この世を遊び倒す

結局何かを感じて生きている。不感症はオシマイ。自然と音楽とデジタルの話

そこにある本当の姿

2012年05月25日 | 写真
どんなに人が押し寄せる場所だろうと、一瞬本来の姿を見せる時がある。

夏の風物詩、湘南鵠沼。

フルスーツが必要な時期の平日早朝、しかも波が無い日限定。
静かな日の出を迎える。



波がなかろうとあろうとこの日は海に入ると決めていた。

真夏の土日に入ろうがものなら、イケイケサーファーの独断場のこの場所も
静かな朝だった。

嫌いな海№1に入る辻堂、鵠沼エリア。

前乗り、ライン妨害当たり前。
しかも海が汚い。

こんな場所に今更入ると思わなかった。

でも、仕事の都合上入る事になった。

いざ!

膝波ながら選べば繋がる波質。
一人で湘南の波を独占した1時間。

狭い日本で本当に自然と対峙したサーフィンは
本当の早朝にのみでしか出来ないと改めて感じた。

更に改める事は
この海に入れるという事。
原発事故で入れる海が狭まった。
多少の放射線あろう。
でも、入りたい。
これが今の日本のサーファーではないか。

趣味と言えばそこまで。
別に海に入らなくても死にぁせん。
でも、人の手によって汚された海に入るのは人。

遊びにリスクを背負ってまで遊ぶのが現代の日本。
背負わなく良いリスクまで。


千葉ではいつも入る海の海岸線の家が流されていた。

この状況をサーファーはどう見るのであろう。
波乗り後に飯が食える店は流されて今はない。

人によって感じ方は千差万別。

でも、それが現実。

港に山積みにされる瓦礫の中で、今の日本のあり方
生き方を問われているようでならない。


境界線

2012年05月22日 | 写真
平日の降りしきる雨の中、山の中の温泉に行った。
雨は植物を潤し、露天風呂では植物たちの呼吸の音が聞こえた。
久しぶりの山。

今日は思いのほか寒い。

露天風呂での「寒い」と「心地よい」の境目が好きだ。
特に極寒の露天風呂では。

境界線を自分でコントロールしつつ心地良い時間を作る。

生きながらコントロールできれば良いのにな。


繋がるイノチ

2012年05月19日 | 写真
親から子へ繋がっていくイノチ。

当たり前の世界。

なぜ、生命が繋がっていくのか考えた事がなかった。

でも、やっぱり小さな子供を見ると顔がニヤけてしまう。

どうにか笑わせようとしてしまう。

リレーで云う、バトンを渡すエリアに差し掛ると

改めて考えることになる。




あらゆるモノに興味を持ち続けていくことが
生命力の源を考える。
感じなくなったらオシマイ。
アダルトチルドレン。


福島第一原発警戒区域

2012年05月13日 | 写真
ひと気の無い田んぼに一晩泊まった。
翌朝は日の出とともに起きた。
昨晩の暗闇の中の瓦礫臭が未だ残る。

警戒区域はすぐそこだった。
北の玄関口国道6号線。
警官が防護服も着ないまま、警備にあたっていた。


仕事とはいえ、自分の身を危険に晒して仕事をしている。
何とも言えない気持だった。

原発まで10.8km。


海沿いから6号の西まで津波流された車が畑の中に取り残されている。


北北西は特に放射線が強いエリア。
家はあれど、人はいない。
途中、鶏やネコとすれ違う。
原発事故がなければとても平和な世界。

タンポポが咲き乱れ、新緑の世界がこれから始まろうとする。
はずなのに。

目に見えない放射能が辺り一面覆う。

6号から南下できない事を事前に知っていたので、北北西に進路を変え、畑道を進む。
東北道に入って東京に帰るためだ。
いわゆる
帰宅困難区域、居住制限区域だ。
そこから飯館村を抜けた。
とにかく人がいない。
反原発を掲げる横断幕もない。
ゴーストタウン。
家には車がなく、長期間人がいない雰囲気。
天気が良いだけに、違和感がぬぐえない。

途中コンビニに寄った。
若い母親が子供たちがいた。
「そのエリア」でなければいたって普通の光景だ。
しかし、ここは「そのエリア」
避難しないのだろうか。
要らぬ心配がよぎる。
世界的な原発事故であるチェルノブイリでは未だ後遺症に苦しめられている現実を知らないのだろうか。
と、いいつつ自分もここにいる。

東京に帰って、当日の新聞には北北西エリアは約3マイクロシーベルト。
東京は0.05マイクロシーベルト。
この差を皆、知っているのだろうか。
間違いなく、フクシマはしばらく帰れない土地となる。
周辺住民の原発依存等、多くの問題が山積されている。
多くの電力を消費する都会が田舎の人々を危険に晒して発電している現実。

3.11以降の夏までは省電力と謳い、多くのネオンが消された。
それが、今はどうであろう?
3.11以前と変わらないではないか。
人は忘れるもの。
しかし、忘れてはならぬものもあろう。
電気料金を上げて結構。
フクシマの人々の痛みはカネで計れる痛みではない。
今まで住んでいた土地を奪われる痛みに変えればカネで解決できるのであればそうたいしたことではない。
自分の目で見たフクシマは、自然豊かで良く言う田舎である。
地震は自然災害。
原発は人災という。

多くの危険を含ましてまで「発電」必要だろうか?
人間が発明した原子力は人間がコントロールできないシロモノなんだよ。
廃棄物も今後何十年もかけて廃棄しなければならない。
今が良ければ良いという今の人々の自己中に、孫の代まで原発は良いエネルギーと言えますか?



南相馬

2012年05月04日 | 写真
テレビで多く耳にしてきた南相馬
そんな街着いた

街に活気はなく、静かで、津波被災していない家も真っ暗だ

真っ暗な道を進むと突然瓦礫の山が暗闇から現れる

今日は田んぼのど真ん中で寝ることにしよう
明日朝、また違う顔をした南相馬に出会えるかも知れない

東北初日

2012年05月03日 | 写真
テレビで見た景色と同じ景色が入ってくる。
テレビで見る景色と同じはずなのに、やはりナマは違う。
断片的だった画が繋ぎ合わされていき、3Dとなって目の前に現れている。
津波に流された学校の献花台では自然と涙が流れた。



台風のような低気圧で、ずぶぬれ。
カメラワークもままならず。。。
持参した防水コンデジが活躍するも、水玉が写りこみイマイチ。
カメラに焼き付けることよりも、目に焼き付ける。


東北の今

2012年05月03日 | 写真

見たい

日々マスコミが伝える情報量が少なくなる一方で現在の東北を知りたい気持ちが大きくなっていく自分がいた

じゃ自分で見ろっ!
で一路一人旅に出る事にした

東京から7時半
岩手県一関に着いた

久しぶりに降り立った東北は昔と変わらない

日が昇ればまた違うのだろう

明日に備え寝る事にしよう