こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

惑星シェイクスピア-第二部【19】-

2024年08月14日 | 惑星シェイクスピア。

 

 ええと、そのうち割と文字数を前文に使える時に、「アーサー王伝説」のことと、シェイクスピアの「ハムレット」のこと、あと「ベニスの商人」のことにも触れておかなきゃ……と思ったのですが、なんというかまあ、それぞれ気が向いた順に(^^;)

 

 それで、「アーサー王伝説」というか、「で、結局あの話って最後どーなるわけ?」ということについて書くのに、先に書いておかなきゃならないことがあるのにふと気づきました。

 

 そのですね、それが「アーサー王が抜いて自身の所有にした」という有名な、誰もがその名を聞いたことのある「聖剣エクスカリバー」のことで、ちょっと長くなってしまうかもしれませんが、自分的に結構興味深かったので、「図説・アーサー王物語」より引用させていただこうと思いますm(_ _)m

 

 >>エクスカリバーとその他の魔剣。

 エクスカリバーはアーサー王の剣の呼名である。マロリーをはじめとして、この点が曖昧な作家が何人かいるが、エクスカリバーはアーサーが石から引き抜くという奇跡を起こすことで、彼が真の王であることを万人に知らしめた、あの剣ではない。こちらのほうは、ぺリノア王との戦いのさなかにまっぷたつに折れてしまった。のちになって湖の姫から与えられるのがエクスカリバーである。これは王者のみが振ることのできる、運命の剣であった。

 話が混乱する一因として、アーサー王物語をとりまく物語群には魔法の剣が何本か登場し、しかもそれぞれ物語の構成上重要な役割を果たしているということがあげられよう。石の中の剣は真の王のみが引き抜くことができる、ということで、アーサーを王位につける契機となっている。エクスカリバーは王国の繁栄と、円卓の騎士団の結束のシンボルとなっている。というのも、湖の姫は、一生が終わるときこの剣を返すようにとアーサーにねんごろに申し伝えているのである。サー・べディヴィアが死にゆく王の命令に最初はそむくが、最後には剣をその謎めいた持ち主に返すところは、物語群全体の中でも、もっとも哀切で不思議な味わいのある場面となっている。

 

(「図説・アーサー王物語」アンドレア・ホプキンズ先生、山本史郎先生訳/原書房より)

 

 とあって、このコラムみたいなページの少し前に、アーサー王が王になる前のお話などが出てきていて、確かに最初にアーサーが抜いたという、「それを抜いた者は王になる」と言われた、他の名のある騎士が抜こうとしても抜けなかった剣を、アーサーがあっさり抜いてしまうというシーンがあります。

 

 ところが、こちらは特に「聖剣エクスカリバー」とは呼ばれておらず、その後に出てくる湖の姫が与えてくれた剣、こちらこそが聖剣エクスカリバーだという、アンドレア・ホプキンス先生の説としてはそうしたことなのだろうと思うんですよね。

 

 ただ、「アーサー王伝説」には異説というか異本などがたくさんあるそうですし、実際のところ、トマス・ブルフィンチの「アーサー王物語」のほうには明らかに「それを抜いた者は王になる(『我が名はエクスカリバー、正しき王への宝なり』と、柄のところに刻まれている)」と言われるこちらの剣のほうが聖剣エクスカリバーである、みたいにはっきり書いてあります(^^;)

 

 ええと、何を言いたいかというと、「図説・アーサー王物語」を編纂されたアンドレア・ホプキンズ先生の書いてることも間違いないのだろうと思うのですが、でも一般的にはトマス・ブルフィンチの編纂したこちらの説のほうがよく知られているわけですし、その引用の仕方でも間違いではないというか、どちらも正しいのではないかと個人的には思いました。

 

 それで、この聖剣エクスカリバー問題(?)については特にそんなに言及しようと思ってなかったのですが、「アーサー王物語」が最後どうなるかをある程度あらすじ調で短くまとめようとした場合、このエクスカリバーという聖剣が非常に重要な役割を果たすことから、一度書いておかなきゃならなかったというか

 

 ではでは、次回「アーサー王物語」について書けるかどうかわかりませんが、とりあえずこのことは先にどこかに書いておかねば……と思ったので、今回はこんなところで♪

 

 それではまた~!!

 

 

       惑星シェイクスピア-第二部【19】-

 

 エレイン姫の心は浮き立っていた。(この同じアストラット城内にランスロットさまがいる……!!)そう思っただけで、心が幾重もの絶え間ない喜びに浸され、ある官能的とも言える喜悦によって彼女は頬と体を火照らせるのだった。

 

 大広間でちらとそのお姿を見ることが出来ただけで、こんなにも心は喜びで溢れ返るのだ。(声のほうもお変わりなく、ご容貌のほうだって相変わらず素敵。いいえ、むしろ二年前より若返られたようにさえ感じるくらい……)エレインは今までに何十度としたことのある恋愛の妄想劇をこの時飽きもせず再演した。それはさながら彼女の心の中でだけ繰り返し上演される、緞帳が上がったあとの舞台劇のようなものだった。

 

『おお、エレイン姫!!この二年の間、離れていてどんなにつらかったことか……』

 

『ああ、ランスロットさま!!お気持ちのほうはこのエレインとて同じこと。二年前のあの日、どうしてあなたさまは去っておしまいになられたの?でもわたくし、わかっておりましたわ。運命の女神と恋の天使さまがきっともう一度わたくしたちの魂を結びつけてくださるってこと……』

 

『永久(とわ)に美しく、そして愛しい人よ。俺には俺で色々と込み入った事情があったのだ。どうかこのこと、許して欲しい。だが、いまや我々の心はこの再会を通し、とこしなえにひとつになろうとしている……さあ、エレイン姫。その白魚のような手に口接けし、この婚約指輪を捧げることを愚かな恋人に許してほしい』

 

『まあ、ランスロットさま……!!なんて大きな宝石のついた素敵な指輪でございましょう。まるであなたさまのわたくしに対する愛を宝石自身が歌い、褒め称えているかのよう……』

 

『このような宝石如き、エレイン姫、あなたの美しさに比べたら、まるで星の前の黒い小石のようだ。だが今、その手を顔の、瞳の横に掲げて欲しい……ああ、なんと美しいのだ。結婚指輪にはこのようにささやかな価値の婚約指輪より、なお素晴らしく高価なものを用意すると、このランスロット、嘘偽りなくお誓い申し上げよう』

 

『いいのです、ランスロットさま……このエレイン、この地上のどのように高価で大きな宝石より、今はもっと値打ちのあるものをすでに得ているのですから。それは、あなたのように素晴らしい男性の、真心からの愛です』

 

『そうとまで言ってくださるのですか、エレイン姫……』

 

 ――このあと、黒騎士ランスロットはエレイン姫の細い腰を抱き、ふたりがキスしようかというくらい、顔と顔を近づけたところで……邪魔が入った。彼女の父と兄がノックするが早いか、すぐにも扉を開けて入室してきたのだ。

 

「まあ、お父さまもお兄さまも一体なんですの!?せっかく今、いいところでしたのに……」

 

 ドレッサーの三面鏡を閉じると、ランスロットに嵌めてもらった(つもり)のオパールの指輪を左手人差し指から抜き、猫足の柔らかなスツールからエレインは振り返る。

 

「可愛いわしのエレインや、今晩、この城で豪華なパーティを開こうと思うのじゃ。王都の宮廷であった舞踏会ですら、どのような貴族の夫人も姫もおまえの美貌には色を失うほどじゃったからのう……そこでじゃな、ランスロットさまとさり気なく今一度お近づきとなり、ふたりきりになって話しあいでもなんでもせい。くれぐれも、愛人のひとりで構わないから愛して欲しいなぞと、自分に不利なことを恋に浮かれるあまり口走ったりするのじゃないぞ。その点だけ、冷静によく気をつけるのじゃ」

 

「お父さん、僕が思いますのにはね」またもエレインが妄想ごっこをしていたと察して、リオンは妹のことが不憫になった。彼女の妄想ごっこは侍女のアルゼもイルゼもすでによく知っていることである。「ランスロット殿のような立派な方には、ようするに既成事実というのを作ってしまえば良いのだと思いますよ。その上で男としての責任というのに言及すれば……ランスロット殿は騎士道に反することはなさらないことから、本心はどうあれ僕や父上が強く迫れば結婚にうんと頷かれることでしょう。なに、結婚さえしてしまえば、あとのことはどうということもありません。ランスロット殿はエレインの外面だけでない美しさに何故もっと早くに気づかなかったのだろうと思い、あとは何人もの子宝に恵まれ、幸せな結婚生活というのが長く続いてゆくことでしょう」

 

 すでに結婚しており、妻が子育てのことでヒステリーを起こす場面を度々目撃しているリオンは――実際の結婚生活はそんななまなかなものでないと理解しているつもりだった。だが、心から愛する可愛い妹が、結婚相手は騎士ランスロットでなければ絶対嫌だ、あの方と結ばれないくらいなら死んでやる……とまで思いつめているのである。あんなにも病的にガリガリに痩せ、半死人のようになっている妹の姿をもう一度見るくらいだったら、リオンはその善良な性格に似合わず、多少の汚い手段に訴えることもやむなしとする覚悟があった。

 

「でもランスロットさまはあの方……ギネビアさまとおっしゃる姫との婚約に縛らせておいでなのですわ。そのことはお父さまもお兄さまもわかってらっしゃることじゃありませんの。それは、わたくしが今まで結婚を申し込まれた方に一度うんと言っておいて、婚約指輪を交わしたのち、他の男性に心を移したというので婚約破棄するようなものですもの。あの方はお兄さまがおっしゃるとおり、騎士として責任感の強いお方。わたくしはランスロットさまの愛人にでもなって、あの方のご慈悲にでも縋るしかないのですわ」

 

 エレイン姫はうっとりと溜息を着いた。ギロンもリオンもいまやよくわかっている。彼ら貴族の価値観としては忌避したいところだが、彼女はランスロットの愛人でいいから、せめてもキスや愛を交わしたいのだということが……。

 

「エレインや、これを使うが良いぞ」

 

 ギロンはなんとも気が進まぬ溜息とともに、黒い衣装の袖から青い水晶のように輝く小瓶を取りだした。男性をその気にさせる精力剤なるものはこの世界にも存在したが、そうした媚薬をギロンは調達したのではなかった。それはただの強力な睡眠薬である。

 

「今宵、この城の地下貯蔵室にあるワイン蔵から、一番古くて最上の樽を開こうぞ。そして、その美味なるワインに舌鼓を打ち、すっかり酔ってしまったランスロットさまを別室へお運びし、エレインよ、このようなことは父が申すことではないがな、あの方とねんごろな関係というのにならなくてもよい。今にしてみれば二年前、おまえはその点で失敗したのじゃ。ランスロットさまの服をお脱がせし、翌朝、白い肌をぴったりと寄り添わせて寝ているおまえの姿を見せさえすれば……実はそれで事は十分だったのじゃ」

 

「でも、二年前の今ですもの」と、エレインはもじもじして頬を紅潮させた。「また同じような手練手管を使ったと、きっとランスロットさまもお見抜きになりますわ。そうしたら、最初は憎からず思っていたお気持ちもすっかり冷め、恋や愛が芽生えるどころか、それが憎しみの炎として燃え上がりはしないかしら。なんだか、そんなことが心配だわ」

 

「大丈夫だ、妹よ」リオンが何度となく頷きつつ言う。「まずはそんなことが間違いなくあったという既成事実を作っておき、あの方が州都ロドリアーナへ向かった帰り道、もう一度ここアストラット城へお立ち寄りいただくのだ。それまでに我々の間では結婚式の準備をしておき、エレインと式を挙げたあと、あの方は内苑州へ行く御用があるということだから、用が済み次第、再びこちらへ婿として来ていただけばよろしかろう」

 

「そう上手くいけばいいけれど……」

 

 エレインは美しく巻いたブロンドの髪を、右手の指に絡ませつつ、恋の甘い溜息を着いた。けれど、父と兄の自分のことを思うこの申し出は実に魅惑的であった。そこで、最初は渋々といった態で承知したという振りを装い、実際にはやる気満々で「なんでもお父さまとお兄さまのおっしゃる通りにいたしますわ」などと、実にしおらしい態度で頷いてみせたのだった。

 

「よし、そうと決まれば、色々と準備が必要じゃな」

 

「お父さん、百人ばかりもただ飯食らいがやってくるというので、最初は出費がかさむばかりで何ひとつとしていいことなし……といったように思われましたが、せめてもエレインとランスロット殿の縁談をまとめ、それで釣り合いを取ることによりこの件、最終的によしと致しましょうぞ」

 

 ギロンとリオンがエレインの居室から出ていくと、衣装部屋の脇にある控え室で、いつものように聞き耳を立てていたアルゼとイルゼは――隣の壁から体を離すと、自分たちの主人に聴こえぬようくすくす笑いだした。

 

「わたしたちのエレインさま、今度こそ上手くいくといいわね!」

 

「そうね……ううん、違うわよ、アルゼ。今度こそわたしたちもそれとなく手伝って、ランスロットさまとエレインさまの仲が上手くいくようにするのよ。それも、なんとしてでもね!」

 

「あ、確かにその通りね。運命の神の顔を張り飛ばし、恋の天使の脇腹をつねってでも、とにかくこちらの言うことを聞かすのよ。そのくらいの勢いでこの件には臨まなくちゃいけないわ、わたしたち!」

 

 アルゼもイルゼも、今ではすっかり自分たちの女主人のことが大好きになっていた。彼女たちはエレインよりふたつほど年下だったが、最初にアストラットの美姫と呼ばれるエレインと出会った時、お高く止まったような冷淡な態度の彼女があまり好きではなかった。けれどその後、エレインが黒騎士に失恋し、恋わずらいからすっかり痩せ細り、日に日に衰え果てていく姿を見るにつけ――ただの同情でない心からの深い愛情が芽生えてきたのだった。

 

 その後も、ランスロットとの妄想の恋愛遊戯にエレインが耽る姿をふたりは何度も目撃したことがある。その時も、不憫になるというよりは(こんなにも美しく、大抵の男性を思いのままに出来るエレインさまでさえ、このような側面があるのだ)と理解するにつけ、なんとも言えない愛おしさが、自分たちの仕える姫に対して生じるようになっていったのだった。

 

 そしてこのことは、侍女のアルゼとイルゼだけでなく、彼女たちほどはっきりとではなくとも――アストラット城に仕える者の全員が持っている感覚であった。ゆえに、ギロンとリオンが城の執事や料理長に指示を出すのを周りで聞いていた他の従僕や侍女たちも、内心でこう思っていたわけである。『よし来た!今度こそランスロットさまとエレインさまを結びつけるよう、我らは最大限働こう』というより……それはどこか『とにかくなんでもいいから、エレインさまとあの騎士殿がくっつくような雰囲気作りをし、最後には有無を言わせぬ実力行使に近い形によってでも、この城にあの方をしっかり結びつけ、二度と離さないようにしよう』といった意識の感覚によって一致していた、といったほうが正しかったに違いない。とにかくそのくらい、アストラット城に仕える者たちにとってこの問題は重大事として受け止められていたのである。

 

   *   *   *   *   *   *   *

 

 といったわけで、アストラット城はその日、夕刻から始まるパーティのために、城に仕えている者は誰もがみな大わらわだった。普段使っている大広間の他に、アストラット城には<舞踏室>と呼ばれる豪華なパーティルームがあり、しつらえもそちらのホールのほうがより豪華であった。そこもまた大理石と石材で出来ているのは同じだったが、広い格天井には海や川、湖にまつわる神話が描かれており、壁の壁龕にもまた、同じような神話の登場人物が大理石の像として何体となく安置されている。

 

 この地方の貴族たちを招待して舞踏会を開く時には、大広間にて食事ののち、こちらの舞踏室のほうへ人々は移ってくるのであったが、何分今回は男ばかりで相手となる女性の数が圧倒的に少ない――というわけで、こちらの舞踏室のほうにメレアガンス産の高価な絨毯を敷き、樫の一枚板で出来た長方形テーブルをいくつも持ち込み、そこへ給仕係の女たちが、これもまたメレアガンス産の、実に綾なる見事なレースのクロスを敷いた。さらにそこへ、屋敷中から花という花をかき集めて花瓶に飾りつける。銀の燭台は、あとは蝋燭に火を灯すばかりという状態で数え切れないほど多く設置されているほどだった。

 

 アストラット城では、料理や飲料についてはそれぞれ分業制であった。すなわち、パンはパン焼き室にあるパン専用のオーブンにて焼かれ、ここではケーキやパイ、ビスケットなども作られる。その他食後のデザートやタルト、焼き菓子なども作られるため、菓子職人もまたパン焼き職人と同じ部屋で仕事することが多い。豚・羊・山羊・鶏・ガチョウや七面鳥、キジなど、肉料理を専門にしている親方は、その家畜の飼育や肉の保存法、調理法に至るまで責任があったし、それはスープ係やサラダ係なども同様であった。バターやクリーム、ヨーグルトなどを作るための専用の部屋もあれば、ビール専用の醸造室、ティリー家自慢のワイン蔵もありと、彼らは隣接したこれらの部屋の扉をいつでも行ったり来たりしていたものである。

 

 これらの管理の総責任者が城の執事であり、料理長にはそれが肉料理であれスープであれサラダであれ、その料理の出来栄えすべてに責任があった。ワイン貯蔵室の室長はビールやその他酒でないレモネードなどにも責任があり、テーブルに飲料を出す際においては献酌係ともども、いつでも気が抜けなかったものである。

 

 この一階の一区画にある、大きなキッチンを中心にした場所は、ハムレットたちがアストラットへ屋形船を停めて以降、天井に四つもある煙突のどこかから(あるいは四つ同時に)もくもくずっと煙を吐きださせていた。食器室も洗い場も、水汲み場も、カトラリー室もリネン室も何もかも――従僕や侍女たちが額に汗しながらしきりと行ったり来たりしていた。そして、あの嵐である。ここに詰めている職人はその全員が予定通り客人らが多少無理をしてでも船へ乗り込み、去ってくれることを願っていたが、残念ながら雨風が静まるまではここへ滞在する予定であるという

 

「やれやれ神さま、なんてこった!!」

 

 そうぼやいて天を仰いだのは、料理長や彼を補佐する料理人たちだけではなかった。肉係の親方も、庭の菜園から野菜を摘んでいた女たちも、薪を割って運ぶ薪係も、洗濯室の洗濯女も、城の使用人たちはすでにみな疲れ切っていた。だが、客人の滞在はたったの一泊二日、そう思えばこそ耐えられたことだった。

 

「ちょいと、あたしゃ小耳に挟んだんだけどね」

 

 料理女のひとりが玉ねぎの皮を剝きながら、隣で豆の皮むきを恐ろしい速さで行っている女に言った。料理人は五人ばかりもいるが、彼女たちは大体のところ下ごしらえ係といったところである。

 

「どうやら二年前に別れ別れになった、エレイン姫のいい人が来なさってるらしいんだよ」

 

「ええ、ほんとかい!?」

 

 この世の中に、豆の皮むきほど楽しいことはない――というのとは真逆の、苦行僧のような顔をした女中の手が止まる。

 

「エレイン姫のいい人ってことは、ようするにあの二年前にあった馬上試合で大活躍したあの黒騎士さまのことだろ?あたしも、一日だけお暇をいただいて見に行ったのさ。バイバルス卿が『この地方きっての騎士』だの言って自慢にしてた騎士たちを次々撃破しちまって、まったく胸のすく快勝に次ぐ快勝さ。あの時のギロンさまやリオンさまの得意気な顔といったらなかったね!ところが、エレイン姫の真珠の赤い袖をお付けになって黒騎士殿が戦ったのはみんな知ってることだのに、試合で優勝した翌日だったかね。あの赤い髪のもうひとりの素敵な騎士さまと一緒に、早々に砂漠州のほうへ帰ってしまわれたとか」

 

「そうそう、そのお方だよ」

 

 包丁でじゃがいもの芽を取っていた、また別の、斜め向かいのテーブルで作業している女が口を挟む。じゃがいもはすべて潰してサラダにするのだった。それも百人分!

 

「給仕係の若い娘なんかが、食器室やリネン室のあたりできゃあきゃあ騒いでいたからね。あたしの娘もそのひとりってわけでさ、あれならエレイン姫がのぼせあがるのも無理はないってくらいの美丈夫らしいよ」

 

「へええ……」

 

 そこへ、料理長が様子を見に下ごしらえ室へ入ってきたため、女たちは再びピタリと口を閉ざし、手許の作業に集中した。竈にはすでに長時間コトコト、あるいはグツグツ煮込むタイプの料理の鍋がかかっているため、窓のほうは開いていても、調理室のほうは常に蒸し暑かった。

 

 彼女たちだけでなく、アストラット城に仕えているその多くが、この近辺に住む農民の家族だった。ギロン男爵から土地を借りてその畑を耕し、ギロン男爵の放牧地で羊や山羊などを放牧し……こうして、男爵は小作料や放牧料を彼らから税金として受け取るのだったが、この地方の他の貴族らに比べ、男爵はまだしも人として情味もあり、裁判をする時に人を偏り見ることがないため、地元民たちからは好人物として若い頃から人気があった。

 

 また、彼は「いつかこんな日が来よう」と考えて、随分昔から計画的に穀物を保存するようにしていたこともあり、それらは驚くほどの高値でロドリアーナの港湾で取引され、重税の軛の下にあっても、他の貴族たちより財政的に余裕のあるほうでもあったろう。無論、今エレアガンス子爵と旅をともにしておられるハムレット王子こそ、そうした重税の軛より全領民を解放せんとしているのだと知っていたとすれば、娘の婿取りどころでないとして、ギロン男爵はハムレットのことをこそ最も歓待したに違いないが――この時点ではまだ彼も彼の息子のリオンも何も知らなかったのだから、この点は仕方あるまい。ゆえに彼らはこの時、騎士ランスロットをいかにして可愛いエレインの夫とすべきかにのみ、心血を注ぐ計画を立てることになったわけである。

 

   *   *   *   *   *   *   *

 

 その日、エレインがラベンダー色の素晴らしいドレスに身を包み、ライラックの香水をつけていると、アルゼもイルゼも姿見の中の自分たちの仕える姫に向かい、ほうと溜息を着いていたものである。

 

「なんだか春の妖精が、もう一度やって来たかのようですわ」と、アルゼ。

 

「しかもこの、幾重ものレースと襞飾り……白い胸元を飾る高価なダイヤモンドの首飾り。同じ真珠とダイヤのティアラも、エレインさまほど似合う方がこの世にいるものかしらと思うほどですわ」と、イルゼ。

 

「あんまり派手にしすぎても」と、姿見の中の等身大のエレインは、この自分を見たらランスロットがどう思うだろうと考え、微かに頬を染めた。「なんだか気合が入りすぎてるみたいで、かえって恥ずかしい気がするものね。そう考えたら、このくらい控え目なのがちょうどいいかしらと思ったのだけれど、どうやらいいみたい」

 

 エレインにしても、他の貴族のパーティへ招かれたのだったら、ましてやそれが王都の舞踏会や、内苑州の貴族のそれであったなら、もっと色々と装いに凝るところである。だが、彼女が目指したのはあくまで、部屋着に少しばかりフォーマルな雰囲気を付け加えたもの……といったところであったため、鏡の中の自分に十分満足していた。

 

 もっとも、彼女がこのラベンダー色のドレスに落ち着くまでに、アルゼとイルゼは軽く三十着ばかりも着替えを手伝わせられたのだったし、宝石類にしても「涙型のネックレスだなんて、不吉だわ。他のにしてちょうだい」と、不機嫌になったかと思えば、頬の絶妙なラインに頬紅がさり気なく入ったことで、化粧の出来栄えにこの上もなくはしゃいでみたりと――彼女たちは我が儘姫に仕える侍女として、鏡の中の彼女が眉をひそめれば同じ顔となり、嬉しそうにパッと表情を輝かせればまったく同じ喜びの表情になったりと、それは忙しい感情の起伏を一時に体験していたものである。

 

 そして、そんなふうに自分の装いに至極満足して、兄のリオンが迎えに来るのをエレインが心待ちにしていた時……彼女は今の高揚した気分から真っ逆さまに落下するようなひとりの女の名を聞いた。パーティの前に一目会い、短い時間で構わないので話をしたいと、そのような申し出がギネビアからあったというのである。

 

「でもあの方……そんなふうにはまるで見えないにしても、公爵さまの娘ということでしたものね。そのご訪問をお断わりする理由もないとなれば、お会いしないというわけにもいかないし……」

 

 エレインは不安と焦燥の雲がもくもくと心の内に湧いてくるのを感じた。恋する彼女としては、ギネビアがおそらく『ランスロットはわたくしの婚約者ですのよ。それを横恋慕なさるだなんて馬に蹴られてお星さまになるしかないのじゃなくて、エレイン姫?おほほ』といったような話のために彼女がやって来るのだとしか考えなかったのである。

 

(だけど、もしランスロットさまの婚約者がその程度の女であるというのなら、わたくし、絶対今宵こそは頑張ってあの方を振り向かせてみせるわ。ええ、そうですとも。そんな意地悪女になんて負けて堪るもんですか、ええ、決して!!)

 

 コンコン、とドアがノックされると、エレインはドキッとした。兄リオンの可能性もなくはなかったが、兄であればこちらの返事も待たずに入室してくること度々であり、その点、相手が礼儀をわきまえ、じっと待っていることから見て――それが誰なのか、エレインはこの時はっきりと悟った。

 

「アルゼ……いいえ、イルゼでもどちらでもいいけれど、お客さまをお通ししてちょうだい」

 

 宝石箱のひとつにラピスラズリの指輪をしまうと、暖炉の前にあるテーブルを挟み、ソファの配された部屋の一角へエレインは移動した。いかにもなんでもないといった風を装い、そこで恋敵のことを待ち受けることにする。

 

 ギネビアが通されてくると、彼女はこの時、エレインが思ってもみなかったような恭しい態度を取った。何かの嫌味、というのではない。ひとりの騎士としての作法から、ギネビアは美しい姫の前に跪いて挨拶したのである。

 

「不意の客でありましたでしょう我々を、こんなにも結構なもてなしによって出迎えてくださり、感謝に絶えません。姫も何かとお忙しいことと思いますから、なるべく手短にお話しさせていただければと思い、参上致しました」

 

 エレインは何故かそうするのが当然という気がして、自分のオパールの指輪の嵌まったほうの手を与えた。ギネビアが跪いた姿勢のまま、彼女の手の甲にキスする。

 

(わたくしだったら、こんなこと絶対に出来ない……っ!!)

 

 そう思い、エレインは訳がわからなかった。ティリー家は男爵家ということもあり、貴族としての階級は低いほうである。また、彼女自身評判のよろしくない司祭や伯爵家の親戚筋の貴族など――好ましからぬ相手にも、今ギネビアがしているように挨拶の作法によりキスしなければならないような時は、屈辱の気持ちや怖気立つような思いさえ味わったことがある。

 

(そうよ。貴族の階級としてはこの女のほうが遥かに上なのよ。だから、本来ならこの逆の立場を強要されたとすれば、わたくしもお父さまもお兄さまも逆らえはしないのよ……!!)

 

 エレインが興奮にカッとして、ギネビアから顔を背けているとも気づかず、ギネビアは向かいのソファに座るよう促されているように勘違いし、そちらへ座った。その間も、エレインは嫉妬の気持ちからさり気なくちらちらギネビアのほうを観察し続ける。長旅の間にすっかり痛んだ見事な赤銅色の髪、輝くような鳶色の瞳……砂漠州の女たちはみな浅黒い肌をしているとエレインは聞いていたが、ギネビアの白い肌にはパッと見、しみひとつとして見受けられない。しかも、ギネビアはエレインの美観に叶う、女として好ましい容貌もしていた。

 

(きっと、わたくしの持っているドレスの一着でも着て同じように宝石で身を飾ったら、女としてとても美しくなるわ。それなのにこんなふうに男のなりをして、旅の苦労をともにしてでもランスロットさまと一緒にいたいということなのね……!!)

 

「もしわたしの勘違いであったとしたら、これからわたしの話すことは愚かな騎士の妄想であるとして、即刻お忘れください。ただ、エレインさまはわたしとローゼンクランツ騎士団の騎士団長の息子とのことで、何か誤解しておられるのではないかと思ったものですから……」

 

 ギネビアは黒の胴着にズボンと、格好も男のようだったが、振るまいのほうも男のようだった。エレインの価値観としては信じがたいことだったが、彼女は大股を開き、膝の上に手を置いて話をしている。

 

「ローゼンクランツ騎士団長の息子というと……ランスロットさまのことかしら?」

 

 エレインは平静を装おうと必死だったが、それでもやはり愛する人の名を呼ぼうという瞬間には、我知らず声が上ずった。

 

「ええ、そのランスロットのことです。わたしがこのたび、ここアストラット城への滞在を許されて小耳に挟んだところによりますと……あいつ……いいえ、ランスロットの奴はどうやら、エレイン姫、あなたさまの真紅の袖をおつけになって、馬上試合に臨んだとか」

 

「え、ええ。そうですわ。それが何か?」

 

(そんなものは、その前からすでに存在する婚約者という自分がいるのだから、無効もいいところだ)――といったことをギネビアが口にするものと思い、エレインはすでに恥の思いに苛まれた。(にも関わらず、あなたは捨てられたんですね、お可哀想に)という妄想の声まで、彼女の心の耳には聴こえている。

 

「でも、ランスロットの奴はこの城を去っていったということは……我々騎士の世界においてはまったく考えられないことです。いえ、もちろんそのような不実な者も、騎士の中にはいると存じてはいるつもりです。ですが、わたしとあいつとは、そもそもすでに婚約を解消した間柄。それは、わたしが公爵である父上に願いでて、ずっと前にそのようなことになっているのです。ですから、わたしとの嫌々ながらの婚約にランスロットはすでに縛られてはいないということになる……すなわち、簡単にいえばあいつは騎士としてもひとりの男としてもまったくの自由の身だということです」

 

「…………………」

 

 ギネビアが一体何を言わんとしているのか、エレインには咄嗟にはわからなかった。婚約解消という言葉は、彼女にとって嬉しいもののはずである。だが、よくわからないが、手放しで喜べないような何かがそこに潜んでいる気がした。『ああ、そうだったのね、なーんだ!わーい!!』などと無邪気に子供のように喜んでいたら、次の瞬間には絶望の落とし穴がぱっくり開いているのではないかと、そんな気がして……そのような不安と恐れのあまり、エレインは暫く何を質問すべきか、言葉を発することさえ出来ずにいた。

 

「まあ、簡単にいえばですよ」

 

 エレインの極度の警戒と、何かを用心するような緊張が伝わり、ギネビアは微かに笑った。だが、その微笑はエレインにとっても快く思えるもので、むしろ目の前のこの男のような女は敵ではないのだと、彼女を安心させるような作用さえあった。

 

「あなたのように美しい姫に恋をされていて、ランスロットはまったく羨ましい奴だなとわたしとしては感じるのみです。つまり、わたしとあいつは幼い頃よりそのような関係性だったのです。男とか女とか、互いに異性として意識しあうといったような仲ではまるでなく、互いに剣の腕やら体術の訓練やらを同じ師から受け、男友達のようにともに成長してきたのです。ところが、そのように男のようにすくすく成長する娘のことを見て、公爵である父は心配したのでしょう。ランスロットの父親と相談し、わたしとの婚約を勝手に取り決めてしまったのです。何分、公爵と騎士の家系とでは、身分の差ということから見れば話にもなりませんからね……ランスロットの奴は騎士らしく、必要のある時にはわたしが婚約者だといったような話をしていました。まあ、わたしの側としてはそのたびに、それは父上が勝手に決めたことであって、自分としてはそんなつもりはないとことごとにあいつに言ってきたのですよ。そしてこのたび、あいつにあなたのように美しい姫が想い人として存在すると聞いた。ということは、ですよ?もしやわたしが荒れた道の石が跳ね、馬車の柄にでも挟まったというような――まあ、馬の蹄鉄に石が嵌まったでも、たとえはなんでも構いませんが、わたしという存在が何かの邪魔になっているのではないかと、そんなことが心配になったのです」

 

「そ、そうだったんですの……」

 

 エレインは頭の中が真っ白になった。喜びのあまり真っ白になった、というのとは違う。ただ、とにかく彼女としては訳がわからなかった。扇を広げて顔を煽ぐと、エレインは何かを信じがたい思いで、ギネビアのほうをもう一度見返した。だが、ギネビアのほうではそれを、まるで退出の合図とでも勘違いしたように――エレインの手をもう一度取って口接けすると、「では失礼いたします」と一礼し、どこか男らしい堂々たる歩きぶりによって退室していったのである。

 

(一体どういうこと!?)そう思い、エレインは忙しくティアラを戴いた頭の中で考え続けた。(ということは、ランスロットさまは今や、どの女にも縛られてはいないということなの?でもあの方は……わたくしに対してそのようなお気持ちはない。むしろ、今あの人がやって来て説明していったことで、より一層そのことがはっきりしたような気さえする……)

 

 エレインは混乱するあまり、頭痛さえしてきた。何分、今まで数え切れぬほど多くの男たちに強烈な念にも似た秋波を送られてきた彼女である。そうした時、エレインはほんの少しの隙たりとも、相手の男に見せてはいけないということを経験上知っていた。意味のある目くばせひとつ、誤解させるような顔の表情ひとつしてはいけないのだ。何故なら、それは相手の貴族の男にほんの少しでも望みを与えることだからである。無論、彼女にしても礼儀上優しい微笑みを浮かべたり、愉快そうに笑うといったことは当然ある――けれど、その気がないのであれば、相手に変に気を持たせるのは禁物だった。それは彼女が貴族の社交場において、いくつもの経験を経て、そのように結論づけていたことだったのである。

 

 そして、そのようなエレインであればこそわかることがあった。ランスロットのあのすげない態度と、なるべく自分のほうに目をやらないよう注意するようなあの仕種……それは、普段エレインが他の自惚れの強い貴族の男たちにしていることだったからだ。

 

(そうよ……ランスロットさまは恐れているのよ。二年前にあったようなことが繰り返されてはいけない、つまりはわたくしのことを今一度傷つけてはいけないということでね。だけど、それじゃどうしたらいいの?さっき、彼女は言ったわ。自分とランスロットは婚約を解消している、と……このわたくしこそがあの方の想い人だとさえ!だけど、それは違うのよ。そうじゃない!!あのギネビアという方は、単にそうである以上、ランスロットさまとわたくしの間の問題について自分はなんの関係もないと、ただそう親切心から教えてくださったというそれだけなのだわ……)

 

 自分たちの女主人とその恋敵の会話を、アルゼもイルゼもまったく聞いていないという振りをしながら、当然ばっちり聞いていた。そして彼女たちは黒騎士ランスロットとその婚約者であるというギネビアが、今は婚約も解消し、なんの恋愛関係にもないのだと聞くと――ふたりして手を打ち合わせて喜んでいたものである。「ねえ、あのギネビアって方、女の人かもしれないけれど、素敵よね」、「あらイルゼ。あんたもそう思った?」なとど小声で囁き交わしつつ。

 

 ところが、ギネビアの退室後、エレイン姫がきっと喜びで踊り上がらんばかりと彼女たちは思っていたのに……真紅の絹を張った衝立の向こうのエレインを見ると、彼女はビロード張りのソファの背もたれに、頭痛でも起こしたようにもたれかかっていたわけだった。まるで、何かショックの雷に打ちのめされた人でもあるかのように。

 

「エレインさま、一体どうかなさったのですか?」

 

 アルゼが気遣わしげな声音でそう聞くと、エレインはハッとしていた。「いいえ、なんでもないのよ」と言い、手にしていた扇を閉じると、マーブル大理石のテーブルの上へ置く。

 

 このあと、兄のリオンが部屋まで迎えに来て、エレインは彼の腕を取ると、舞踏室のほうへ向かった。リオンは美しい妹のことを自慢にしていたが、(今日ほど美しいエレインを見たことはない)と感じると同時、妹がどこか意気消沈した雰囲気であることにも鋭く気づいていた。『どうかしたのかい?』と、よほど言おうかとも思ったが、結局まったく別のことを口にしていた。きっと妹が、これで最愛の男と結婚できるかどうか、結ばれることが叶うかどうかが決定するだけに――そのせいで緊張しているのだろうと、てっきりそうとばかり思い込んでいたからである。

 

 

 >>続く。

 

  

 

 

 


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