先日の「49番」の記事に関して、Sawara-Catさんとコメントをやりとりするうち、福岡地区の西鉄バスの方向幕に、一時期「全面方面色」の幕が導入されていた頃のことをいろいろと思い出した。
今から25年前くらいに導入され、「見にくい」との評判などから、数年で新たな表示(右端に方向色+番号)に改まり、それがLED化を迎えるまでずっと続いてきた。
「全面方面色」の幕は、福岡地区のバス全部に数年間は導入されていたはずなのだが、不思議なことにこの幕を付けたバスの写真や詳しい解説などを今まで見たことがない(私が探しきれていないだけかもしれないけど)。
もしかしたら西鉄サイドでも「なかったこと」にされているのかもしれない。
私も頭の中に映像が残っているだけなのだが、この先、年齢とともに完全に忘れてしまうかもしれないため、よい機会なので、その頭の中の映像を公開してみた次第である。
郊外向けは、一番上のような感じだった(と思う)。
ちなみに「3番」は、博多駅発用と天神発用で、幕が別々に用意されていた(これは確かだと思う)。
「方面色」は現在と同じ(北から時計まわりに、黄→茶→緑→橙→青)であった(と思う)。
なお、これより前の時代には、方面色はなく、白地で左側に○数字で番号(「1番」「20番」など路面電車の代替はオレンジ色の丸、「69番」など筑肥線の代替は紺色の丸など、若干のバリエーションはあった)、その右に経由地、行先の順で表示していた。
さらにその前は経由地と行先の間に「経由」の文字が入っていた(「経」には糸へんなし)。
このころの写真はサイトを探せば見ることができる。
都心向けは真ん中のような感じで、バックは白ではなくグレーだった(と思う)。
さらに前の、導入開始当初は一番下のような感じで、経由地と行先の間に、なぜか下まで届かない線が一本入っていた(と思う)。
そして経由地の文字も小さく、当時は今ほど方向幕のスペースも大きくなかったので、決して見やすいとは言えなかった。
間違いも多いと思われるので、この頃のことを覚えている方、この頃の写真が載っているサイトを知っている方、よかったら情報をいただけたら幸いです。
(つづくかも)
今から25年前くらいに導入され、「見にくい」との評判などから、数年で新たな表示(右端に方向色+番号)に改まり、それがLED化を迎えるまでずっと続いてきた。
「全面方面色」の幕は、福岡地区のバス全部に数年間は導入されていたはずなのだが、不思議なことにこの幕を付けたバスの写真や詳しい解説などを今まで見たことがない(私が探しきれていないだけかもしれないけど)。
もしかしたら西鉄サイドでも「なかったこと」にされているのかもしれない。
私も頭の中に映像が残っているだけなのだが、この先、年齢とともに完全に忘れてしまうかもしれないため、よい機会なので、その頭の中の映像を公開してみた次第である。
郊外向けは、一番上のような感じだった(と思う)。
ちなみに「3番」は、博多駅発用と天神発用で、幕が別々に用意されていた(これは確かだと思う)。
「方面色」は現在と同じ(北から時計まわりに、黄→茶→緑→橙→青)であった(と思う)。
なお、これより前の時代には、方面色はなく、白地で左側に○数字で番号(「1番」「20番」など路面電車の代替はオレンジ色の丸、「69番」など筑肥線の代替は紺色の丸など、若干のバリエーションはあった)、その右に経由地、行先の順で表示していた。
さらにその前は経由地と行先の間に「経由」の文字が入っていた(「経」には糸へんなし)。
このころの写真はサイトを探せば見ることができる。
都心向けは真ん中のような感じで、バックは白ではなくグレーだった(と思う)。
さらに前の、導入開始当初は一番下のような感じで、経由地と行先の間に、なぜか下まで届かない線が一本入っていた(と思う)。
そして経由地の文字も小さく、当時は今ほど方向幕のスペースも大きくなかったので、決して見やすいとは言えなかった。
間違いも多いと思われるので、この頃のことを覚えている方、この頃の写真が載っているサイトを知っている方、よかったら情報をいただけたら幸いです。
(つづくかも)