蒼莱ブログ

9割の無知・無関心・身勝手な愚鈍日本人に欠けているもの。

9割の無知・無関心・身勝手な愚鈍日本人に欠けているもの。

それは、人工地震、気象テロ、毒ワクチン接種であなた方の肉親を殺している人類の敵(DSと岸田文雄朝鮮悪裏社会)への復讐心です。

◆空から降ってきた憎い敵を『みんなで竹槍でぶっ殺した』住民を残酷に変えた郡山空襲

 

空から降ってきた憎い敵を「みんなで竹槍でぶっ殺した」 住民を残酷に変えた郡山空襲 #戦争の記憶 - 未来に残す 戦争の記憶 - Yahoo! JAPAN

太平洋戦争の末期、日本国内でアメリカなどの連合軍による空襲...

 

太平洋戦争の末期、日本国内でアメリカなどの連合軍による空襲が激しさをましていた。おびただしい数の爆撃機が都市を襲い、死者は50万人に上った。その裏で、日本の各地に墜落し、捕らわれた連合軍兵士がいたことはあまり知られていない。そうした歴史には、深い闇が隠れている。農村地帯に墜落し、生き延びた連合軍兵士を目の当たりにしたのは、一家の大黒柱や子どもたちを戦争で失った住民たち。空から降ってきた、死ぬほど憎い敵を前にした時、人はまともでいられたのだろうか...。(福島中央テレビ)

(中略)

「竹槍でぶっ殺したわい」70年以上隠した加害の事実
軍都である郡山市も、同じ日に空襲を受けた。連合軍の戦闘機は、郡山空襲を終えて航空母艦に帰還する際、残った爆弾などを滝根町や川内村に投下したとみられる。郡山市内では航空隊などが壊滅状態となっていた。

そして8月10日、郡山市内にも連合軍の戦闘機が墜落した。当時小学2年生だったという男性が取材に応じてくれた。墜落現場は家のすぐ近くだったという。

「兵士は落下傘(パラシュート)で落ちたんだけど、開かなくて、足を折ったのではないかと聞いている」

連合軍の戦闘機が墜落した場所は、いまは雑木林となり、操縦士がパラシュートで降りたという畑は荒地となっていた。本土決戦もささやかれる中、突然、敵兵が空から舞い降りた時、人々はどんな行動をとったのか。2人の男性に話を聞くことができた。

当時25歳、消防団員だった男性は「いま飛行機が落ちたって言われて、駆けていったんだ。その時は生きていた。体格のいい...上下続きの服着てて。だけど、兵隊がその男を連れていっちまった。わかっているのはそれだけだ」と話した。

もう一人、当時16歳の少年だった男性は興奮気味に語った。

「毎日竹槍で練習していたから、竹槍を持ってみんなして行ったわい。そしたら(落ちた兵士が)立とうとしたんだ。んで、ぶっ殺したわい。みんなして竹槍でつついたから、死んじゃったわい。『やめろ!ダメだ!』なんでいう人はいないわい、敵だから。戦死者がいる家の人は、敵とってやったぞって仏壇に手を合わせて報告した人もいたな」。

(引用終了)


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