10月17日(金)
昨日は我が家が当番で「庚申さま」の行事があった。
庚申さまというより「おかねさま」と言った方がこの土地の人たちにはなじみがある。
子供の頃から耳にしていた「おかねさま」という言葉。私の実家では関係していなかったので不思議な言葉に聞こえ、何のこと?とずっと不思議だった。嫁いできて「おかねさま」とは「庚申さま」の事で庚申(かのえさる)を祀った行事ということを知った。
辞書によれば「庚申講」とは庚申待を営む仲間とある。
さらに、庚申待とは
庚申の夜、仏家では帝釈天および青面金剛を、神道では猿田彦を祀って一晩中起きている習俗、その夜眠ると人身中にいる三戸が罪を上帝に告げるとも、命を縮めるともいう。中国の道教の守 庚申 に由来する禁忌で平安時代に伝わり、江戸時代に盛行とある。庚申会、庚申祭、庚申待など
何の楽しみもない時代にこんな風に寄り合ってお酒を酌み交わしながら厄を逃れるための儀式をしていたのだろうか。
はじめに神事(詔)をとなえ、そのあと精進料理を中心にして酒盛りが始まる。
一人ひとりお膳と箸が決められていて、その道具一式は次々に持ち回りになっている。
宿にあたった家ではそのために山菜を保存するなど数か月前からご馳走の準備をしておく。その家の主婦にとっては一大イベントと言ってもよい。
その負担を軽くするため最近は神事だけを家でやり、そのあとの宴は料理屋さんで行うようになってきている。持ち回りのお膳は神様のものだけになり、ご馳走も(お膳)も神様の分を作るだけでよくなり、主婦の負担はずいぶん軽減されてきた。最近はこの「講」そのものをなくしていく風潮も生まれてきているようだ。
お膳の裏には「甲 文政十一年 子 七月吉日」とあり、その時の講中の人の名前が記されている。江戸時代後期から受け継がれてきたものだということが窺える。(文政十一年=1829年)
二百年近く受け継がれてきた行事を「時代にそぐわない、後継者もいなくて大変だから」というだけでなくしてしまっていいものかどうか疑問もあるが今後どうなっていくのだろう。