Seriously?

ひとりごとです

映画 ■■ アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル ■■

2018年06月19日 | 映画
見逃してたのを
名画座で観てきました
観てよかった…



映画 ■■ アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル ■■



主人公トーニャは
すっごく嫌いなタイプの人なのに
どうしようもなく惹かれた



観終わって感じたのは
「人間関係は
人生を左右する」ということ

人生の方向を決められたり
騒動に巻き込まれたり
考え方影響受けたり
感化されたり



母親は選べないとしても
ほかの人間は
どうやったら
「自分を転落させる人」と
関わらないでいられるのだろうか?

インスパイアされたり
励まされたり
お手本になったり
「いい方向へと導いてくれる人」には
どうしたら出会えるのだろう?
と、考えていた

会うべくして会うのか
それともただの偶然か



トーニャ・ハーディングは
女子スケーターでは伊藤みどりに次ぐ
史上二人目
アメリカ人では初めて
トリプルアクセルに成功した

アメリカのスケート界の誇りとして
アメリカ中の人から尊敬され
いつまでも愛されるべき偉業を成し遂げた

なのに実際には全く逆で
アメリカスケート史に残る
「恥ずべき人」として
記憶されることになってしまった



フィギュア・スケートは
金持ちでないと
高価なレッスン料やシューズ代や
衣装代など払えないから
出来ないのに
トーニャは
全く縁のない貧しい家庭に育ちながら
挑戦していた

類稀なる才能を持っていたのに
高価で上品な衣装など用意できないし
レッスン代にも限界があった
裕福な家庭の選手に比べると
かなりのハンデを負っていた

もしも彼女が
彼女の才能を
思う存分に開花できる環境にいたら
どうなっていたんだろう?
と、つくづく思う
不運な人だった



でもまず
彼女がスケートに惹かれたのは
あの母親の子どもとして生まれ
あの母親に育てられたからこそ

トーニャは
今流行りの「承認欲求」が
すごかったんじゃないかと思う

それは、母親から虐げられ
「ダメだダメだ」と
言われ続けていたから

自分を見て欲しい
「すごいね」
「よくやったね」と、言って欲しい

多くの人に注目されながら演技をし
拍手を浴びることで
母親から「ダメだダメだ」と
否定されボロボロになっていた心が
大きく打ち震えて
その快感に取り憑かれたのだと思う

「自分は生きていてもいいんだ」と
確認できる場所だったんだな
リンクが

そして母親の全否定は
「負けるもんか」と
いい方向に闘志を掻き立てて
精神的にタフにしてくれたのかな?
と、思う



でも、基本的に
トーニャは自分に自信がないんだよ
自分は愛される価値のない人間だと
母親によって刷り込まれてる
(この感覚他人事じゃない)



DV男を引き寄せてしまうのも
彼女に引き寄せてしまう
何かがあったのかなあ

でも、暴力振るわれても
「自分が悪いから仕方ない」
と、思ったり
男が束の間反省して優しくなる
ハネムーン期に
ますますハマって
DV男から逃げられなくなるのは
母親から否定されて育って
自己評価が低いからなんだろうな…



そしてDV男の友達がまた
どうしようもない妄想虚言癖の持ち主で
まともな人などいなかった
どうしようもない人達ばかりだった

類は友を呼ぶなのかな?
同じような価値観の人たちと
一緒にいる方が心地いいから
どうしようもない人には
どうしようもない人が
吸い寄せられるのかな?

それで
まるで
「貧すれば鈍する」とか
「貧しい人達は
心も貧しくなる…」
って言っているような気がして
悲しくなった



じゃあお金持ちは
良識があるのかと言えば
そんなことはなく

良識がある振りをして
貧しいトーニャを公平に評価せず
排除しようとする

権力があるから
立場の弱い人
気に入らない人を
実に巧みに差別し
反論できないようにして追い出す



その点
コーチの女性だけが
まともな人に見えた

でも彼女も
コーチとしての成功、名声が欲しくて
トーニャを利用していたのかなあ?
それとも
利害関係を超えた信頼関係が
ちゃんとあったのか?
ちょっと心の中は見えなかった



ナンシー・ケリガン襲撃も
トーニャやトーニャの夫は
直接指示していなくて
行き違いから起きたようだった
(真実は誰も知らないが…)

それなのに
誰もがトーニャ本人が
指示をしたと想像したとは
不運なことだ



トーニャのキャラが
純真で
誰からも愛される浅田真央タイプだったら
みんな彼女は無実だと信じ
応援したと思う

でもトーニャは
太々しく、品が無く
傲慢な態度ばかりとっていたので
誰からも応援されなかった
それどころか
疑われてしまった



アメリカ人は
敵が欲しい人種だがら
トーニャは生贄にされた
母親が虐待したように
DV夫が暴力を振るったように
金持ち達が差別したように
アメリカ人の観衆は
トーニャをとことん叩いた



スケートはトーニャの全てなのに
滑る資格を剥奪されて
全てを失ったトーニャは
ひっそりと生きることではなく
大勢の人に
見られる仕事を選ぶ

大金が稼げる方法だから
選んだのだろうけど
女子ボクサーとなったのは
また大勢の人から
注目されたい心理の表れ

そして
そして

顔が腫れるまで
血が流れるまで
叩かれる仕事を選んだのは
自傷行為のよう

トーニャ自身も
自分の身体を大切にしたり
いたわったり守ったりしないで
痛めつける事で
自分の存在を確認しているように見えた

どうしてそんなに
自分で自分に
殴打され、傷つけられ
罵倒される道を与えるのだろう

アメリカ人達から
徹底的に嫌われ憎まれた
もういいじゃない

自分だけは
自分のこと大切にして
いたわってあげればいいのに
どうしてそこまで痛めつけるのだろう



1996年の襲撃事件の時は
トーニャは本当に太々しい
悪意に満ちた人に見えていたけど

彼女の背後にこんな人生があったとは

本当に面白かった



彼女の才能
思い切り開花させることができていたら
どうなっていたんだろう
と、思った
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