ちょっとおさらい風になるが、「横浜トリエンナーレ2005」と「横浜シティアートネットワーク(YCAN)と「はまことり」について。
「横浜トリエンナーレ2005」のテーマは、「アートサーカス-日常からの跳躍」である。
「アートサーカス」という語には、人をひきつける、驚かせる、楽しませる、という語感があると言えるだろう。
川俣正ディレクターが、「展覧会は、運動態である - ワーク・イン・プログレス -」「場にかかわる - サイトスペシフィック・インターラクション -」「人とかかわる - コラボレイティド・ワーク -」という3つのキーワードを使って強調しているのは、アートが、あるいは、「横浜トリエンナーレ2005」という催事全体が、外に対して、または市民に対して「開かれていること」が重要だ、ということであろう。
国家的公共性が不特定多数の公共性を作り出そうとする試みが、これまでの国際アート展であり、万博であった。
川俣氏の考える「横浜トリエンナーレ2005」は、それを、市民が参加可能な、市民に開かれたものにしようとする試みなのである。
それは、市民という集合的表象(市民運動を行う人たち、という限定的な意味)ではなく、個人として誰でも、という意味での市民プロジェクト(「社会から切り離された個人=私人」ではない、という意味で「市民」なのだ)への転換、ということでもある。
→ (参考)過去のブログ記事 「デメーテル」(2005/02/20)
「横浜トリエンナーレ2005」をきっかけに出来た市民ボランティア広報グループ「はまことり」(筆者もそのひとりである)のメンバーの中で、「はまことり」や「横浜シティアートネットワーク」(YCAN →注)の活動の内容を短いキャッチフレーズで表そうという案が出たことがある(今年の4月頃)。「はまことり」はどんどんメンバーが増殖したり入れ替わったりするので、新しく参加してくれる人たちに「はまことり」のコンセプトを短くわかりやすく説明する必要がある、ということになったのだ。
(注)YCAN については、こちらのウェブサイトを参照されたい www.ycan.jp/ → YCANとは?
→ 過去のブログ記事 はまことりは、「市民がつくる編集工房」(2005/03/06)
そのキャッチフレーズ案の中に、「アートで変わるか実験中」というものがあった(発案は、「はまことり」メンバーの野毛山かもめさん)。
この「アートで変わる」という言い方の中には、アートで自分が変わる、街が変わる、社会のしくみが変わる、というような、さまざまな局面での活動(行動)の主体と周囲(社会)との関係性との変容が語られている、ととらえることができる。
これはまた、自己中心的な「オンリーワン」の価値観からの脱却をはかる、ということでもある。
アートを、「現在の価値観を超える、またはそこから脱却するためのオルタナティブな提案」と受け止めれば、アートには、変容を受け入れる、変容を作り出す、変容を楽しむという働きがある。
先日、吉見俊哉「万博幻想-戦後政治の呪縛」(ちくま新書)を読んで、まさに、日本社会全体に「オルタナティブな編集」が必要だ、という感を強くした。そして、アートは、そのために非常に有効な手段(または入り口)であることもほぼ間違いないと再確認しつつあるところだ。
「横浜トリエンナーレ2005」のテーマは、「アートサーカス-日常からの跳躍」である。
「アートサーカス」という語には、人をひきつける、驚かせる、楽しませる、という語感があると言えるだろう。
川俣正ディレクターが、「展覧会は、運動態である - ワーク・イン・プログレス -」「場にかかわる - サイトスペシフィック・インターラクション -」「人とかかわる - コラボレイティド・ワーク -」という3つのキーワードを使って強調しているのは、アートが、あるいは、「横浜トリエンナーレ2005」という催事全体が、外に対して、または市民に対して「開かれていること」が重要だ、ということであろう。
国家的公共性が不特定多数の公共性を作り出そうとする試みが、これまでの国際アート展であり、万博であった。
川俣氏の考える「横浜トリエンナーレ2005」は、それを、市民が参加可能な、市民に開かれたものにしようとする試みなのである。
それは、市民という集合的表象(市民運動を行う人たち、という限定的な意味)ではなく、個人として誰でも、という意味での市民プロジェクト(「社会から切り離された個人=私人」ではない、という意味で「市民」なのだ)への転換、ということでもある。
→ (参考)過去のブログ記事 「デメーテル」(2005/02/20)
「横浜トリエンナーレ2005」をきっかけに出来た市民ボランティア広報グループ「はまことり」(筆者もそのひとりである)のメンバーの中で、「はまことり」や「横浜シティアートネットワーク」(YCAN →注)の活動の内容を短いキャッチフレーズで表そうという案が出たことがある(今年の4月頃)。「はまことり」はどんどんメンバーが増殖したり入れ替わったりするので、新しく参加してくれる人たちに「はまことり」のコンセプトを短くわかりやすく説明する必要がある、ということになったのだ。
(注)YCAN については、こちらのウェブサイトを参照されたい www.ycan.jp/ → YCANとは?
→ 過去のブログ記事 はまことりは、「市民がつくる編集工房」(2005/03/06)
そのキャッチフレーズ案の中に、「アートで変わるか実験中」というものがあった(発案は、「はまことり」メンバーの野毛山かもめさん)。
この「アートで変わる」という言い方の中には、アートで自分が変わる、街が変わる、社会のしくみが変わる、というような、さまざまな局面での活動(行動)の主体と周囲(社会)との関係性との変容が語られている、ととらえることができる。
これはまた、自己中心的な「オンリーワン」の価値観からの脱却をはかる、ということでもある。
アートを、「現在の価値観を超える、またはそこから脱却するためのオルタナティブな提案」と受け止めれば、アートには、変容を受け入れる、変容を作り出す、変容を楽しむという働きがある。
先日、吉見俊哉「万博幻想-戦後政治の呪縛」(ちくま新書)を読んで、まさに、日本社会全体に「オルタナティブな編集」が必要だ、という感を強くした。そして、アートは、そのために非常に有効な手段(または入り口)であることもほぼ間違いないと再確認しつつあるところだ。
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