こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

惑星シェイクスピア-第二部【13】-

2024年07月31日 | 惑星シェイクスピア。

 

「幻覚剤は役に立つのか」については、その後も色々書きたいことがありつつ、うまく文章がまとまらなかったので、何かそのままになっていて……それで、シロシビンやサイロシビンという言葉には悪いイメージがないと思うものの、LSDやMDMAということになると、いわゆるクラブドラッグとしてのイメージが強いため、その魂のトリップが心の癒しになる――みたいに言うと、間違いなくただのジャンキーの戯言としか、誰も思わないと思うんですよね(^^;)

 

 でも「終りなき戦い」、まだ読み終わってないものの、「DUNEデューン/砂の惑星」なども読んでいて思うに……SFにはこうした種類の精神・心の変容、魂のトリップ的なことが割合出てくるのではないかという気がしました。こういった薬剤を通して人間の脳を制御するというか、戦争へ赴く際には恐怖や不安を静めたり、その薬が効いている間は非常に興奮したバーサーカー状態となり、目に見える範囲にいる動くものすべてを破壊・蹂躙し、薬が切れたあとそのおぞましさに慄然とするとか……他に「平和的洗脳」その他、たぶん設定としては色々あるんじゃないかなという気がします。

 

 それでわたし、「幻覚剤は役に立つのか」を読んで、サイロシビンには中毒性がないわけですし、ちゃんと専門のガイドの人が傍らにいるというのであれば、うつ病や依存症その他の治療法として使用するのはいいことだと思うし、慣れた人であれば「個人の愉しみ」として使用するのも、特別悪いことではなく、むしろ良いことである……くらいに感じていたわけです。とはいえ、自分で使用してみたいかというと、ちょっとわからないんですよね(^^;)というのもわたしが特に興味のあるのが、ちょっとした白い錠剤の成分によって気分を大きく左右される我々人間というのは一体なんなのかという、その部分だからなんです。

 

 ほんのちょっと気分がムシャクシャするなといった程度の時に、ラムネみたいにヴォリヴォリ☆そうした薬剤を齧ると、薬が効いてる間は「多幸感に包まれていられる」という効果があって、中毒性もないとする。だからみんな、いつでもお菓子みたいにそのラムネを食べてるとした場合……親や教師に叱られた→面白くない→ラムネヴォリヴォリ☆、友達や恋人と喧嘩した→面白くない・悲しい・腹立つ→ラムネヴォリヴォリ☆、上司や同僚とうまくいってないし、仕事が面白くない→エブリディ・ラムネヴォリヴォリ☆……いやまあ、そんな社会になったら実際どうなるのかわかりませんが、おかしな話、自分的にそうしたことに興味があるのです。。。

 

 というのも、いつだったか以前、諜報関係のことを調べていた時に、KGBでは自白剤を使っているとかいう噂の、その自白剤ですよね。わたしもうろ覚えなんですけど、「この世界に自白剤なるものは存在しない」とフィクション作品なんですけど、はっきり説得力のある文章でそう書いてありましたそれで、物凄く気分が高揚する△□という、実際に存在する薬剤があって、逆に非常に気分が落ち込む□△という薬剤がある。これを交互に使われると、どんな屈強な体を鍛えた男でもすぐゲロってしまう、みたいに書いてあったと思います。つまり、文章として読む分には「たったそれだけのことで?」みたいに感じるものの、これが精神的には非常にキツいとのことで……どんな訓練された諜報員であれ、キツすぎるあまり知っていることはすべて自白せずにはいられないくらいものだと。それで、これが現在における自白剤にもっとも近いものだということでした(ちなみに、かなり昔の古いスパイ小説です(タイトル忘れた)。つまり、ドラマやアニメなどで描かれる「それを注射で打たれると、質問されたことには意思に反して勝手に口が動いてしゃべってしまう」みたいなものは存在しないということでした)。

 

 わたしが薬剤名覚えてないせいで、何やらうさんくさい感じでしかありませんが、確か海ドラの「エイリアス」で、主人公のシドニーがこれを拷問としてやられていたと思います。なので、今もう一度その部分のドラマの回を見れば、薬剤名も出てきてたと思うんですよね。シドニー自身、自分の敵の男に「鬼」だったか「悪魔」みたいに罵ってたと思うのですが(これもうろ覚え☆)、でもここを見てた時、↑の文章の記憶があったので、「どんな屈強な男もゲロっちゃうというアレって、これのことだよね」みたいに思ったわけです。

 

 つまり、そんな薬剤が存在する=今後、副作用もなく人間の脳に多幸感のみを与える薬のようなものは合成可能ではないか……というのが、「惑星パルミラ」あたりの、多幸感を与える天然成分の発想にあったんですけど、「終りなき戦い」を読むうち、ふと思ったわけです。作者のジョー=ホールドマンさんとか、「デューン」のフランク・ハーバートさんくらいの年代の方って、ちょうど例のヒッピー文化というので、マリファナのみならず、その他色々なドラッグが入手しやすい時代を通っていて、そうしたドラッグを試すチャンスが結構あったんじゃないかなあ、と。

 

 まあ、今回本文が割と長めで前文にあんまし文字数費やせないのですが(汗)、実際の自分の環境がどうあれ、「平和で幸せ」な脳の状態に常にいる平板な感情の状態というのが、人間として幸福な最上の精神状態である――ということなら、そうしたカプセル的なものにでもずっと入って夢を見ているというのが、人間にとって自分の手で作りだせる一番天国に近い状態ということに、やっぱりなってしまうんですかねえ(^^;)

 

 それではまた~!!

 

 ↓レイラの名前はこの曲から取ったわけではないものの……まあ。なんとなく

 

 

 

       惑星シェイクスピア-第二部【13】-

 

 レガイラ城はリガンティン岩と呼ばれる小高い岩山の上に建っており、急峻な岩肌に背後を守られたその下にはヴァノワ川が流れ、その川から堀に水を引いていた。さらにその向こうには豊かな森が広がり、領主の狩猟地の向こうには農民たちの耕す田畑が遥か遠くまで広がっている。レガイラ城の歴史は古く、築城の初期の基礎部分を残し、他は増築や改修の繰り返しにより、徐々に今のように要塞化していったわけである。

 

 レガイラ城は、リッカルロが城主として居館としている天守閣(主館)に至るまで、三つの城門を通らねばならず、その門すべてを通る途中にも、城塔の上や歩廊、城壁にある矢狭間から侵入してきた敵を狙い打ちに出来る構造となっている。とはいえ、レイラが向かっていたのはニ番目の城塔門を通過した、城の中郭にある外部築城のひとつであり、ここでリッカルロはオルバニー領の領主として、週に二度ほど民から苦情や陳情を受け付けていた(中には話が長くなるため、訴状を携えて渡す者も数多くいる)。

 

 無論、リッカルロがクレオン塔の謁見の間で背の高い玉座に腰かけている間――領民らは長蛇の列と化すのが常ではあったが、その日は異常ではないかとレイラには思われた。いや、行列に並ぶ間、前後にいる人々の話を聞いていて、事情についてはある程度理解していた。みな、戦争から無事帰還し、さらには傷病兵の見舞いへ赴いた王子にとにかく一言挨拶がしたいとのことで……何かちょっとしたものを貢ぎ物として携え、「王子さま、ご無事で何よりでございました」、「天守閣に金の不死鳥の紅い旗が揚がっていない間、わたくしどもはただひたすら王子の身の安全を祈り続けておりました」――何かこうしたことを一言二言話しては、最上のワインを樽ごと置いていったり、狩猟した獣の最上部位を調理したものを捧げていくわけであった。

 

 こうした者たちは、リッカルロが忙しい身であると重々承知しているゆえに、ほんの短い間話すとすぐ辞去するのであったが、無論オルバニーの領主であるリッカルロがいつ戻ってくるかと待ちに待ち詫びていた市民らにとっては、『これでようやく自分たちの法的問題を取り上げてもらえる』と思い、財産を不法に没収された未亡人などは、涙ながらに切々と訴えを述べていたものである。

 

 レイラもまた暑い中、こうした人々の列に並んでいたわけであるが、吊り橋の下がった城門を過ぎ、マシクーリの施された城塔と城塔の間の城壁を眺めやりつつ、衛兵が歩廊から見下ろす中、彼女は額の汗を時々拭きながら、静々と少しずつ前へ進んでいった。そして、三時間半ほどもそうしてから、ようやくリッカルロ王子のいるクレオン塔の中へ入ることが出来ると、レイラは暑い陽射しから解放され、ほっと溜息を着いた。塔内は少しばかり涼しくもあったからだ。

 

(アデレアもシーリアもイーディも、こんなふうに長い間行列に並んで、リッカルロさまに会いにいったのかしら……)

 

 そう思うとレイラは、侍女たちに対する感謝の気持ちが込み上げるのと同時、青銅石の階段を一段一段上るごと、少しずつ不安になってもきた。アデレアやシーリアやイーディに対しては、侍女である彼女たちの忠誠心に免じて……というところがきっとあったに違いない。けれど、自分は違う。『一体おまえはこんなところまで何をしに来たのだ!?』と、不機嫌になる可能性だって当然ある。そう思うとレイラは自分の決断に後悔と躊躇いを覚えはじめたが、かといってもう三時間以上もこんなふうに待ち続けたのだ。

 

(せめて一目でいいから、あの方にお会いしてから帰ろう……)

 

 最終的にそう心に決めるも、謁見の間の大扉が開いているのが見え、そこから人声が洩れ聴こえる段になると、レイラはなんだか無性にドキドキしてきた。一度か二度、発作的にこの行列から離れ、ダッと逃げ去りたいような衝動にさえ駆られた。けれど、無表情な衛兵がふたり、槍を片手に扉を守るその奥から、民の訴えと、それに答えるリッカルロの声が聞こえてくる頃には――レイラは(ここまで待った甲斐があったわ!)と思い、心の隅々までが喜びで満たされたものである。

 

「土地問題を解決してくれたことに対する礼だと?いや、その金の杯はそなたが持って帰るがよい。気持ちだけ受け取っておこう……それで勝利の美酒にでも酔うか、売り払うかして金に換えるか、好きなようにするといい。とにかく、この城では杯の数に困ってはいないのでな」

 

 このあと、さらに二、三のやりとりがあってのち、退室の挨拶とともに、身なりのいい女性が謁見の間から出てきた。左右に持ち手がつき、真ん中あたりにぶどうの房に囲まれた女神の顔のある、実に立派な金杯だった。次の人物もまた、短い時間ですぐに出てきた。なんでも、「新しいパン種でパンを作ったら美味しく出来たので、王子や城のみなさま方に試食して欲しい」と思ったということらしい。これについてはリッカルロは受け取った。気の良さそうなパン屋の主人は、謁見の間から出てくると、廊下を口笛を吹きながら階段のほうへ向かっていたものである。

 

 次の訴えは少々深刻なもので、不法侵入に遭い、色々と家の中のものを盗まれたが、警吏たちに訴えても動いてくれなかったというものである。リッカルロは彼らの住む区画や名前を書記官に書き込ませると、「調査するよう命じておこう」と請け合っていた。やって来た中年夫妻は、「並んだ甲斐があって良かったね」、「ああ、本当に良かった」と小声で身を寄せ合いつつ、レイラの横を通りすぎていったものである。

 

 大抵の市民が五分程度の訴えによって謁見の間を出てきたが、それ以上に長くかかりそうな場合は、書記官が法務官庁や所領省その他、各関係機関に紹介状を書き、オールバニー領主の公爵印が捺されたものを受け取るのに、隣の部屋のほうへ移ることになるようだった。

 

 レイラはリッカルロの領主としての仕事が多忙を極めるものであることは一応理解しているつもりであったが、その一端に触れることが出来て、この時心から良かったと感じていた。

 

(それなのにわたしったら、毎日リッカルロさまが会いに来てくださらないことであれこれ理由を考えついてはうじうじしてばかりいたんだわ。なんて愚かで馬鹿な女だったことでしょう……)

 

 そう思うと、レイラはなんだか恥かしくなってさえきたが、もう前に並ぶ人々の数も少なくなり、もう三人ほど訴えとその処理が終わったとすれば、彼女の番だった。

 

(どうしよう……なんだか本当に帰りたくなってきてしまったわ。それに、わたしのあとにだって、何人も人が並んでいるのだし、中で話してる声だって聞こえるってことが、今まで待ってるうちにもよくわかったものね……)

 

「税金が支払えなくて家財その他差し押さえられたが、金を用意できたのに元に戻してもらえなかったのか……ううむ。税の徴収所のほうではなんと言っておるのだ?」

 

「はあ。それが……遅延金が生じているはずなので、その沙汰があるまで待つがよいと。その……それから三か月にもなるのでございますよ。私と致しましては、その三か月分も遅延金に加わっているのではないかと心配で心配で……しかも、取り押さえられた屋敷のほうには、誰か人が住みはじめたようでございまして。いわゆる又貸しというものなのではないかと思うのですが、こちらに関しては『そんなことを言うならまずはミミを揃えて金を払え』の一点張りでして……」

 

「そうか。では、その件に関しては少々こちらで調べさせよう。それで、今間借りしている親戚の家からも、なるべく早く出ていってもらいたいと言われておるのだな。隣の部屋に俺の法律顧問がいるから、どうすれば良いか、詳しく相談するといい」

 

「は、はいっ……!!王子さま、ありがとうございます」

 

 レイラは、自分の前にずっと立っていた背の高い男が、何故ずっと憂かない顔をしていたのか、話を聞いていて初めてわかった。打って変わってすっかり明るい顔になった緑の装束を着た男は、緑色の帽子に赤い羽根の帽子を胸に抱えたまま、隣の部屋のほうへ足取りも軽く移っていく。

 

 こうして、とうとう自分の順番がやって来た時――五段ある木製の短い階段を上がった壇の上、まわりを臙脂色に金の房飾りの覆い布に囲まれた真ん中に座す、自分の愛する男の姿を見上げた。リッカルロは一瞬言葉を失ったように見えたが、レイラが敬意をこめて深々と膝を折って挨拶すると、慌てたように彼は飛び上がっていたものである。

 

「きょ、今日の民の陳情受付は、これまでとする……っ!!」

 

 真面目そうな顔つきの書記官は、書状をしたためていた手を止めると、表の衛兵に合図して、扉を閉めさせた。廊下のほうは途端にがやがやしだしたが、「今日はこれまでだっ!!」、「リッカルロ王子はもう、半日近くおまえたちの苦情を受けつけておられるのだからな」といったように言われると、がっかりしながらも、それなりに納得して引き返していったようである。

 

「申し訳ありません。わたし、ほんの五分ほどでもお話できたらと、そう思ったものですから……」

 

 書記官は気を利かせたのかどうか、すぐに「それではわたくしはこれにて」と言って、無表情かつ優雅に、隣の部屋のほうへ移っていった。ゆえに、謁見の間のほうにはリッカルロとレイラのふたりきりになっていたのである。

 

「いや、いいんだ。俺もそろそろおまえの屋敷のほうへ行こうと思っていたのでな」

 

 レイラはリッカルロのこの物言いに、少しばかり傷ついた。先ほども自分が訪ねてきて嬉しいというよりは、何かやましいことでもあるように、彼が怯えているようにしか見えなかったのである。

 

(やっぱり、そうなのかしら……マルテさまのおっしゃっていたとおり、わたしの他にも誰か女性が……?)

 

 このあと、リッカルロは手を打ち叩いて誰かに命じるでもなく、謁見室の隅のほうにあった椅子を運んでくると、自分の玉座の隣に置いた。それから、レイラに対して猫においでおいででもするように、手で招き寄せる仕種をする。彼女は大人しく彼に従ったが、それでもその背の高い、背面や脚の部分に彫刻細工のある立派な椅子に座るのは躊躇われたものである。

 

「いいから、座れ。俺が許す。それに、結局のところいずれはそうしたことになるのだからな」

 

 レイラは、リッカルロの言った『いずれはそうなる』という言葉を、当然正妻になれるという意味には受け取らなかった。ただ、彼が以前自分を見ていた時と同じ、嬉しい顔つきをしているのを見て――そのことを彼女のほうでも喜び、言うとおりにしたというそれだけだった。

 

「元気だったか?いや、どうやら痩せたようだな……もっとよく顔のほうを見せてくれ」

 

 以前そうであったように、リッカルロはレイラの手をぎゅっと掴むと彼女の顎をもうひとつの手で上げた。その迷いのない仕種、断固たる自信に溢れた態度、じっと覗きこむ瞳の曇りなさによってレイラにははっきりとわかる――何も疑う必要などない、この方がただ待っていろと言うのであれば、それが一番正しいことなのだということが。

 

「す、すみません。急にこのような場所へ訪ねてきたりなんかして……ただ、心配だったのです。本当にご無事で、お元気なのかどうかということが……」

 

「ああ、もちろん元気だ。何分今回のことで、色々と考え方が変わったものでな……何より、生まれついての自分の醜さのことなど何ほどのものでもないと思うようになったのだ。自分よりもっと酷い境遇の人間と比べて、自分など遥かにマシで恵まれた境遇にある、そのことを神に感謝しよう、などというのではなくな。どう言ったらいいか……彼らはなんの罪もなく美しい善人であったのに、ただありとあらゆる病いがそうであるように、運悪くそのようになってしまったわけだ。確かに、病気のほうがかなりのところ進行すると、一目見ただけで一瞬ギョッとするというのは確かだ。俺はまあ、自分と最初に会った人間が大体ギョッとするのを見てきたからな、彼らのことをとても人事とは思えなかった。ところが、新しい看護場所を確保してそちらへ移そうとすると、あの惨めな、暗く苦しい<らい者の塔>から移動したくないなどと言うではないか!自分たち如きのために、王子の俺の手を煩わせ、そんなに色々していただいては申し訳ない、新しい場所で誰かに病気を移すかもしれない、そのくらいだったらこのままここで静かに死にたいなどと申すのだな。結局、強制的に担架に乗せ、砂漠の道はルパルカに乗せた天蓋付きの御輿で、その後の道は馬車で時間をかけて運んできた。俺は何もしてないが、病人たちと彼らを運んできた者たちは確かに大変だったろう……だが、今はリノヒサル城砦というところで、前よりもずっと快適な環境で看護を受けているんだ。戦争で怪我をした者たちも多くが快復してきたし、俺としても本当に心からほっとした」

 

「そうだったんですね……それなのにわたしったら、きっとあなたが心変わりしたに違いないだのなんだの、随分くだらないことで悩んでばかりいたんですわ。本当につまらない、恥かしいことです」

 

 レイラが瞳を伏せ、自分から顔を背けて恥かしそうにすると、リッカルロの彼女の手を握る手に力が込もった。彼としては、ただ本当に長く留守にした間、レガイラ城ですべき領主としての仕事が山のように溜まっていたというそれだけだったのだ。

 

「いや、いいんだ。それより、嬉しい知らせが色々ある……おまえの叔父のローランド=ハクスレイを知っているな?」

 

「ええ。今は元ハクスレイ領の……いくつかに分割された土地を地方地主として治めています。父が領主として無能であったがゆえに、土地や家屋や財産などが散逸することになったと言って、最後に会った時には物凄く怒っていました。でも、叔父さまは自分の治めていた広大な土地については買い戻せたはずですし、父と敵対することになった他の周囲を取り囲む地方郷士たちとは、妥協してうまくやっているのではないかと思います」

 

「それで……今はカーンディール州と呼ばれている、元はおまえの父親の領地だった場所なんだがな、おまえの叔父に爵位を与え、治めてもらうことになるやも知れぬ。その前に、レイラにはローランド叔父の養女となってもらえれば……おそらく俺は、おまえのことを正式に妻として娶ることが出来るに違いない」

 

「…………………っ!!」

 

 レイラは、玉座の腕木の上、自分の手を握っていた恋人のそれから引くと、両方の手のひらで口許を押さえた。そんなことが本当に実現するとは、とても信じがたかった。

 

「で、でも叔父さまは、父や母や、わたしたち家族が助けを求めても自業自得であるとして、犬でも追い払うようにして追い払ったという人なんですよ?それに、子供や孫だってたくさんいるでしょうし、それなのにわたしを養女にだなんて……」

 

「よく考えろ、レイラ」

 

 リッカルロはレイラの座る椅子のほうへ身を乗りだすと、もう一度彼女の手を握り、情熱的なキスを甲の上にした。

 

「すべてはただの、形式的なことだ。それに、これはローランド=ハクスレイにとっては願ってもない話なんだぞ?彼は自分が死ぬまでに、どうにかもともとあった自分たち一族の領地をひとつにまとめ上げたいと考えていた。それが、特に自分のほうで何もしなくても、ただ姪のおまえのことを養女にするというだけで叶うんだ。それに、今後は王家の後ろ盾がついたにも等しい身分にもなるわけだからな……だが、そのためには色々と根回しをする必要があるし、そうした意味でも時間のかかることだ。その間、愛しのレイラ、おまえには待っていてもらわなくてはならないが……」

 

「そんな……わたし、わたしのような者がリッカルロさまの正式な妻にだなんて……考えてもみませんでした。いいえ――考えてはみるのよ、一応。でもそれは、ただの楽しい妄想世界の出来事で、儚いいっときの夢みたいなものなんですの。それなのに、そんな夢のようなことが本当に現実になるだなんてとても思えませんわ。ええ、とても……」

 

「何を言う。おまえ以外に……いや、おまえほど俺に似合いの妻が他にいるか?俺としては、レイラを正式な妻として迎えられないのであれば、一生独身でも構わないとすら思っていたが、リノヒサル城砦にはリノル教の教祖のような聖女さまがいらっしゃってな。なんでも彼女の話によれば、俺がこの国の王になるべき運命だとかなんとか……いや、みなまで聞いてくれ、レイラ。俺はな、敬虔で信心深いおまえと違って、この世界で神と呼ばれるもののすべてが神だとまでは思っていない。たとえば、泥棒を守護する聖人なんていうのがいるな?あるいは、錠前屋を守護する神とか……それぞれ、十一月二十日、八月八日がその神や聖人を思い出す日として定められている。そこで人は十一月二十日に、人に借りていた金や物を返したり、貸していた金や物を取り立ててもよいという風習がその日にはあったりするわけだし、八月八日に錠前を取り替えると泥棒に入られないなんていうジンクスが存在したりする。まあ、それはそれでいいんだ。もっとも、毎年十一月二十日になると、必ず無理に金を取り立てようとして逆に怪我をしたり殺されたりする事件が起きるっていうのがなんだが……それはさておき、錠前専門の神がいようといまいと、俺はどちらでもいいような気がしている。リノル教にしてもな、半分くらいはそんな迷信めいた神を崇めているんじゃないかと思っていたんだ。だが、リノル教の修道士や修道女たちの患者に対する献身は本物だし、そのような素晴らしい献身を生む精神性の土壌として何があるのかとか、そうしたことに興味を持った」

 

「わたしも……聞いたことがあります。リノル教の信者たちというのは、星のお導きを信じているとか……」

 

 リッカルロは、レイラの瞳が少しばかり曇るのを見たような気がした。もしかしたら、自分が何か特定の宗教を贔屓にし、王になった暁には国教にしよう……とでも思っていると、そう感じたのだろうか?

 

「そうなんだ。彼らはな、星の運行を読み、それで国や人の運命を占うらしい。それで、もし俺がこの国の王にならなかった場合、この国を二分するような戦争が起きるということだった。リノレネの聖女にしても、そう予言しておいて俺が王になった時に自分たちの宗教を保護して欲しくてそんなことを言ったわけじゃない。とにかく、俺が受けた印象としてはそんな感じだった。それに、俺はこれでも一応腐っても第一王子といったところなわけだしな。黙っていても自然、俺がこの国の王になると、<東王朝>の最低でも七割くらいの民たちはそう信じていることだろう……一番最初に生まれた男の王子が王になるのは当然のことだ、といった意味でな。だから、そんなのは予言でもなんでもないだろう、ということはリノレネの聖女もわかっている様子だった。まあ他に、大体四年後くらいにまた戦争が起きるということだったが……」

 

「戦争ですって!?」レイラはハッとしたように息を飲んで言った。「そんな――ついこの間、やっとあなたが帰ってきたばかりと思ったのに……」

 

「心配しなくていい。とにかく、俺には隣のペンドラゴン王朝とやりあう気なんか、向こうが攻めてくる気配でも見せぬ以上、これっぽっちもありはしないのだからな」

 

 リッカルロはレイラの指の一本一本に自分のそれを絡ませると、愛しそうに彼女の手に何度となくキスを繰り返す。

 

「リノレネの聖女が言うにはな、今から四年後くらいに、隣の<西王朝>では内乱が起きるそうだ。だが、その内乱に乗じて<西王朝>へ攻め込んだりしないほうが賢明だという話だった。わかるか、レイラ?もし本当に今から約四年ほどして――まあこの場合、二~三年くらいの差異があったとしても、許容範囲としよう。<西王朝>へ潜りこませている間者らからそのような報告があったするな?その場合、リノレネの聖女の予言は当たったとして、俺は絶対に戦争はしない。このこと、どうか覚えておいてくれ。レイラ、俺はな、確かに今後、ここオールバニー領の領主として、あるいは一国の王としてかもしれんが、やむなく戦争せざるをえないことはあるかもしれん。何より、自分の国の民を守るためにな……だが、無駄に兵士が命を落とすだけの戦争のようなことは絶対にしない。何より俺は、こうした大切なことについてはすべて――レイラ、おまえと一緒に相談して決めていきたいと思っている。こんな愚かで醜い男のことを、これからもおまえの優しさと愛情で支えてくれるか?」

 

「そんな……そんな――リッカルロさま。わたしなど、あなたに比べたらただのはした女です。わたしなどより若く美しく聡明で、相応しい身分の女性など、他にいくらもいることでしょう。それに、あなたは愚かでもなければ醜くもないわ。ここオールバニーの領民たちはみなあなたを慕っているし、それはあなたが王になられた時もまったく同じようにそうでしょう。ただ、もう少しよく考えてください。いずれあなたが王となる時、どの貴族の女性を娶るのが一番正しいか……そこに、私情を差し挟めてはいけないということくらい、わたしのように子供の頭のような女でもわかっているつもりです」

 

 リッカルロは愛人の手を握っていないほうの指で、コツコツと玉座の腕木を叩いた。不機嫌になったというわけではない。ただ、この話をすればレイラもすっかり喜ぶものと、そう思い込んでいたわけである。

 

「ああ、そうだった。それで、そのリノル教の聖女がな、戦争のことの他に、こう言ってきたのだ。今つきあっている愛人と結婚すればうまくいくといったようなことをな。一応、俺に対するご機嫌取りのためにそう言ったのでない裏を取るのに、それが本当におまえのことで間違いないか、少しばかり質問した……まあ、そんな星占いのようなことを男の俺が信じるだなんてとおまえは笑うかもしれんがな、そのリノレネの聖女と呼ばれる女性は目が見えない割に、とてもそうは思えぬほど、色々なことを知っていた。というわけでな、俺は人並か人並以上に疑い深い傾向にある良くない人間だが、彼女の言うことを信じることにしたんだ。それが自分にとって耳に心地好いことだからといった理由ではなくな……親父の奴は、約四年後に<西王朝>で内乱が起きる前までに亡くなるだろうという話だったし、俺は結婚くらい自分の自由に好きな女としたい。何分、王とかいうやつはなんでも出来ると一般に思い込まれているが、残念ながらそれは民たちの間にあるただの幻想だ。むしろ逆に俺は自由になんでも自分の好きな通りには出来ず、フラストレーションが溜まるような生活を送ることになるやも知れぬ。だが、そういう時、レイラ、おまえにそばにいて欲しいんだ。これが俺のこの国の世継ぎとしての唯一の我が儘のようなものだ……それを、その唯一の俺の願いを、おまえは叶えてはくれぬと言うのか?」

 

「いいえ、いいえ――リッカルロさま、決してそのような……ただ、もしわたしがローランド叔父さまの養女となり、一応は元の通りの侯爵の娘になったとしても……わたしにはなんの有力貴族の後ろ盾もなく、王子さまの評判を傷つけることしか出来ないのではないかと思うと……」

 

 レイラはあまりのことに、瞳の縁に涙を溢れさせた。自分の愛する人がそこまでのことを考えてくれていたのは、本当に嬉しい。けれど、自分もローランド叔父にも、なんの力もないと彼女にはよくわかっていた。叔父は伝え聞いた話によれば、小作農民たちから厳しく搾り取るような形で土地を治めており、またそうでもしなければ地方地主としてやっていけないほど生活のほうが苦しいのだろう……ということだった。そして、こうした事柄全般について『そもそもおまえの父親が領主として無能だったからだ』と、今も恨みに思っているに違いないと、彼女には痛いほどわかっていた。

 

「ああ、そのことか」

 

 自分がレイラの手をぎゅっと握っているため、彼女は空いているほうの手で溢れる涙を拭った。リッカルロとしては、レイラの清らかな涙によって自分の気持ちが十分通じているとわかり、そのことさえわかれば、あとのことはほとんどどうでも良いくらいだった。

 

「心配しなくていい。他のことについてはな、まあ大体のところどうとでもなる……それよりも、他のことを心配してこう考えてみてくれないか?俺が、政治的にもっとも最適と考えられる相手である有力貴族の娘と結婚し、その後実に不幸で惨めな生活を送っているところをな……貴族たちは手前勝手で、自分の権力にとって利益になることしか考えていないし、そのためなら恥知らずなお追従なぞいくらでも俺の前で述べ立てることだろう。王宮なんていう場所ではな、実際のところ信じられる人間なぞ誰もいない。いいか、誰もだぞ?政敵同士はにこやかに笑って握手しながら、いつ相手をその座から蹴落としてやろうかと算段してばかりいるし、簡単に言えばな、権力というものには限りがないのだ。たとえば、マクヴェス侯爵がいい例だろう。娘が世継ぎとなりうる王子をふたり生み、俺にもしものことがあれば王宮における絶対権力が手に入るというわけで、陰謀を巡らし、布石として打てるだけの手を打った……もし今後、リア王が崩御し、新しく俺が王位に就いたとしても、そんな針のむしろの王座からは即座に走って逃げ出したくなるようにな。だが、マクヴェス侯爵は恥知らずにも、少々やりすぎたようなのだ。大法官の地位やら、非常に見入りのいい大蔵卿の地位やら、その他多くの政治的主要ポストに自分の一族か息のかかった者を送ろうとした。こうなるとな、流石に親父のほうでも面白くないというわけで、よく走る駿馬の足をあえて折ることにしたらしい」

 

「それで、今王宮ではどのようなことに?……」

 

 レイラはおそるおそるそう聞いた。彼女は、リッカルロの母ゴネリルの次に王妃となったメアリ=マライア妃と双子王子の後ろには、マクヴェス侯爵が強力な後見人として控えているらしい、ということくらいしか知らない。

 

「親父の奴は、足が悪くなったのをきっかけに……その足が悪くなったのもどうやら、マクヴェス侯が関係しているらしいのだがな、大きな政治的ポストからマクヴェス一族を追放しだしたのだ。どの政治的役職にある者も、王の一声によってその役職を罷免されもすれば、また新たに任命されもするというわけでな、煮え湯を飲まされたも同然のマクヴェス侯爵がこれからどう出るかはわからん。俺としてはせいぜい、自分が毒殺されたり暗殺されたりしないよう、今後とも周囲に気を配るというそれだけだ」

 

 自分でも口にしていて、リッカルロは暗澹たる思いがした。彼の場合、自分のことはともかくとして、レイラのことが何より心配だった。王宮には当然、毒見係がいる。だが、徐々に毒物が体内に蓄積していくことでよもや足が動かなくなるとは……あの疑い深い自分の王にしてからがマクヴェス侯爵には「してやられて」いるのだ。これはよくよく注意してかからねばならないだろう。

 

「本当に、わたしでよろしいのですか……?」

 

 レイラは震えつつ、そう聞いた。(カルロさま、カルロさま、どうしてあなたはカルロさまなのでしょう……!!)心から愛すればこそそう思い、眠る彼の傍らで静かに涙を流したことが一体何度あったことだろうか。けれど、結婚という形で結ばれたからとて、何かの苦しみや困難といったものが人生でなくなることはなく、べつの苦しみや悩みといったものはおそらく続いていくものなのだろう。

 

(けれど、それなら心から愛する人と共に悩み、苦しみ、人生を送っていったほうがきっといい。もし、そうしたパートナーとしてリッカルロさまがわたしを選んでくださるというなら……わたしはそのためになんでもしよう。おそらくは妻となればなったで、その立場の苦しいことやつらいことがあり、愛人のままでいたらいたで、自分のことを日陰者の惨めな存在と感じて悩むものなのだろう。どちらにしても、悩みや苦しみを伴わぬ人生などありはしないというのなら、わたしはこの方と、リッカルロさまと喜びも悲しみも共にして生きていきたい……!!)

 

「気持ちが決まったか?」

 

「はい……わたしのことは今まで通り、なんでもリッカルロさまのお好きなようにしてくださいませ」

 

 レイラの瞳から涙が引き、彼女がレースのハンカチで目尻のあたりを拭っていると、リッカルロは隣の彼女の足許に跪いた。

 

「レイラ=ハクスレイ。この口裂け王子と呼ばれることさえある醜い男と、本当に結婚してくれるというのか?」

 

「はい、喜んで……!!それに、実際にはリッカルロさま、あなたは少しも醜くなどないのよ。本当に、男の方なのにそんなことを気になさったりなんかして、気の小さいお方。でも、そんなふうに思い込んでるあなたが愛おしい。本当は、わたしでなくてもあなたの妻になりたがる女性なんて星の数ほどもいるのに……こんな身分も財産も何もない娘とだなんて、本当に見る目のないお方だわ」

 

「そう言うな。第一、目の見えない振りをしていたおまえが、そんな言い方をするものじゃない」

 

 リッカルロはレイラの手の甲に口接けると、彼女のことを立ち上がらせた。それから壇上を下り、ふたりで抱きあったままワルツを踊った。もちろん、彼らの耳に音楽は聴こえておらず、心の中にだけ響いている。そしてその音楽に乗って優雅に体を揺らし、華麗にステップを踏んだ。ふたりの息はぴったりだった。

 

「実際のところ、レイラ、おまえの目が見えていて本当に良かったよ」

 

「でしょう?わたしもね、マルテさまに言ったのよ。そんな嘘をつくのはどうかしら、みたいにはね。でも、リッカルロさまは容姿のことをとても気にしておられるようだからって言われたのよ。本当に、おかしな方。『自分は王子なのだから、好きにさせろ』と、そう一言おっしゃればよろしいだけのことなのに……」

 

「まあ、そう言うな。俺が王子だからとか、金を持ってそうだからとか、そんな理由でなびく女なぞ、俺はそもそも興味がないのだからな。そして、一番良くないのが『王子なのであれば、彼の醜さにも耐えてあげなくてはいけない』といったような手合いの女だ。無論、そこには善意や優しさや同情といった感情があるのだろうが、俺はそういうことには我慢できないプライドの高い質なのだ。自分でも時々、始末に終えないと思うほどな」

 

「いいえ、そこがリッカルロさまの良いところですわ。でなければわたしのことも、ただの愛人一号として、すぐそこらへんにうっちゃっていたのではなくて?それで、愛人二号や三号、六号や八号といちゃつきはじめて、正妻には政治的に利用価値のある女性とだなんて……いいえ、どうなのかしら。男の方にとってはやっぱり、そうした人生のほうが幸福ということ?」

 

「さて、どうだか」リッカルロはマキューシオのことを思い浮かべておかしくなった。「そうした男もまあ、この世界にはたくさんいるだろうな。だが、俺はもういいんだ。むしろ、こんなに早く結婚という件について何も迷うことなく決められるとは思ってもみなかった……ああ、そうだ。レイラ、もうあの屋敷へ帰る必要はないぞ」

 

「えっと……」

 

(どういうことだろう)とレイラが訝っていると、不意にリッカルロは彼女にキスした。ふたりの間で、一時的にダンスが止まる。

 

「これからは、ここに住むといい。一緒に、というわけにはいかなくとも、普段使っていない来客用の城塔もあるからな……とにかく同じ居住区画にいれば、城下町のあの薔薇屋敷へ行くより、ずっと行き来がしやすくなるだろう」

 

「そんな……いけません。結婚前から一緒にだなんて、リッカルロさまはなんてふしだらな娘と結婚しようというのだろうと、良くない噂が立つに決まってますもの」

 

「心配しなくていい。オールバニー領は俺の庭、そしてここは俺自身の城なのだからな。俺の好きなようにして悪いということは何ひとつとしてないのだ。おまえだって先ほど言ったばかりではないか。『俺は王子だ、好きにさせろ』という態度でいればいいのだと……」

 

「ずるいですわ。そんなふうに揚げ足をお取りになったりなんかして……」

 

 レイラはリッカルロの黒羅紗に金刺繍の服から体を離そうとしたが、彼は彼女の細いドレスのウエストを離そうとしなかった。そのまま、暫くふたりきり、抱きあったままの形となる。

 

「アデレアたちには、使者を送り、近いうちに荷物をまとめてこちらへ移ってくるようにさせよう。心配しなくていい。おまえのご機嫌を窺うような態度の者しかここには存在してないのだぞ?何より、結婚できることが決まった以上、もうあれこれまだるっこしいことをするのに俺は飽きたのだ。しかもレイラ、おまえの叔父のローランド=ハクスレイを侯爵にし、おまえのことを養女にさせるまでには色々と根回しするにも時間がかかる。それまで、ずっと俺にお預けを食った犬よろしく待っていろというのか?」

 

 時間だけじゃなく、周囲の地方豪族どもを説得するには、金もかかる――という言い方をリッカルロはしなかったが、レイラも説明などされずとも、そのことはよくわかっていた。単に彼は恩着せがましい言い方をするのが嫌なのだとも。

 

「なんでも……わたしはリッカルロさまのおっしゃる通りに致します。ただ、心配だったのです。結婚する前から同じ城内で暮らすだなんて……今からすっかり女房気取りでいるに違いないなどと陰口を叩かれたりするのでないかと、そんな気がして……」

 

「大丈夫だ。俺が必ずおまえを守ってやる。第一、同じ城内などと言っても、俺たちはそれぞれ別の離れた場所で暮らすのだ。何分、レガイラ城は広いからな。上城と中城と下城とあって、他にも大小の城塔が七十八ばかりもある。俺は宮殿のある主館にいることが多いが、そうだな……中庭にはガラスの宮殿と呼ばれる温室があるから、そのそばのクレオニール塔あたりがいいかもしれんな。そこからなら主館までやって来るのに、さほど馬鹿のように歩かずに済むし……」

 

「本当に、およろしいのですか?」

 

「もちろん、いいに決まっている!レイラ、俺はこの城砦都市すべての上に立つ城主なんだぞ。さて、そうと決まったら早速準備させよう。それまでは、俺の主寝室にでもいるといい」

 

 リッカルロはそう言うが早いか、愛しのレイラの薔薇色の頬にチュッとキスして、従者らに婚約者の居室の準備をするよう命じるため、隣の部屋まで行った。彼の法律顧問らのいる右隣の部屋ではなく、左隣の部屋では王子の従者や伝令係や取次役などがいて、彼らは本を読んだり、書き物をしたり、あるいはトランプをしているところだった。

 

 こうした従者たちは、本日の陳情受付が終わったことを当然知っていたし、書記官のサフォルドから聞いて、王子の愛人殿が訪ねてきたともわかっていた。そこでヒソヒソ噂話することになったのだが、侍女たちに部屋の用意をさせるよう命令を受けると、その従者は実に残念がったものだった。何故なら、これからリッカルロ王子と彼の愛人の後についていき、ふたりの関係その他について、新しい情報を仕入れるのは自分が最後になるとわかっていたからだ。

 

 言うまでもなく、自分とリッカルロの後ろから、従者が五人も六人もぞろぞろついてくるのを見て、レイラは落ち着かなかった。「慣れろ。あるいは、彼らは存在しないものと思え」と小声で囁かれても、レイラとしては気にならざるをえない。こののち、レガイラ城砦において、隠し事は何も出来ないらしいということをレイラは知るようになるのだが――かといって、彼女のリッカルロに対する愛情は変わらなかった。ふたりきりになりたい時には必ず人払いが必要だったが、リッカルロが特に信用の置ける者と気に入っている者しか側近として置いていないこともよく知っていた。

 

 レイラはある意味、最終的にとても大きな権力の座に就いたと言えたに違いないが、彼女は自分の手に入れた権力の意味や、影響を及ぼせる範囲やその種類について、どうやら最後まで理解していなかったようなところがある。だが、それであればこそだろうか。レイラは自分が落ちぶれた侯爵令嬢であったところをリッカルロに救われたことを終生忘れなかったし、常に態度のほうも控え目で、宝石や金銀細工やドレスといったものに多少の興味を持つのも――自分がリッカルロの隣にいて恥かしくない存在であるためといった意味合いのほうが大きく、そうした意味で贅沢をするといったこともほとんどなかったのである。

 

 レイラはリッカルロと正式に結婚するまでの間も、正式に彼の妻となったあとも、レガイラ城砦に仕える人々に好かれた。そして、それは彼女が王妃となり、王都へ移住したのちも変わらなかったのである。無論、王城においてはまた別の新しいしきたりがあり、慣れるまでの間、色々な気苦労に時に押し潰されそうになったことは事実である。けれど、そんなふうにレイラが弱っている時にはリッカルロが支え、逆に彼が王として気が塞いでいるような時、レイラは彼にとってこの上もない最上の癒し手となった。そして、彼女はオールバニー領の人々が親しみを込めて彼女のことをそう呼んだように……王都コーディリアにおいても、「汚れなき娼婦」と呼ばれ、心から国民に愛される王妃であり続けたのである。

 

 

 >>続く。

 

 

 

 

 


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