飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

アメノマヒトツさんの記事への質問集

2014-07-09 01:14:51 | 日本論と宗教論
アメノマヒトツさんが先日、自身のblogに上げた記事の内容のひとつひとつが、私には、余りにも気になってしまいました。矛盾のオンパレード。何故そういうことになったのか?私には、それがどうしても分かりませんでした。そこで、疑問のほんの一部をコメントしてみたのですが、アメノマヒトツさんにはそれがあまり明確に伝わらなかったようです。そこで、一念発起して、出来るだけ詳細な質問集をまとめてみることにしました。それが、一旦仕上がってみると、私の最近の研究成果のアウトラインの描写にもなっているように感じられました。また、余りにも大部となったため、アメノマヒトツさんのblogの字数制限のあるコメント欄には、必ずしも入れ易いとは思えない。そこで、こうしてここで、記事としてアップしておこうということになりました。

尚、この質問集の執筆中にアメノマヒトツさんからはふたつの再応答が、ひとつはアメノマヒトツさんのblogのコメント欄に、もうひとつは私のこのblogのコメント欄に入ってきました。それらへの私の返信は、これからまた、書き始めます。再び記事としてアップすることになるかもしれません。

以下引用。

>日本の陸軍と海軍の用いていた象徴は、彼等の存在自体がそれぞれの信仰と深く結びついていたことをよく示している。海軍は、大和や武蔵の戦艦名からもわかるように、海神(わだつみ)、即ち、大和国魂とスサノオへの信仰が見て取れる。

「大和」や「武蔵」が「海神」と結び付く?これは説明が必要でしょう。

スサノオが海神としての性格を帯びていることは、色んな人が色んな場所で言及していることです。ですから、取り敢えずは、意味は分かります。しかし、「大和国魂」と「海神」との結び付きについてはどうでしょうか?これも説明が必要でしょう。

>一方陸軍は、南無八幡大菩薩という幟を掲げていた。八幡神を大菩薩と称する時、そこには、江戸時代の神仏習合の影響が認められるとされる。

岩清水八幡設立当初から神仏習合だったというのが定説のはずですが......。

>しかし、八幡神には同時に、応神天皇としての側面もある。更には、秦氏としての側面もある。応神天皇の時代に列島に迎え入れられたこと、応神天皇が自分達氏族にとって極めて重要な存在であったこと、これらを記念する意味で秦氏が自ら、応神天皇を、自分達の氏神である八幡神の一側面として祀ったものと考えられる。応神天皇とは八幡神の化身だったという次第だ。

八幡神を氏神としていたのは源氏です。源氏は確かに、その形成上、新羅系秦氏と深く関わっていました。しかし、秦氏の氏神は何かと訊かれて八幡神と言い切ることは絶対に出来ません。八幡神を氏神にしていたのは飽く迄も源氏でした。だから、帝国陸軍の象徴が表すのも、飽く迄も「源氏の」と言うに留めるべきでしょう。

>陸軍は秦氏の象徴を持っていたのだろうか?それは確かにそうであった。しかもそれは、真の秦氏の象徴だった。

>秦氏は、藤原氏(狗奴国)の支配がはじまった頃から財務省(旧大蔵省)の役職に就くようになり、金の力を用いて陰から日本を牛耳ってきた。この場合の秦氏とは、様々な象徴が暴露するように、エドムのことである。

藤原氏のルーツは狗奴国?この具体的な意味が全く不明です。何を言っているのか分からない。詳しく説明してほしい。

>エドムは、ユダヤとは云わば縁戚関係にあるユダヤの周辺部族のひとつのこと。ユダヤに対して特殊な悪意を抱きつつ、ユダヤに化けて、ユダヤが創った国に侵入する。そうしてユダヤの国を乗っ取る。こういうことを世界中で繰り返してきた。

エドムが粘着したのはユダヤではなくイスラエルだったはずです。何故に、ここでは敢えてユダヤと変更しているのですか?ユダヤとイスラエルは厳密には異なる筈です。従って、中東では紀元前の何処かで、紀元直後のヘロデを看板にした者達がユダヤに、東洋では○○世紀に、○○世紀の○○を看板にした者達が秦氏に侵入するという形で、それぞれ、エドムによるイスラエル侵入が行われたと考えるのが筋だと思います。ユダヤとイスラエルの区別が曖昧だと、この辺りのことも曖昧になってしまいかねません。そして実際、それが曖昧になっているのではありませんか?

>ヘロデ王は、母方は確かにユダヤ人だが、父方は実はエドム人である。 このヘロデ王のことをイエスは「きつね」と表現した。ところが、一部のユダヤ人は何と、このヘロデのことをメシヤと呼んでいたと言うのだ。この「ユダヤ人」こそユダヤに化けたエドム人だったはずだ。この彼らに侵入を受けて堕落したユダヤが列島に来て秦氏となったのである。彼らのことをこの東洋でも「きつね」と呼んでいる可能性が高い。

この最後から二つ目の文は、或いは、「この彼等がユダヤを出て遥々列島に来て、そうしてまた、同じように、秦氏の中に侵入し、秦氏を乗っ取ったのである」と書こうとされていたのかもしれません。何れにしても非常に曖昧です。もっと明確に表現すべきではないでしょうか?

また、ヘロデの場合は、イエスから揶揄する言葉として「きつね」と呼ばれたのでした。ところが、例えば、稲荷神社にきつねのイメージが明白に付随するのは謂わば、稲荷神社を崇拝している氏族による自称を意味するであって他称を意味するのではありません。ですから、「エドムのことをこの東洋でも『きつね』と呼んでいるに違いない。例えば、稲荷神社を創建し、崇拝、管理、運営してきた秦氏はエドム秦氏であるはずだ。吉原の遊郭にも必ず稲荷が祀ってあった。だから、吉原の遊郭もエドム秦氏の管理下にあるのだ」などと主張する場合、この自称と他称のズレを説明する義務が生じてくることになります。これについては、どう考えられますか?

>秦氏の頭領を「うずまさ」と称するとともに、それにはローマを表す「太秦」の文字が当てられたというのは有名な話だが、これは、今述べたエドム秦氏の祖ヘロデ王がローマからユダヤ王に任命されていたという史実を反映しているのではないだろうか?太秦と称する場合の秦氏とは、本物の秦氏のことではなくエドムの偽秦氏のことを指しているのだという私の説を雄弁に裏付けていることにもならないだろうか?

いいえ、なりません。イエスの弟子達もローマにいたのです。イエスも、「ユダヤ人の王」でした。従って、 秦氏の頭領を「うずまさ」と称するとともに、それにはローマを表す「太秦」の文字が当てられたということだけで、この秦氏のことをエドム秦氏と断言することはできません。

>彼らは不道徳な連中であり、日本で遊郭を独占していた。戦時中に慰安婦を集めていたのも彼らだった。韓国と統一協会がこの従軍慰安婦を問題にして日本帝国軍と日本国を盛んに責め立てているが、これは、エドム秦氏が韓国と統一協会の背後にいて、自分たちの罪を隠そうとして、韓国と統一協会にやらせていることに違いない。時々話題に上る財務官僚の風俗接待も、エドム秦氏が財務省を牛耳ってきた結果としてこぼれ落ちてくる小さな事件の数々に過ぎないと私は睨んでいる。

日本の被差別民は白の遊牧民と、赤と八の海人族、それとサンカに大別されるそうですが(についてはこれから明確にする予定)、遊郭で身売りする女性を排出していたのは、その内の、赤と八の海人族に限られるのだそうです。エドム秦氏が遊郭を運営していると言うなら、今述べたことを踏まえて正確に考えてみたら、赤と八の海人族は飽く迄も管理され利用されている方であり、決してエドム秦氏ではないということになります。これについて、どう思われますか?エドム秦氏の不道徳という場合、その内容として性的「不貞」行為を挙げるのは間違いであり、正確には、性的「不貞」行為の組織的強要と悪用ということにならなければならないということです。ということは、性的「不貞」行為を行っている方の赤と八の海人族、即ち、アメノマヒトツさん言うところの狗奴国人のことをエドム秦氏と考えることはできないということです。間違えているでしょうか?

註:白の遊牧民の場合は遊郭ではなく、関西の生駒=夷駒のような囲い地に女性と子供だけが隔離され、囲われて、何百年もの間、組織的に、支配層の男性の慰み者にされてきただけだったそうです。このような囲い地は、赤と八の海人族の大半もそのような類いの囲い地に囲われていた訳で、極最近まで全く特殊などではなく、全人口の10分の8を占めていた、我々現代庶民の先祖に当たる当時の庶民の殆ど全てが、そのような囲い地の住民だったと言っていいくらい一般的だったと言われます。

註:サンカは、侵略してきた支配層による支配から飽く迄も逃れていようとする強力な意志によって約1300年ほど前に生じた部族なのだそうです。そのため、極めて長期的な展望に基づいた反権力的秘密結社という極めて強烈な性格を帯び、互いに強く連繋し合いながらも、通常は各家族分散して、主に僻地で流浪生活を展開するようになったのだそうです。そのような生活の場合、快楽以上に人口増加に主眼を置いた女性上位の一夫一婦制にならざるを得ない。この一夫一婦制を中核とする、非常に厳格な掟の体系を持ち、遊郭や囲い地での屈辱的な奴隷生活等には一切手を染めなかったということです。この事から、彼等の人口と富の増大の勢いは密やかながらも凄まじく、中世には支配層の各派も無視できないくらいの大変な実力を発揮するようになり、後に「下剋上」と称される歴史現象のほとんど全てが彼等によって引き起こされたものだったと言っていいのだそうです。例えば、これは平安時代のことですが、天神信仰の契丹を出自とし、当時最盛期を迎えていた契丹本国からある意図のもとで京都の朝廷内に送り込まれた菅原道真公の背後にはこのサンカ勢力があって、契丹勢力の敗退後はその全てを自分達のもとに保護し、吸収したと言われています。また、時代は下って、戦国大名の代表的な者達はその殆ど全てが、信長も秀吉も、家康も、彼等の看板役だったと言います。更には、明治期のアメリカ移民の少なからぬ部分が彼等によって占められ、アメリカでクリスチャンになる者も多かったと言います。敗戦後は、進駐軍の一員としてやって来た彼等の力添えで密かに結ばれたCIAとの緊密な協力関係の元で更に地位を上げ、戦後日本の支配層の一角を形成してきたのもサンカなのだそうです。創価学会の中核も彼らであるらしい。

>ユダヤロビーが提供するハリウッド映画(アメリでは上映されない州も多い)は、敬虔なユダヤ教徒は一切見ない。また、アメリカでは貧民層にポテトやハンバーガーを提供して肥満を引き起こしたり、コカ・コーラやペプシといったユダヤの毒水を飲ませたりしているが、ユダヤ教徒は自分の畑で作物を得ようとしているし、コシェルという聖別された食べ物を基本に食生活を構築している。要は、巨大食産業で巨万の富と病気を動かしている「ユダヤ人」は、ユダヤ人ではない。彼らはエドム人である。イスラエル人の双子の兄筋にあたる、神の恵みを自ら拒んだ民族の末裔である。

>エドム秦氏も同じく、日本において銀行業界と薬業界を独占し、死なない程度の毒薬で国民を中毒させ、絶えざる薬の消費で巨万の富を得ている。癌治療にかかわる保険業界と医療業界はいずれも秦氏のドル箱であり、癌を発生させる食生活を推進しながら、自らは特別上質な食生活を送っているのである(食べ物に毒が入っていることはよく知っている)。

>そして、真のユダヤ人に対しては、尽きない憎しみを抱いている。ユダヤ人には12の部族があり、エドム人の憎しみはその中の1部族に特に向けられている。それはベミヤミン族という。現在のユダヤ人はユダ族とベニヤミン族という2部族を中心に構成されているが、ベミヤミン族に極度の憎しみが向けられているのは何故か、それは聖書に克明に記されている。

>エドム人は一時期エジプトを支配下に置き、エジプト人を奴隷としていた。そのエジプトと戦い、エドム人を殲滅し、エジプト人を奴隷から解放したのはイスラエルのサウル王だった。彼は、ベミヤミン族なのである。エドム人のエジプト王をアガグといい、その末裔が後にペルシャ帝国という巨大国家の宰相となった。その宰相をハマンという。彼は帝国内に住むユダヤ人を殲滅しようと計画した。その計画を阻止し、ハマンとその一族を根絶やしにし、ハマンの代わりに宰相となったのがモルデカイだった。彼もベミヤミン族だったのである。

>先述したヘロデ王の前に現れ、キリストの福音を説き、後に殺されたのが、新約聖書の大部分の著者である使徒パウロである。パウロはもともとサウロ(サウルと同じ意味)と言った。サウロはヘブル語で「大いなる者」、パウロは「小さき者」を意味していると言う。日本の記紀神話に登場するオオナムチとスクナヒコナもまた、それぞれに「大いなる者」と「小さき者」を意味しているのだが、サウロのパウロへの改名のことを考えるといつも、私には、このオオナムチとスクナヒコナのことが想起される訳で、何か関連があるのではないかと考える次第である。このパウロもベニヤミンだった。

>エジプトを解放したサウル王には王位継承権を持つ息子ヨナタンがいた。しかし、次の王位には、預言により、ユダ族の羊飼いダビデが就くこととなった。自分が次の王となるはずのところを、どこの誰とも知れない貧しい羊飼いに王位を譲るとなると、それは気分がいいものではないだろう。エドムと同じような存在になってもおかしくないはずだ。しかし、ヨナタンは違った。権威を表す衣を自らダビデに譲り、真の友情をはぐくみ、死に至るまでその友情を絶すことがなかった。ヨナタンの父であるサウルは、不信仰と嫉妬のためにダビデを何度も殺そうとするが、それでもヨナタンはダビデを守り、常に真の友であり続けたのである。このサウルとヨナタンの家系、もしくはモルデカイの一族がベニヤミン族である。

>真の秦氏と私が呼んでいるのはまさに、この一族の列島における末裔達のことなのである。秦氏のかつての象徴はキツネではなく狼であり、ベミヤミン族の象徴もまた狼である。それは日本陸軍の力強い進撃そのものの象徴なのである。彼等が大陸において民衆を、漢民族や両班から、つまりエドム人の末裔達から解放したのは、イスラエルの初代統一王であったサウル王によるエジプト解放の再現であった。

日本陸軍の本体は、八幡大菩薩の幟の掲揚に重大な意味が込められているとする限り、秦氏ではなく源氏と称されなくてはならないはずです。このことは、もう既に、上で述べました。ということは、この論述では無意識ながら、源氏こそ列島における狼、即ちベニヤミンだったと主張していることになります。源氏の成立に深く関与していた筈の新羅系秦氏は、かつては、エドム秦氏の主要な潜伏先として指定されていたはずです。それなのに今度はそれを、知らない内にやってしまったこととはいえ、真の秦氏と呼んでいるということにもなるのです。源氏の氏神として知られる八幡神を秦氏の氏神と独自に呼び換えていることそのものにも驚きますが、その結果今度は、自覚のないこととはいえ、今述べたような極めて深刻な自己矛盾さえ犯している。これは、ビックリするなという方がおかしいでしょう。間違っていますか?

そして更に、その根拠として挙げられているのが何と、帝国陸軍の力強い進撃のイメージが狼の力強いイメージと結び付くからということだけになってしまっているのです。イメージのこのような薄弱な結び付きだけで、そのような重大事を結論付けていいものかどうか。私はこれは、論として非常に乱暴だと思います。間違っていますか?

>エドム人はベミヤミン族を憎む。それは真の秦氏を体現する日本陸軍にも向けられた。戦犯として処刑されたのは陸軍ばかりで、海軍がまったく含まれていなかったのは、如実にそれを表している。(秦氏の中には、海軍の裏切りにより敗戦したというグループもいる)

>陸軍が真の秦氏を表すもう一つのしるしは、切腹にある。陸軍関係者が敗戦の責任を感じ、何人もが自決されている。実は、その切腹のルーツはサウル王にあるのである。

サウル王は切腹した。陸軍関係者も多くが敗戦の際に自決した。だから、陸軍の本体とサウル王の一族は同じ一族と考えていい。これも論として余りにも乱暴すぎる。では訊きたい。世界史には実に様々な時代、場所において、実に多くの人が自決しています。このことから彼らのことを、その内実もろくに調査もしないままサウルの末裔だなどと主張する人が現れた時、そんな乱暴なと抗議の声を上げない人がいましょうか?陸軍関係者の切腹に施されたサウロとの観念連合は、この人の暴論と何が違うのでしょうか?

>陸軍が日本のあるいは世界の災い元凶であるとされているのは、エドム人である偽ユダヤ人の憎しみの表れである。その憎しみは現在も続いており、ゼロ戦パイロットの撃墜王、坂井三郎を毒殺し、小野田少尉を入院先で死亡させたりしている。高齢なので亡くなられて当然と思われているが、齢90を超えても元気であった。それは戦前の日本が邪馬台国であり、その寿命は100に達する世界が再現されていたことからのこと。とすれば、この病院での死は明らかに不自然と言わざるを得ない。エドム人は自然死ではなく、何としてでも復讐死をと考えているのである。

今度は八幡神社が邪馬臺国に結びつけられました。本当にそれでいいのですか?色々と問題が生じるのではありませんか?

>日本で狼が絶滅し、オーストラリアでフクロオオカミが絶滅しているのは偶然ではない。そこにはヘロデ・ユダヤ人とエドム秦氏が関わっており、真の秦氏が今はもう既に滅びてしまったことを暗示しているのではないか?

エドムの本質はイスラエルの死滅ではなく、イスラエルへの、従って真のユダヤ、真の秦氏への粘着だったのであり、これは、真のユダヤ、真の秦氏が滅びてしまっては持続できないこと。従って、エドム秦氏も滅びてしまっていると結論付けざるを得ないことになる。にも拘らずエドム秦氏とその悪事は相変わらず続いていると言う。これは、矛盾以外の何物でもない。...私にはこのように感じられてなりません。思うに、ベニヤミンは本当の秦氏ではなく、彼等の死滅は決して、本当の秦氏の死滅を意味してはいないというのが正解ではないでしょうか?

引用以上。

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