INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

失われた風景(1)

2008年06月10日 |   ┣ 失われた風景
先日の「49番」の記事に関して、Sawara-Catさんとコメントをやりとりするうち、福岡地区の西鉄バスの方向幕に、一時期「全面方面色」の幕が導入されていた頃のことをいろいろと思い出した。
今から25年前くらいに導入され、「見にくい」との評判などから、数年で新たな表示(右端に方向色+番号)に改まり、それがLED化を迎えるまでずっと続いてきた。

「全面方面色」の幕は、福岡地区のバス全部に数年間は導入されていたはずなのだが、不思議なことにこの幕を付けたバスの写真や詳しい解説などを今まで見たことがない(私が探しきれていないだけかもしれないけど)。
もしかしたら西鉄サイドでも「なかったこと」にされているのかもしれない。

私も頭の中に映像が残っているだけなのだが、この先、年齢とともに完全に忘れてしまうかもしれないため、よい機会なので、その頭の中の映像を公開してみた次第である。

郊外向けは、一番上のような感じだった(と思う)。
ちなみに「3番」は、博多駅発用と天神発用で、幕が別々に用意されていた(これは確かだと思う)。
「方面色」は現在と同じ(北から時計まわりに、黄→茶→緑→橙→青)であった(と思う)。

なお、これより前の時代には、方面色はなく、白地で左側に○数字で番号(「1番」「20番」など路面電車の代替はオレンジ色の丸、「69番」など筑肥線の代替は紺色の丸など、若干のバリエーションはあった)、その右に経由地、行先の順で表示していた。
さらにその前は経由地と行先の間に「経由」の文字が入っていた(「経」には糸へんなし)。
このころの写真はサイトを探せば見ることができる。

都心向けは真ん中のような感じで、バックは白ではなくグレーだった(と思う)。
さらに前の、導入開始当初は一番下のような感じで、経由地と行先の間に、なぜか下まで届かない線が一本入っていた(と思う)。
そして経由地の文字も小さく、当時は今ほど方向幕のスペースも大きくなかったので、決して見やすいとは言えなかった。

間違いも多いと思われるので、この頃のことを覚えている方、この頃の写真が載っているサイトを知っている方、よかったら情報をいただけたら幸いです。
(つづくかも)
コメント (10)
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シューテングスター(11)

2008年06月09日 |    ┣ シューテングスター
(つづき)
飯塚地区の「12番」の終点のひとつとなっている「稲築才田」のバス停。

この付近では、バスは旧国鉄「漆生線」の線路跡を通る。
廃線から既に20年以上が経過しているが、道路の配置や家屋の建ち並び方は、いまだに線路があった頃の雰囲気を醸し出している。
(つづく)
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追悼 氷室冴子さん。

2008年06月07日 | 日記など
6月6日に亡くなられた作家の氷室冴子さんに関し、追悼の言葉が届いたので掲載する。
きょうの執筆者は私ではなく、私の妻である。

**********
氷室冴子の本は私の青春に彩りを添えてくれた、本当に大切な宝物のような存在でした。
初めて「氷室冴子」という作家を知ったのは学生の頃、「なんて素敵にジャパネスク」を読んでから。途端に好きになりました。
その後「ざ・ちぇんじ」「なぎさボーイ」「シンデレラ迷宮」「銀の海 金の大地」etcにも出会い、氷室冴子と名の付く本は片っ端から何度も何度も読みました。
氷室冴子と大和和紀のお陰で古典は楽勝でした。
私がかなりの日本文化好きになったのは学生時代に氷室冴子の本に出逢ったのがきっかけ。そういう意味では大げさに言うと、私の人格形成に影響を与えたのかもしれない。
そして今でも大好きな小説家の1人でした。
本当に悲しい。心から御冥福をお祈りします。

そして数年前からの私の宿題→
「なんて素敵にジャパネスク」の挿し絵の古い版を探しているが古本屋でも見つからない事。
今売られているヤツも可愛いが、自分にとってのジャパネスクはやっぱり昔の挿し絵。
いつか巡り会えますように
**********
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チラシのオモテ(22)

2008年06月06日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
昭和59年4月27日時点の「49番」の時刻表の一部。

「49番」は当初、弥永団地~天神間で運行をスタートした。
それまで弥永団地には「45番」のみが乗り入れており、昇町経由で井尻駅、博多駅方面、及び南福岡駅、雑餉隈営業所方面への路線が運行されていたが、香蘭短大前交差点から那珂川町方面に抜ける通称「新幹線通り」の整備により、この道路を通って大橋駅、天神方面に向かう「49番」が新設され、福岡都心部への利便性が向上した(現在、弥永団地に「45番」は乗り入れていない)。

昭和58年3月の福岡市営地下鉄1号線(現在の空港線)の姪浜までの開通のときの大改正により、「49番」は「西と南の副都心(西新と大橋)を結ぶ」という使命を担って、天神から先、貫線(現在の明治通り)、西新を経由して飯倉まで延長された。
なお、このときの改正で「西と東の副都心(西新と香椎)を結ぶ」ということで、「2番」が城浜団地、香椎花園まで延長された。
ただ、「2番」の城浜団地行きは香椎を通らないし、また「49番」についても、本当に西新と大橋を結ぼうという気があればもっと速いルートもある訳で、「副都心を結ぶ」というコンセプトも「後付け」の感が強い。
実際のところは、「とりあえずいろんなところを直通で結んで乗り換えの必要性を減らして、地下鉄に対抗しよう」という、現在も脈々と受け継がれる思想がバックにあったような気がする。

なお、飯倉行きは短期間で縮小され、西新止めが多くなり、最終的には天神から西へ向かうルートは廃止された。
また、弥永団地より南の郊外部分については、JR博多南駅の開業や、春日市南部や那珂川町の住宅団地開発(白水ケ丘や観晴が丘など)等に合わせて路線延長が行われている。

当時、弥永団地からの上りの本数(平日)は、
 西鉄大橋駅止め 24本
 天神止め    1本
 飯倉営業所行き 28本
の計53本であったが、現在では、
 西鉄大橋駅止め 44本
 天神方面行き  41本(天神行き、那の津4丁目行き、「630番」と連続運行する呉服町方面行きの合計)
の計85本となっており、約1.6倍に増えている。

ちなみに、「49番」のオリジナルルート上には福岡市南区の曰佐(おさ)地区(「お」の字は「曰」であり「日」ではない)があるが、読みにくいという判断からか、「49番」が走り始めた頃の方向幕には「曰佐」に「ふりがな」が振ってあった。
(つづく)
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チラシのオモテ(21)

2008年06月05日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
昭和59年4月27日時点の「26番 福岡~赤間線」の時刻表の一部。

当時は一時間あたり6本も走っており、天神発の赤間営業所行きは平日一日あたり94本(うち急行が5本)運行されていた。
現在は、都市高速、旧3号線経由の「26A」や、都市高速、3号線経由の「赤間急行」にシフトしたため、一般道路経由の「26番」は、下りが1日4本(深夜バスを含めると5本)のみという状態になっている。

全停留所を示した路線図が載っているが、長距離路線なのでなかなか見ごたえがある。
当時は、天神バスセンター発であり、天神を出た後は、中洲蔵本、千鳥橋、箱崎浜、箱崎松原、貝塚…の順に停車しており、天神4丁目(以前は歴史資料館前、さらに前は県庁通り)、博多五町石堂大橋、千代5丁目、馬出3丁目、浜松町、網屋立筋、九大北門は通過していた
同じく長距離路線である「21番 志賀島線」や「22番 こもの線」も同様の措置をとっていたと思う。
「快速」「急行」など、特定の種別が与えられる訳でもなかったのに、当時はこの方式をごく自然に受け入れていた。
京浜東北線が山手線の区間は一部通過していくようなイメージだろうか(ちょっと違うかな?)。
(つづく)
コメント (4)
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お役所前の風景(57)

2008年06月04日 |   ┣ お役所前の風景
(つづき)
先日取り上げたうきは市の、浮羽庁舎の前のバス停。

ここを通るのは、杷木(朝倉市)、浮羽と浮羽町の山奥(一部は大分県日田市[旧前津江村]まで)の山村を結ぶ、西鉄グループの中でもいちにを争う(?)マイナー路線だけであるため、「浮羽庁舎前」などへの改名はなかなか行われそうもない…
(つづく)
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チラシのオモテ(20)

2008年06月02日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
平成17年2月の地下鉄七隈線開業に合わせた、地下鉄沿線の七隈・茶山地区に向けた西鉄バスのチラシ。

このとき西鉄バスは、地下鉄駅への路線を充実させるという取り組みはあまりせずに、都心に向かう客を死守するという、ある意味「真っ向勝負」を挑んだ。
チラシには「西鉄バスなら乗り換えなしで一直線!」と書いてあり、「乗り換えなし」の文字は傍点付きで強調されている。
また、本数も「地下鉄七隈線より多い!」ことを謳っており、イラストでは地面から顔を出したヘルメットを被ったモグラが「けっこう多いネ」と言っている(「けっこう速いね」とか「けっこう安いね」とは言っていない)。

すなわち、七隈線の終点は「天神南」であり、博多駅や県庁まで行くには乗り換えが必要となることから、最初から「140番」の県庁(吉塚営業所)行きや「114番」や「140番」の博多駅行きに乗ったほうが楽だし本数も多いよ、という意味である(「18番」の博多駅行きも呉服町、県庁経由で吉塚営業所まで延長された)。
なお、七隈線開業の数か月前には、七隈線では行きにくい天神の中心部を横断する「140番」が新設され、バスへの「エンクロージャー」が行われた。

この改正時と、現在の運行本数を、平日の七隈四角から都心向けの便を例にとり比較してみる。

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左が当時、右が現在の本数、カッコ内の%は変動率。

「14番」
・那の津四丁目行き 22本 → 3本(-86.4%)

「18番」
・快速 博多駅行き 7本 → 0本
・博多駅行き     8本 → 27本(うち金山団地経由13本)
・吉塚営業所行き  59本 → 0本
 「18番」全体     74本 → 27本(-63.5%)

「114番」
・山王一丁目行き  59本 → 48本(うち急行2本)
・博多駅行き     5本 → 17本
 「114番」全体    64本 → 65本(+1.6%)

「140番」
・吉塚営業所行き  36本 → 40本(うち金山団地経由14本)
・博多駅行き     33本 → 15本
・天神行き      1本 → 1本
 「140番」全体   70本 → 56本(-20.0%)

4路線全体     230本 → 151本(-34.3%)
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このように、全体の本数はかなり減っており、「真っ向勝負」は成功とは言えなかった。
特に、「14番」「18番」という、七隈・茶山地区の老舗路線の衰退は著しい。
ただし、地下鉄と重複する、それも都心部でもない区域で、依然これだけの本数のバスが走っているということは、「健闘」と言えるのかもしれない。
…というか、同じ土俵で勝負することはやめて、もっとしっかりバスと地下鉄の役割分担を行うべきだと思うのだけど。
(つづく)
コメント (4)
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