緑の風&おひさま通信   

緑の風が吹く河岸段丘で草や虫を相手に畑を耕しています。自然が大好き!歌が大好き!な私のつぶやきを聞いてください。

隠れた名湯…

2015-01-20 09:21:16 | 緑の風&おひさま通信

私にとって山に登ることはそれだけでも楽しい事なんだけど、もう一つの楽しみは下山後のお風呂タイム=温泉!

大体は下山した所で近くにある温泉に行くのだが時としてそれが叶わない事もある。下山した後お風呂を求めて十数キロ…ということもある。

今回の鍋倉山登山は冷えた体を温めるためにも「温泉」は絶対条件だったんだけれど…お目当てにしていた「湯滝温泉」の駐車場が満車で入り込む隙間もない。日曜日の午後ともなれば地元の人たちで込み合うのは当たり前。

チョット回り道すれば「野沢温泉」や「戸狩温泉」‥等々いくつも温泉はあるのだが夕方からは山の会の新年会が予定されているので今日は遠くまで寄り道している時間がない。

仕方がないので「お風呂は地元に帰ってから…」ということになって車を走らせてはみたが、まだあきらめきれず「たしかこの近くに野中の一軒家みたいな温泉があったはずだ」とsorajijiさんが古い記憶をたどる。前方を走るKさんに連絡するとKさんも同じことを考えていたらしく「後に着いて来て」という。

たどり着いたところが「百合居温泉」

管理人も居なくて温泉に入る人は1回200円を玄関にある料金箱に入れる。男風呂と女風呂と畳を敷いた休憩室がある。

石鹸もシャンプーもない源泉かけ流しの天然温泉。洗い場にはシャワーが2か所あるだけ。地元のお婆ちゃんたちが世間話をしながら譲り合って使っている。桶でお湯を汲んで体にかけると結構熱い。思わず「うわ~熱い!」というと「熱いけどここはいい温泉なんだよ」とおばあちゃんが自慢そうに声をかけてくれた。きっとここは地元のお年寄りのコミュニケーションの場にもなっているんだろう。「よくここが分かったね~」よそ者の私たちにも気軽に声をかけてくれる。出る時にも「いい温泉なんだからまた来てくんねぇかい」心も体もポッカポッカになった温泉だった。

          

 


三度目の正直

2015-01-19 08:35:24 | 緑の風&おひさま通信

1月18日(日)

所属している山の会の新年初山行で鍋倉山に行って来ました。

「鍋倉山」はお隣の県信州飯山市にあり、当地域から登山口まで1時間ほどで行けます。       

この辺りは約2,000万年前に一度は海に沈んだフォッサマグナ地域で、その後大きく隆起して山になり、2万年前には飯山平に人間が住みはじめ、氷河期が終わる1万年前からブナに覆われるようになったと言われています。

春から冬まで一年中訪れる人も多い人気の山で、個人的に行った人は何人もいるのだけれど会としての取り組みはこれで3回目。実は会山行で過去2回挑戦したけれど悪天候や気力喪失で途中敗退したという不名誉な実績があります。

今日の参加者は男性4名女性2名。今回は久々に会長も参加しています。

登山口のある温井集落の駐車場には県外NOの車も含めてすでに数台の車が駐車していました。(スキーヤーやボーダーに隠れた人気のある山なのです)

3度目の正直で今度こそ山頂まで行くぞ!と意気込んではみたが、1年ぶりの雪山はなかなか調子が出ない(私の場合始めの1時間はエンジンのかかりがすごく悪い)すぐ後ろを歩く会長から「そんに調子が悪ければ引き返せ」という言葉がかかるほど。

登山開始から1時間…田茂木小屋をすぎてブナ林に入ったところで沢筋ルートから直登ルートに切りかえる。一汗かいてようやく調子が出てきました。

 

前方を行くのはもう一人の女性参加者sinoさん。急登を登ると見事なブナ林が広がります。

ブナの枝一つ一つに雪が凍りついて、それはまさに天然のイルミネーションです。

登山開始から3時間ついに鍋倉山山頂に到着!

山頂に着く頃には時折太陽が顔を出してくれていましたが、風が強いので予定していた鍋パーティーは下山後ということにして写真を撮った後すぐに下山。sinoさんと私はスノーシューで、男性陣はスノボーとスキーで下山開始。

田茂木小屋の近くまで下山したところで昼食の鍋パーティー。

 14:50 無事下山。

ブナに覆われた鍋倉山は本当に素敵な山でした。

今度はブナの芽吹きの頃に行きたいと思います。

      

       

                  

 

 

 

 

 

 


20年前の今日…

2015-01-17 20:16:21 | 緑の風&おひさま通信

1月17日(土)

小正月明けの早朝 まだ眠りからさめやらぬ時刻に突然襲った大きな揺れ それが 6434人の命を奪った 阪神・淡路大震災だった。

起きてテレビをつけると大変な映像が映し出されていた。  思えばそれが地震列島の災難の始まりだったように思う。 大小を問わずどこかで頻繁に起きている地震と災害。

20年経った今も被災者の困難は続いている。夕方sorajijiさんが孫に「自分たちがすんでいるN地域の人全部の数より多くの人が亡くなったんだよ」と話していた。

新聞の報道によれば、被災者が暮らす災害復興公営住宅で誰にも看取られず亡くなる「孤独死」がこの20年間で1,000人を超えたという。住宅の入居者のうち65歳以上の割合を示す高齢化率も5割を超えた…。 街の復興が進み記憶の風化が懸念される中、新たな課題が突きつけられている…と。

10年経とうが20年経とうが被災された方々にとって収束するということはないのだろう。

各地での追悼行事が報道される中、日々つつがなく暮らせていることに感謝しつつ、あらためて犠牲となったたくさん方々のご冥福をおいのりいたします。

戦争が終わって70年目となる今年。天災地変は人間の力ではどうすることも出来ないかもしれないが、「戦争しない国」は人の力で守る事が出来る。そんな思いを強くした。

 


節季市(ちんころ市)

2015-01-16 00:12:45 | 緑の風&おひさま通信

1月15日-今年2回目の節季市に午後から出かけてきた。名物の「ちんころ」が欲しかったのだが、なんと大人気で開店と同時に早々と売れてしまったということだった。

やっぱり午前に行かないと駄目だったんだ~。それでもわずかに残っていた今年の干支のちんころを3個買うことが出来た。

 

                               (はじめ見た時、両隣の2個は豚さんかと思った)

数年前までは1月15日は成人の日であり、その日を中心に小正月行事が各地で盛大に行われていた。今では成人の日は1月の第2月曜日となり、小正月行事も各地でバラバラ。それでもかたくなに1月14日に鳥追いをしている地域もあるようで「昨日は鳥追いだった」と会話している人もいた。

1月15日の節季市といったら身動きが出来ないくらいの人混みだったのに閑散としたものだった。

           

出店の数も少なくなったように感じた。

帰りながら先日伺った「総菜屋」さんに立ち寄ってコーヒータイム。

「昔は小正月は女しょの正月でその日は実家に帰れるから楽しみだったもんだけれど、ハッピーマンディーになったら情緒も何もあったもんじゃないわね~」というおかみさんの話に「そうそう」と大きくうなずいてしまった。

節季市は5日毎に25日まで開かれるけれどこのままだと節季市そのものが無くなってしまうのではないか…と、あらぬ心配をしてしまう。

 


二日続いて…

2015-01-15 10:49:32 | 緑の風&おひさま通信

1月15日(木)

二日続きで除雪のない朝。こんな日は、いつもは慌ただしい朝もゆったり気分。

昨日庭木の伐採作業をしたsorajijiさんは、起床もゆっくり…。孫のお見送りに間に合わずbabaの見送り。

「じぃちゃんキット疲れているんだよ」とやさしい言葉を残して登校。

雪降りが一休みをしているこんな日は、いたるところで道路の除・排雪作業が行われているため、そのたびに車も一時停止。10分程の隣町に行くのに3ヶ所の除雪作業に出くわす。時間がない時はチョットイライラ…でも冬場の道路確保のためには大切な作業なので焦らずに待つ。

       

  

降っては止み降っては止み…を繰り返してやがて春が来る。