聖堂の詩

俳句から読み解く聖書

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聖堂の詩その645―絮その2(亜麻と麻を中心にして)

2011-09-19 19:55:25 | Weblog
           青空に草の絮飛ぶ大湿原        紅日2004年11月号
 「綿または絮」は書ききれないので「その2」を設定した。聖書時代の綿の性質をより明確にする為に「綿」の単語の使われ方だけではなく、他の衣料に使用される繊維をも取り上げ、綿の聖書時代の性質を明らかにするのが目的であった。綿以外の繊維に関する単語の分析は此処に著す「綿または絮その2」において行いたい。
            (聖書に出て来る綿以外の他の衣服原料)
 綿と言えば[草の綿」として俳句でも季語として取り上げられるが、綿といえば服飾である。衣装や服飾の中で綿を更に明らかにするには他の繊維、例えば亜麻や羊毛などの比較において綿を観察しなければ綿の全体像が見えにくい。他の繊維原料の中で綿を明らかにしなければ綿は見えにくい。稿を改めて取り組めばよいのであるが、此処で簡単に述べておきたい。そこで聖書の中で衣料原料となる他の繊維を綿以外の他の繊維を此処で簡単に取り上げて置きたい。但し此処では衣や衣装と言う単語は割愛した。問題にしているのは「綿」が発端であるので、繊維原料に限定した。
<<亜麻・麻関係>>
 亜麻は聖書に出て来るあらゆる衣料繊維原料の中で最も高い頻度で発見された。麻関連は総数が99回にも及んだ。亜麻の繊維としての性質をより明確にするために、亜麻に関連する語を亜麻布や亜麻糸などとして詳細に区分してみた。詳細に区分することで聖書の中の亜麻の性質をより明確にしようとした。
<植物としての亜麻>
●「亜麻はつぼみ」1回発見できる。それは以下である。
・出エジプト記9-13には「亜麻は蕾が開く時期だった」とある。
●「亜麻の束」は1回発見できる。それは以下である。
・ヨシュア記2-6には「二人を亜麻の束の中に隠した」とある。河畔などから収穫した亜麻ははじめに水で晒す。晒した後は屋上などで乾燥させる。その後繊維にほぐして繊維を糸に撚っていた。糸にするまでの一工程がこの場面から読み取れる。
<亜麻糸関連>
●亜麻糸(「亜麻の糸」を含む)は聖書の中にはにおいて9回発見出来る。出エジプト記が7回で申命記が1回、士師記が1回で合計9回であった。殆どが出エジプト記に発見できた。その箇所は以下である。
・出エジプト記25-4には「青、紫、緋色の毛糸、亜麻糸、山羊の毛」とある。羊毛は染色されるのが一般的だったが、亜麻糸には染色の記述は無かった。亜麻糸は純白が一般的なのであろう。
・出エジプト記35-6には「青、紫、緋色の毛糸、亜麻糸、山羊の毛」とある。
・出エジプト記35-23には「青、紫、緋色の毛糸、亜麻糸、山羊の毛」とある。
・出エジプト記35-25には「紡いだ青、紫、緋色の毛糸、及び亜麻糸を携えて来た」とある。
・出エジプト記35-35には「青、紫、緋色の毛糸、及び亜麻糸を使ってつづれ織や縁取りをするものなどあらゆる種類の工芸に従事する者とし、意匠を考案するものとされた」とある。工芸に従事する者が居て専従化と分業化が進んでいたことが読み取れる。
・出エジプト記38-23には「オホリアブは彫刻家、デザイナー、及び青、紫、緋色の毛糸、亜麻糸を使ってつづれ織をするものになった」とある。専門家でも幾つかの分野をひとり出で担当していたことが読み取れる。
・出エジプト記39-3には「青、紫、緋色の毛糸、および亜麻糸の中に織り込んでデザイナーの描いた模様を作り上げた」とある。
・申命記22-11には「毛糸と亜麻糸とを織り合わせた着物を着てはならない」とある。繊維の収縮率が異なることを問題としたのであろうか。
・士師記15-14には「腕を縛っていた縄は火がついて燃える亜麻の糸のようになり、縄目は解けて彼の手から落ちた」とある。腕を縛っていた縄であるから手から落ちたのではなく腕から落ちたとするのが当たり前ではないのか。縄が腕からひとりでに手に移ることは考えられない。分かりにくい翻訳だ。
●「亜麻のより糸」は出エジプト記のみに発見される。その回数は20回で。その箇所は以下である。
・26-1には「亜麻のより糸、青、紫、緋色の糸を使って意匠家の描いた模様を織り上げなさい」とある。意匠家というのであるから専門のデザイナーだ。その時代にデザイナーが居たのである。またデザイナーの描いた模様を亜麻の糸で織り上げる能力と知識があった。
・26-31には「青、紫、緋色の毛糸を、及び亜麻のより糸を使って意匠家の描いたケムビムの模様の垂れ幕を作りなさい」とある。
・26-36には「亜麻のより糸を使ってつづれ織りを作りなさい」とある。
・27-9には「亜麻のより糸で織った長さ100アンマの幔幕を張り」とある。1アンマ(またはアマー)は肘より中指の先端までの長さで44cmとされる。アマーammahは英語の武器や腕であるarmの語源だろうか、辞書で調べたが曖昧。ラテン語にまで遡上出来たがそれ以上は不明。
・27-16には「亜麻のより糸で織ったつづれ織りの20アンマの幕を張り」とある。
・27-18には「幔幕は高さが5アンマで、亜麻のより糸で織る」とある。
・28-6には「彼らは金、青、紫、緋色の毛糸、及び亜麻のより糸を使って、意匠家の描いた模様のエフォドを織る」とある。エフォドとは司祭の着用する式服。
・28-8には「金、青、紫、緋色の毛糸を、及び亜麻のより糸を使って作る」とある。毛糸と亜麻とを織り交ぜていたことが読み取れる。
・28-15には「次に金、青、紫、緋色の毛糸、及び亜麻のより糸を使ってエフォドと同じように、意匠家の描いた模様の裁きの胸当てを織りなさい」とあるとある。ここでも毛糸と亜麻糸との交ぜ織りが見られる。エフォドとは司祭の着用する式服。
・36-8には「亜麻のより糸、青、紫、緋色の毛糸を使って、意匠家の描いた模様のエフォドを織りあげた」とある。エフォドとは司祭の着用する式服。
・36-35には「次に青、紫、緋色の毛糸、及び亜麻のより糸を使って、意匠家の描いたケルビムの模様の垂れ幕を作り」とある。ケルビムとはヘブライ語で天使のこと。
・36-37には「次に天幕の入り口にかける幕を作り、青、紫、緋色の毛糸、及び亜麻のより糸を使ってつづれ織りを作った」とある。
・38-9には「亜麻のより糸で織った長さ100アンマの幔幕を張った」とある。
・38-16には「庭の周りの幔幕は全て亜麻のより糸で織った」とある。
・38-18には「亜麻のより糸で織ったつづれ織りの長さ20アンマ、高さあるいは幅5アンマの幕を張り、庭の幔幕に合うようにした」とある。
・39-2には「エフォドは金、青、紫、緋色の毛糸、及び亜麻のより糸を使って作った」とある。
・39-5には「エフォドと同じように金、青、紫、緋色の毛糸、及び亜麻のより糸を使って作った」とある。
・39-8には「次に金、青、紫、緋色の毛糸、及び亜麻のより糸を使ってエフォドと同じように、意匠家の描いた模様の胸当てを織った」とある。
・39-28には「亜麻のより糸で作ったズボン」とある。
・39-29には「亜麻のより糸で作った飾り帯」とある。
<亜麻布の用途による区分>
 亜麻布の出て来る頻度が高いので亜麻布の用途に注目して区分してみた。
●「亜麻布の短いズボン」はエゼキエル書に1回発見された。それは以下である。
・44-18には「腰には亜麻布の短いズボンをはいて汗が出ないものを着用しなければならない」とある。気温が高い様子が見える。
●「亜麻布のズボン」は出エジプト記に1回、レビ記に2回合計3回発見された。それは以下である。
・出エジプト記28-42には「彼らに亜麻布のズボンを作り腰から腿まで肌を隠すように」とある。
・レビ記6-3には「亜麻布のズボンで肌を隠す」とある。
・レビ記16-4には「亜麻布のズボンをはいて肌を隠す」とある。
●「亜麻布のダーバン」(「亜麻のターバン」も含める)は4回発見できる。それは以下である。
・出エジプト記28-39には「亜麻のターバンを作り」とある。
・出エジプト記39-28には「亜麻のターバンを亜麻のより糸で織った」とある。
・レビ記16-4には「頭にターバンを巻く。これらは聖なる衣服で水で体を洗ってから着用する」とある。ターバンは清められたことの証しでもある。
・エゼキエル書44-18には「頭には亜麻布のターバンを巻いて、腰には亜麻布の短いズボンをはいて汗が出ないものを着用しなければならない」とある。実験すれば分かるが、頭のターバンは亜麻布を巻くことにより亜麻布の持つ特性である断熱と通風を促そうとしていた。巻きつけた亜麻布の特性である断熱力と通風力で砂漠の強い日差しから頭を守った。
●「亜麻布の長い服」は聖書には1回発見できる。その箇所は以下である。
・レビ記16-4「彼は聖別した亜麻布の長い服を着け」とある。聖書には聖別という言葉があるが、日本語では「清める」という言葉がある。「清めた亜麻布の長い服」としたほうが、我々日本人には分かり易いのではないか。
●「亜麻布の衣服」(「亜麻の衣服」や「亜麻布の衣」も含める)は創世記に1回、レビ記に5回、エゼキエル記に1回、黙示録に1回合計8回発見される。その箇所は以下である。
・創世記41-42には「亜麻布の衣服を着せて金の首飾りをヨセフの首にかけた」とある。
・レビ記6-3には「祭司は亜麻布の衣服を着て亜麻布のズボンを履き肌を隠し」とある。
・レビ記13-47には「黴が生えた時は亜麻の衣服でも」とある。
・レビ記13-59には「亜麻の衣服に黴が生じた場合」とある。
・レビ記16-23には「彼は亜麻布の衣服を脱いでそこに置き」とある。
・レビ記16-32には「彼は聖別をした亜麻布の衣服を着て」とある。
・エゼキエル記44-17には「内庭に入るときは亜麻布の衣服を着なければならない」とある。
・黙示録15-6には「天使たちは輝く清い亜麻布の衣を着て」とある。
●「亜麻布の上着」は歴代誌上に1回発見できる。その箇所は以下である。
・15-27には「ダビデは亜麻布の上着をまとっていた」とある。
●「亜麻布の飾り帯」はレビ記に1回発見できる。その箇所は以下である。
・レビ記16-4には「亜麻布の長い服を着け、その下に亜麻布のズボンを履いて肌を隠し、亜麻布の飾り帯を締め頭に亜麻布のダーバンを巻く。これらは聖なる衣服である」とある。このくだりは現代の中東地方の人々の服飾と風俗が見えてくる。現在の中東地方の服飾と風俗が聖書時代の人々の服飾と重ねてイメージしても良いのではないだろうか。
●「亜麻布の肌着」はイザヤ書に1回しか発見できない。その箇所は以下である。
・3-23「亜麻布の肌着、ダーバン、ストールなど」とある。肌着は日本では近代以降綿製品が中心だった。21世紀になってからだろうと思うが日本では麻の肌着が急速に拡大普及している夏の厳しさがその原因のひとつである。聖書時代への回帰現象かもしれない。因みに「ストールstole」は首からかける長い布のことであり、当時は襟元の日除けであったと考えられる。「麻の肌着、ダーバン、ストール」は全て直射日光からの肌の防御にある。聖書の文脈からその様に読み取ることが出来る。現代ではカトリックなど僧侶が式典で使うストールである。それは防寒目的の襟巻scarfとは性質が異なる。聖書には述べていないのであるが、このストールも首筋部分の日除けであるから亜麻布であったと考えられる。stoleとscarfとは発達の出発点と目的に大きな落差がある。
●「純白の亜麻布」は、是も聖書の中ではエステル記に1箇所しか発見できない。その箇所は以下である。
・エステル記1-6には「大理石の柱から柱へと紅白の組紐が張り渡され、そこに純白の亜麻布、見事な綿織物、紫の幔幕が一連の銀の輪によってかけられていた」とある。最後の「輪によってかけられていた」とあるのが分かりにくい。「輪にかけられていた」とすべきではないか。「一連の銀の輪」との説明が既にあるので「輪にかけていた」の方が理解がすっきりする。このくだりを読んでいてきた北アフリカの地名「カサブランカ」を思い出す。スペインの植民地であったので、スペイン語の「白い家」を意味する。北アフリカの砂漠気候で激しい直射日光による輻射熱を遮断するために家は真白でなければならない。真白にすることにより太陽光を反射させ家の中を涼しくしている。エステル記のこの下りの純白の亜麻布も綿織物もそれを念頭に入れて読めば、描かれた地域の景色と環境が見えてくるのではないだろうか。
●「亜麻布と絹とで美しく織った」はエステル記一箇所のみに発見できた。それは以下である。
・1-6には「お前は金銀で身を飾り、亜麻布と絹とで美しく織った服を身につけた。そして小麦粉と蜂蜜と油を食物とした。こうしてお前は美しくなり女王となった」と述べている。この翻訳でも少しの引っ掛かりを感じてならないのである。
 それは細かいことではない。日本語にならない妙な翻訳が気になる。それは、「亜麻布と絹とで美しく織った服を身につけた」の点である。こんな服が世界中を探しても見つからないだろう。というより理屈が通らないのである。「亜麻布」は既に織り終わった布であることは言うまでもない。この亜麻布と絹とをどの様にして織るのであろうか。どう考えても無理がある。ここは「亜麻布」ではなく「亜麻糸」と翻訳しなければ意味が通じないのである。「亜麻布と絹とで美しく織った服」ではなく「亜麻糸と絹糸とで織り合せた」と翻訳すべきでは無いのか。謂わば、異質な糸を互いに縦糸と横糸にして混紡の繊維生地を完成させたと考えるのが正しいのではないか。だからこそ、その後に「美しく織った服」と形容しているのではないのか。
 もう少し丁寧に翻訳すべきであると私は考える。これは乱暴な日本語訳といえないか。この翻訳では聖書が伝道の障害物となっても伝道の推進にはならない。それにしても日本の大学でヘブライ語やギリシャ語をまともに取り組んでいる例が極めて乏しい。中東地方は世界から注目されているのに日本人の中東言語に関心が希薄だ。そのことが日本語訳聖書にいい加減な翻訳を放置している一原因だ。日本国学力低下の一現象だ。国力の衰えをこんな場面にも感じる。外国語教育が完全に歪曲矮小化している。マスコミでも教育機関でも国際化は嘘であり口先だけだ。真の国際化は道程は遥か彼方である。このような学力低下では国際平和も遥か彼方だ。言葉は人々の心であるという認識が欠落している。言葉を粗末にする「心無き国際化」なら国際化は中止の方が良い。心無き下手な国際化は大怪我の元だ。
●「亜麻織物」はエゼキエル書に1箇所のみに発見できる。それは以下である。「アラムはお前の豊かな産物ゆえに商いに来て、トルコ石、赤紫の毛織物、美しく織った布地、上質の亜麻織物、珊瑚、赤瑪瑙をお前の商品と交換した」とある。注目すべきは「赤紫の毛織物、美しく織った布地、上質の亜麻織物」である。高価な繊維順に書き並べている。毛織物は当時一番だった。二番は単なる「美しく織った布地」としているだけで何の布か判断できない。第一に羊毛、第三に麻であるが、第二は「布」としているだけで、絹織物か綿織物かどちらかであろう。絹織物は中東地方で生産している痕跡が無いので考えにくい。恐らくこの場合の「布地」は綿織物であろう。絹織物は別格であり。繊維の価値の順位は第一が毛織物、第二が綿織物、そして第三が麻織物であった。亜麻布は一番低いのでわざわざ「上質の麻織物」とし「上質」と形容しなければならない。
<亜麻布を人々がどの様に扱っていたのか、扱いによる区分>
 亜麻布の用途に関しては上記に述べた。亜麻布を聖書時代では人々がどの様に扱っていたのか是も興味深いものである。それだけに絞って無作為に此処に掲げてみた。人々と亜麻布との接点が見え始めると思う。
●「亜麻布の仕事」は聖書には歴代誌上に1回発見されるだけである。その箇所は以下である。
・歴代誌上4-21には「べト・アシュベアで亜麻布の仕事をする家の氏族」とある。べト・アシュベアを常葉隆興編著「聖書辞典」で調べると595頁に記載されていた。それによると、「べト・アシベヤは『アシベアの家』のことでありユダ族シラの子で亜麻織の一族である」との説明だ。亜麻布織は職業集団であったことをうかがわせる。部族がそれぞれ独自の生業を持ち部族間の分業化が進行していたと推定される。
●「亜麻布を置いて」は新約聖書ヨハネ伝のみに二箇所で発見できる。それは以下である。
・20-5には「身をかがめて中をのぞくと、亜麻布がおいてあった。しかし彼は中には入らなかった」とある。イエスの磔刑が終わり、石灰岩質洞窟の墓に遺体が安置されている場面である。遺体は亜麻布に包む風習があったが未だ包まれていない状況を描写している。
・20-6には「続いて、シモン・ペテロも到着した。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た」とある。まだ亜麻布に包まれていない状態であることを重ねて強調しつつ描写している。
●「亜麻布と同じ場所」は上に続きヨハネ伝に1回発見される。その箇所は以下である。
・20-7には「イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ場所に置いてなく、離れた場所に丸めてあった」とある。この翻訳は文章を二分すべきではないか。「イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ場所に置いてなかった。離れた場所に丸めてあった」とすべきである。言いたいことが二つある。第一は頭の覆いが置いてある場所は亜麻布と同じ場所ではないということ。第二はその頭の覆いは離れた場所に丸めて放置されていたということだ。一文に多くの言いたいことを詰め込んでしまうと読者は分かりにくい。また読みが浅くなり何気なく読み飛ばしてしまうからである。読点でつなぎ長い文章にするのではなく、句点で一度切って二つの文章にしたほうが私は分かり易いと思う。「丸めてあった」とあるが、丸められていたのはこれも亜麻布であったと推定される。
●「亜麻布しかなかった」はルカ伝に1箇所発見できる。それは以下である。
・24-12には「ペテロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめながら中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚いて家に帰った」とある。この文章も長い、沢山の内容を一文に盛り込もうとしている。それは日本語として無理を感じる。此処でも文章を読点で繋ぎながら長い文章にするのではなく、句点で一度文章を二つに分けるべきである。「ペテロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめながら中をのぞいた。その墓には亜麻布しかなかったので驚いて家に帰った」このように翻訳したほうがイエスの遺体が消滅していることが読者に強く訴えると思うのだが、どうだろうか。原典に忠実であることも大切だが、正しくしかも分かり易い日本語で翻訳することが伝道にとって大切なことだと私は思う。
●「亜麻を求め」は箴言に1回発見できる。その箇所は以下である。
・31-13には「羊毛と亜麻を求め、手ずから望み通りのものに仕立てる」とある。「手ずから」は直接自分のてで行うことを意味している。他者の介入を許さず自分の意思で自分の手で自分が好きなように仕立てることを強調している。逆に考えれば当時は既に仕立て屋が居て、仕立てを生業として生きていた人々が居たことを物語る。初期段階の分業と商品経済とが発達していた。
●「亜麻布を買い」はマルコ伝に1回発見された。その箇所は以下である。
・15-46には「ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がして置いた」とある。イエスの父親ヨセフが父親の深い愛情で遺体を手厚く安置している様子を描いているのだと思うのだが、それならここでも文章が長すぎてそれを読者に訴えることが充分に出来ていないと感じる。長い文章は読者の心を散逸させる欠点がある。
 この場面は二つある。したがって文章も少なくとも二つに分割すべきだと思う。「ヨセフは亜麻布を買ってきてイエスを十字架から降ろしてその布で巻いた。そのイエスの亡き骸を岩を掘って設えてある墓の中に納め、墓の入り口には石を転がして置いた。」としたほうが理解し易い。次のように、三つの文章に分ければもっと理解し易いかもしれない。「ヨセフは亜麻布を買ってきてイエスを十字架から降ろしてその布で巻いた。そのイエスの亡き骸を岩穴の墓の中に納めた。入り口には大きな石を置いた」としたほうがもっと明快である。
 なお、原日本語訳には「岩を掘って作った墓の中に納め」とあるが是はどう考えても可笑しい。イエスの父ヨセフが岩を穿ち墓を建設した様に翻訳描写している。そうではないだろう。そうしたとすれば当時の技術では岩石の掘削には何年もの時間かかる筈だ。既に有った鍾乳洞の一つを幾分手直しして墓として選んでイエスの遺体を安置したのであり、ヨセフが断崖の岩に鑿を振りかざし掘ったのではない。イエスの埋葬地は石灰岩質のカルスト地形地域である。沢山の石灰岩洞窟があった。その一つを、既に有った洞窟を手直しして墓として利用したと考えるのが自然ではないか。現実にエルサレムに現存する墓はそのような石灰岩洞窟の利用である。したがって、「岩を掘って作った墓」とすると読者に送られるイメージが混乱する。原書ギリシャ語を尊重すべきであるが日本語としては「岩穴」とするのが適切ではないかと私は思う。
●「亜麻布に包み」はマタイ伝に1回のみ発見される。その箇所は以下である。
・27-59には「ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、綺麗なアマヌノに包み」とある。此処で一つの違和感がある。それはマルコ伝15-46の描写「ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き」の下りと矛盾するのである。マルコ伝では父親ヨセフが自分の手で十字架から息子のイエスを降ろしているのである。しかし、このマタイ伝27-59では「遺体を受け取ると」としている。自分の手で遺体を十字架から降ろしたのではなく処刑執行人から遺体を受け取ったことになっている。どちらでも良い話ではない。父親の動きと心が全く異なるからである。どちらが真相に近いのか、原典ギリシャ語を紐解き確かめる必要がありそうだ。
●「亜麻布をまとう」はエゼキエル書に6回、マルコ伝に1回発見できる。合計7回で、その箇所は以下である。
・エゼキエル書9-2には「一人は亜麻布をまとい、腰に書記の筆入れを着けていた」とある。亜麻布をまとい腰に筆入れを提げる姿、これが書記官の一般的な姿であった。何度も同じ描写が出て来る。
・エゼキエル書9-3には「亜麻布をまとい、腰に書記の筆入れを着けていた」とある。
・エゼキエル書9-11には「亜麻布をまとい、腰に書記の筆入れを着けていた」とある。
・エゼキエル書10-2には「主は亜麻布をまとった者に向かって言われた」とある。
・エゼキエル書10-6には「主は亜麻布をまとった人に命じて」とある。
・エゼキエル書10-7には「火を亜麻布をまとった者の両手に置いた。その人は火を受け取って出て行った」とある。
・マルコ伝14-51には「一人の若者が素肌に亜麻布をまとってイエスについてきた」とある。「素肌に」としているのは一般的には下着の上に羽織るものであったと推定出来る。
●「亜麻布を織る」は箴言に1箇所発見できる。その箇所は以下である。
・31-24には「彼女は亜麻布を織って売り、帯を商人に渡す」とある。当時は分業も商品経済も発達し始めていたが家内制手工業であり、商人が各家庭を巡回し織り上げた亜麻の帯を手渡していた。単なる亜麻布は各家庭でも織り上げていただろうが、亜麻布帯となれば専門家が居た。因みにレビ記16-4にも亜麻布の飾り帯が出て来る。
●「亜麻布を造る」はイザヤ書に1箇所発見できる。その箇所は以下である。
・19-9には「亜麻布を造る者はうろたえ梳く女も織る男も青ざめた」とある。エジプトへの審判の一場面だナイル川河畔の一亜麻織職人の一職場を描写している。ナイル川デルタは当時一大亜麻産地であった。デルタの低湿性が亜麻の生産に最適であった。ナイルデルタは亜麻を刈り取りそのまま移出したり、織物にしたりする輸出工業地域であった。イザヤ書19-9は亜麻布の工程が見える一文である。梳く女は亜麻の乾燥させた茎を解きほぐし梳く作業に専念している。男は繊維になった亜麻糸を織っている。勿論、手工業であるが工場内の分業体制が描写されている。
●「亜麻布を捨てて」はマルコ伝に1回発見できる。その箇所は以下である。
・14-52には「人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げ去った」とある。イエスが逮捕され連行される場面であり、弟子達も蜘蛛の巣を散らした様に逃亡した後の場面である。
<<麻関連>>
 聖書には亜麻が圧倒的に多い。麻にはその種類はカラムシ、ジュート、マニラアサ、サイザルアサなど広範囲である。聖書には亜麻の他にただ単に「麻」としている。何の麻か分からないのであるが、是は恐らく聖書記者が亜麻を麻と表記したに過ぎないと考えられるが念のために単なる「麻」をも此処で取り上げておきたい。
●麻の糸(「麻糸」を含む)に関しては発見できなかった。亜麻糸や亜麻の糸は発見できるが、麻糸や麻の糸は聖書には無かった。
●「麻の屑」はイザヤ書には1回発見される。その箇所は以下である。
・イザヤ書1-31には「強い者も麻の屑となり、その行いは火花となり、共に燃え上がり、消すものも居ない」とある。麻糸を紡ぐ過程で生じる麻屑は発火温度が低く燃え易いことが当時から知られていた。
●「麻のひも」は士師記に1回発見される。その箇所は以下である。
・士師記16-9には「弓弦をまるで麻の紐が火にあぶられて切れるように」とある。
●麻の織物(「麻織物」を含む)は歴代誌下に2回発見される。その箇所は以下である。
・歴代誌下2-13には「彼は、金、銀、銅、鉄、石材、木材、真紅織物、青の織物、麻の織物、緋の織物を扱い」とある。
・歴代誌下3-14には「彼は、真紅織物、青の織物、麻の織物、緋の織物で垂れ幕を作ったが、それにもケルビムの縫い取りを施した」とある。
●「麻の布」(「麻布」を含む)は歴代誌下に1回、ルカ伝に1回、黙示録に3回、合計5回発見できる。その箇所は以下である。
・歴代誌には「彼らの兄弟と子らは麻布の衣を纏い」とある。
・ルカ伝には「何時もの柔らかい麻布を着て」とある。
・黙示録18-12には「麻の布、紫の布、絹地、赤い布」とある。
・黙示録18-16には「麻の布、また紫の布や赤い布をまとい」とある。
・黙示録19-14には「白く清い麻の布」とある。
●麻の衣(「麻の衣服」を含む)は士師記に2回、ダニエル書には3回、黙示録には1回発見できる。合計6回。その箇所は以下である。
・士師記14-12には「私は麻の衣を30着、着替えの衣を30着差し上げる」とある。
・士師記14-13には「麻の衣を30着、着替えの衣を30着差し上げることにしよう」とある。
・ダニエル書10-5には「一人の人が麻の衣を着て純金の帯を腰に締めて立っていた」とある。
・ダニエル書12-6には「あの麻の衣を着た人に向かって」とある。
・ダニエル書12-7には「あの麻の衣を着た人は」とある。
・黙示録には19-8「花嫁は輝く清い麻の衣を着せられた」とある。
●「麻の帯」はエレミア書に1回発見される。それは以下の箇所である。
・エレミヤ書13-1には「麻の帯を買い、それを腰に締めよ」とある。
●「麻のエフォド」はサムエル記下に1回、歴代誌上には1回、合計二回発見される。その箇所は以下である。
・サムエル記6-14には「彼は麻のエフォドを着けた」とある。エフォドは司際の式服または胸当て。
・歴代誌上15-27には「ダビデは麻のエフォドも着けていた」とある。胸当てのエフォドは権力の象徴であった。
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