THE WAY

「すべては幻想である」 マスターの言葉と量子力学

量子力学では、意識が捉えたものが物象化する。

それまではエネルギーの波の束として存在し、物象化していない。

例えばそれはこんな形で表される。

赤ちゃんにとって月というものを捉えた時に、初めて月が存在する。

それまでは月は存在せず、現れることもない。

これが量子力学の世界。

意識が存在を確定する。

意識が変われば、周りのエネルギーも変化する。

微妙なエネルギーの波の動きが、それによって変化するためである。



私の最初の師が私たちを世界に押し出すときにこう言った。

「すべては幻想です。でもそれを本当に分かっているのは一握りです」

あれから17年近くたった今、ようやく師の言っていた意味がほんの少し理解できるようになった。


そして今この時期に、多くの人が目覚めつつある。


国や社会の決め事や教育という洗脳から解かれつつある。

自主独立とは、他の概念や決め事や物事の枠組みにはまっていない状態であり

自らの心、ハートの意思に従って選択し、それに責任をとっている状態である。


何かを定義づけするのは、誰でもない自分であるということになる。

何を信じるのか?何を確定するのか?

それにどんな意味をつけるのか?

どのように捉え、世界を見たいと思うのかを瞬間瞬間選択しそれを生きることになる。


泰三さんが言っていた。


「コミットとは献身のことだ!」・・・と。

その意味が少しずつ分かりつつある。


誰かが決めた正しさではなく、自らの心に従う。

内なる意思が決めたことなら、他の誰も否定することはできない。

あなたが信じたものが、世界の中心になる。

それは自らの中心に王が帰還すること。


私という姿を現しているが、もしかしたら、夢の方が現実で

現実の方が夢なのではないのかと思うことがある。


それは一瞬にして消え去り

姿は光のプリズムで捉えられている幻想にすぎないのかもとさえ思う。


今、私という概念さえも崩れはじめている。





「私は風になり、空に漂う葉の如く大地に落ち、

地球の振動に波打つ鼓動になる。

私は音であり、永遠の今に存在し、

太古から受け継がれる生命の血が私の髪をなでる。


私は静かに大地を見下ろし、馬の背に乗り、駆け下りる。

そして闇は訪れる。

やがて深い孤独の中へ・・・・。


もう永遠にここから出まい。そう固く決めるのに

心は求めている。

これが生きることなのか・・・。


何度も生と死を行ったり来たりする。

そして答えはいつでも空になげる。

いつか私はこの孤独から抜けるのだろうか・・・。


時々訪れる愛と喜びに身を投げてみる。

自らを風の流れに委ねてみる。

地に生える草のように

もうこのまま流れのままにしておこう。

いつか夢を見ていた場所へ辿り着くだろう。

遠いあの場所・・・源へ帰る道へ」


師が言っていた

葛藤を通して人は繋がっているのだと・・・


そして私はこう思う

何かを生み出し創造するには、マスターのレベルで生み出す完全性は面白くない

不完全さの中に見る形や音が、繋がっていく時に生み出されるものの中に

神を見出すのだ


だからある程度の葛藤が必要になる

それが人間であることの証

生きることの醍醐味なのかもしれない・・・と。









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