INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

LED REAL(73)

2016年09月06日 |    ┣ LEDに位置図
(つづき)
西鉄大橋駅を出発する「区2番」(くのにばん)。

以前の記事で、

“もともとは、「55番」という路線が「老司団地~老司~西鉄大橋駅~南区役所~清水町~野間四角~野間大池~長住六丁目~免許試験場~桧原営業所」というルートを走っていたのだが、山越えで天神まで行く現在の「55番」が運行を開始した際に、もともとの「55番」が「区役所55番」という番号に変更されたことが、「漢字+数字」の行先番号の発祥であり、一時期は、他に「区役所96番」や「区役所61番」という路線も走っていた”

と書いた通り、もともとは「55番」だった路線。

旧西区の区役所連絡の機能を担っている「90番台」の「9」には、区役所の「ク」の意味があるのかも?ということは、また別の記事で書きました。
(つづく)
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近い遺産(96)

2016年09月05日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
バスナビの“当バス停”は、「香椎台三丁目 パークシティ第一方向」。

「パークシティ第一」は、現在の「青葉五丁目第一」(でしたっけ)。


「香椎台三丁目」。
ここもかつては「サニータウン第二」。

「サニータウン」「パークシティ」のように、開発当時の住宅団地名がバス停の名称から消えてしまったところもあれば、「ネオポリス」「森林都市」「那珂川ハイツ」「さわら台」「八幡東ニュータウン」のように健在のところもある。


もともとは「狭義の終点」だったバス停だが、現在は、みどりが丘団地入口を経由して、トリアス猪野久山篠栗駅まで行けるようになっている


反対側、都心方面。
「23番」から分割され「27番」ができ、都市高速経由の「27B」が開設された当初は、「27B」よりも「27番」のほうが本数が多かった。
(つづく)
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see the light of day(10)

2016年09月04日 | マスコミ
(つづき)
福岡にある6つの放送局による共同ラジオキャンペーン「#フクラジ」の開始を記念して(?)、ラジオに関する過去記事を再掲

今回は、7年前に書いた「天神ラジオパラダイス・ラジオ黄金時代」の書き起こし(第一回第四回)。
いま改めて読むと、「スマッシュ!!11」と「ヒット情報」という2つの長寿番組の終了に裏には「PAO~N」があったという、巡り合わせの面白さを感じます。

□□□□□□□□□□□□□□□

このブログ、最近はほぼ100%がバスの話題になってしまっているが、初めの1~2年間は、バスの話題と並んで地元マスコミ(テレビ・ラジオ)関係の話題も大きな柱になっていた。
最近これらの話題を扱わなくなった理由としては、生活のスタイルも変わり、以前に比べてテレビ、ラジオを視聴する時間がかなり減ったことが第一である。
バスの話題もそうなのだが、過去のことを書くときにも、なるべく現在と対比しながら書きたいという思いがあるため、現在のことをあまり知らないまま過去のことをあれこれと書くというのが、どうもできないのである。

そんな中、ブログ4周年の記事のときにチラッと書いた、「天神ラジオパラダイス・ラジオ黄金時代」における井上サトル・沢田幸二両氏の対談の書き起こしに関して、途中まで作っていたものをようやく仕上げてみたので、4回シリーズで公開する。
「天神ラジオパラダイス・ラジオ黄金時代」は、今から約4年前の2005年11月3日、RKB、KBC、FM福岡、CROSS FMの、福岡の民放ラジオ4局が共同製作した番組で、各局30分ずつ持ち回りで担当し、それを4局同時に生放送した。
今回書き起こしたのは、このうち、KBCラジオ担当の「AMラジオ今昔物語」である。

登場人物は以下の通り。
 沢…沢田幸二    井…井上サトル
 森…森口博子    松…松村邦洋
 ト…TOGGY      オ…オオモリ君
各登場人物の経歴などをここで書くよりは、中身を読んでいただいたほうが早いと思う。
なお、この書き起こしは、読みやすいように発言に修正を加えたりはなるべくせず、ほぼ発言の通りを文章にしている(クロストークや相鎚など、一部拾ってない部分もあります)。
では、スタートです。
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沢:(タイトルコール)「天神ラジオパラダイス・AMラジオ今昔物語」

沢:(KBCラジオ「PAO~N」のオープニングテーマに乗せて)DA PUMPのISSAが女性にもてるのは足裏マッサージが得意なのが原因であることが明らかになる今日この頃、僕のうちでマッサージでもしていかない?とマンションに誘い、得意の足裏マッサージを施して、女性の警戒心を解くのが秘訣だと聞いた日にゃ、伊藤美咲の足はデカそうだから大変だったろうなあと同情する中、やってまいりました「天神ラジオパラダイス・AMラジオ今昔物語」、早速今回のメニューのご紹介。一世を風靡したRKBラジオ「スマッシュ!!11」のあの伝説のDJが久々に登場し当時の懐かしい話で大いに盛り上がる「スマッシュPAO~N」、CROSS FMのナビゲーターTOGGYがAMラジオとの意外な接点を赤裸々に語る「私は昔ステップだった」、などなど、小泉チルドレンとちやほやされますます態度がデカくなっている片山さつき議員と、昔はたかがテレビキャスターだったのに、今はすっかり大物ぶっている小池百合子環境大臣のような、もう一度原点に返ったほうがいいんじゃないかというコーナーが目白押し。「AMラジオ今昔物語」、今回は1時30分までひとつ、よろしくね。

(ジングル「天神ラジオパラダイス・ラジオ黄金時代」)

沢:どうも~、FM福岡、CROSS FM、RKBラジオ、そしてKBCラジオをお聴きの皆さん、そしてパサージュ広場にお越しのみなさん、こんにちは、KBCの沢田幸二です。

森:こんにちはー、森口博子です。すごいですねみなさん、朝からずーっと盛り上がって下さってますね。

沢:ほんとにいかに皆さんが暇かというのがね、よくわかりますけれども。

森:いやいやわざわざ足を運んで下さってありがとうございます。

沢:ありがとうございます。さあ、今日はですね、全国初の試み、福岡の民放ラジオ、FM福岡、CROSS FM、RKBラジオ、KBCラジオが、ここ福岡市中央区天神大丸パサージュ広場特設ステージから4局同時生放送を行っております。

森:すごーい。

沢:この番組はイベントを通してですね、ラジオの魅力を再発見しようという一日でありますが、森口さんねえ。

森:はい。

沢:これはもう福岡ならではのノリでね。

森:すごいことです、これ。東京でもね、ありえませんし。

沢:そうです。東京でもやりたいなあってね、さっき森口さんおっしゃってましたもんね。

森:そうなんですよ。で、福岡の人はなんてったってパワーがあるじゃないですか。

沢:そうなんです。

森:私ももちろん福岡出身なんですけど、久々にこう帰ってきてみますと、ほんとに皆さん明るくて、なんかこう仲間意識が強いっていうのが他の地方にはない魅力だと思います。

沢:今日のねえ、お客さんねえ、ほんとにあの皆さん顔見たらですね、ほんとにのほほんとしたねえ…。

森:いやいや。

沢:みんないい感じの方ばっかりでございまして。

森:いやいやのほほんって。

沢:いやいや。

森:あったかいなあ…フフフ。

沢:でも森口さんラジオといいますと、いろんな番組ね、もうご自身で担当してらっしゃいまして。

森:はい。

沢:文化放送「ナンバショット!」覚えてますよ、私。

森:あ、そうですか。聞いて下さってましたか。

沢:タイトルがだっていいタイトルですもん。

森:ちょっとこれ嬉しかーって感じで。

沢:博多弁でなんばしょっと。

森:森口博子のナンバショット!

沢:懐かしいじゃないですか。

森:でもほんとこれ、ナンバショットって音的にはそういうふうにいくんですけど、私の心の中では、なんばしょっと?なんですよね。

沢:ニュアンスが微妙にね。

森:微妙に違ったんですけど、はい。

沢:他にもTFMの「ヒッツ・イン・モーション」とか「アフタヌーンブリーズ」ですか、それから現在某公共放送で「土曜音楽パラダイス」。

森:はい、私ですね、生放送が多いんですよ。で、「アフタヌーンブリーズ」はえっと一人で4時間生放送担当させていただいて。

沢:4時間、よくまたしゃべることが。

森:曲をかけたりFAX、メールのやりとり、番組の最後には私のアコースティックライブとかお届けしてて。

沢:充実してますね。

森:もうすごいあのー、皆さんとのコミュニケーションの時間として幸せですね。

沢:やっぱラジオは面白いですもんね。

森:いいですよねー。

沢:さあこれからの時間は「AMラジオ今昔物語」と題しまして、AMラジオにスポットをあてて、AMラジオの過去、そして現在、未来を語っていこうと思っております。さあここでスペシャルゲストをご紹介いたしましょう。松ちゃんこと松村邦洋さんです。

松:はい、どうもこんにちはー。はい、お願いします。ありがとうございます。すごいですねー今日は、ほんと「チャリティーミュージックソン」!

沢:違う違う。

松:違いますか。

沢:あれは12月24日やない。

松:12月でしたね。ちょっと早いなあと思ってたんですよ。

沢:早すぎ早すぎ。

松:やっとね、あのホークスの気持ちがわかりましたよ、日本シリーズで。

沢:ああそうですか。でもどうですか、掛布さん、タイガース4連敗。

松:(掛布のものまねで)あのねえ、オープニングの第一戦に10点とられたでしょう。初戦が10点。10点、10点、10点、ものまね王座かと思いましたよ。

沢:意味が…そんなアドリブはいいから。

松:(掛布のものまねで)最後の3点は淡谷のり子さんかなと思いましたよ。

沢:いや関係ない関係ない。ねえほんと、いやいや松ちゃん今日はね、この時間、AMラジオのね、いろんな話をしようと思って。

松:僕はねーよく聴いてましたねぇ。

沢:もう福岡のラジオを山口なのに。

松:はい、山口ですけどね。林幹雄さんの「ベスト歌謡50」を聴いてましたね。

沢:午前中出てらっしゃいましたね。

森:先ほどいらっしゃいましたよ。

松:日曜日のお昼は必ず聴いてましたね。

森:あの素敵な曲紹介でね。

松:あと山崎銀之丞一座という一座にいて、RKBラジオの「HiHiHi」を聴かなきゃいけないのに、「PAO~N」にチューニングを合わせてましたけどねぇ。

沢:嘘つけ、さっきと話全然違うじゃないか。

松:すいません。よろしくお願いします。

沢:というわけで、いろんな思い出話を絡ませながらということで、「天神ラジオパラダイス・AMラジオ今昔物語」、この番組は福岡市中央区天神大丸パサージュ広場特設ステージからFM福岡、CROSS FM、RKBラジオ、KBCラジオ、4局同時生放送でお送りしています。お知らせの後はあの方の登場です。

(CM)

(ジングル「天神ラジオパラダイス・ラジオ黄金時代」)

沢:「天神ラジオパラダイス」、この時間は、福岡のAMラジオの過去、現在、未来を語っていこうと思っております。ゲストは森口博子さん、そして松村邦洋さん、司会進行は私KBCの沢田幸二でお送りしております。さて1970年代から80年代にかけて、福岡のラジオの黄金時代を創り上げた偉大な番組がありまして。

松:もうラジオの経済成長時代ですよね、これは。

沢:そうですよね。はい。RKBラジオの、あの番組です!

(「スマッシュ!!11」タイトルコールとテーマ曲が流れる)

沢:あらためてご紹介しましょう。RKBラジオ、井上サトルさんです。

森:ようこそー。

松:ようこそー。

井:井上でございます。えー、まだちゃんと足は付いております。

沢:いやいや。

井:もう三十何年前ですか。36~7年前の番組ですからねぇ。

森:ちょうど生まれたときです、私が。

松:そうですよねー。

井:17年間番組やりまして、もう19年前に番組終わりまして、ちゃんと玉手箱の中にしまって、私も引退いたしました。

沢:いえいえいえとんでも。まだサトルさんお若いですよねー。昔ヒゲがあったのに今。

松:ないですね、ヒゲが。

井:そうなんです。

沢:また一段と若くなって。

井:ヒゲがありますとどうしてもおじいちゃんみたいになってしまいますからね。どうしてもやっぱり若くしようと思って。

沢:逆に若くなって。

森:でも番組17年ってすごいことですよねー、担当されるのねぇ。

松:そのあともずいぶんお昼やってらっしゃいましたもんね?

井:え?

松:お昼とか、RKB。

井:ああ、その番組終わってお昼出てました。

沢:松ちゃん詳しいです。ちょっとあの椅子に座ってですね、ちょっとサトルさんと一緒に、振り返っていこうかなというふうに思っております。実はですね、このステージにパネルを用意しておりまして、まあ年表ですね。えー、RKBラジオ「スマッシュ!!11」、そして私がまあ当時担当しておりました「PAO~N」、そして森口博子さんと松村邦洋さんの年表、パネルにしております。

森:ハハハ。

松:いいですねぇ。

沢:まずですねぇ、井上サトルさん、何年入社になりますか。

井:えー何年ですかね…とにかくオリンピックの前年ですね、1963年。

沢:昭和38年、ケネディ暗殺の年ですよ。

松:ケネディ暗殺!阪神タイガースがねぇ、藤本監督で2回目の優勝する前の年ですね。

沢:知らないって。

松:東京オリンピックの前の年ですよねー。

沢:その年優勝してないじゃない、それ。

森:ここにお写真あるけど、すごい渋いですねー。

松:渋いすねー。

井:昔から変わらないでしょう?

森:いや素敵です、素敵です。

沢:サトルさん、昔のほうが老けてませんか?

井:ハハハ…。

森:かっこいいー。

沢:森口さんも松ちゃんもまだ生まれてません。

森:生まれてないです。

沢:松ちゃんはですね、1967年、昭和42年山口生まれ。

松:そうですよ。松岡修造とか貴闘力とかねぇ、みんな多いんですよ、清原・桑田、その昭和42年に生まれましたよ。

沢:松ちゃん世代。森口さんが昭和43年、1968年。

森:そうです。

沢:森口さんが生まれた次の年です、サトルさん「スマッシュ!!11」。

井:そうなりますかね、1969年。

沢:昭和44年4月1日、すごいですねぇ、あのアポロ11号月面着陸の年です。

井:昔々のことですねぇ。ほんと、我ながら懐かしい思いがしますけど。

沢:で、井上さんにですねぇ、直接お伺いしようと思ってたんですけど、実はその年に、井上陽水さんが、自作の音楽テープを井上さんの番組に持ち込んだという。

井:そうですね。それ前段があってね。ちょうどその頃ですねぇ、あの「スマッシュ!!11」1969年ですけど、始まる前に、サテライトスタジオっていうのがあったんですよね。あのKBCさんの近く、西鉄のコンコースの中に。で、そこでビートルズ全盛時代で、そういうポップスをずーっとかけてたんです、夕方4時くらいから。その中に学生服でいっぱい人が集まったんだけど、そういう中に鉄矢さんが居たりだとか。

沢:武田鉄矢さん。

井:そうそうそう。陽水さんはちょうどその頃、あのー予備校生でしたけども、そのときに来たりしてたんです。それで顔を知ってたという。そして「スマッシュ!!11」が始まった年にテープを持ってきたんです。

沢:聞かれたときはどんな印象でしたか。

井:うーん、なかなかおとなしいぼそっとした寡黙な方でしたね。

沢:そうですか。

森:テープって、歌ってるテープを送られたんですか?

井:持ってきたんです。

森:その中にはどんなことが入ってたんですか?

井:それはもう、2曲しか入ってなかったですけどね。「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」とかね。

沢:のちにデビュー曲になる。

井:そうそうそうそう。

沢:で、「アンドレ・カンドレ」っていう芸名っていうんですかね、でデビューするんですよね。最初、井上陽水じゃなかったんです。

森:そうなんですかー。

松:すごいですよねー。あの井上陽水さんが井上サトルさんのラジオがきっかけだったっていうのが。

井:いやー、そういう大きなものじゃないですけどね。たまたま。たまたま、そうでしょ。

松:ぼくね、苗字の井上はね、井上陽水さんに井上という苗字をプレゼントしたのかと思ってました。

沢:それくらいにね。

森:でもそうですよね。同じ井上さんだから。

井:まあ、九州には井上姓が多いですからね。

沢:で、井上陽水さんと当時の井上サトルさんがなんか電車でツーショットで写ってる写真がここにありますけども。

森:いやー、なんかかっこいいー。

沢:陽水さん若いですね。タバコ吸ってますねぇ。

森:サングラスして。

沢:これ、どこに行ってるときですか?

井:これはねぇ、うーん、八女かどっかにですねぇ。

沢:公録か何かですか?

井:コンサートツアーに行く途中ですよ。博多駅で落ち合って話をしながら行ったんです。

沢:やっぱり電車の中でもボソボソボソボソ言ってたんですか?

井:えー、お互いボソボソボソボソ言って。

松:この写真だけ見るとなんかさとう宗幸さんと宇崎竜童さんかと思いますねぇ。

森:ほんとだ!

沢:似てる!

松:なんで二人が八女に来てるんだろうと。

沢:他にも「スマッシュ!!11」はいろんな伝説のイベント、ね、100回記念イベントとかですね、いろいろやりまして、また年表のほうに戻るとですね、私がですね、ちなみに1980年に、昭和55年に入社しております。で、井上さん、この年、実はあの、音楽界で悲劇が起こりまして、ジョン・レノンが暗殺された。

井:そうですね。1980年12月ですよ。

沢:日本時間が12月9日だったんですよ。で、僕はうちに夜勤明けで居まして、あのー「スマッシュ!!11」を聴くまでジョン・レノンが死んだって信じられなくて。井上サトルさんが番組の冒頭で、ジョン・レノンの「Mother」を、かけたんですよね。で、あ、ほんとに死んだんだ、井上サトルさんが言ったから間違いない…そのときは…えぇ。

井:もう僕も言葉をなくしてしまって…。陽水に電話をしたんですね。

沢:陽水さんに。

井:うん。で、陽水知ってるか?って言ったら、うん知ってる、陽水も声詰まらせちゃってね。えー、もうビートルズなんかに一番影響受けた人ですからね。もうこれから先、音楽どうなるんだっていうね、言葉もありませんっていうね、もうほんとに嗚咽しましたね。

沢:ほんとあれは、生放送ならではっていうかねぇ。いきなりいつものテーマ曲じゃなくて、鐘から始まったからすごく覚えてるんです。

森:でも衝撃的な放送ですねー。だって今音楽業界で頑張ってる若者も大先輩も、ジョン・レノン、そのビートルズを通ってきて音楽をみんな作ってる方多いじゃないですか。

松:そうですよねー、だからほんときっかけの人ですからねー。

森:だから今、普通に音楽聴いてるのも、やっぱりジョン・レノンがどっかに根付いてたりするんですよね。

松:当時まだ小学5年生の森口博子さんも、ね、6年の僕もそうですけどねー。

沢:そうそうそう。ちなみに、ちょっと遡りますと、FM福岡が開局したのが1970年、昭和45年ということで、ここはもう森口さんも松ちゃんも生まれてる。

森:そうですね。

松:そうですね。

沢:35年前だ。そして結局、井上さん、「スマッシュ!!11」が17年、1986年ですね。最後の放送が。

井:そうですね。

沢:えー、あれからもう20年近く。

井:そう、19年になりますね。

沢:長いですねぇ。毎日夜だったでしょう。

井:うーん、そうです。月曜日から金曜日までね。

沢:これ正直な話、もう、もういいやとか途中で思われたことなかったですか?

井:うーん、だから小学校に入学して6年でしょ、中学校3年でしょ、高校3年でしょ、1年浪人して、ね、大学卒業する、それが17年なんですよ。で、それをこう、指折り数えたときに、ああ、もう私はそろそろ卒業しなくちゃ、それにKBCさんのねぇ、沢田さん、この「PAO~N」っていうねぇ、元気なねぇ、非常にテンポのいい番組が裏で始まった。

沢:うち裏番組でした。

井:これはもう、沢田さんには敵わないな。このテンポにはついていけないな、そこで卒業しましょうということでスマッシュ卒業式やったんです。

松:そうなんですかー、僕ねー、後半の頃なんですけどねー、サトルさんのラジオに、電話でよくかけさしてもらいましたよー。

沢:覚えてらっしゃいますか。

井:覚えてるような覚えてないような…。

森:え、何てかけたの?

松:僕ね、ものまねができるんですよー、井上さんちょっとラジオで聞いて下さいよー。

井:それはあります。

沢:覚えてる。

井:覚えてる。それは覚えてる。

松:当時のねー、電話のオペレーターの方とねー、女の子と喋れるって嬉しくてですね。

井:番組終わったあとお話ししたでしょう。

松:お話ししました。

井:ね、番組が終わったあと。

森:どっちが目的なの、番組でお話したいのかオペレーターと…。

松:いやいやオペレーターの方とも喋れるし、でも、ラジオに出さして下さいって何度も喋ったら、井上さんと喋らせて下さい、井上さんと喋らせて下さいって言ったんですよ。そしたらオペレーターの方がねぇ、悪いなぁと思ったんでしょう。何度も何度もよく電話するから。じゃあね、ラジオ終わったあとちょっと井上さんに話してみるって言ったんです。そしたらね、ラジオ終わったあとですよ、山口の僕の自宅ですよ、自宅に井上さんから直接電話いただいたんですよ。

沢:ありがたいですよ。

松:だってね、だから思った。テレビもラジオもそうですけどね、なんでもそうですけど、映ってるときだけ頑張ればいいってもんじゃないですよね。映ってないところでここまでしていただいてありがたかったの覚えてます。

沢:それが長く続いた要因でしょうね。やっぱりね、身近でしたもんね。

松:リスナーの方をすごく大事にされてましたね。

森:そういう経験って、松ちゃん一生忘れないですよね。井上さんにもらった優しさ。

松:忘れないですよ。だってね、僕ね、何分くらい話してましたか、20分、25分くらいものまね聞いていただいたの覚えてますよ。

沢:やりすぎたよ、それ。さて、今日ね、会場にお越しの皆さんの中にも元「スマッシュ!!11」のリスナーだったという方、たくさんいらっしゃると思うんですが、実は今からちょうど20年前、つくば博覧会というのがありまして、そのときの、ポストカプセル郵便という企画があったんです。これ、20世紀の私から21世紀のあなたにハガキを送ろうという企画があったんですが、当時スマッシュのリスナーだったある少年が、21世紀の井上サトルさんにハガキを送るという設定で送ってたんですよ。

井:そうなんですよ。

沢:そのときのハガキ、サトルさん…。

森:持ってらっしゃる!

井:2001年にですねぇ、自宅に年賀状で届いたんですよ。

森:郵便番号がまだ5桁の時代ですねー。

井:“明けましておめでとうございます。63歳のサトル様、お元気にお過ごしですか。私は16年前の「スマッシュ!!11」の常連の一人、オオモリ○○です〔下の名前も放送されましたが、一般の方なのでここでは伏せます〕。覚えていてくれていますか。僕は今は13歳ですが(このハガキを書いているとき)、本当は今29歳です。本当に月日の経つのは早いものですね。「スマッシュ!!11」はそのときまで続いているでしょうか。お元気で”という。2001年に飛び込んでまいりましてねぇ。思いました。そのときにねぇ。嬉しかったんですけど。つくば博に行って、このポストカプセルに出すのに、このハガキ1枚しか宛名がなかったんだなぁと思うと、この少年がね、寂しかったんだなぁ、もっと好きな人に出さなかったのかなぁ、「スマッシュ!!11」にしか出さなかったのかなぁ、という、そういう思いがしましたねぇ。

沢:でもオオモリ君って覚えてますか?

井:でね、僕はあわててね、これいただいたときに、この住所に手紙をすぐ出しました。そしたら返事が来ました。ちゃんとした青年になってました。そして、放送業界に入ってました。

沢:実は井上さん、オオモリ君に来てもらってます。オオモリ君どうぞ!

森:えーそうなんですか。やー。

松:あらー。

沢:今がっちりと、当時のリスナー、オオモリ君と握手です。

オ:初めまして。

井:初めまして。ほんとに初めまして。えー、ありがとうございました。失礼なこと言ってすみません。孤独だったなぁなんて話をしまして。で、賀状、私出したときにびっくりしたでしょう?

オ:ああもうびっくりしました。サトルさんから年賀状来るとは思わなくて、はい。

井:で、そのあとできるだけ会うまいと思ってたんです。これはやっぱり思い出の中のページだから。で、関連の仕事に就いてます、というおハガキをいただいたけれども、一度も敢えてお目にかかりませんで、今日はじめてお目にかかりました。

沢:もうね、こうやって立派な大人になってる訳です。今33歳。

オ:今34歳です。

沢:なんとですね、井上さん、先週、子供さんが生まれたという。

森:おめでとうございます。

井:おめでとうございます。それはよかった。

森:すごいですね。なんかラジオを通じて、一人の方の人生をみんなでこうやって祝福できたり、お互いこう祝福したり、すごいことですよねー。

松:この月日ってすごいですよねー。

沢:長いですよねぇ。でも立派な大人になってね。

井:本当に安心しました。

松:お子さんの名前はもちろんサトルにしてるんでしょうねぇ?

沢:嫌な質問しますね。

森:今こう、咳ばらいしちゃってるじゃないですか。

沢:オオモリ十一(じゅういち)とかね、名前だったらよかったんじゃないかということでね。オオモリさん、今日はどうも、本当にありがとうございました。

井:頑張ってくださいね。

森:放送業界にお勤めということでね、また、井上さんのお仕事もね、すごく影響を与えたんでしょうねー。私たち今度使ってくださいね。

沢:なんでここでお願いせないかん。

松:森口さんとパッケージでお願いします。

沢:実は井上サトルさんには内緒で、ちょっとオオモリさんをね、呼んでましてですね。

井:びっくりしました。

沢:まあ、感激の対面と。AMラジオの良さっていうのはこういうところにもあるなと、皆さまわかっていただけたんじゃないかなと思います。「天神ラジオパラダイス・AMラジオ今昔物語」、この番組は、福岡市中央区天神大丸パサージュ広場特設ステージから、FM福岡、CROSS FM、RKBラジオ、KBCラジオ、4局同時生放送でお送りしておりまーす。

(CM)

(ジングル「天神ラジオパラダイス・ラジオ黄金時代」)

沢:「天神ラジオパラダイス」、ここでまた新たなゲストをお呼びしております。CROSS FMナビゲーター、TOGGYです。

T:どうもみなさんこんにちは。はーいTOGGYです。

沢:はーいTOGGYですじゃないよ君。今日朝からずっと番組やってたらしいねぇ。

T:CROSS FMも今日はですねぇ、ぼくが7年やってた「DIGITAL MORNING DRIVE」という朝の番組が、今日一日だけ復活で、5時起き、今一番眠たいときなんです。

沢:ちゃんと仕事せえよ。CROSS FMは1993年開局ですからね、もう12年ということになるんですけどね。

T:まだまだひよっ子でございます。

沢:実はですね、TOGGYと、私がやっておりました「PAO~N」という番組はですね、密接な関わりあいがあるということで。これは知らない人がほとんどだと思うんですが、どうしてですか?

T:実は栗田善太郎君のポジション狙っております。

沢:いやいやそんなことはどうでもいいよ。全然違う話じゃないか。

T:あのー実はですね、僕ハタチのときにバンドでデビューしまして。

森:えー、そうなんですか?

沢:そうなんですよ、彼、バンドやってたんですよ。

T:やってたんですよ。ドラムでリーダーだったんですけども、そのバンドで「PAO~N」の中の帯のコーナー持ってたんです。いわゆるアーティスト枠っていわれるやつを。

森:ご縁があったんですねー。

沢:何ていうタイトルだったっけ?

T:「ステップの青春恥知らず」っていう…。

森:聴いてた?聴いてた人拍手~!

松:いらっしゃいますよ、これー。

沢:ステップっていうグループだったんです。で、ドラム叩いててですねぇ、今メンバーバラバラだという。

T:今、全然音沙汰ないです。

沢:ハッハッハ。

松:誰と同期くらいですか?ほとんど。

T:えっとですねー、光GENJIとかね。

沢:光GENJIとステップ同期!

T:同期。一緒にNHKのオーディション受けに行って。それくらいのまあ、アイドル全盛の時代のね、バンドだったんですけど。

沢:もうじゃああれが20年ぐらい前。

T:20年、18年前ですねー。

沢:それからTOGGYはいろいろあってですね、今のTOGGYがあるという。

T:はい、海外行ったりなんかして、今のTOGGYがあると。これも沢田さんと奥田さんのおかけでございます。

沢:ええっちゅうに。

T:嘘です。

沢:嘘ですじゃないよ。

森:でもラジオに育てられたってことじゃないですか?ねぇ。

T:ほんとにそうですよ。

沢:もともとあなたもラジオ聴いてたんでしょ?

T:もう「PAO~N」も聴いてましたし、井上サトルさんと今日、お会いできて本当に感激しております。

沢:大先輩ですよねぇ。

森:あり得ないこの絵ヅラっていうか、絵ヅラじゃないか。

沢:ラジオなのに…。

森:ごめんなさい。皆さん、イマジネーションですよ。どんな感じで座ってらっしゃるかねー、想像しながら聴いて下さい。

沢:でもほらTOGGY、ここにまだあの、サトルさんの写真がありますけどね。

T:すごいですねぇ。

沢:若いですねぇ。

森:これ、オーバーオールじゃないですか。

沢:オーバーオールですよ、これ。いくつぐらいのときですか?これ。

井:これはいくつでしょうねぇ。30代ですね、まだね。

松:今このオーバーオール、石塚さんしか着てませんからねぇ。まいうーですよ。

森:しかもサンバイザーですよ。

井:これはねぇ、RKBの出力が50キロワットに増力になったときに、宇部から、歩いてきたんですよ、福岡まで。

沢:えー!あ、機材背負ってる!

井:そうそう。で、となりに居るのが中西一清。

沢:中西一清さんだ。若いねー、一清さんも。

T:あっ、中西一清さんですか。

沢:わぁ、痩せてるなぁ…。

井:生放送しながらずーっと、ニコニコ珍道中っていうのやったんですよ。

松:よくでも歩きながらラジオってすごいですねー。

沢:できるんですよねぇ。

森:また歩きながらやってると、いろんな方とのふれあいとかもあったりしてねー。楽しそう。

井:そうなんです。だから車がみんな乗せてくれるわけですよ。

松:ヒッチハイク。

井:放送時間に間に合わないから、次々に乗っけてくれる。

沢:思い出話は尽きませんけどね、またここで一旦、お知らせにいきましょう。

(CM)

(ジングル「天神ラジオパラダイス・ラジオ黄金時代」)

沢:お送りしてまいりました「天神ラジオパラダイス・AMラジオ今昔物語」、あっという間の30分でございましてですねぇ。

森:はやーい。

松:はやいですねー。

沢:私あのー、伝説のパーソナリティの井上サトルさんとこうやって同じステージで、お仕事できるとは、もう、まさか思いもしませんで。

井:僕もほんとに、あの、今生の…ハハ。

沢:誰が今生物語ですか。今昔物語ですよ。

井:今生の思い出にしたい。

松:言わないでください、そんなこと。

沢:サトルさん、またマイクの前に復活してほしいねぇ。

松:またいい声ですねぇ。

沢:皆さん、そう思いません?また井上サトルさんにね。

井:どうもありがとうございます。

松:両巨頭がこう、ねぇ、お会いするっていうのがすごいですね。

森:おとなり同士で座ってらっしゃるってなんかすごく素敵ですよねー。

沢:私はサトルさんに比べたらあんた、ペーペーですよ。

森:そんな。もう、まだ青いですよ。

沢:森口博子に青いって言われました。

松:今日、沢田さんものすごいテンション高いのがね、井上さん聞いてらっしゃるだろうなと思って、なんかすごいトーンで喋ってた感じがしました。

T:そんな感じでした。

松:すごいテンション高く。

沢:君に冷静に言われたくない。

松:(掛布のものまねで)素晴らしいです。

沢:ものまねは…。大沢親分、喝入れてくださいよ。

松:(大沢親分のものまねで)おー、二人ともなぁ、アッパレだよ。ただ、日本シリーズの阪神は喝だ、このやろう。

沢:あんまり全然関係ないですけどねー。ぜひサトルさん、また機会があれば。

井:どうもありがとうございます。

沢:ご一緒にね、お仕事させていただきたいと思っております。

森:素敵なお話、ありがとうございました。

松:ありがとうございました。

沢:ありがとうございました。「天神ラジオパラダイス・AMラジオ今昔物語」、この番組は福岡市中央区天神大丸パサージュ広場特設ステージからFM福岡、CROSS FM、RKBラジオ、KBCラジオ、4局同時生放送でお送りしてまいりました。この時間のお相手は、RKBラジオ、井上サトルさん、そして森口博子さん、松村邦洋さん、CROSS FMのTOGGY、司会進行は私、KBCラジオの沢田幸二でした。みなさん、ありがとうございましたー。「天神ラジオパラダイス」、まだまだこのあとも続きますよー。
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以上です、いかがでしたか?
この放送時点から現在に至る間にも、福岡の民放ラジオを取り巻く環境は大きく変化しているが、現在放送されている多くの番組の「原点」は何なのか?ということを考えさせてくれる、貴重な放送だと思ったので取り上げてみた次第である。

今後も、もし機会があれば、このような「書き起こし」を行ってみたいと思う。
次回は、「RKBベスト歌謡50」の林幹雄アナウンサー最後の出演の回を予定している(が、機会があるかどうか…)。

□□□□□□□□□□□□□□□

(つづく)
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see the light of day(9)

2016年09月02日 | マスコミ
(つづき)
福岡にある6つの放送局による共同ラジオキャンペーン「#フクラジ」の開始を記念して(?)、ラジオに関する過去記事で未だに一定数のアクセスがある「KBC-INPAX」に関するものを再掲。

この記事を書いてから、もう10年が経っています(第一回第八回)。

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90年代のはじめにKBCラジオが行った大実験「INPAX」(インパックス)。
先日図書館で見つけたKBCとRKBの社史の中に、この頃のことがそれぞれの立場から書かれてあったので紹介してみたいと思う。
まずは当事者のKBCから。

以下KBCの社史より引用。
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話題集めた「INPAX」

1990年代に入り、ラジオではFM放送との競合のほかに、新しい地域メディアとしてコミュニティFMが各地で開局するなど、電波メディア業界は多メディア、多チャンネルという戦国時代を迎えようとしていた。KBCでは新しい年代を決戦の時と位置づけ、番組制作と編成の差別化、地域との密着強化などラジオの大変革に着手した。ラジオ部門あげて取り組む、24時間のスロープ編成による「KBC-INPAX」が登場するのである。

◇ラジオを変えろ
多メディア、多チャンネル時代を見据えた松本盛二社長は「ラジオを変えろ」という号令を発した。《ラジオ大変革》をキーワードに、ラジオ局長・長谷川弘志と制作部長・横野英雄を中心に新しいラジオの構想を練った。平成2年(1990)4月編成で「KBC-INPAX」がスタートした。「INPAX」とは information(情報)とintelligence(知識)それにinterest(面白さ)を未知数の可能性でpackするという意味の造語である。
この番組は地域、国内はもとより、世界各地、さまざまな分野にアンテナを張ったネットワークを活用して、切れ目なく情報を発信するKBCラジオを目指したものだった。
「INPAX」編成の情報が流れると地元よりも東京のほうが敏感な反応を示し、問い合わせや取材が続いた。3月に福岡と東京で開かれた広告会社会議には業界紙や通信社などが数多く参加し関心の高さを見せた。

◇スロープ編成
「INPAX」の狙いは従来のセグメンテーション編成による時間帯ごとの聴取者対象区分を改め、ノンストップと縦の流れを強調するスロープ編成という考えを打ち出したことである。1日の流れを4時間ずつ、4つの時間帯に区分し、それぞれの時間帯の聴取者層によって内容を構成した。

●月~金
「MORNING SLOPE」(6:00~10:00)
 世界中の《今》をリアルタイムで放送、インターナショナルな朝を情報満載で伝える。
「DAYTIME SLOPE」(10:00~14:00)
 兜町からの経済情報やニューヨーク、ロンドンからの最新情報を届ける。
「AFTERNOON SLOPE」(14:00~18:00)
 街の動き、人の動きそして世界の動きがコンセプト。
「NIGHT SLOPE」(21:00~24:30)
 「YOUNGからOTONAまで‘含み笑い’ INPAX」がキャッチコピー。

◇情報網の整備
KBCが開局して以来最大の改編といえる「INPAX」のねらいは情報の強化であった。そのためにKBCの屋上にインド洋上のインテルサットから外電の受信設備を整え、従来の朝日新聞ニュースと共同通信の配信に加えて、日本の民放では初めて通信社ロイターと受信契約を結び、24時間送られてくる英文のニュースを翻訳スタッフが翻訳して随時放送した。
また、朝日新聞や共同通信の海外支局、文化放送の「ワールドホットライン」の海外通信網とKBCスタジオを電話で結ぶ海外拠点は200ヵ所を超え、KBC独自の情報網を構築した。朝日新聞の論説委員、編集委員をはじめ、評論家・田原総一朗の人脈、日刊スポーツ記者・野崎靖博、芸能リポーターの梨本勝グループや音楽界、ファッション界に至るまで、コメンテーター、解説陣として幅広い人脈を整えていた。ローカル、地域情報についてはKBC報道局、朝日新聞、共同通信の支局情報網もフルに活用した。このように番組制作からキャスター陣まで、KBCラジオの持てるすべての力を投入した総力戦の新企画であった。
「INPAX」の放送開始以後、世界が激動の時期になり、平成2年8月2日のイラクのクウェート侵攻と湾岸戦争や、その翌年のロシアでのクーデターなどのニュースをいち早く放送して社内外の評価を得た。
この様に《ラジオ大変革》を掲げて華々しく登場した「INPAX」であったが、聴取率がいまひとつ低迷し、経費のかかり過ぎなどで、平成5年4月の改編で終わりを告げた。長谷川弘志は「ラジオ局あげての共同作業が必要な番組であったが、ラジオ担当者の意識改革が思うように進まなかったことや時代を先取りした仕掛けの大きさが時期尚早であった」と述べている。
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KBCの社史からの引用は以上。

続いて、RKBの社史からの引用。
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平成2年4月にスタートしたKBC INPAXの壮大な実験は、聴取者の支持を受けられなかったが、これは、まさしくKBCが置かれている事態のせっぱ詰まった突破策として行われた挑戦といえる。
INPAXは、「ビジネスマン・ラジオ」を掲げ、中波ラジオの未来を特定の階層のための一方向性情報サービス・メディア=「小さいラジオ」と規定したかに見える。
一方、われわれは、中波ラジオを「双方向性情報メディア」と考えてきた。スタジオからニュース・生活情報・音楽情報を送り出し、地域社会の人々からも身の回りの話題や意見を提供してもらう、この「情報」のキャッチボールのなかで、人々が「コミュニティ」との結び付きを実感し、共生感をおぼえる。そのような「コミュニティ・ラジオ」をコンセプトに「大きいラジオ」を目指してきた。

現時点では、われわれの思想の正しさが立証されている。40周年以後も「コミュニティ・ラジオ」の道がわれわれの選択であろう。「大きいラジオ」の「大きさ」が今後問題となろうが。
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RKBの社史からの引用は以上。

以上、それぞれの局の「社史」から、「KBC-INPAX」に関する記述を抜粋してみた。

「INPAX」の番組内容について補足すると、「MORNING~」の担当は永田時彦&清水千春、「DAYTIME~」は富田薫&奥田智子、「AFTERNOON~」は沢田幸二&千木良かおり、「NIGHT~」は「3P」というサブタイトル付きで中島浩二&アルトマンリカ(=久村洋子)であった。
また、土曜の「SATURDAY SLOPE」は、栗田善成が朝9時から夕方6時までを担当、日曜の「SUNDAY SLOPE」は文化放送から大野勢太郎を迎え、ホークス戦や競馬中継で構成するスポーツ番組であった。

人気番組の「PAO~Nぼくらラジオ異星人」まで終了させ、鳴り物入りでスタートした「INPAX」。
「KBCラジオ」という呼び方はやめて、「KBC-INPAX」という呼び方に統一され、ラジオカー「ひまわり号」も「INPAX号」に改称された。
ちなみに「INPAX」のジングルは、木村匡也が担当していた。

ただ、「KBCラジオという呼び方は今後使いません」と言いながら、夜中にKBCラジオの昔のジングルやピンキーのアナウンスが流れてきたり、「24時間のスロープ編成」と言いながら「オールナイトニッポン」や日曜朝夜などの箱もの録音番組も引き続き放送されていた。
当初は「○○ SLOPE」という無機質な番組タイトルだったが(夜と土曜を除く)、いつの間にか「○○ SLOPE」のあとに「奥田智子のマシュマロスタジオ」や「沢田幸二のイケイケドンドン」などのサブタイトルが付くようになり、他局の編成との違いもなくなり、迷走しているのがよくわかった。
また、「INPAX」を暗に批判するような発言を番組内で耳にすることもあった。

社史にはどれくらい不評だったかは書いてないが(当たり前か…)、一説によると「INPAX」になってからもともと低かった聴取率が半分になったという話もある。
現在のKBCラジオの出演者たちも、「INPAX」を過去の「汚点」と思っているのか、KBCにとっての大事業であったにもかかわらず、あまり触れようとしていない気がする。

RKBにとっては、ライバルが勝手に自滅してくれて、かつ、「こういうことをやってはいけない」というお手本をごく間近でみることができたわけで、思いがけない「貯金」を手にしたことになる。
ただ、それは努力して得たものではないだけに、最近はその「貯金」が底をつきつつあるように思える。
「仲谷一志アワー サプリメントスタジオ」の失敗などは、その好例と言えよう。

おそらく「INPAX」の発案者は、現在の「TBSニュースバード」(かつてのJNNニュースバード)や「日テレニュース24」(かつてのNNN24)のラジオ版みたいなものをイメージしていたのではないだろうか。
個人的には、「ニュースパレード」や「ネットワークTODAY」といった夕方の全国ネットニュースに物足りなさを感じることもよくあるので、普通のラジオで聞くことができるニュース専門局のようなものがあれば、聞いてみたいと思う。
ただ、地域との共生なしには存立し得ないローカルAM局がこのような大プロジェクトに単独で挑むにはやはり困難が伴い、「INPAX」も理想は高く掲げられても、それに現実が追いつかない面が多分にあったのだと思う。

今から振り返ってみると、新しいラジオの形を模索して実行に踏み切ったKBCの勇気は評価すべきだと思うし、形を変えた「INPAX」が将来東京あたりで誕生する可能性もないわけではないという気がする。

ただ、もし今KBCが「またINPAXをやります」と発表したら、私はすかさず「やめてくれ」と思うだろうが…(笑)。

ちなみに福岡の放送局の社史は、福岡市総合図書館2階の郷土資料のコーナーで見ることができる。
放送局に限らず、いろんな会社の社史を読んでみるのは意外と面白かったりする。

1つだけ、アップし忘れていたものがあったので本日掲載する。
以下はKBCの社史の囲み記事より引用。
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「KBC INPAX」をスタートさせた時のエピソード。
どこよりも早い外電をラジオの電波に乗せようと、ロイター通信と契約して、ほぼ24時間体制でニュースを放送した。
ロイターと本社間をラジオ線を使って結び、専門家や学生アルバイトの翻訳により生放送で使用した。湾岸戦争の勃発と同時に、NHKテレビの速報とスピードを競う時期もあり、担当者は随分とスリルを味わった。
その時期にロイターの提案により、香港のアジア支社から衛星を使って配信しているニュースを、直接本社屋上で受信する実験をしたことはあまり知られていない。
KBCの屋上の真西、仰角50度の何のさえぎるものがない位置にあるインド洋衛星からの電波は、直径2メートルのパラボラを使って、香港から来た技術者が簡単に受信した。
ロイターとしては、KBCを基地として九州の企業に経済ニュースを売り込むつもりだったらしいが、その後インターネットの時代になり、KBC衛星基地もまぼろしとなった。
横野英雄
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もしこの事業に着手していたら、KBCは「INPAX」から手を引くことができず、現在の「PAO~N」の復活もなかったかもしれないな…。

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(つづく)
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趣に赴く(72)

2016年09月01日 |    ┣ ひっそりと趣に赴く
(つづき)
博多千年門と西鉄バス。

ただし、残念ながら、現在ここを通る路線はなく、やって来るのは回送のみ。
(つづく)
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