飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

オークニー主

2013-01-03 17:13:55 | 日本論と宗教論
古代ピクト語の orc は、豚=猪( boar )の意味で、boar はスカンジナビアや東欧、中央アジア、中東、インドのアーリア系民族が共通して神として崇拝していたものでした。ユダヤが豚=猪を食するのを禁じるタブーを持っているのも、これと何らかの関係があるのではないかと言われています。

ブリテン島の最北部には日本の丹波にある天橋立とよく似た地形があり、聖なる施設も似たような位置に配されているのですが、その地方はある時期から古いアイルランド・ゲール語で Insi Orc (豚=猪の島)と呼ばれていました。これがバイキングの古ノルド語の中で Orkneyjar (オットセイの)と言い換えられ、後世の英語に入ると Orcney と発音表記されるようになったのだそうです。オークニーの古代巨石文化遺跡は牛を祭祀に用いる民族によって造られたもので、そのどれもが大規模な破壊工作を受けた形で埋没していて、虐殺された大量の牛の骨も一緒に出てくるのだそうです。思うに、この遺跡を造った民族はある時に、豚=猪をトーテムとする民族の侵入を受け、この土地から駆逐され、彼らが出て行った後でこの土地がオルクの島と名付けられたようなのです。

丹波の天橋立も牛トーテムを持つ民族の豚=猪トーテムを持つ民族による駆逐と無関係ではないようです。丹波が実は本当の出雲で、牛トーテムを持つスサノオの所に大国主(おおくにぬし:オーク-に-ヌシ[「ヌシ」はヘブル語で「主」のこと。発音も意味も一致している。「に」は恐らくは「の」の変化したもので所有格を表す小辞である)が入って来たという構図を持っているからです。大国主は私の研究では東ユダヤ人の中のレビ族かベニヤミン族、ユダ族、シメオン族、あるいはエフライム族かマナセ族に当たるはずですが、そして恐らくはシメオン族なのですが、これらが豚=猪をトーテムとしていたかどうかはまだ未確認です。ただ、あの日本武尊が伊吹山で戦いに敗れ負傷して死んだ時の敵は豚=猪の姿をした山の神でしたから、この列島にも豚=猪をトーテムとする氏族がいたのは確かなようです。また、東ユダヤ人とはユダヤでマラーノという言葉が作られる以前のユダヤ人であり、マラーノやゴイムという言葉を作って先鋭化したユダヤ人を嫌って東方に残った人達ですから、この点でも少なくとも矛盾はないのです。

また昨日、BSジャパンが毎週放送している「Grace of Japan」という番組の正月特番に、この「Grace of Japan」は全国の神社をひとつずつ順番にハイビジョン映像で紹介していく番組なのですが、石清水八幡宮の宮司で全国の神社の会と思しき会の会長の立場にある人が出演して、ケルト人作家のニコルさんが「古事記の翻訳をしている作業中に、これは本当に日本の神話なのか?詳細を検討すればするほどに我がふるさとのケルトに通じると感じて、驚嘆しました。アイルランドから日本に絶対に来ていますよ。多分間違いない」と興奮気味に訴えたのを受けて、この神社側の重要人物は、「レヴィ=ストロースも古事記の愛読者で、古事記に影響を受けて、『これは世界中の全宗教のルーツである原初の宗教の神話だ』と言っています。ニコルさんの抱かれた印象と同じものですよね。多分事実なのだと思います。そもそも、神道のことをギリシアの宗教と混同して多神教と考える時代は終わりました。神道は、敢えて言えば汎神論で、神と人間の距離がギリシアのよりも遥かに近いところに特徴があるのです。日本人一人ひとりが持っている、ありとあらゆるものに神の臨在を感じ取る感性こそが神道の特徴なのです。それが今やや衰えているのが残念です。復興しなければなりません」と、非常に鋭い、意味深い切り返しを行っていました。

大国主やユダヤのシメオン族と豚=猪トーテムの関係の調査は今後も、粘り強く続けて行きます。

「時代精神」の正体

2013-01-03 15:12:10 | 日本論と宗教論
人間のこの社会は、大まかに言うと、三重構造になっているものと思われます。人間が肉体と魂と霊からなるのと同じです。即ち、人間が肉体と、肉体の統合を司る魂と、魂によって統合された肉体に、意識として宿る霊からなるのと同じなのです。魂と霊の区別については、通常は、区別が曖昧になっていますが、今の場合、本来は厳密に区別さるべきことを踏まえておく必要があります。

肉体は魂の統治の元で新陳代謝を繰り返し、成長し、再生産して存続していきます。魂は個体としての肉体が消滅する時にその肉体を離れます(所謂「死」)。個体が成長によって変化する時には、魂は別の適当な魂と入れ替わります(所謂「子供の時とは見違えたね」)。霊は、勉学や人生経験、社会的イニシエーションなどによってより高次の霊の保護を受け、明るく強くなることがあります。反対に、絶望や恐怖、社会的転落などによってより高次の霊の保護を失い、暗く弱くなることもあります。しかしそれ自体は、基本的に入れ替わることがありません。魂によって統治されている肉体から霊が分離し空間全体(宇宙全体)に広がると、肉体は起きて活動しているのとは違う状態になります(所謂「睡眠」や「気絶」)。霊は魂によって統制された肉体を脱ぎ替えて、ある高次の目的のために新しく存在し直すことがあります(所謂「輪廻転生」)。

人間の社会を上記の人間存在に喩えると、肉体は土地と国民と生産流通組織などに、魂は表政府や地方自治体、各種企業団体に、霊は陰の政府を中核とする官僚組織体と、陰の政府のバックアップを行う祭祀組織に、それぞれ当てはめることができます。

この中の影の政府こそが国の本体です。国の霊に当たるこの影の政府が、魂に伴われた肉体に当たる土地と国民と生産組織から離れている時には、魂に当たる表の政府は内政に集中し、外交や、ましてや戦争などを遂行することがありません。言わば、眠っているのと同じ状態になるのです。影の政府内部で新陳代謝がスムーズにいかず、分裂が起こったり、他所の影の政府との国際関係における軋轢や矛盾が生じた時に、そこで初めて、全体に組み替えを施し、情況を安定させようとする動きが生じます。そのために先ずはこの高次なレベルで、外交交渉や協議、方策会議が行われたりするのです。次の安定した時代の形とそこへと移行する際のシナリオがそこで決定されるのです。戦争も、余程の例外を除いてほぼ確実に、この会議で打ち出された方策の一環として実行されるのです。この方策を持って各国の影の政府が、それまで眠っていた表の政府や、下部構造としての国のあらゆる部署にエージェントを組織的に送り込み、あるいは人知れず育て上げる訳です。そうして主に、

(1)スケープゴートとしての悪の暴露

(2)悪によるあからさまな暴虐の数々

(3)それらに耐え続ける民衆のイメージ

(4)善の登場

(5)善を中心とした新しい統合の機運の隆盛

(6)悪の反撃

(7)善の苦難と悲しい別れ

(8)強力な助っ人の突然の登場

(9)隠された関係性の開示

(10)それに基づいた確固とした新しい目的の掲揚

(11)新しく生まれ変わった善による反撃

(12)勝利と悪の滅亡

(13)新しい時代に満足し平安に戻る人々

などといった大筋に沿うよう作られた計画の部分部分を、それぞれ、全体像が見えないようにフィルターをかけながら各エージェントに手渡し、実行させる訳です。このことによって初めて、国民の国民としての自己意識が高まり、下部構造としての国全体が対外的な国として活発に活動し始める訳です。このこと自体は、明治維新という良い事例を持った我々日本人には比較的理解しやすくなっているのではないでしょうか?そう言えば「太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)たった4杯で夜も眠れず」という、事柄の本質を妙に突いている川柳もありました。外国を意識して騒乱が起こるまでは、下部構造としての国は謂わば、太平の中で眠っている訳ですから。

この計画実行の過程で時には、偶発的な事件も起こることでしょう。しかしそれが、全体の基本線を乱すことなどほとんどないようになっています。特殊なやり方で人間存在の根底全体がコントロールされ、その上で上記の全てが実行されるからです。人の世は必ず、このように動いて行くのです。どこまでも必然的なものだと弁えておいた方がいい。実態を知ってか知らずかヘーゲルも、この必然性を「時代精神」と表現し、説明しました。

日本の場合は、戦後、魂の重要な部分として象徴天皇と新しい議会と民主制を与えられました。文字通り「以前とは見違えた国」となった訳です。肉体は戦前とほとんど変わらず、他に類を見ないくらい健康で活発です。何より血の巡りがいいのです。その上に官僚が霊として配置されています。革命があってもこの官僚層だけは変化しません。このことは、ロシアのついこの間の革命の時に私達も、観察することができました。日本も建国以来、この官僚層だけは全く交替していません。交替していたら最早日本ではなくなっていたはずと言っていいくらい交替しないのが、この官僚層なのです。謂わば日本の本体なのです。これに侵入してジワジワと悪質なものに変えていく能力のある、特別な種族の存在も忘れることはできませんが、兎に角、交替しないのが官僚層というものなのです。問題はその上です。詳しくはまだ調査中としか言いようがありませんが、ここに、古来からの幾つかの霊と明治以来の霊、戦後に割り込んできた霊が互いに複雑に絡み合いながら鎮座しているという訳です。どんな関係になっているのかは、今のところは分かりません。

註:「三人の天皇」即ち、山背賀茂氏の裏天皇と葛城賀茂氏の裏天皇、京にいる表の天皇の更に表にいる東京の天皇がその中核にいることは段々と分かってきました。大国主以前のツングース系氏族の集団のことをこの三人の天皇の中に入れるのは、恐らくは間違いです。肉となって地上に現れ、人類の罪の贖いとして十字架に掛かったイエスに対する、レビ族による一定の祭祀機構で、ある特定の印によって保証を受けた祭祀機構がない限り「天皇陛下」と言われることはないからです。大国主以前のツングース系氏族の集団を「大元」あるいは「大本」と言う時は、古さが意識されているだけで、今言ったような権能を持っているとは思えないからです。

15年ほど前から急速に普及してきたPCとインターネットがよもや、自然発生のものと思ってはいけません。それと機を一にするかのように吹き荒れ始めた陰謀論も然りです。全てが計画の内なのです。

ただし、ヤマトや日本が世界史的な意味で本当は、本物のヘブルやイスラエル、ユダヤ、キリスト(メシア)の保存場所であることを明らかにし、そうすることでこれまで跳梁跋扈していた偽物が恭順に追い込まれ、世界全体に大きな変革を起こすというシナリオは、数百年来のなどといった小規模な変革ではなく、何千年来のといった人類がこれまであまり体験したことのないような規模の変革への意志表明となっているが故に、その主役が我が日本人あるいはヤマト族だということもあって、余りにも刺激的すぎるシナリオになっていると言いていいのかもしれません。原爆といい津波といい、単に過酷であるばかりか何とも派手な、いかにも象徴的な役回りをする立場にいることを皆で自覚しなければならないのかもしれません。

以上のことを踏まえて、昨年末にウィスキーボンボンさんから頂いた幾つかの質問に、答えてみたいと思います。

>(1)検察が小沢さんを訴えたのは、RKの言う通り、小沢さんを縛るためだったということでしょうか?あの一連の出来事についてどのようなご意見をお持ちですか?

全てがシナリオ通りという上記のような認識に基づけば当然、検察による小沢さんの強引な起訴が「国民のために旧体制に挑む政治家」小沢さんの行動を縛るものであったという話は、誰もが納得する話だと思います。最早、常識ではないでしょうか?ただし、恐ろしいのはこの常識も、はっきりと、インターネットの世界に閉じ込められているということです。インターネットの世界(A層の世界)とマスコミの世界(B層の世界)とをこれ程厳格に分ける力を持った者、A層といえどもB層の世界では全く無力という情況を演出できる力を持った者の存在をどうしても意識せざるを得ません。

しかも、A層の世界とB層の世界をこのように厳密に分ける際の駒としての小沢さんも意識せざるを得ません。小沢さん自身にその自覚があるかどうかはこの間の選挙の時までは分かりませんでしたが、それもこの間の選挙ではっきりしました。小沢さんにはその自覚がずっとあった。自覚した上で自分の活動が支配層にとっての大規模な偶発事故となるよう本気で試みたこともあるが、あっという間に修繕されてしまった。今ではすっかり諦めモードで、恐らくは近いうちに、後継者も全くないまま引退する。小沢さんについて今はっきりしているのは、このことです。

>(2)太田龍さん、ベンジャミンさん、植草一秀さん、苫小牧さん、等々色々な人がおられますが、だれも具体的な行動は起こしません。これは皆さんRKと同じということでしょうか?ご意見をお聞かせください。

私が知っているのは、晩年の太田龍さんとベンジャミン=フルフォードさんです。基本的には全員が、自覚無自覚は別にして、エージェント(工作員あるいは代理人)だと思います。一人の例外もありません。ですから、無邪気な期待をかけ続けるのだけは危険です。そのことを踏まえた上で、それぞれの人がどんな権力を背後に控えているのか。そんな中のいつどこの場面で自由意志を発揮し、支配者にとっての偶発的な存在になろうとし、そのことで私達国民のどんな光となったのか。このことを押さえておく必要があります。それぞれについては、ちゃんと独立した記事として記述すべきです。RKについてはもう十分にやりました。残りの人についても、機会があれば順次記事にしていきます。ここでは一言、晩年の太田龍さんについて述べます。

晩年の太田龍さんの基本に流れていたのは、自分のそれまでの活動が知らないうちにより大きな存在者の駒として利用される範囲のものでしかなかったことに対する衝撃と絶望、混乱、落胆、好奇心だったと思います。これまで発表されたものは全て、どんなに衝撃的に見えようと、あくまでも穏健な範囲のものに留まっているでしょう。お気づきになられたのが死を強く自覚する70代後半でしたから、ひょっとしたら、未発表のまま封印された遥かに衝撃的な手記が大量に残っている可能性があると思います。密かな後継者も複数いるのではないでしょうか?もっと若い時に暗殺された石井紘基さんの、今は行方不明の資料にも匹敵するような手記が残されているかもしれません。二ビル星とアヌンナキの情報については、虚偽として退けることはしませんし、むしろ私の心の重要な位置に専用の部屋を設けて保存すらしていますが、どんなこともこの地上の材料を使って理解、説明するという私の基本スタンスから、それらについて私が言及する可能性は、今のところはありません。しかし、くどいようですが、虚偽として退けたり、嘲笑したりすることは絶対にやめるべきだと思っています。この辺のことが弁えられない品の悪さがRKにはあります。

>(3)小沢さんは今回の選挙で嘉田さんを担ぎ出して未来の党を作り、戦いました。これは、純粋に選挙に勝つための戦略だったと考える方が自然ですか?あるいは負けを前提にして、取った戦略だったのでしょうか(つまりRKの言うように、不正が行われる前提で直前に未来の党を作ったのか)?ご意見をお聞かせください。

エージェントの中には、規定の役割を果たしていく中で自由意志を発揮するための策をあれこれと練り、機会を伺っている人がいると考えています。彼の今回の行為により、不正選挙があからさまに行われたことが事実として確認しやすくなりました。不正選挙があからさまに行われたことを何とか事実として確認させようと自由意志を発揮したのか?それとも不正選挙があからさまに行われたことを事実として確認させるように動くよう命じられていたのか?それは次の参院選に向けての彼と彼の仲間たちの言動を見るしか確認する術はありませんが、恐らくは後者だろうと考えます。理由は色々ありますが、一番分かりやすいのは、彼が実は済州島出身の在日韓国人であるという情報の体制側の取り扱い方を指摘することでしょう。体制側にとって彼が本当に敵であるなら、その事実をテレビでも大々的に報道するはずです。なのに、実際は、インターネットの中でしか報道しません。そんなことをしたら、他の在日エージェントまで使えなくなるからというのもあるでしょうが、他のエージェントに波及しないよう統制をかけた上で小沢さんを追い詰めるための手段としてそれを行うことなど、彼らには簡単なのだし、それを言うならインターネットではもう既に小沢さん以外にも多くの政治家がこの問題の槍玉に上がっていますから、私にはその指摘には妥当性がないように感じられます。そのことひとつを取っても、小沢さんが彼らにとっての本当の敵ではないことが分かります。同じことは、RKにも言えます。彼など潰す手段など幾らでもあるのに、使っていないのです。RKが勝手に自己意識を肥大させているだけだと思います。「八百万の神に護られている」とか、本気か冗談か分からない言い方をしてです。

>今後も、質問等、させて頂きたく思っております。

ウィスキーボンボンさんもブログなどがありましたら、教えてください。


もうひとつの賀茂氏

2013-01-02 14:40:39 | 日本論と宗教論
初めにロゴスありき。

これは『ヨハネの福音書』の冒頭に書かれた、非常に有名な言葉です。イエス=キリストの福音をヨーロッパ世界に伝えるために、ストア派の用語である「ロゴス(理法あるいは理性、言葉)」を用いてイエス=キリストのことを言い表したのだろうと言われています。このロゴスという言葉はギリシア語であり、従って、ヨーロッパのキリスト教会のものなのです。ユダヤ人である原始イエス教団のものではなかったはずです。

イエスの死の直後、エルサレムで「イスラエルの家の失われた羊への宣教」を使命として、イスラエル人として、また模範的なユダヤ人として活動していたのが、原始イエス教団です。対して、復活したイエスによる所謂「大宣教命令」を使命として「パリサイ人サウロ」改め「使徒パウロ」を中心に、アンティオキアというシリアの町で、後には西方の地中海世界で広く活動したのが、ヨーロッパのキリスト教会です。「キリスト教」と聞いて現代の普通の日本人が頭に思い描くのはこのヨーロッパのキリスト教のことですが、イエスの教えは実は「イスラエルの家の失われた羊」ーー「ヘブルの家の」とも「ユダヤの家の」ともなっていないことに注意ーーを最優先対象に想定するよう義務付けられたものでした。「ヘブルやイスラエル、ユダヤによる秦氏と天皇家を中心としたヤマト建国および日本建国」が問題となる時、この区別がまず念頭になければならないのです。ユダヤ人原始イエス教徒の集団が列島に招き入れられることでヤマト国中のヘブルやイスラエルが原始イエス教徒となり、ヤマト国が原始イエス教徒の国に生まれ変わり、後の日本国の基礎ができたからです。このことを理解しようとする時にユダヤ人だとか原始イエス教と聞いて現在の所謂「ユダヤ人」(偽物が「ユダヤ」と偽り利用しているにすぎない)やヨーロッパのキリスト教を思い浮かべてしまうと、それらをヤマト国や日本国の建国に結びつけることなど陳腐に感じられて先に進めなくなるからです。

ユダヤもイスラエルも「キリスト教」も、実は、本物はこの日本に保存されています。本物を保存するために、あるいは「日本国民」を能率よく自らの新しい食い物に加えるために、日本建国時あるいは明治、戦前、戦後期に、其々に内外から幾つかの隠れた集団が巧妙な仕掛けを施したことから、私達には分からなくなっているだけというのが実情だったのです。その封印が何かの理由で、これまた恐らくは新しい仕掛けを伴いながら、解かれようとしている。今はそういう特別な時代なのだ。このように多くの人が、騒ぎ始めている訳です。

参考:わたしが遣わされるのはイスラエルの家の失われた羊の所であって、それ以外のだれの所でもないというのが、天の父の言葉でした(『マタイによる福音書』第15章24節)

参考:イエスはこの十二人を遣わすに当り、彼らに命じて言われた。「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町に入るな。 むしろ、イスラエルの家の失われた羊の所に行け」と(『マタイによる福音書』第10章5~6節)

註:「ロゴス」に対応するヘブル語はなかったようです。小アジアのエフェソスで「主の愛し給ふ弟子のひとり」が 紀元後90年頃までにコイネーギリシア語で纏めた特殊な福音書。これが所謂『ヨハネの福音書』でした。他の三つの福音書は特殊でなく、互に「共観」し合っているように感じられるために「共観福音書」と呼ばれ、この『ヨハネの福音書』からわざわざ区別されるくらいです。

註:「ヨーロッパ」と「アジア」の語源はアラム語の「エレブ(入る)」と「アス(出る)」です。「ヨーロッパ」も「アジア」も、日の入りと日の出の方向を言い表すための手段としたものが起源だったのです。この枠組みを行い世界中に流布させた、アラム語を喋る人達とは何者かもまた、調べなくてはなりません。さらには、興味深いことに、これが列島にも伝わり、「西表(いりおもて)」や「東(吾妻[あずま])」などの言葉の中に残っているようです。

ロゴスはこのようにヨーロッパのキリスト教会の言葉ですから、あの一言主の神話も、もしこの一言主がロゴスのことを表しているなら、原始イエス教と秦氏の神話などではなく、景教と忌部氏の神話となっていなければならないことになります。

参考:一言主の神話:雄略天皇4年(西暦460年)雄略天皇が葛城山へ鹿狩りに行った時、紅紐付きの青摺の衣を着るなど、天皇一行と全く同じ恰好をした一行が、向かいの尾根を歩いていた。雄略天皇がその人に名を問うと「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と答えた。天皇は恐れ入り、弓や矢の他、官吏たちの着ている衣服を脱がせて一言主に差し上げた。一言主はそれを受け取り、天皇の一行を見送った。(『古事記』)

ロゴスのことを意味する一言主の神話が景教と忌部氏の神話でなければならないはずだと私が言う理由は、そもそも、北イスラエル滅亡直後の紀元前7世紀に預言者イザヤに率いられて南ユダヤを脱出し、海路インド洋や南シナ海を抜けて四国の阿波に入ったレビ人の集団が阿波忌部氏であり、その阿波忌部氏が、紀元後8世紀末にあの空海を唐に派遣して、彼によって景教を、密教と共に唐から高野山に導き入れ、それを、秦氏や中臣氏、藤原氏の原始イエス教団に対抗するための、即ち、自らの祭祀族としての地位をヤマト建国以来(日本建国以降は特に)圧迫し続けてきた秦氏や中臣氏、藤原氏の原始イエス教団に対抗するための、思想的基盤としたと推定されるからです。この時の忌部氏の思惑は例えば、次のように表現できるのかもしれません。

「秦氏や中臣氏、藤原氏がイエス=メシアに対する祭祀から我々忌部氏をジワジワと追い出してきたことに我慢ならない。我々も偉大なる預言者イザヤとそれを中核とする祭祀集団の流れを直接受け継ぐ由緒正しき氏族なのだ。こんな扱いは絶対に不当だ。こうなった以上は、ヨーロッパから伝わったもうひとつのイエス教、景教を列島での我々独自のものとして受け入れ、彼等のものとよく似てはいるがあくまでも別枠として機能する国家秩序を、我々の祭祀を中核に確立してしまおう。そうやって彼等に対抗しよう」。

註:景教とは、5世紀に出てきて異端宣告を受け、ヨーロッパから追放されて東方に拠点を移した、ネストリウス派のキリスト教会の8世紀以降の極東での呼び名です。

秦氏と原始イエス教団が忌部氏を圧迫したことは、例えば『古事記』の「国譲り」神話の中にも見て取ることができます。「国譲り」神話とは、要約すると、次のようになります。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)などの高天原(たかまのはら)の神々(天津神[あまつかみ])は「葦原中国(あしはらのなかつくに)を統治すべきは、天津神、とりわけ天照大御神の子孫なのだ」と主張し、何人かの神を出雲に遣わし交渉するが、当然ながら事がすんなりと収まるはずもなかった。ところが、最後に建御雷(たけみかづち)を派遣すると、大國主の子である事代主(ことしろぬし)と建御名方(たけみなかた)は屈服し、大国主も自身の宮殿建設を条件にして国を譲ることになった。

これが『古事記』の所謂「国譲り」のあらすじですが、この有名な逸話において私は、実は、

(1)事代主=一言主=葛城の賀茂氏(阿波忌部氏の裏天皇組織)が信奉

(2)建御名方=東表国の海人族である宗像氏と何らかの関係がある=諏訪大社のその時以来の主祭神

(3)建御雷=建角身あるいは別雷=山背の賀茂氏(秦氏の裏天皇組織)が信奉

という等式を想定し、そこから山背の賀茂氏と葛城の賀茂氏、あるいは山背の秦氏と阿波の忌部氏の関係が読み取れるのではないかと予想しているのです。詳細はこの記事の、これ以降の論述で明らかにしていきます。

話を元に戻しましょう。上述の如く一言主の神話は景教や忌部氏のものでないといけないはずです。なのに、この一言主は実際は高鴨とも称され、葛城の賀茂氏の祀る神となってしまっているのです。賀茂氏と言えば、山背の下上賀茂神社の賀茂氏が直ぐに念頭に浮かんできます。この賀茂氏は、私のこれまでの説ではまさに、原始イエス教団としての秦氏や中臣氏、藤原氏の中核に位置する氏族だったはずです。熊野の山中での神武先導直後に葛城の賀茂氏が移住し定住したのがこの山背の賀茂氏であるとの伝承がありますが(『山城国風土記』逸文)、この伝承に従う限り葛城の賀茂氏も、賀茂氏である以上、山背の賀茂氏と同様に、ユダヤ人原始イエス教徒である秦氏や中臣氏、藤原氏の中核氏族となるはずです。しかしこれでは、彼等を列島における改宗景教徒とする上記の、恐らくは正しい推定に対して、真っ向から対立してしまうことになってしまいます。この矛盾はどう考えたらいいのでしょうか?

実は、この伝承に真っ向から対立しているように見える伝承があるのです。「山背の賀茂氏は天神系で、地祇系の賀茂氏とは異なる氏族である。賀茂というのはある特殊な理由から特定の氏族に限らずに付けられる氏姓でしかないのだ」という山背賀茂氏側の伝承です(『鴨始祖伝』)。『山城国風土記』逸文の伝承は、この『鴨始祖伝』の記述と矛盾しないように解釈し直すと、実は、阿波の忌部氏の中核氏族たる葛城のレビ族集団の元に一旦は身を寄せていた別の新来のレビ族集団が、神武先導直後に、葛城のレビ族集団の元を離れ、山背に移動して現在の山背の賀茂氏のルーツとなったことを伝えるものだったことが分かるのです。

註:年代も計算に入れると、このことから、後に「神武天皇」と称されることになる人物が、実在しなかったわけではないにしろ、実は「応神天皇」だったことが分かります。「神武天皇」が阿波忌部氏のレビ族集団に伴われて列島にやって来て、プロトヤマト国を建国した話と「応神天皇」が山背秦氏に伴われて列島にやって来て、プロトヤマト国をヤマト国に発展させたことを合成したのが「神武東遷」だったわけです。

山背の賀茂氏と葛城の賀茂氏は、それぞれが同じレビ族であるだけではなく、彼らだけが裏天皇の秘教組織も同様に持つという共通の理由から、どちらも排他的に賀茂と名乗り、互いに「同族」としてある程度の協力関係にはあるものの、意識の中心的な部分では決して「同族」などでなく、むしろ対立し合ってすらいる、極めて微妙な間柄にあったのです。

これを証明するかのように、下上賀茂神社は、祭神も一言主とはなっていません。建角身(たけつぬみ)あるいは別雷(わけいかづち)という名の雷神となっています。この健角身あるいは別雷を『古事記』の「国譲り」神話で事代主(一言主)と対抗し、事代主(一言主)を海中への潜伏へと追い詰めた、あの建御雷(たけみかづち)と同じ神と見なすことができます。だとしたら、この「国譲り」神話もまた、山背の賀茂氏と葛城の賀茂氏の関係を巡る上記のような説を裏付ける証拠と見なすことができるでしょう。

一言主の記紀の中での登場は、しかしながら、応神天皇から数代下った5世紀の、あの列島古来の大氏族葛城氏を攻め滅ぼした雄略の時代となっていて、景教が唐に伝わるよりも遥かに古く、ヨーロッパでのネストリウス派(景教)そのものの成立の時と同じくらい古い。ということは、葛城のレビ族集団もこの時はまだ、ロゴスたるイエス=キリストのことは知らなかったことになる訳です。ですから、この神話の中での「一言主」とは「葛城の賀茂氏が賀茂氏と自称し始める以前から祭祀してきた神で後に賀茂氏と自称し始めた時以来『一言主』と呼ばれることになる神」を意味していたことになります。この神話は暴虐な大王(おおきみ)として有名なあの雄略ですら、葛城の賀茂氏に対しては、山背の賀茂氏の存在を背景に大王として君臨できていたにも拘らず当時から、大いに敬意を示さなくてはならなくなっていた。葛城のレビ族集団の権威は賀茂氏と自称する前から、元々これくらい重大なものだった。このようなことを伝えるものだったのです。

以上の推論の過程で出て来た日本国の平安時代以降の大まかな体制を、若干の補足事項を付け加えながら纏めると、次のようになります。

秦氏がヤマト国に迎え入れられてヤマト国全体を、それまでの単なるヘブル・イスラエル・ユダヤ教の国からイエス=メシア教の国へと大きく作り替え発展させた際に、列島最古で由緒正しい、葛城氏との結びつきのもと葛城にも拠点を築いていたレビ族集団もまた、他のヘブル・イスラエル・ユダヤ諸族のレビ族集団と一括りに「忌部」と称されるようになった。にも拘らず、彼等はその後も、山背のレビ族集団が山背秦氏のレビ族集団として特権的に賀茂氏と称し、忌部連合の中でも特別な役割を担っていく中ですら、列島での古さなど幾つかの理由を背景に、山背の賀茂氏に並ぶ程の敬意を集めて祭祀の重要な部分を取り扱っていた。しかしそれも、その後の時代の変遷の中で次第に、秦氏や中臣氏、藤原氏によって圧迫され、後退していくことになる。ある時、この状況を憂えた者達が空海を奈良や四国で十分に訓練した後で遣唐使と共に唐に送り込み、当時の長安で隆盛を極めていたヨーロッパ由来のネストリウス派キリスト教(景教)を密教と共に高野山に導入させた。その空海を表に立てることで、利害関係の一致した桓武朝の保護を取り付けることに成功した。イエス=キリスト(メシア)を祭祀する点で山背の賀茂氏と同じような特権的な地位を持つが故に賀茂氏と称しつつ、山背の賀茂氏とはあくまでも別枠の新しい国家秩序を南九州から四国、安芸、吉備、紀伊、葛城、吉野、高野山、熊野、近江、岐阜、伊勢、志摩、信州、相模、房総と広く創設して、中華との継続的な交流をバックに山背の賀茂氏と日本国内での協調かつ対抗の関係に入ることができた訳である。因みに、山背の賀茂氏は、山背、播磨、丹波、北陸、山陰、山城、近江、尾張、旧高句麗勢力が分布する東国、長門、周防、北九州、統一新羅の治める半島に広く国家秩序を及ぼしている。

レビ族集団が賀茂氏になるのは、1+3+9+58=1+70という組織構成を特徴とする秘教集団を裏天皇組織として構成した時に限られる。西洋でもサンヘドリンという名称で知られる秘密結社などがやはり、これと同じ組織構成となっていると言われている。イエスの弟子達の、従って原始イエス教団もこのような組織構成になっていたことが聖書に記されている。勿論、山背の賀茂氏も葛城の賀茂氏もそうなっているのである。両者ともに八咫烏と称される。前者の裏天皇が天神、後者の裏天皇が地祇。これにそれらのバックアップの元で表において天皇が日本国を統治する。一般に「三人の天皇」と称されているのは、この天神、地祇、天皇のことであるらしい。天神と地祇の対立関係は、天智と天武、天台密教と真言密教、源氏と平氏、摂関家と院庁(いんのちょう)、足利氏と北条氏、北朝と南朝、大内と細川、足利将軍家と信長・秀吉・家康、旧帝国陸軍と海軍、北朝鮮人脈と農協・郵便局組織など、その後の歴史上のありとあらゆる場面に様々な形態をとって登場してきているものと考えられる。

それぞれを精密に分析する過程で今後若干の変更を加えることになるかもしれませんが、大まかには以上で実態を十分に表現できているものと推定されます。また、戦後はここに、アメリカの金融偽ユダヤ勢力も関与してきて、より複雑になっているものとも推定できます。例えば、現在の東京の天皇家とは別に、京都にも、江戸時代以来の天皇家が密かに存続しているというのは、上に述べたような構図と関わりつつも、それだけでは割り切れない何事かをも含み込んでいると考えておいた方がいいと思われます。今後も何か新しい要素に気づいたら、上に述べたような大まかな構図をベースにそれをより発展させ、より具体的な現象までもより正確に包括できるような構造認識にすることを目指さなくてはなりません。