美島奏城  豊饒の海へ

豊饒の海をめざす、教育と文芸と風流に関する備忘録

日乗  漱石忌・大塚楠緒子・大高翔

2006年12月09日 | 小説家

 

 

平成18年12月9日(土)  漱石忌・開高健忌  

 

 大正5年(1916年)の今日,かの文豪・夏目漱石が49歳(数えの50)の生涯を閉じた。49歳である,今から見ればかなり若くして亡くなっているわけである。
 モノクロの写真のイメージから,もっと年長を思うが。ちなみにライバルのように扱われている森鴎外が60歳。
 太く短い生涯だなぁと,深く感慨。

 ところで,漱石は正岡子規と大学の学友。俳句に関しては子規の弟子にあたります。大変仲がよかったようです。ですから漱石も当然,俳句を詠んでいました。
 というより,かつての作家は教養として俳句を詠んでいたようです。(俳人の坪内稔典氏によれば,漱石は作家になる前には俳人であったのだ,そうです。『俳人漱石』岩波新書)芥川竜之介しかり,最近では藤沢周平(『藤沢周平句集』文藝春秋)しかりです。
 両人の俳句については別の機会にして,今日は漱石の俳句について。

 

  夏目漱石銅像
                      ↑漱石公園(東京都新宿区・漱石山房跡)

  さて,没後90年ということもあったのであろうか,若手俳人の大高翔氏が『漱石さんの俳句-私の好きな五十選-』(実業之日本社)を刊行した
 先の坪内氏の本では,漱石の俳句約2500句から100句を,大高氏は50句を選んで,おのおの思うところを述べている。執筆当時,坪
内氏は59歳,大高氏が29歳であるから選句にどれ程の違いが出るかを見てみたが,重複するのは26句であった。

 
 そこで,私はその重複する句から,勉強のためにいくつか選んでみる。
 
永き日やあくびうつして分かれ行く
仏壇に尻を向けたる団扇かな
枕辺や星別れんとする晨
菫程な小さき人に生れたし
行く年や猫うづくまる膝の上
秋風の一人を吹くや海の上
有る程の菊抛げ入れよ棺の中
秋立つや一巻の書の読み残し
 
“菊”の句は漱石の恋愛にかかわる有名な句だそうである。
 
 それはトップ画像にある大塚楠緒子(いわゆる閨秀作家とよばれる時代の作家でもあった)の死に手向けたものだからである。
 彼女は漱石の思い人だった。しかし,彼女は漱石の親友・小屋保治と結婚してしまった。
 その彼女が明治43年11月9日に肋膜炎で逝去したのだった。行年35。この句から漱石の歎きの深さがみえよう。

 ところで,この3人関係,あの名作に似ていると思うのだが。
 小説家としての大塚楠緒子については彼女の命日に述べたい。

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