聖堂の詩

俳句から読み解く聖書

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聖堂の詩その693―教会

2011-12-16 11:54:58 | Weblog
           教会の全灯点るクリスマス     愛媛新聞1989年1月30日付
 クリスマスは冬の季語。イエスキリストの生誕が12月25日であるという歴史的証拠が何処にも発見されていない。寧ろ逆にキリスト生誕は冬ではないのではないかという疑念が抱かれる聖書の下りがある。それはルカ伝2-8に「この地方では羊飼いが野宿しながら羊の番をしていた」とある。ベツレヘムは北緯32度で標高800mに位置している。京都盆地とほぼ同じ気候であると言われている。
 12月末のベツレヘムではとても野宿できる気象条件ではない。寒くて野宿は無理である。ベツレヘムでの野宿は冬以外の季節しか考えられない。この季節は羊飼いがベツレヘムに居なかったと考えられる。もう一つの不思議さは同じくルカ伝で、ルカ伝2-7に「初めての子を産み、布に包んで飼葉桶に寝かせた」とある。是が不自然であると誰も感じないだろうか、京都の12月末赤ちゃんを布に包んで飼葉桶に寝かせることが可能であろうか。寒さで瞬時に凍えてしまうのではないか。どう考えても師走月末の出来事とは考えにくい。
 その様なことから聖書からはキリスト生誕が12月であったことは考えにくい。したがってクリスマスは後世において冬至祭りの延長上にクリスマスがあり、その起源を求めることが出来るとも言われている。これからは日々が長くなるだけ。長い冬と別れを告げる冬との決別の日、それがクリスマスであるとの説がある。だとすればクリスマスは新春を迎える祭りなので、春の季語にならなければならないが、日本ではクリスマスは冬の季語に定着している。
 内村鑑三という無教会主義のクリスチャンが居る。生まれは高崎藩士の長男として生まれた。万延二年(1861)誕生であるが、明治政府が明治6年(1873)切支丹御禁制を解いた直後の明治人である。誰もがキリスト教に靡く時代でもあった。内村鑑三が教会は行っても行かなくてもどうでも良いと考えたのはよほどの決断だ。教会とは日本在来の寺院や神社と同質のどろどろした世俗の存在でしかないと認識していたからではなかろうか。
 幼少時に廃仏毀釈運動で仏教も神道も世俗に迎合することに嘔吐を感じて居たのではないか。聖職者への嫌悪もあったと推定出来る。寺や神社や神官や僧侶に嫌悪を抱くと同様に世俗のキリスト教会や神父・牧師に違和感を覚えていたのではないか。聖書と異質なものを感じていたであろう。今の時代に内村鑑三が生存していれば連続する猥褻事件や金銭事件など血生臭い事件に顔を背けるのは当然で、犯罪の巣窟の如き教会に背を向けて聖書をひたすら読んでいたのではないか。
 また、掲句「教会の全灯点るクリスマス」の光景を見て内村鑑三はどの様に思うだろうか。福島原発事故による電力不足の日本で煌々と明かりを点す教会に対して彼はどのように思うだろうか。「イルミネーションは教会に必要とは思えない。その様な行為は神の意思とは思えない。教会は譲り合いや互助の精神が無いのか」と激怒しているのではないだろうか。激怒していなくとも少なくとも何かを呟いているに違いない。
 聖書辞典を紐解くと、「教会とはギリシャ語のエクレーシアを日本語約した単語で、ギリシャ語には元来宗教的な意味が無い。このことも無教会主義への誘いの一要因になったと思われるが、ギリシャでは政治目的で開かれた集会のことをエクレーシアと呼んでいた。その後翻訳者は「エクレーシア」をイスラエルの民のことを指摘するようになった。」とある。当時の教会と今の教会と大きな隔たりがあるのは明白だ。聖書に出て来る「教会」がそれぞれどのような意味を指していたのか、聖書辞典を参考にしながら具体的にあたってみたい。全部で105箇所に「教会」が発見された。それは以下である。
(聖書に発見できる「教会」の巻別分布表)
●マタイ伝には「教会」が2回発見できる。それは以下。
・16-18には「私はこの岩の上に教会を建てる」とある。この場合の教会は、イエスキリストの臨在する有機的共同体としての教会を意味する。
・18-17には「教会のいうことをも聞き入れないならその人を異邦人か徴税人とみなしなさい」とある。
●使途行伝には「教会」が18回発見できる。それは以下。
・5-11には「教会全体とこれを聞いた人は皆恐れた」とある。
・8-1には「その日エルサレムの教会に対して大迫害が起きた。使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアに散った」とある。
・8-3には「サウロは家から家へと押し入って教会を荒らした」とある。
・9-31には「教会はユダヤ、ガリラ矢、サマリアの全地方の平和を保った」とある。
・11-22には「このうわさがエルサレムにある教会にまで伝わった」とある。
・11-26には「丸一年そこの教会に一緒に居て」とある。
・12-1には「ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばした」とある。これは「ヘロデ王は教会へ行く人々に迫害の手を伸ばした」としたほうが良いのではないか。
・12-5には「パウロは牢屋にいれられた。教会では熱心な祈りが神に捧げられた」とある。教会は熱心に祈りを捧げるところであるとしている。
・13-1には「その教会には預言者や教師たちが居た」とある。
・14-23には「弟子たちのために教会ごとに長老を任命した」とある。この場合の教会は、イエスキリストの臨在する有機的共同体としての教会を意味する。
・14-27には「到着すると直ぐに教会の人々を集めた」とある。
・15-3には「一行は教会の人々に送り出された」とある。
・15-4には「エルサレムに到着すると彼らは教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎された」とある。
・15-22には「使徒たちと長老たちは教会全体と共に、自分たちの中から人を選んだ」とある。
・15-41には「シリア州キリキヤ州を巡って教会を力つけた」とある。
・16-5には「教会は信仰を強め日ごとに人数が増えた」とある。
・18-22には「教会に挨拶をするためにエルサレムに上り」とある。
・20-17には「パウロは教会の長老たちを呼び寄せた」とある。
・20-28には「神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなた方を監督者に命令された」とある。この場合の教会は、イエスキリストの臨在する有機的共同体としての教会を意味する。
●ローマ人への手紙には「教会」が5回発見できる。それは以下。
・16-1には「ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、私の姉妹フェべを紹介します」とある。
・16-4には「私だけでなく異邦人の全ての教会が感謝しています」とある。
・16-5には「彼らの家に集まる教会の人々にもよろしくお伝えください」とある。
・16-16には「キリストの全ての教会があなた方によろしくと言っています」とある。
・16-23には「私とこちらの教会全体が世話になっている家の主人ガイオがよろしくとのことです」とある。
●コリント人への手紙Ⅰには「教会」が20回発見できる。それは以下。
・1-2には「コリントにある神の教会へ、即ち至るところで私たちの主イエスキリストの名を呼び求めている全ての人と共に」とある。
・4-17には「いたるところの全ての教会で私が教えている通り」とある。
・6-4には「教会では疎んじられている人々を裁判官の席につけるのですか」とある。
・7-17には「これは、全ての教会で私が命じていることです」とある。
・10-32には「神の教会にもあなた方は人を惑わせる原因にならないようにしなさい」とある。
・11-16には「そのような習慣は私たちにも神の教会にもありません」とある。
・11-18には「あなた方が教会に集まる時亜互いの間に仲間割れがあると聞いています。私もある程度そのようなことがあると思います」とある。教会に於いて使徒たちは特別な地位を締めていた。
・11-22には「神の教会をみくびっているのですか」とある。
・12-28には「教会の中にいろいろな人をお立てになりました」とある。
・14-4には「予言をするものが教会を造る」とある。
・14-5には「教会を造るには予言をする者の方が勝っている」とある。
・14-12には「霊的賜物を求めるのですから教会を作りあげる為にそれをますます豊かに受けるようにしなさい」とある。
・14-16には「教会に来て間もない人は、どうしてあなたの感謝にアーメンと言えるでしょうか」とある。
・14-19には「教会では異言で一万の言葉を語るより」とある。
・14-23には「皆が異言を語っている時に教会に来て間もない人または信者で無い人が入って来たら」とある。
・14-24には「信者でないひとか、教会に来て間もない人が入って来たら」とある。
・14-28には「教会では黙っていて、自分自身と神に対して語りなさい」とある。
・14-33には「聖なるもの達の全ての教会でそうであるように」とある。
・14-34には「婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちは語ることは許されていない。婦人たちは従う者でありなさい」とある。
・14-35には「婦人にとっては教会で発言することは恥じるべきことだ」とある。
●コリント人への手紙Ⅱには「教会」が9回発見できる。それは以下。
・1-1には「コリントにある神の教会」とある。
・8-1には「マケドニアの諸教会」とある。
・8-18には「福音のことで至る所の教会で評判の高い火とです」とあるが、「福音に関してあらゆる教会で評判の高い人です」と翻訳するほうが読者に分かりやすいのではないか。
・8-19には「彼は私たちの同伴者として諸教会から任命されたのです」とある。
・8-23には「彼らは諸教会の使者であり、キリストの光である」とある。
・8-24には「あなた方の愛の証と私たちが抱いている誇りの証を諸教会の前に明らかにしてください」とある。
・11-8には「私は諸教会から掠め取るようにしてあなた方に奉仕する為の生活費を手に入れました」とある。
・11-28には「あらゆる教会について心配事があります」とある。
・12-13には「あなた方が他の諸教会より劣っている点は何でしょう」とある。
●ガラテヤ人への手紙には「教会」が3回発見できる。それは以下。
・1-2には「兄弟一同よりガラテアの諸教会へ」とある。
・1-13には「徹底的に神の教会を迫害し滅ぼそうとした」とある。
・1-22には「ユダヤの諸教会の人々とは顔見知りではない」とある。
●エフェソ人への手紙には「教会」が11回発見できる。それは以下。
・1-22には「,キリストを全ての上にあるものの頭として教会を与えた」とある。この場合の教会は、イエスキリストの臨在する有機的共同体としての教会を意味する。
・1-23には「教会はキリストの体である」とある。この場合の教会は、イエスキリストの臨在する有機的共同体としての教会を意味する。
・3-10には「神の知恵は教会によって天上の支配や権威に知らされるようになった」とある。
・3-21には「教会により、またイエスキリストにより」とある。
・5-23には「キリストが教会の頭である」とある。この場合の教会は、イエスキリストの臨在する有機的共同体としての教会を意味する。
・5-24には「教会がキリストに仕える」とある。
・5-25には「キリストが教会を愛する」とある。
・5-26には「キリストが教会を清め聖なるものとする」とある。
・5-27には「栄光の教会をご自身の前に立たせる為である」とある。
・5-29には「キリストが教会になさったように」とある。
・5-32には「神秘は偉大です。私はキリストと教会について述べている」とある。
●フィリピ人への手紙には「教会」が2回発見できる。それは以下。
・3-6には「熱心さの点では教会の迫害者、律法の義に関しては非の打ち所の無い者でした」とある。
・4-15には「物のやり取りで私の働きに参加した教会はあなた方の他には一つもありません」とある。
●コロサイ人への手紙には「教会」が5回発見できる。それは以下。
・1-18には「御子はその体である教会の頭」とある。
・1-24には「キリストの体である教会のために」とある。
・1-25には「私は教会に仕えるものになりました」とある。
・4-15には「ニンファと彼女の家にある教会の人々によろしく」とある。
・4-16には「ラオディキアの教会でも読まれるように取り計らってください」とある。
●テサロニケ人への手紙Ⅰには「教会」が2回発見できる。それは以下。
・1-1には「イエスキリストと結ばれているテサロニケ教会」とある。
・2-14には「キリストイエスに結ばれている神の諸教会」とある。
●テサロニケ人への手紙Ⅱには「教会」が2回発見できる。それは以下。
・1-1には「イエスキリストに結ばれている神の諸教会」とある。
・1-4には「神の諸教会の間で誇りに思っています」とある。
●テモテへの手紙Ⅰには「教会」が5回発見できる。それは以下。
・3-5には「家を治める事ができない者にどうして神の教会の世話ができるでしょうか」とある。
・3-7には「監督は神の教会以外の人々からも良い評判を得ている人で無ければならない」とある。
・3-15には「神の家とは真理の柱であり土台である生ける神の教会です」とある。
・5-16には「そうすれば教会は身寄りの無いやもめの世話をすることが出来ます」とある。
●フィレモンへの手紙には「教会」が1回発見できる。それは以下。
・2には「あなたの家にある教会へ」とある。
●ヤコブの手紙には「教会」が1回発見できる。それは以下。
・5-14には「あなた方の中で病気の人は教会の長老を招いて祈ってもらいなさい」とある。
●ヨハネの手紙Ⅲには「教会」が3回発見できる。それは以下。
・6には「彼らは教会であなたの愛を証しました」とある。
・9には「私は教会に少しばかり書き送りました」とある。
・10には「彼は兄弟たちを受け入れないで、受け入れようとする人々を邪魔して教会から追い出します」とある。
●黙示録には「教会」が18
見できる。それは以下。
・Ⅰ-4には「ヨハネからアジア州にある七つの教会へ」とある。
・1-11には「エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会に送れ」とある。
・1-20には「七つの星は七つの教会の天使たち」とある。
・2-1には「エフェソにある教会の天使」とある。
・2-7には「諸教会に告げることを聞くがよい」とある。
・2-8には「スミルナにある教会の天使」とある。
・2-11には「霊が諸教会に告げることを聞くが良い」とある
・2-12には「ペルガモンにある教会の天使に」とある。
・2-17には「耳ある者は霊が諸教会に告げることを聞けばよい」とある。
・2-18には「ティアティラにある教会の天使に」とある。
・2-23には「こうして、全教会は、私が人の思いや判断を見通す者であるということを悟るようになる」とある。
・2-29には「霊が諸教会に告げることを聞くが良い」とある。
・3-1には「サルディスにアル教会の天使」とある。
・3-6には「霊が諸教会に告げることを聞くが良い」とある。
・3-7には「フィラデルフィアにある教会の天使」とある。
・3-13には「耳ある者は霊が諸教会に告げることを聞けばよい」とある。
・3-14には「ラオディキアにある教会の天使」とある。
・3-22には「霊が諸教会に告げることを聞くが良い」とある。
・22-16には「イエスは使者を遣わして諸教会の為に以上のことをあなた方に証た」とある。
                (聖書で描写されている「教会」の特徴)
(1)聖書には105回の「教会」が発見された。聖書に出て来る単語としては良く出て来る単語であり、見慣れた単語である。
(2)聖書には良く出て来る単語であるが、出て来る「教会」の全て新約聖書であり、旧約聖書には「教会」は皆無である。
(3)聖書に出て来る「教会」の全て新約聖書で発見されるが、新約聖書でもイエスキリストの十字架以降にしか出てこない。使徒行伝や手紙の出て来るだけである。
(4)十字架以前で聖書に出て来る「教会」は二箇所に限定されていた。それは、マタイ伝16-18には「私はこの岩の上に教会を建てる」とあるが第一である。第二番目はマタイ伝18-17であり「教会のいうことをも聞き入れないならその人を異邦人か徴税人とみなしなさい」とある。十字架以前の教会はこの二箇所に限定される
(5)「教会」は以上のことから言えることは十字架以降に生まれたものである。
(6)「教会」に良く似た単語「会堂」があるが是はユダヤ教の集会所を示すのであり、教会と全く性質を異にしている。教会と会堂を対比比較することでユダヤ教とキリスト教徒の違いが鮮明化するであろう。会堂に関しては稿を改めて述べてみたい。(注1)
(7)「会堂」は旧約聖書には詩篇に見られるだけで、全てが新約である。「会堂」はキリスト教とユダヤ教との接点としての位置にある。キリスト教への改革の移行期に表れてくる単語である。
(8)聖書に出て来る「教会」はイエスキリストの臨在する有機的共同体としての教会を意味する。是が出て来る頻度が高いと言うことは新約聖書で強調したい一点である。教会の最も特徴的な存在はイエスキリストの臨在する有機的共同体であると言うことになるだろう。
(9)コロサイ人への手紙4-15やフィレモンへの手紙2などに見られたが「家にある教会」が目立った。当時は家庭の中に教会が存在していたことが窺がえる。
(10)テモテへの手紙Ⅰ3-5には「家を治める事ができない者にどうして神の教会の世話ができるでしょうか」とある。家と教会とを並列しつつ比較している教会を家と見立てて考えていた傾向が窺がえる。
(11)「教会の全灯点るクリスマス」のような華やかな描写は聖書の中には発見できない。
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(注1)(聖書に出て来る「会堂」の巻別分布表)
●詩篇には「会堂」は1回発見される。その箇所は以下。
・74-8
●マタイ伝には「会堂」は9回発見される。その箇所は以下。
・4-23,6-2,6-5,9-35,10-17,12-9,1354,23-6,23-24
●マルコ伝には「会堂」は12回発見される。その箇所は以下。
・1-21,1-23,1-29,1-39,3-1,5-22,5-35,5-36,5-38,6-2,12-39,13-9
●ルカ伝には「会堂」は18回発見される。その箇所は以下。
・4-15,4-16,4-20,4-28,4-33,4-38,4-44,6-6,7-5,8-41,8-49,8-50,11-43,12-11,13-10,13-14,20-46,21-12
●ヨハネ伝には「会堂」は5回発見される。その箇所は以下。
・6-59,9-22,12-42,16-2,18-20
●使徒行伝には「会堂」は22回発見される。その箇所は以下。
・6-9,9-2,9-20,13-5,13-14,13-15,13-42,14-1,15-21,17-1,17-10,17-17,18-4,18-7,18-8,18-17,18-19,18-26,19-8,22-19
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