恵が得られていると言われている。現代の銭湯がこうして経営を続けられるのも物価統制令のおかげともいえる。
ではなぜ、銭湯が税金補助の対象になるかといえば、公衆衛生に関わる社会インフラとみなされるからだ。
ただ、現実的にはそうした風呂をもたない家庭というのはごく少数で、おそらく1%にも満たないだろう。そうした人たちのためだけに銭湯が存在するならば、浴槽の設置に補助金を掛けたほうがよっぽど現実的で有意義な税金の使い方じゃないだろうか。それと地域による偏在の是正もしなければならない。
たとえば横浜市の場合だと、鶴見区に17もの銭湯があるが、緑区は1つしかない。自宅に風呂釜をもたない人たちがその1つの場所にわざわざ通えるだろうか?
そうした現実的な判断をすると、一般的に銭湯が求められる役割というのは、その嗜好性にあると思う。こうした建前とは異なる実体と、税金補助や物価統制令といった本来あるべき競争状況に置かれない状況が続くと、その業界はどうなるのだろうか?
端的にいえば、自ら変わろうとはしなくなるのではないか。現状維持こそが安泰だからだ。
もちろん中には積極的に変わろうとする銭湯もあって、そうした銭湯では感銘を受けることも少なくないが、一方でほかのサービス業と比べると有り得ないような店もたくさんある。
掃除がぞんざいだったり接客が無愛想だったりなど。無愛想なのはほとんどといってもいいぐらいだが、サービスの質はスーパー銭湯と比べて雲泥の差だ。正直、この違いはなんなんだろうといつも感じてしまう。
何も変わらないということは年配者たちからすると安心感をもたらすかもしれないが、若者からすれば時代から取り残された遺物としかみられない。
昨今は東京を中心にリニューアルした銭湯が数多く見られるが、そうした銭湯はファッション性も相まって、若者たちでごった返している。
時代とともに変われば人は集まる。いつまで同じままであれば、先細りするばかりだ。銭湯の後継者問題なども取り沙汰されるけれども、目下、銭湯の置かれる問題点は、変わろうとしない意識にこそ問題があるのではないかと思う。