太陽の方へ 8月9日

2010年08月09日 | 日記
ひとつ気になっていることがあるんです。。

・・・妻は死を意識したのか、覚悟できたのか。。。

上手く話すことができなくなった時、

「俺の名前わかるか?」
「・・え・・いちゃん・・」

これが最後の発言でした。。。

その時、妻は何を思っていたんだろうって。。

それまでは、しゃべれていたし回復傾向だったし、本人も
「もしかして私命の危機だった?」って言っていた。
きっと乗り越えられたと本人も思っていたと思う。
僕等もそう伝えていたし、そう信じていたから。。。

妻が、しゃべれなくなった時、僕等に何かを伝えようとしていたんだ。。。
紙とペンを渡して、妻が書いた言葉は「マ王」だった。。。

しゃべれなくなって、緋佑に逢わせたとき、すごく大泣きしていて。。

その時、覚悟することができたのかなって。。。

それとも、何もわからないまま逝ってしまったのかなって。。
伝えたいことが伝わらないまま、逝ってしまったのかなって。。

それがずっと気がかりでならない

その後も、意識なくても緋佑の手を乗せると親指だけ動かしてさすっている時期
があって。。。

なんていうか、覚悟できていて欲しいというか。。。
覚悟した上で、僕に任せて大丈夫と思っていて欲しいという思いがある。

んー 難しいんだけど、もし自分だったら覚悟する時間とか欲しいし、
覚悟しなくてはいけないんだっていう状況であることを理解したいから。

どうなのかなぁ。。。


死を意識し、死を覚悟する為の時間。。。。

人間何時突然死が訪れてもおかしくない。。。
死は隣にあるものだって・・・もう少し そう 思うべきなのかなって思う
今僕には死の準備も、覚悟もできていない。。

それで いいのかなって。。。思ってしまう。
もっと死を意識しなくちゃいけないんじゃないだろうか。。。。
生きていることが当たり前と思っちゃいけないんじゃなかろうかって。。。



緋佑は、普段はとても元気です。
悲しみも寂しさもあるだろうに、元気です

ただ、毎日寝るとき、ベッドに入ると決まってこう言います。

「パパのことが大好きだから、どこにも行かないでね お願い・・・」

毎晩心臓をわしづかみにされます。

僕は死ねない、死なない 今はまだ。。。絶対に・・・・

だから、死なない覚悟でいいのかな。。。。。

難しいね。。。

死の準備 死の覚悟・・・そして 死なないと思う絶対的な覚悟

緋佑の為、妻の為 今はまだ僕は死ねない




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6 コメント

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どうなんでしょうか? (さきや)
2010-08-09 23:04:04
えいじさんから『回復傾向にある』と言われた奥様は、そう信じていたんじゃないかな?

でも、喋れなくなってひゆう君に会って泣いてしまった。
回復傾向にあるのに何故?と、もどかしい気持ち。

でもやはりえいじさんの言葉を信じていて、その内意識がなくなり…

意識がない眠りの中、『えいじ~!』とえいじさんに怒りを感じ、そして魂となった今、その怒り(?)をえいじさんにぶつけるべく、好き勝手(こんな言い方失礼ですが…)意見してくるんじゃないかと。

私なりに勝手に考えてます。

私はまだ35歳で、『死』について深く考えたりしません。
でも、もし今自分が死んだら…
怖いのは『死』じゃなくて、『私が生きていた』という事を忘れられる事。

同級生のお兄さんが、9年前に交通事故で亡くなりました。
めったに会う事はなかったのですが、やはり、もう二度と会えないんだ…と思うと悲しかった。

だから、その同級生と会った時(旦那の飲み友達です)、お兄さんと漢字は違っても同じ名前を聞いた時…
お兄さんを思い出してます。

あまり意味のないコメントですみません。

これも関係ないのですが、実は私と旦那も中学校の同級生で、高校は別だったけど高校卒業後に一度付き合って別れ、その同級生のお兄さんのお通夜で再会し、それがきっかけで再度付き合い出して結婚しました。

えいじさんのような猛烈アタックではなかったけど(笑)
同級生夫婦として、えいじさん夫婦が羨ましいです。
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歩き方 (もか)
2010-08-12 03:33:05
「死なない覚悟」は、
「生きる覚悟」と類義語かもしれないけど、
でも「生きる覚悟」の方が太陽に近づいていける気がする。
死なないでいてくれる父ちゃんより、
生き抜く父ちゃんがきっとかっこいい!

うまく言えなくてごめんね。

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Unknown (Unknown)
2010-08-12 22:42:19
107日の間に覚悟したんじゃないかな

えいじさんとひゆう君を残していくこと
そばにいられないこと

私だったら 迎えに来たマ王に食ってかかるな~
ふざけんな!まだ いきたくないって!!
猶予がなければ納得いかない。


みわさんもそうしたと、思いたい。
返信する
はじめまして (こばっち)
2010-08-13 03:40:52
はじめまして。

奥様が亡くなる数週間前からこちらのブログ拝見していました。
ご家族の皆様、心よりお悔やみ申し上げます。

私自身、昨年12月くも膜下出血で倒れ、レベル5という状態から奇跡的に生還しました。
お蔭様で麻痺はなく、しかしながらワレンバルク症候群になってしまい、目も複視になってしまいという後遺症は抱えています。

発病時39歳 現在40歳で年長さんの息子が一人います。

同じくらいのお子さんがいて、同じ病気で闘っていることもあって、毎日ブログ拝見していました。

何度も投稿しようと思いましたが、せつな過ぎて書いては消しで、今に至ります。

私も生死の狭間をさまよっていました。
私の場合は、頭痛持ちではないのに、口も利けないほどの強い頭痛、今考えると倒れる数週間前から首を寝違えた感じの首の痛みがありました。具合が悪すぎたので、息子は主人の部屋で一緒に寝てもらい、私は一人寝室で休んでいましたが、あまりにもすごい頭痛。しかも、体が動かない。たまたま手が届く所に携帯があったので自分で救急車を呼びました。

朝4時の事だったので、主人が起きてくれるか心配でしたが、救急隊と主人の話し声を聞いて「良かった、助かった、頭いたーい」と言って気絶しました。
後の事はまったく覚えていません。救急車を呼ぶ前日に近所の脳外科出身のドクター(開業してクリニックしています)を受診して脳じゃなく首だから整形外科に行ってと言われてたので、主人も安心して、ただの酷い頭痛で救急車呼んじゃったのかな。と安易な気持ちで救急病院に行った夫は、その病院のドクターから「くも膜下出血です。生存率は10%、3分の1は死に3分の1は重度の麻痺、3分の1は社会復帰できます。」と説明を受け、かなり焦ったそうです。

医師からの説明は、こちらのブログに書いてあるのとほぼ一緒です。 その後、水痘症になり手術しました。入院して1ヶ月後の事です。

入院したところのドクターは、息子を見て「この子(私)を死なせる訳にはいかない!」と言って頑張ってくれたそうです。息子は未だにママが助かったのはボクのお陰だねと言っています。

急性期の病院に2ヵ月半入院しました。毎日顔を合わすので看護師さんとも仲良しになりました。ドクターにも、看護師さんにも「この子は助からないと思った。助かっても植物状態になるかと思った。」と本音を聞かされました。

回復期の病院は1ヶ月入院し、合計3ヶ月半の入院になりました。 息子の幼稚園3学期はまるまる入院していました。個室にもかかわらず子供が入ってこれない病院だったので、私も子供も寂しい思いをしました。全く会えないのではなかったけど、会うときはいつも外来の待合室でした。

私が倒れたのは昨年12月19日、ちゃんと自分を取り戻したのは12月28日でした。約10日間、私は何か主人と会話していたようですが、その10日間の記憶が全くありません。

たまたま助かったから幸運でしたが、病院に着いて、もし死んでしまっていたら、きっと私は死んだ事に気がつかないでさ迷っているだろうな。と真剣に思います。
人間はなかなか死なないけど、簡単に死ぬな。と実感しました。その意識のないというより、記憶がない10日間に死んでしまっていたらやっぱり、死んだことに気がつかないような気がします。

奥様、本当に無念だったと思います。

私も、後遺症は抱えていますが、生活に支障はなく、ドクターからレベル5でここまで回復するのは幸運だと言われました。
今は一日一日、本当に大切に生きています。
不思議なのですが、病気になる前より楽しいかもしれません。生きてる事はありがたいです。

奥様はご主人の事、息子さんの事、絶対絶対見守っているはずです。
どうか、お寂しいとは思いますが、ご自分らしく生きて下さい。

私も息子がいるので、ひゆう君の言葉で号泣です。うちの息子もママが死んじゃったら・・・と大泣きするし、退院した日は夜鳴きをされました。子供も小さい胸痛めています。本当にせつないですね。

私は21歳で母を亡くしました。大人になってからでしたが、寂しく悲しいです。
私が死にそうになって、私の小学生時代を思い出しました。その年で母親と死別した友達が2人いました。しかし、そのお友達のお父さんかなり頑張っていました。授業参観は必ず来ていたし、お弁当作ってから出勤したり、子供だった私はその子達の気持ちや環境がよく分からなかったけど、今は本当に寂しいし、つらかっただろうな。と思います。

ご主人、これから本当に大変ですが、ひゆう君のために頑張って下さい。

ブログの閉鎖を迷っているようですね。

私自身も奥様の解剖結果が気になります。
それは是非教えて下さい。

同じ病気を患った者の意見としては、自分と奥様の状態を重ね合わせてしまって、何か嫌なことがあった時に、そうだ、私大変だったんだ。とまた自分を戒めることができますし、もしくも膜下出血になった人がいろいろ検索してこちらのブログに辿り着いたらかなり参考になると思います。かなり具体的に書いてあるので。

しかしながら、ご主人が辛くなってしまうのであれば、閉鎖しても良いと思います。

ご主人頑張りましたね。

奥様も感謝の気持ちで一杯だと思います。

ご家族に微笑みが戻りますように。





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みなさまへ (えいじ)
2010-08-14 14:03:46
そうですね 生きる覚悟の方が太陽の方向をより向いているのかもしれないですね。。
そして、考えても答えは出ないのだから、107日の間に覚悟できて、全て託されたと思うことにします。
あの時の顔を思い出すとなかなか割り切れないものもあるんだけどね。。。

こばっちさん
生還、本当に本当におめでとうございます。
きっと 休むにはまだ早いということなんでしょうね。
家族にとって、命を感じる大切な時間になったのだと思います
勝手な話ですが、是非 精一杯生き抜いてください。
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Unknown (Unknown)
2010-08-14 20:41:32
私は死の準備はしていませんが、死の覚悟はいつもしていますよ~。

妹なんか全然考えたことないとか言っていますが…その方が不思議です。

多分、死が身近だったせいではないでしょうか…。

兄弟でも私だけ、小学校から中学、高校、専門学校、社会人と、同級生が亡くなっています。たまたまでしょうが不思議です。

そのたびに怖い思いをしてきました。

風邪を引いたら死んでしまうのでは…と夜が怖かったです。
今になっては、人間そんなに簡単に死なないと思えるようになりました。

お陰様で健康には気を付けております。

今となっては自分の寿命を精一杯生きるだけです。

1日1日後悔しないように心がけています。

毎日1日に感謝していますよ~永遠なんて思っていません。今日の1日が明日につながるんだ~と考えています。

一寸先は闇が保険みたいなものです。

何かあっても悲しみが少ないようにコントロールしています。

もしもの時を考えておけば言っておきたい事やしておかなけばならない事もおのずと見えてきます。

子どもにも『もしママが死んでも全然寂しくないよ~だってあなたと同じ血が流れているんだもの、あなたの中にママもパパもずっ~といるからね~。』

と、それは自分にも言える事でとても安心出来ます。子どももそうだね~と軽く聞いてる感じですよ♪
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