お天道様は見てござる

元創価学会員。現在は公明党が熱烈に推進し、ビルゲイツから感謝状をもらったコロナワクチンの問題について綴っています。

聖教新聞をやめたのに、翌月勝手に申し込まれていた件

2016-10-19 05:52:06 | 日記
お題目と勤行をやめた私は、聖教新聞もやめることにしました。
聖教新聞をやめるに当たっては多少の葛藤がありました。
きっと母に連絡がいくだろうと思ったからです。
私が聖教新聞をやめたと知って、母は動揺したりまた精神不安定になったりしないだろうかという心配がありました。
自分が覚醒した今、父や母にも覚醒してもらいたいという気持ちは自然とわいてきました。
でも、あの二人が覚醒してその事実を受け入れることに耐えられるだろうかという気持ちもありました。
私自身、覚醒後はかなり精神的にも不安定になり、激しい自己嫌悪と創価学会及び婦人部への怒りと憎しみを抑えきれませんでした。
正直、今もまだそれがあり、だからこそこのブログを書いて気持ちの整理をしようと決めた状態です。
創価学会のマインドコントロールが解けるということは、創価学会が間違いだったということを知ると同時に、
自分自身もその間違いを長年繰り返してきたということを知ることでもあります。
創価学会の人たちの非常識な行動も、今までは「信心」の目を通して見てきていたのが、
それが宗教ではなく詐欺と知ったとき、これまで以上に激しい嫌悪を感じました。
特に婦人部の人たちの非常識さ、無神経さは覚醒後によりいっそう感じるようになっていました。
声をかけられたくないので帽子をまぶかにかぶり、眼鏡をかけて道を歩いても、婦人部の人はわざわざ下から顔を覗き込んで私であると確認し、
「あら!?」とわざとらしく声をかけてきます。
この行動、かなり非常識というか、自分がそんなことをされたらどう思うのか、考えたことがないのかと思ってしまいます。
ただでさえ私は母の病気のことがあるので、道で会っても話しかけないでとさんざん言っています(忘れたのか聞こえてなかったのかそこまでして功徳が欲しいのか……)。
私はもう話もしたくないし、母に見られても困るので会釈だけして通り過ぎますが、それでも話しかけてくる人もいます。
私はもうそれでも無視します。婦人部の人はしばらく独り言を言っている危ない人状態になりますが、気にしません。自業自得です。
それでも婦人部の方はまた私を見かけると「あら!?」と声をかけてくるのです。
まるでゾンビのようです。ゴキブリのようです。
倒しても倒しても、またやって来る。
そして当人たちはそれを「とても良いことをしている!」「功徳が返ってくる!」と信じて疑わないのです。
覚醒後はそうした婦人部の人たちの無神経な行動に、怒りを抑えるのが難しい状態になってしまいました。
怒りだけで一日がつぶれてしまうようような日もありました。
かと思えば、過去の自分がしでかしてきたことを思い起こし、激しい自己嫌悪に陥ることもありました。
婦人部たちが今自分にしているのと同じようなことを、私は部員さんや友人にしてきたと思うと、
婦人部の人たちに怒る権利も自分にはないし、でも腹はたつし。泣けてくると、泣く権利も自分にはないと思ってしまったり、
もう私が普通に生きていることすら罪なんじゃないかと極端に考えて落ち込んでしまったりもしました。
婦人部の人たちの非常識や無神経を責めるたびに、自分にもブーメランが返ってくるような感じでした。
腹が立つたびに、疲れていました。
婦人部の人や創価学会に対して怒り、憤り、恨んだりするたびに、自分に返ってくるブーメラン。
私が部員さんや友人に対して長年にわたって迷惑行為をしてきたという事実は、覚醒しても何をしても絶対に、私が生きている限り消えることはないのです。
ブーメランが返ってこないようにするためには、まずブーメランを投げることをやめなければなりません。
つまり、何かあるたびにいちいち創価学会や婦人部の人たちに腹を立てたり怒ったりする気持ち、これまでの恨み辛みを何とかしなければなりません。
新聞を読んでいたときに(聖教新聞じゃないですよ)昔の彼氏が「道ばたの小石」のようだと思えるようになったという話があり、
その道ばたの小石というのは、あってもなくてもどうでもいいもの、なんだそうです。
かつてはその小石に夢中になり、どこにあっても気になっていたのが、今はもう道に落ちてても「あ、落ちてるのね」程度になったという。
その時に思いました。私の中の創価学会も「道ばたの小石」になればいいんだと。
ただ、人間ですので、何かあれば怒るのは当然。
でも、何もなくても腹が立ったり憤ったりする今の状態が問題なのだと思います。
創価学会が私の中で「道ばたの小石」になる。
それはそう簡単なことではありませんが、それしか方法はないと考えています。
自分の気持ちを整理して、「私にとって創価学会はもうどうでもよいもの」ということをしっかり理解しなくてはなりません。
このブログを書き終える頃には、何らかの区切りがつけられるといいなと今は考えています(ブログの更新はあと数回で終わる予定です。記事を消す予定は永遠にありません)
長くなってしまいましたが、私が覚醒後にはまり続けている怒りと自己嫌悪の沼。
そんな沼に精神科のお世話になっている母が果たして耐えきれるだろうか。
ともかく脱会は無理だと思いました。脱会なんてしたら母は発狂するかもしれない。
もう高齢でお迎えも近いので、残る人生は母なりに自分の寿命を全うして欲しいと私は考えています。
両親ともに自殺のおそれの高い病気ですので、そこは神経質にならざるを得ません。
だけど、聖教新聞だけなら何とかなるかもと考えました。
何よりもう創価学会に一円たりともお金を払いたくありませんでした。
とりあえず、聖教新聞やめよう。そう私は決めました。
聖教新聞だけなら、母が何か言ってきたとしても、何とでも言いようがあるはず。
聖教新聞やめただけで発狂したり自殺したりはないはず。
聖教新聞代はすでに銀行引き落としになっていましたので、販売店に直接電話しました。
月の途中からだとややこしいかと思ったので、翌月から中止してもらえるようにお願いしました。
意外とあっさり、中止を受け入れてもらえました。販売店だったから良かったのかもしれません。
これが婦人部だと、指導を受けてからとか、お母さんはどう言ってるのとか、そんな話になったはずです。
ともかく、来月から中止、とそうなりました。
しかし翌月、なぜか新聞が入っていました。
きっと止め忘れているのだと思い、私は販売店に連絡して抗議しました。
ところが、販売店の店主から驚くようなことを告げられてしまったのです。
「確かに中止の連絡が来たのでそのように手配していたのだけど、その後に新たな購読申し込み用紙が来たので入れた」と。
誰かが知らないところで勝手に私の新聞購読を申し込んでいたのです。
このときにいったい誰が申し込んだのか聞けば良かったのですが、
あまりにも腹が立っていたのと、そこまでするのか……という気持ちがあって怒りを通り越して脱力してしまい、
私はそのような申し込みは一切していないので再度中止の申し入れをして電話を切りました。
実はコレ、かなりの問題行動で、立派な詐欺です。創価学会は詐欺行為だらけですが、これは完全に法律的にアウトです。
このときに警察に通報して犯罪にしてしまうことも出来たと思います。
なぜなら、私の新聞代は私の銀行口座から引き落とされてしまいます。
私の知らないところでその申し込みがなされ、契約が成立していたら、これは悪質な犯罪です。
もしかすると、組織の人は「自分が払うから」という気持ちで勝手に申し込んだのかもしれません。
でも、実際には私の口座から引き落とされるわけです。
私は警察に訴えることも考えましたが、これ以上面倒なことになってもまた腹が立つだろうし
何よりただでさえ私は怒りの感情のコントロールに腐心している状態でしたので、結局訴えませんでした。
これ以上腹が立つともう疲れ果てて何をする気力もなくなってしまうかもしれないと思いました。
それにしても、勝手に聖教新聞の購読申し込みまでされてしまうとは……。
しかも支払いは私……。
人の財布を何だと思っているんだ……。
もちろん、この件に関して創価学会側から一切の謝罪はありません。
これまでさんざん創価学会のえぐい部分を見てきた私でも、この事態は想像もつきませんでした。
そんなにノルマ、きつかったんですかね。
創価学会員は学会活動をしているうちに犯罪に対するハードルが低くなってしまうと以前書いたことがありますが、
まさにそれをまた見てしまった気分でした。

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2 コメント

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Unknown (かりんとう)
2016-10-19 09:45:12
お早うございます。
私の父も継母も創価の真実知ったら
本当に発狂すると思うので(得に継母)そっとしています。
70過ぎてるのに、白ゆり長です。
無理しないでとは、言っていますが。

創価学会は自己中を生む教えです。
ネット検索してたら、そのまま自分でした。
私も、いつも怒りと憎しみ、自己嫌悪。
自分が悪かった、本当に反省の日々です。
苦しい時は、なにか良いことをしようと思い、
支援活動している団体に、物品提供し始めました。
気持ちが少し落着きます。

にゃんこ丸さんはご両親の介護していることが、
善の行いですよ。本来なら縁切られてもしょうがない
お母様だと思います。

創価に対する執着消えるのは、そんなに先ではないですよ。創価の真実が、子育て・お受験のサイトにも
載っています。外部の人が創価ストーカー被害に会ってて、関係ない人も見てるようです。
返信する
かりんとうさんへ (にゃんこ丸)
2016-10-19 10:42:23
コメントありがとうございます。
覚醒した!じゃあやめる!と単純に行かないのが創価学会の厄介なところですよね。
ある程度の年齢で話を聞いてもらえそうにないならば、もうそっとしておくのが一番だと私も思います。
むしろやり直しのきく年齢で気づけた自分が幸せだったのかも……。
苦しいときは何か良いことを……というのは、とても素晴らし事と思います。
創価学会の時は創価学会の活動が世のため人のためと思っていましたが、実際に世の中を見回してみると、いろんな方法で役に立てることってありますよね。
私も募金や義援金などこれまで財務等がそれに値すると思い込んでいたのであまりしていなかったんですが(本当におバカ……)、最近はそうしたこともするようになりました。
ここまで巧妙な詐欺団体ですから、どれだけボロが出ても、残っている信者から出がらしから爪の垢まで搾り取ってでも生き残る気がします。
私はもうこれ以上、自分の人生に創価学会の成分を砂粒ひとつたりとも入れたくないなぁと思っています。
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