この世を遊び倒す

結局何かを感じて生きている。不感症はオシマイ。自然と音楽とデジタルの話

旅の道具

2018年10月26日 | 放浪


雨漏れも愛嬌。

取り回しが大変だけど、宿予約の心配がなくなったのと、
テントのように雨の心配がなくなって、旅の自由度が上がった。

といいつつ、

今度は自転車テント旅がしたいという、
自由の二極化が進んでいる。


複雑化の一途をたどる現代で、シンプルなものが魅力的だ。
カネ掛けりゃ楽しいなんてもんじゃないんだよな。


楽しみの本質を追及する。
シンプルに。

生き死に

2018年07月01日 | 放浪
88歳になっても、いまだ生きる力が衰えず、人生を楽しもうとする老人。

ガンが末期となり、70歳よりも前に自殺する人。



いずれも、死の足音が聞こえる年齢だ。
なにを感じ、なにを考え生きているのだろう。生きていたのであろう。

こういう歳になるまで、あんまり現実的ではなかった死。
最近また、周囲で死がポツリ、ポツリ。


明日死んでも、
後悔しない人生にすること。

その、信念を持って生きていけば、そう。
後悔する死に方をしないような気がする。

俯瞰

2018年02月06日 | 放浪


狭い日本。
タラタラと生きているだけで、なんとなく過ぎていく時間。
そう、別に一生懸命生きなくても、生きていける時間と場所があるのが日本ではないのだろうか。

物事を俯瞰できる人。
それは、多くの経験から物事を上から俯瞰できる人。
目の前の物事も大切だけど、冷静に俯瞰できる男があこがれの存在か。

ヨーロッパのとある国。
EU参加で、政治は安定。
怖そうなトンネルも一人で歩くことができる。

一方でスリが多発の現状を考えると
やっぱり、どこの国でも「日陰」があるのだと。

狭い日本。
意識的に外に出なければ、日本だけの人生になる。
外から見た日本。
それは、自らが外に出なけば分からない感覚であり、
その意識に気づくか気づかないか。

これからの人生の豊かさに直結するのだろうな。

放浪しようと思ったら、する

2017年02月01日 | 放浪
置かれる環境がどんどん、動きずらくなる。
一般的には、落ち着いて、安全に、お金を掛けて、ある程度の贅沢する年頃。

そうやって、経済が動くのはわかるけど、そうじゃない楽しみがあっても良いと思う。

まぁ、サラリーマンの世界では変わりもんかもしれないけど。

で、一般的には無理だといわれる小さな車に、二段ベッドを仕込み
4人が寝られる車を作り、放浪することにした。



車内も、ルーフも、リアハッチも荷物満載。
車中泊だけではなく、サイクリング、BBQ、釣り、キャンプ、何でもできるくらいの荷物。

車中泊自体は好きではないが、狭い日本はテントを張ると、すぐにクレームになる。
仕方ないので、駐車できるスペースで寝る術としては車中泊しかないのだ。

二段ベッドの上段に横になると5センチ先は車の天井。
しかし、人間横になってしまうと寝れるもんだ。

見知らぬ土地で寝て、起きた朝の新鮮さは、中々ない面白さ。
時間縛られず、好きな時に寝て、食べて、移動する放浪スタイルは
やはり、本当の意味での自由なんだなと感じる。

残念ながら、この車は一度限りの放浪の友となり
サイズに限界を感じて、車のサイズアップした。


キャンピングカーには及ばないが、宿泊費を他に回し、また自由な旅を続けたいと思う。

azia

2015年07月07日 | 放浪
またもや、azia、アジあ。



海外に行くと思うのは、貧富の差だけではなく、そこに流れる時間感覚の違いだ。
その国独自の時間が流れていて、日本時間の感覚で行くと、違和感を感じる。
ま、そこが海外醍醐味といえばそうなんだが。。

このインド人と思われる男は、薄汚れたフードコートで何を考えているのだろう。
まだ、平日の昼前だ。

人と違う時間軸を持った人は、社会人としてはどうかと思うが、
プライベートで出会うとする人であれば興味津々。

横並びの感覚を持った人が良し、との日本的感覚はキライ。

ともあれ、ぶっ飛んだ人に最近出会わない。
男も女も。

自分がぶっ飛んでるからか?

北海道

2014年05月14日 | 放浪
多忙の隙間を無理やりこじ開け北海道に行った。
中学時代に行ったきり、の再訪である。

決められたルートを行く旅ではなく、空港でのひらめきでレンタカーを借りた。
街から一歩出た北海道は、まさしく広大な大地。
東京に住んでいるのが馬鹿らしく思える広さ。

ふと、この広さに懐かしさを感じた。
いっとき生活していたカナダとそっくりである。
広大な農地と緩やかな川、5月だというのに雪を被る山々。

そして、空気。
この景色の中で一人が吸える空気。
山手線車内で吸える空気の数万倍の空気。

なんで、東京にいるのだろう?
根本から考える良いきっかけになった。

ただ、真っすぐな道に車を走らせていると、犬がじゃれあっていた。
ん?犬?


キタキツネだった。


制約のない世界。
奇声を上げてもだれも文句言わない。
何しても他人に迷惑をかけない。

人が密集するから、法が出来、めんどくさいルールができる。
必要のないストレスを被る。
また、便利と思える施設・インフラが自身の「生きる力」をそぎ落とす。



誰も来ない真っすぐな道のど真ん中で、キタキツネを見守りながら考える。

知らなくて良い事は知らなくて良い

2013年05月24日 | 放浪
パソコンやらスマホでいつでもどこでも情報が得られる時代。
最初は「便利だ!」と感じていた。

だけど、本当にいつでもどこでも情報は必要か?
その時に本当にその情報は必要か?
無駄な情報まで入ってきてないか?

実は要らない情報が多すぎるのである。
実は知らなくていいのだ。

勝手に入ってくる情報は、意識的に遮断しなければならない。
そんな世界だな。
知らなくても生きていけるし、逆に知らない方が幸せな事だってある。

この世界には情報を操作する人がいて
それに踊らされる人々が多すぎる。

たまには情報を遮断してみよう。


こんな焚火を囲む時間には。
もしくは圏外の地へ。