ソラの記録

このブログは「地球の謎解き」(https://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

巨人、小人、「生きていたのです」

2018年02月18日 20時14分55秒 | 「地球の謎解き」の情報
ソラ画像より
2012年1月7日 シキリア島の巨大な留め金
パンタリカの断崖絶壁の岩穴から発見されたという10数cmの巨大止め金。
人間ではたどり着けない岩穴は、羽のはえたイシジンが住んでいて、やわらかなイシカミをパンのようにして食べていたので穴が大きくなったと。
「パンは足りたか?」
という言葉から、パンタリカと呼ばれると。
そして、アトランティスの巨人の世話をしていて、ご褒美としてもらった止め金を岩穴に置いていたと言葉になりました。

止め金は、以前ビジョンで見た女性が、アトランティスのイシジンで(当時はイシジンとは知らなかった)ジョーゼットの長いドレスの肩を何かで止めてきれいなドレープができているのを見ましたが、その留め金と。

2012年5月10日 ミナノコのイシジン
日本もヨーロッパも巨人から小人までのイシジン(木製、ブロンズ、石)が沢山残されていますが、このように小さなのはミナノコたちが集まったイシジン?だそうで
「生きていたのです」
と言葉になります。
これまで大きなイシジンのおもちゃかと思っていたのですが、大きなイシジンの召使いの働きをしていたそうで、そのミナノコタチが、お知らせ役が終えたのでソラにあがりたいと言葉になっていました。
それでおソラに上がってゆっくりしてくださいと、心で語りかけて来ました。
物質としては勿論残りますが、イシキはソラにあがったようです。↓

2012年5月10日 ソラにあがったミナノコタチ?
↑に書いたように、ミナノコタチの仕事は終わったのでゆっくりおソラでお休みくださいと心で念じた次の日、歩いていると突然ちょっと離れた所から、赤くて大きな風船がソラに上がっていきました。
ミナノコたちのイシキ!があがっていったと思いましたし「そうです」と言葉になります〈笑)。

2012年1月9日 アグリジェントの巨人
実物のイシジンで本当な寝ていた場所にはレプリカがあります。
寝ていたいのに立たされると愚痴っていました。
グランドピアノと比べると大きさがわかります。
脚が細いので歩いていたのではない?

2012年1月9日 アグリジェントの巨人?
このようなことをしていたので、今は寝ていたいのに立たされている?

2010年11月30日 羽白岩、岩手県遠野
2006年に行った時は名前がわからなかったのですが、強大な岩二つ並んだ羽白岩だそうです。
かって羽根のあるイシジンが人間の世話をしていたが、人間は忘れてしまうので大きな羽根の形で残しておいたようです。
羽白岩というのは、良い仕事をしたということも伝えているようです。
手前の長方形の岩はシリウが教えたということを知らせているようです。
登っていく山道に、数10匹のアマガエルが出迎えてくれました。
又入り口に赤い鼻緒の巨大な下駄があり、巨人がいたことを知らせていました。

2010年10月13日 鎌倉長谷寺1
奈良の長谷から長野へ、次に鎌倉の長谷に来たという説があるようですが、
長谷(ハセ)の元はハゼ(土師)が変化したと。
ハゼ(土師)は倭の国であった福知山市に地名として残っていますが、土器を作っていたイシジン?
ハゼ=セが平等(ハは平らになる)背の高さが同じという意味で、イシジンの背は皆同じ高さ=平等をあらわしていたが、それがヤマトに行って支配星により巨人のイシジンを身分差をつけさせ、それが出雲に伝えられ、長野、鎌倉へ伝わっていったということです。
鎌倉の長谷寺には小さな像がたくさん並んでいました。

2009年11月30日 瀬戸内海の土の山?
瀬戸内海に平行してある山は岩のむき出しが多く、(これは少し多いけど)木が少ないのが結構あるのは、瀬戸内海をイシカミの分身の巨人が造ったと時の土でできているからということです。
播磨風土記には巨人の伝説があります。

2009年11月29日 兵庫県立博物館
巨大な壺(備前焼など)がならんでいましたが、これらをお汁の入れ物として頭に被っていた?
巨人が瀬戸内海を作ってヤマタイコクを守ろうとしたと伝えてきます。

播磨国風土記より
巨人伝説の【大人】
・・・昔、巨人がいて、常にかがんで歩いていた。
色々なところを巡ってこの土地(多可郡)に着き、
「他の土地は低いからずっとかがんで歩いていたけど、ここは土地が高いから背筋を伸ばして行ける。高いなぁ。」
と言った。
このため多可郡と言われる。
巨人の足跡は多くの沼になった。・・・

2008年10月13日 多可町(旧中町?)の巨人伝説

2014年4月16日 大阪城の石のふるさと?
瀬戸内海は巨人のイシジンが、イシカミの体の柔らかい時に、掘り出したのが六甲であり、四国の石鎚山などと知らされています。
その一部の石が原子の結合が緩くて軽く、まだ柔らかったのて切りやすかったので石垣に組んでも崩れにくくしっかりとできたようです。

2008年10月13日 闘リュー灘の岩(西脇市)
「港から来るリューを上らせないために岩で止めました」
と言葉になりました。
ここだけこのような岩が広がっています。
これはここのイシカミがやわらかい時に、ヤマト=リューが川をのぼって倭の国を攻めさせないために川の流れを変えたそうです。
(巨人の足跡?や指跡?=甌穴?と思えるのもあります)

2008年11月3日 稲さの浜
この近くの海岸に岩があちこちあり、その一部の岩を出雲の国の巨人とヤマトの国の巨人が投げ合い、負けたのでオオクニヌシが国譲りをしたという勝手な話をヤマトが創り上げています。
イシカミの分身が朝鮮からダイジャが来るので見張っていたと伝えてきました。
けれども結局ここから入り込まれたと伝えてきました。
出雲大社の近くです。

ここで女神サミットというヘビやリュージンを崇めるグループが舞いを舞っていた時、たまたまそこに居合わせた子供さんがとても苦しんだというメールが来ましたが、ヘビやリュージンを崇めるエネルギー体にやられたそうです。

2008年8月10日 【雲部車塚古墳】篠山市
この中は驚くべき石室があります
天皇家のお墓として勝手に決め付けて、これらの公開を妨げています。
歴史の謎を解くためにも是非一般公開してほしいと思います。

笹山市にあり、
墳丘の長さは140メートル、
後円部は径80メートル、
前方部は幅83メートル、
盾型の周豪をもち、さらに外側に周庭帯をめぐらしており、
明治29年に試掘した際に、後円部の中央より少し南の位置に竪穴式石室があって、四方に縄掛突起のついた長持型石棺が安置されていたようです。

これも巨大なイシジンだったそうで、雲と名前をつけたのは(インスピレーションを与えた)雲がかかるくらい大きかったことを伝えたかったから。
又、前方後円墳は丸い頭で立っていた巨人であったことを、伝えるためにムーのイシカミに、形を残して欲しいと頼んだのがイースター島のモアイだそうです。
又、周りの堀はイシジンのお汁を得るために凹ませたそうで、丹波や播磨地方に貯め池が多いのは、遅くに降りてきたイシカミが、イシジンとしてお汁が必要だったのでため池となった。
その貯め池にリュージンが降りてきて支配していたと。

ここも勝手に宮内庁が立ち入り禁止としています。

2008年8月10日 雲部車塚古墳その2
このような小さな塚が↑の古墳の両脇にあるので車塚と呼ばれています。

かってはこのようなのが?7つあったというのは、北斗7星に騙されたからということですが、前方後円墳は巨大なイシジンであり、移動するのにこのような車を使っていたということを知らせるために残したと。
巨人が両輪で移動したというのは、イタリアのマルタ島にも伝説と車の跡が残っています。

2014年11月19日 マルタ島 カートラッツ1
広大な石の平野にこのような溝があり、海の中まで続いている所もあるそうです。

2014年11月19日 マルタ島 カートラッツ2
このような地下の石室が3つあり、ここから出た巨人のイシジンの女の子が、広い石の平野で車遊びをしていたのが、カートラッツとして残ったそうです。

2014年11月19日 マルタ島 カートラッツ3
石の平原の端にはこのような窪みがありました。
ここの平原には多くはないですが、タンポポやデージー?、クロッカスが咲いていて、イシカミは女の子のようでした。

2009年12月7日 雷神山古墳(宮城県名取市)
これは大元の弟の子供が降りてきたもので、その分身がトルコのネムルト山になった?
隣の円墳の分身が大元の弟の娘でやはりトルコのブルーモスクになった?
そしてここのイシジンがアテルイの巨人のイシジンになったということです。

2009年12月8日 多賀城跡への石段
多賀城はアテルイのお城だったと、先回訪れた時に言っていましたが、とても幅広で巨人のイシジンだったと思われます。

2010年1月17日 与那国島 人面岩
2003年に沖縄へ行き、沖縄の木村教授の海底遺跡の講習会で見た写真です。
この時、イシカミが地球に降りてきて、巨人になって遺跡となったものと関係しているとソラの情報を知らせました。
片目を開けた目はイシキの世界だけを見ている。
舌を出しているのは、イシカミが巨人の形として残して伝えていることをあらわしている。

2014年7月1日 沖縄県立埋蔵文化センター
おなじみの底の尖った壺で、初期にもイシカミは降りていて、柔らかな母体に差し込んでお汁をもらっていた?
大きな壺が多く、巨人のイシジンがおおかったようで、小さな土器はほとんど見当たりませんで、東北と対照的でした。

2013年3月19日 ポーンパイプの岩絵1
ちょうど巨大な丸っこい山芋にそっくりな岩肌に独特の岩絵が描かれていました。
中央の刀?のようなのは刀でなく、イシジンの分身だそうで、海底に沈んで引き潮になったら出てくると言葉になりました。

2013年3月19日 ポナペ島の内海
引き潮になると茶色の部分が出てくるとドライバーさんが教えてくれましたが、その時間には見えませんでした。
ここに岩絵の巨人が沈んでいるというような言葉になりました。

2013年3月22日 巨人のコップ?の巨石
運転手さんの家に行く道中で山への登り口の高さ3m弱で、
益田の岩舟と同じ、原子をあらわす賽の目の模様の巨石。
頂上は凸凹しているそうで、窪みがあるのでこのように植物が育つようです。
何をあらわすのかと思っていたら、その夜の《ビジョン》で知らせてくれました。
“この側面に「水」と書かれて、次に大きく口を開けたマンガ”
すなわち
巨人のイシジンのコップ?水を飲む容器だったそうです。

【2013年3月23日追記】
《ビジョン》
モーニング・グローリーのように何本も長いモノが横向きに並んでいる。
それがこのように切れ切れになる。
そのうち次々と消えていき、一部の者だけが残る”
意味は
「ミナノコのイシカミたちが長いものになって降りてきていたが、このような模様になって、残ったのがミクロネシアなども島々になったことをあらわします」

鬼の洗濯板も同じことを知らせている。

2017年12月31日 富田林 龍泉寺
大阪の河南町ワールド牧場から見える小山が気になって行ってきました。
富田林(トンダバヤシ)とは、聖徳太子が物部の守屋を誘ってだまし討ちした時、
「飛んでい火にいる・・」
と言ったことをあらわし、近くに千早赤坂があります。
推古天皇の時代、蘇我馬子が建てたと書かれています。

2017年12月19日のお知らせから
#)以前見たTVで千早赤阪村の風景がとても気になっていました。
それは、男性の肩に乗った5、6歳の男の子が七支刀を掲げているワンシーンですが、その後“千早赤阪村”が気になり、出かけていっても謎が解けませんでした。
“チ・ハヤ”とは、血が早く流れる、“アカ・サカ”=赤い坂と言う意味で、やはりそこで物部氏が刺されたということをしらせているようでした。

ソラからの情報では、物部氏は聖徳太子に戦争をしないでと、交渉に出かけたが、そこで切り付けられて、僧侶の服装をして逃げ帰ったが、春日村で倒れて、その後その男子と一緒に、私市丸山古墳に葬られたと知らされていました。

聖徳太子が使った刀は、大国主がアトランティスから持ってきた草刈り鎌を焼き直して日本刀にしたのが、熱田神宮に奉納されている大刀で、タケルノミコトが猿投山へ行く道中、熱田神宮に置いて、熱田姫に守らせたと。

タケルノミコトはイシジンの巨人で、相撲取りの部下が猿投山の近くの能見神社(相撲神社)に祭られた。
能見神社とは後からノミを連想させ嫌がらせでつけられた名前。

2017年12月31日 富田林 龍泉寺石塔
龍泉寺は寺の建物のすぐ横に、鳥居があり神社がありますが、その横にあった石塔で、イシカミをあらわします。
その後思いもよらないことに、ここに蘇我馬子の屋敷があったと伝えてきました。
以下のことは、伝えられたこととは大きく違い、まだはっきりとはわかりませんが、、、。

蘇我の稲目は朝鮮の青瓦台の裏の岩山から来たイシジンで、物部氏とは、同じイシジンで仲が良かったので、娘が嫁いだ?
蘇我馬子は物部氏の弟で、その後プレアに支配されて、プレが送り込んで蘇我のイルカと名前を付けた?

2017年12月31日 富田林 龍泉寺庭園
国指定名勝と書かれていますが、すたれた感じです。
この池にまさにリューが降りたそうで、リューはミナノコの集団なのでソラにあがりたいという言葉が出てきて切り刻みました。
その時参加者のほとんどが、冷い風を感じソラにあがったと思えました。
なお、参道にはたくさんのハランが植えてありましたが、ミナノコの大集団のミナノモノをあらわすようです。

2017年12月31日 ミナノモノと、ミナノコ
イシカミの原子たちが少し集まって小さいのが、ミナノコ。
たくさん集まって大きなモノや巨人のようになって支配したのが、ミナノモノを
ハランと岩から直接生える小さなハランの形の植物。

ソラ辞典より
アトランティス
最初の情報(アンドロイドが反乱)は本『星からのメッセージ』に詳しく書いています。
その後更に詳しく伝えてきたのはとは少し違っていますが、大西洋にイシカミの巨人が地中海の土を運んで作った大陸とは今でも同じです。
いて座のモノたちはなんでも変化することが出来たので、理想とする物質を全て創りだしたのがアトランティス。
余りにも全て理想が実現したために、面白みがなくなりイシカミの原子たちは一気に手を離したので大陸は崩壊した。
意識のあるイシジンは泡状で、軽くて簡単に移動できたので、より原子がしっかりと結合したいわゆる固い物質にした国造りを地中海にした。
イタリアやギリシャなどに沢山ある石像や石造建築物はアトランティスの時代のものが原型となっている。
アトランティスの王の頭部などでわかるように、巨人の国でもあり、神話の世界そのものであった。
アトランティス大陸があった海の底に、鳴門の渦潮のような渦巻きがあり、地下宇宙に海水が入り込み、ローマのあらゆる泉に噴出しているとか、北海道の羊蹄山の噴出しもここからの水と伝えられています。

人間
「石室や石箱の中でイシジンや半イシジンが創られ、その形状を覚えた原子たちがストーンサークルの中だけで人間として再結合されました」

生物はいて座から降りてきたイシカミの原子の意識と、他の星達が形にしたい意識が一緒になって遺伝子の中に組み込まれ、意識を持った原子が地球上であらゆる生き物の形となってあらわした。
その最高傑作が人間で、イシカミや星達の存在を理解できる生き物を創ろうとして創られました。

まず最初にイシカミの原子がシリウスの協力の元に人間の形になり、(イシジン=後の石像)それに星達の知恵で(特に小鳥座が内臓を考えた)食べ物を食べて、生きるためのエネルギーを得る今の人間になるようにした。

石像になったイシジンの原子が分解しその形を覚えた遺伝子と、星たちから人間の働きを教えてもらった遺伝子とが一緒になり、今の人間ができた。

それはイシカミの原子がイシカミの一部で創られたストーンサークルや、その後は石室石箱のなかで創られたイシジンが、イシカミの指示により分解してそれぞれの指示を受けて、人間になろうと思う原子たちが強く再結合して、肉体が地球上にあらわれた。
人間はイシカミの原子の進化論にプラス、いて座とシリウス、小鳥座などの指示で肉体が創られたので、進化論と創造論がミックスされて人間はできた。
極初期は、イシジンと人間と一緒になって混血もあったので、エジプトの壁画やイラクの石像に残っている動物人間が存在していたけれど、人間だけの遺伝子の子孫だけが増えていった。
ちなみに天使は実際に存在し人間と、ワシ座の星の合体で創られたもので、高い所の石室などは天使が創られた。
受胎告知の天使が生きているようなのは、イシジンの原子が分解し、絵の中に絵の具として入ったから。
同じくエジプトの壁画なども、イシジンが壁の中に入って出来上がった。

初期にはイシカミのお腹の中に人間を入れてきたと書いているのは、イシカミの原子が人間になったからです。
クラゲのようになって降りて来たイシカミは分身、巨人、イシジン、人間と変化していったので、間違いではないのです。

イシジン
ソラの人間誕生記』に詳しく書いています。
イシカミの一番小さい分身で、人間と同じ形のものや、色々な形、羽のあるもの、頭だけの天使などがいた。
モアイ像、石像などはそのままの形で残っているのある。
人間が発生した時、世話をしていた。
イシカミは石の成分ですが、意識を持ち、あらゆるものに変化することができるのは、原子を会話し、指示を送ることができたからです。
そのイシカミの成分でできた人間型分身で、ヨーロッパなどの石像、日本などの木像をあらし、その記憶を持ったイシカミの原子がストーンサークルなどの中で、イシカミのエネルギーをもらって人間になった。
人間型になる前は、石柱銅鐸埴輪などいろいろなものになり、人間を指導、世話をしてきた。
その他イシジンの記憶を持つイシカミの原子が分解し、モザイク画や絵にまでなった。
ミケランジェロなどはイシジンで、原子に指示をするだけであのような立体的な絵がかけた。
まだはっきりとわかっていないが、いわゆる英雄はイシジンの能力を持っていた超能力者であったと思われる。
人間型のイシジンの原子が分解し、ストーンサークルの中や、石箱の中で人間として原子が結合した。
その時にストーンサークルや石箱からエネルギーが出ていた。

イシカミ
大昔、射手座から降りてきたいわば宇宙人、お腹に人間を入れて降りてきた。
射手座にいた頃は、三次元の生物ではなく所謂‘意識体’だったが、人間を作った時に自分達も三次元の形になって一緒に下りて来た。
大きさは様々だが山のように大きいイシカミもいた。
とろとろのお餅のような身体で、引力によって身体からぽたぽた落ちた物が落とし物と呼ばれている。
落とし物から分身の子供達を作り、人間の為に食べ物や川、山を作った。
またピラミッドで宇宙のエネルギーを得たり引力を放散したりしようとしたり、いろいろな奇岩を作りサインとして残した。
当事の人間はイシカミの存在を知っておりテレパシーでコミュニケーションをしていたが、今では人間の意識が薄くなりごく一部の人にしかその能力が残っていない。

地震
小さな地震はこれまでイシカミのサインとされてきましたが、大きな地震は、ゴルディロックという宇宙の意識の集合の大天体で【宇宙の計画】として知らされるそうです。
宇宙は人間の想像をはるかに超え、意識を持っている存在は人間だけではありません。
それなのに人間だけが意識を持っていて、全てのことはわかっていると傲慢な科学信仰とまでいえる洗脳された人間は、いくら宇宙(ソラ)から情報を与えても、無視し続けることで、ついに地球変革の計画が宇宙の大元締め?(ゴールディロック)で立てられたのです。
東北太平洋地震の前の日、激痛の催促でこの情報を政府に知らせてほしいと言葉になり、すぐに知らせたのですが、これまで通り無視されました。
残念なことに計画がスタートしたようです。

小さな地震は地球を生物のすめる地球にしてくれた、いて座の意識体のイシカミたちが、自分たちの存在を知らせるために揺らします。

「イシカミが山になった事を知らせる為です。
人間は、造山運動で山が出来ていると決め付けています。
(昭和新山は支配星に騙されて、噴火して山になったと以前知らされた)
地震で土地が盛り上がるのは、イシカミの身体である珪素(シリコン)が一斉に増殖するからです。
一方、土地が沈下するのは、その地域の珪素が一気に砂になろうとするからです。
それをテレパシーで知らせ合って一斉にするのです」
《ビジョン》
“研究室のような机の上が真っ白な光で照らされ、そこにカサの開いたキノコが2本並んでいる”
意味は
「シリコン(珪素)に意味があるのです。
珪藻が意味なくしていろんな形になっているのではありません。
自分の意志でいろいろな形になるのです。
シリコンは死んで意識のない岩になるのではありません。
シリコンは今も意識を持って真似をするのです。
それは南に(ムー)大陸があったので、(そこのイシカミに海の底に沈んでいないで)海の上に現れるように“おいで”をするのです。
シリコンがなぜ一気に大きくなるのかというと、それはイチゴと同じです。
一つ、一つのシリコンがイチゴの形になるのです。
又キノコは一晩で土の上に出てきて、数日で横に広がります。
シリコンもイチゴのように大きくなって(=直下型?)、横に広がる(=横揺れ)ので何度も地震が起こるのです」

地震雲(らしきもの)など地震をあらわすもの
地震の前に現れる変わった雲。
断層雲、放射状雲、縦雲、縦虹、横虹、極端に低い位置の虹、長い棒状雲などで、それが寄り強調されている場合は大きな地震になるが、国内だけでなく、地球規模で知らせている。
大きな地震ほど早くから各地であらわれている。

雲など
思いを持ったアトくん(原子)が集まって形創る。
雲が濃いグレーになっているのはなぜかと聞くと、
「雲が怒りをあらわしているのです。
硝酸(HNO3)を含むのでグレーになるのです?
(雲H20にNの原子が引っ付くから?)
夕焼けで赤くなるのはミナ・トを閉じるからです。
水の原子が皆、戸を閉じるので雨が降らないのです?
朝焼けは反対に皆、戸を開くので赤くなるのです?
それで雨が降るのです?」
まだちょっと意味がわかりません。

台風
台風はイシカミ(いて座の意識体)のイシキが集合して、日本へ向かうために起こるという事です。
「最初にいて座の南のイシカミの王子や王女たちが集まって相談します。
そして誰と誰が行くか決めます。(6号は全員集まった)
原子には意識があるので、水素や酸素などの原子たちに“台風を作るから集まって”とイシカミが呼びかけをします。
そして先頭に立ったイシカミは、集まってもらった原子たちと共に、駆け出すのです。
イシカミたちは上に上に行こうとするので、渦巻きができるのです。
そして日本のイシカミたちからの情報を聞いて、進路を決めていくのです」

イシカミのイシキ体は台風の目の右側に集合し、階段を登るように?進んでいくので、台風の目が左側に出来、台風の目より右側が雨風とも激しくなると伝えてきます。
オーストラリアに降りたいて座の長老のイシカミの身体で、ウエーブロックが小さく見えています。
*)上空よりのウェーブロックウェーブロックの写真
このような大波になって日本に行くように、長老がいて座の王子や王女達のイシカミに教えたのです。

ムーノイアなどのイシカミたちが射手座の女王に会いに行こうとするために起きる。
また南のほうに大きな大陸(ムー大陸)があったことを知らせている。
雨を降らせ、海の掃除をする。
台風にも意識がある。

原子
物質を構成する1単位。
原子核と電子からなり、電子が原子核の周りを軌道を描きながら回るのは、原子核が電子に「回ってください」と頼むからで、「原子に意識がある」ことを証明する。

目には目を、歯には歯を…の本当の意味
イスラム教で、恐ろしい復讐の意味に間違って解釈されていたこの法律を、『ソラのイスラム物語』のマホメットが、

【目には目を】は、見て美しいものや楽しいものを頂いたら、誰かに見てうれしくなるものをお返ししなさい。
【歯には歯を】は食べておいしいものを頂いたら、誰かに食べるものをお返ししなさい。
それは、貰った人にお返しをしなければならないということではなく、地球の富が循環するように、つまり神様から与えられている地球の財産を独り占めすることなく、皆で分け合いましょう。

という元の意味に戻した。
しかし、その後にまた悪者が、「目をやられたら目を傷つけるように、歯を壊されたら歯を壊せ」という恐ろしい復讐の意味にしてしまった。
現在も間違った意味を信じているために復讐による悲惨な争いが絶えない。
本当の意味を知らせてくれたソラのもの達は、本当に平和になるためには「目には目を…」の復讐ではない本当の意味が伝えられることが必要ということ、またイスラム世界だけでなく、王制(天皇制も含む)の見直しをする事が大切とも伝えている。

地球
星達が並べられる不満の固まりが鉄などの元素を引き寄せ、真っ赤に熱せられて宇宙をさまよっていたが、水星が水で地球を冷やしてくれ、土星が土を、木星は木をプレゼントしてくれ、またそれぞれの星が動物、花、魚などを送り込んでくれた。
モーリタニア、サハラ砂漠に地球の目、エルサレムが地球の心臓などと知らされる。
地球の最初は亀のようであったが、4世紀?に丸くなったと。
丸くなることで余分の原子たちは一旦分解して、再び地球に降りてきて山などになった。

【宇宙の計画】
宇宙は何もない真っ暗闇ではありません。
人間以外に意識を持ったものは、星をはじめ形はなくても、意識体として想像を絶する存在がいるようです。
そしてそれらのそうまとめが、ゴールディロックスという大きな天体のようです。
そこからいろいろなこれまで人間の知らなかった情報が、ソラからの情報で、13年間伝えられています。
それは宇宙の原則は【平等】が一番大切と繰り返し伝えられます。
それを壊しているのが、王制、皇室制で、その他地球の富を独占している権力者たちです。
そのことを繰り返し伝えて、政府をはじめあらゆる所ににも伝えていますが、全く変わりがなく、争いばかりの地球で、人々の助けを求める声は宇宙の果てまで届いているそうです。

それでゴルディロックの総元締め?で会議がなされ、地球を元の平らな星に戻す計画が立てられたそうです。
日本で玄海灘地震以後、大きな震災級の地震がなかったのは、日本からこの情報が発信されているので、多くの人々は気づくであろうということだったのですが、全く正反対で、いくら知らせても無視、ネット上では罵詈雑言の攻撃が絶えなかったようです。

それらを星たちは黙って見ていて、宇宙の意識体?の会議(ゴルディロック)で話し合いで、元の地球に戻そうとしたそうです。
その最初?の計画が今回の東北太平洋地震で、この大地震が起きる前の日、激痛と共に政府にソラからの警告を聞いてほしいと催促があり、伝えました。
けれども全く無視され、ついに実行されたそうです。

宇宙の大元(おおもと)
《大元》とも言い、宇宙で初めて思いを持ち、原子や星を創りだした根源。
宇宙の最初は真っ暗闇であったが、最初に「誰かいないか?」という意識があらわれ、捕まえようとしたとビジョンで知らされた。
次に捕まれまいとする思いがあらわれ、大元が捕まえる、弟が逃げるという追いかけっこになったので渦巻きが現れる。
渦巻きが極限まで達すると、パンとはじけて光と原子があらわれた。
それの繰り返しで次々と原子があらわれ、同じ思いを持った原子が集合し、星になったり、意識だけの集合体になり、宇宙中に満ち溢れた。
これから原子には意識があると言われる。

超紐理論ではヒモのようなクォークの振動が全ての始まりといわれているのも間違いと。

2002/9/3
最も高次元に存在する全宇宙の元となる意識体。すなわち神の大元とも言える。人間の言葉では宇宙全体を表すことができない。

ホシノミナ
宇宙の大元の分身と言われる。
大昔恐竜ばかりの争いの地球になったため、宇宙の大元の命令で地球に降りてきた。
その時、稲妻で一気に地球を掃除し、恐竜を滅ぼしたと伝えられる。
掃除をした後京都府綾部市星原で眠っていたが、1998年秋に目を覚まし、著者とコンタクトをとっている。
この場所に星の宮神社がある。

ホシノミナは地球を掃除した後眠っていましたので、その後の横向きの稲妻は、稲妻を支配星が真似して人間を脅かしていました。

地球の謎解きシリーズ発売中!
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・【ソラからの情報1】(目次
1998年から地球の平和のために知らされたソラからの情報を、最新の情報を反映してまとめました。この情報の内容はとても広範囲で、まとめるのは困難を極めましたが、地球上に残されたあらゆる遺跡や遺物などの画像をできるだけ多く証拠として、知らされた情報をまとめています。
・『ソラからの物語』(目次
9年間に渡り地球の平和のために知らされた情報を、小さな物語にまとめた冊子です。地球物語、イスラム物語、イエス物語、友達物語、ニウ物語と6枚の地震雲を紹介しています。海外の方にも紹介できるように日本語とアラビア語と英語からなり、パレスチナ、イスラエルなどにも贈っています。「友達物語」と「友達物語2」の物語を、新しい情報に書き直しています。
・『地震と雲』(目次
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。
地震雲画像

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以上、地球の謎解きより。
写真は2月18日のソラ。