飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

京大合格のための英語学習法

2014-06-01 06:18:02 | 教育
京大英語では英文和訳二題、和文英訳一題が出題される。英文和訳二題の内の一題は、時々多少の変動はあるものの概ね、比較的短めの下線部訳三題から成り、もう一題は比較的長めの下線部訳二題から成る。

比較的短めの下線部訳三題の方は、その読み取りに苦労する人など実際は殆どいないと思う。が、その読み取りに基づいて和訳を書く段になると、人によって出来上がり具合に大きな差が出るようになっている。この三題では、内容を一旦読み取り、具体的なイメージを掴んでしまった後には、英文の見かけ上の構造の方は完全に無視して、その具体的なイメージの方を比較的短時間で、精確で綺麗な和文として表現し切るというスタイルが身に付いていないといけない。そうでない限り、求められるレベルの合格答案を仕上げられるようにはならない。精確で綺麗な和文というものを日常学習の凡ゆる局面で強く意識し、自分なりの完成された文体を育て上げることこそ、合格答案の大前提となるという訳だ。

英文の構造を完全に無視する?いや、ここで私は決してそのようなことを言ってはいない。英文の見掛け上の構造をある段階に限定して無視すべきだと言っているのである。

抑も文というものは、英文であれ和文であれ、それぞれの基本構造の違いからくるそれぞれに異なった規則に従って、それぞれに異なる遣り方の省略が施されているものである。英文で省略されている語句を適宜復元して和文に訳すこと。英文で省略されずに表記されている語句も和訳では、場合によっては意外なほど大量に訳さないでおくこと。更に場合によっては、英文の見掛け上の全体をレトリック表現(修辞表現)として全て剥ぎ取り、その奥の方に丸々隠されている本体を表に引き出した上で、そちらの方を和訳する場合すらあること。...熟練した英文和訳では常にこれらの内の何かが実行される訳だが、その理由もここにある訳だ。

この過程とその根拠を説明することだったら、優れた一部の教師でないと、明瞭に余すところなくというところまではなかなかいけないものだ。しかし、a native Japanese として日本人なら誰もが持っている天才を英文和訳の際に自覚的に使いこなす技能さえ身に付けられれば、ただそれだけで、たとえ一介の学生でしかなくても、専門家に勝るとも劣らないレベルの秀訳が出てくるようになる。京大英文和訳二題の内、比較的短めの下線部訳三題から成る方ではまさに、このレベルの秀訳が求められている。

比較的長めの下線部訳二題から成る方は、これとは事情が異なる。一般的な学校英文法の呪縛から抜け出せていなくても、a native Japanese としての天才を使いこなす技能さえあれば合格答案が出てくる、という具合には、なかなかいかないようになっているのである。一般的な学校英文法の呪縛から今だに抜け出せていないレベルの一般的な受験生には六割すら得点することの難しい、基本構造すら正確には把握できず、往々にして虚しく彷徨してしまいがちな、そんな「難問」になっていることが多いのだ。

註:しかも、何とも皮肉なことに下線部⑵は、下線部⑴を本物の英文法で分析した結果発掘される下線部⑴の書き換え文となっていて、下線部⑴の一般的な分析とは異なる、本物の英文法によるより高い次元の分析に成功した人でないと読み込めないようになっていることが多い。従って、できる人はどこまでも多くを得るが、できない人はどこまでも何も手に入らないという事態が起こることにもなる。要するに、合格者と不合格者を分ける最後の重大な関門の機能がこの問題に託されているという訳だ。このように考えて、先ず、差し支えないだろう。

一般的な学校英文法とは根本から異なり、一部の階層の間での口承しかされていない、英文の本質が十分に把握されている本物の英文法や本物の英文和訳法。...比較的長めの下線部訳二題から成る方の京大英文和訳問題で鍵を握るのはまさに、これなのだ。

この習得は、期間が限られている以上、完璧なレベルまでとは、受験生の場合はなかなかいかないものだ。しかし、京大に入って曲がりなりにも学問というものに携わろうと心に決めている者として、たとえ習得のきっかけしか得られなくても、そのような本物がある以上は習得を目指して修練してみたいと考え、不完全ながらも高みを倦まず弛まず目指す。すると、そうこうしている内に、気付いたらそれほど見晴らしの悪くない、七合目くらいまで来ていた、などということなら、受験生にも割と頻繁に起こっている。そしてこれが、京大合格のための強力な橋頭堡、或いは、京大入学後の学力の飛躍的な深まりの原動力にも繋がっていくものなのだ。麓にある馴染みの居住地(学校文法)を捨て去る勇気が持てないでいたら、これが得られることなど絶対にない。

ところで、本物の英文法や本物の英文和訳法とはどんなものだろうか?幾つか例を示しておきたい。

例文1
The computer has enabled scientists and engineers to make in only a moment the complicated calculations which used to take several days.

一般的な訳例
昔は数日かかっていた複雑な計算を科学者やエンジニアは今、コンピュータのお蔭で、ほんの一瞬の内に行うことができるようになっている。

より正しい訳例
昔なら優に数日はかかり、科学者やエンジニアを酷く手こずらせていた複雑な計算も今では最早、そのコンピュータが開発されたお蔭で、悉く、極短時間しかかからないで済むようになっている。

ここで用いられている技法
①数字表現の厳密な意味規定
②省略された so ... that 構文の復元
③the 名詞s = all the 名詞s

例文2
Science can create nothing out of nothing. But scientific advances have made it possible for us to discover and invent things we have never dreamed of discovering or inventing.

一般的な訳例
科学は無からは何も生み出すことができない。しかしながら、科学的な進歩のお蔭で人類は、発見も発明も夢見ることがなかったものを発見したり発明したりすることができるようになった。

より正しい訳例
科学とは言っても、無から有を生み出せる訳ではない。しかし、発見も発明も夢にも思い描けないでいたものが、様々な分野の科学的進歩を総合することで発見できた、発明できたということなら、これまでも普通に見られてきたのである。

ここで用いられている技法
①事物主語の副文としての復元
②文否定と語否定の区別
③全称否定と部分否定の区別
④他動詞的前置詞 of
⑤無冠詞複数形事物主語構文の正確な訳出
⑥省略された〈時〉の副詞句或いは副詞節の復元と訳出による、現在完了形の厳密な意味規定
⑦for us の省略

例文3
The old conception of national character based on biological differences has long been exploded. But differences in national character arising out of different social and educational backgrounds are difficult to deny.

一般的な訳例
生物学的相違に基づく国の性格の古い概念は、随分前に廃れてしまった。しかし、様々な社会的・教育的な背景から生ずる国の性格における相違は、否定することが難しい。

より正しい訳例
性格が国によって異なる理由を諸国民の生物学的多様性に基づけて説明しようとする試みは、今となってはもう、廃れてしまって久しく、古臭い遣り方になっている。それに対して、同じ現象の理由を社会的教育によって培われる背景の多様性に基づけて説明しようとする試みの場合は、否定しようとしてもなかなかできるものでないと、私は考えている。

ここで用いられている技法
①対比の but と「第一法則」に従った省略語句の大量復元や、語句の大幅な変形
②抽象名詞 the conception と、「概念」と訳されることの多い名詞 the concept の区別
③「相違点」と「多様性」の区別
④名詞-al and 名詞-al 名詞s のより厳密な訳
⑤ I think that の復元
⑥語句の大量省略

...以上は、ある予備校で東大や京大を志望する中3生のために教材として用意されたものからの引用で、「京大英語」としては比較的易しいものが選ばれた。従って、本物の英文法や英文和訳法を導入しない一般的な答案でも、どこに穴があるのか自覚し難い、それほど悪くないのではと感じさせかねない、そんな問題の引用となっている。限られた時間的・空間的スペースで本物の英文法や英文和訳法の概要を伝えるためには致し方がないと考えてこのような選択を行ったが、聞く耳のある人には、私の伝えようとしていることが朧げながらも十分に伝わったのではないだろうか?ましてや、一般的なスタイルでは自覚的な答案など絶対に仕上げられるはずのない、比較的長めの下線部訳二題から成る京大英文和訳に取り組んで行こうとする場合に、本物の英文法や英文和訳法が帯びることになる重みについては、尚更そうなるということが理解できるのではないだろうか?この比較的長めの下線部訳二題から成る京大英文和訳の場合は、たとえ完璧ではなくても、この本物の英文法や英文和訳法の自覚的な鍛錬がないことには、取り組みが、盲目的で単に粘り強いだけの、従って「才能」任せの、或いは「運」任せのものに留まってしまうのである。この本物の英文法や英文和訳法のマスターを強く意識しながら学習を進めていけば、一般の受験生がせいぜい六割しか得点できない所で少なくとも七割は確実に得点できるようになる(これは大学側から得点公表が行われている中、何人かの学生の指導を通して私が直接確認している、紛れもない事実である)。また何よりも、日々の鍛錬が闇雲な苦行ではなくなることから、学習の能率や手応え、充実感、知的好奇心の向上も期待できる。更には、所謂「単なる合格」だけではなく、京大での学究生活の、展望の大規模な拡大すら期待できる。

本物の英文法や英文和訳法とは謂はば、書き手である natives の頭の中で執筆中に普遍的に機能していたロゴスそのものの客観化のことに他ならない。英文解釈とは、書き手である the native と、時空を超えてそのロゴスを共有することなのである。本物の英文法や英文和訳法のマスターを志向しながら英文和訳の鍛錬を行うということは即ち、その最奥ではまさに、このようなロゴスのレベルでの一流の natives との交流の実績をなし、その技能を身につけていくことに他ならなかったのである。

このことを考慮に入れると、本物の英文法や英文和訳法を志向した学習には、もうひとつ別の副産物が期待できることにもなる。即ち、和文英訳の基礎力養成のことである。

京大に限らず、国公立二次和文英訳の実態は、和文添削英訳である。提示された和文そのものを省略も誤記もない「精確」な和文に復元した上で英訳すると、本物の英文法が概要だけでも身に付いている者に限り、御し難き所の全くない、いかにも扱いやすい、素直な和文英訳問題が目の前に立ち現れてくるようになっているという訳だ。逆に、提示された和文を無頓着にそのまま英訳しようとした場合、幾つかの理由から必ず失敗してしまうようになっていて、京大和文英訳問題が、一般の受験生の実感の通りに、かなりの難問に見えてきてしまう。

この実態を念頭に置きつつ過去問を具に研究しておくこと。これがその最も能率のいい学習の指針となる。但し、その際に大前提として、本物の英文法や英文和訳法の習得を志向した、上述したような英文和訳の、息の長い自覚的な鍛錬が必要となってくる。





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