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組織の不条理 日本軍の失敗に学ぶ

2017年04月20日 | 経営・組織・企業

組織の不条理 日本軍の失敗に学ぶ

菊澤研宗
中央公論新社


 「失敗の本質」を、行動経済学の観点(本書では「新制度派経済学」と称している)から改めてひもといたような内容である。

 古典的名著に挑戦状をたたきつけたような恰好なわけだが、それほど真っ向対立しているとも思えず、「失敗の本質」の指摘の中にほぼ含有されると思ったのが正直な感想ではある。

 著者が「失敗の本質」の問題点として挙げているのは、日本軍が幾多の戦いで失敗したのは、日本軍が「完全」でなかったということであり、日本軍はもっと「完全」にならなくてはならなかったとしている点だ。ガダルカナル戦でもインパール作戦でも、もっとやりようはあっただろうに、ということである。

 一方、本書の著者の菊澤氏曰くは、実際のところ人間は絶対に「完全」にはなれず、不完全な情報の中でバイアスのかかったまま物事を判断し行動するというもので、したがって「失敗の本質」の完全性を要求する指摘は現実性無視の不毛である、ガダルカナル戦もインパール作戦も、当時の状況や情報から鑑みれば、人間というものは必然的にあのような行動に出てしまう、という見解である。

 とはいえ、「失敗の本質」も、言うほど完全性を求めているわけではなく、少しでも完全に近づくためにはどうしていかなければならないか、という視点で書かれている。シングルループからの脱却とか、異分子をつねに組織にいれておくとか。また「失敗の本質」の著者のひとりでもある野中郁次郎は、一方で少しでも完全に近づくために組織の自己改革に余念のない例としてアメリカ海兵隊を研究している
 で、この本書「組織の不条理」でも、組織の自己改革こそが、「不完全」な人間が唯一の少しでも完全に近づく方法として主張されており、結果的に両者にそれほどベクトルに違いはない。

 

 本書は、言わば砂時計の断面みたいな構造になっている。
 前半は、「失敗の本質」と同じように、太平洋戦争での各戦闘から、なぜ日本軍があのような行動に及んだのかを、行動経済学的に検討し、取引コスト理論、エージェンシー理論、所有権理論と敷衍していって、そこに人間が不可避的に持つ「人間は間違うもの」、専門用語でいうと「限定合理的」に行動する、と究極の原因に行き着いている。要するに、本人は間違っているつもりは毛頭なく、最善の答えと信じてそれをやっている、ということだ。
 この、それぞれが最善の答えと信じてやっていることが、ひとつの組織体としてみると不条理だらけ、ということになる。行動経済学的にいうと、ナッシュ均衡がパレート最適にならないという状態である。ガダルカナル戦もインパール作戦もその極北である。
 また、その不条理から少しでも抜けた例として、硫黄島戦の栗林忠道中将や、ジャワ軍政の今村均中将を挙げている。
 この、「人間は間違うもの」という部分が、砂時計における中央部のいちばん絞られた部分、言わば中核である。

 で、後半。「人間は間違うもの」という前提に立ったとき、その組織体が少しでも不条理でなくするためにはどうしたらよいかという話が広がっていく。
 本書では間違いを加速させやすい要因として、「勝利主義」「集権主義」「全体主義(=ユートピア主義)」を挙げている。この3つは、全能感、つまり「自分は間違いなど犯さない」という妄想錯覚に陥りやすい。これが不条理の温床となる。この3つが全部そろうと毛沢東やスターリンやポルポトのようになってしまうのだろう。

 この3つの主義に陥らないようにするには、つねに何か間違っているかもしれない、という批判的な目で物事を見、自省し、批判的な見解が活発に行われる組織体をつくることに腐心し、トライ&エラーを繰り返しながら少しずつ事態を変えていく漸次工学アプローチがよい。要するにPDCAであり、最近でいうならOODAである。
 実は「失敗の本質」でも同じような話をしている。

 

 個人的には、砂時計の前半部分は、著者が大見得切ったわりには、わりとあっさりしていて、「人は間違うもの」から始まる後半のほうが読み甲斐があった。が、後半はサブタイトルにあるような日本軍の話はあまり出てこない。むしろ国内外の現代の企業の例が出てくる。
 組織の不条理をただす話だから、現代の企業の話でいっこうにかまわないわけだが、前半部分をほぼ太平洋戦争の日本軍の話に終始させたのは、軍隊というものが組織の特徴がもっとも露骨な形で現れるからでもあるだろうが、「失敗の本質」に挑戦してやろう、という強いモチベーションがあったに違いない。勝間和代や佐藤優が推薦した本とのことだが、本書のさわりは後半部分にあると思う。







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