飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

飛鳥昭雄氏をどう捉えるべきか

2012-11-30 01:59:05 | 日本論と宗教論
飛鳥昭雄氏の説にはまだ、咀嚼できないところが沢山あります。

私の直感は確かに「恐らくはすべてが事実」と言ってはいます。しかし、どんなに正しそうなことも、自分の実存と結びつかない限り決して、他人に真理として伝えることはできません。ましてや、自分の行動の基準にできるはずもありません。

彼の言説に関して私はただ、地上のこちら側から、こちら側の材料を使ってのみ、彼が伝えていることの次元まで辿り着くつもりでいます。例えば私がもし仮に理系の技術者だったとしたら、プラズマ理論やそれを用いた応用技術のことを聞き知ったら直ちに、自分でもそれを作れないか密かに試みることでしょう。そのようなものを作ることの実際的な意味を自分でも自分なりに体験しようとするでしょう。そうした場合、たとえ実際には同じものが作れなくとも、そのようなことを行っている立場からそれとは一見無関係な領域に、行っていない時には絶対に抱き得ないようなより根源的な発想を持って当たることができる。

私の場合は、それと似たことを、この社会の隠れた仕組みの解明、及び、その一般の人々ための咀嚼という一連の作業の中で行いたいと考えます。彼の情報に触れているが故に、たとえ彼の情報を前面に押し出さなくとも、通常のあらゆる関連分野を停滞させていた極めて多くの問題に全く新しい突破口が与えられる。彼が「ある特定機関からの極秘情報」として出してくるものには、確かに証拠などはないし、ある程度の懐疑的姿勢で臨む必要もあるとは思うけれども、私が日々執り行っている通常の領域のほとんど全てで、今上に述べたような類の驚異的な活性化を及ぼす何かが紛れもなく含まれている。私はこのように感じる訳です。

彼の出してくるような類の情報に関しては、証拠の有無を問題にして一々、真実だとか真実でないとか、そのような次元で騒ぐ必要はないものと感じます。世の言説の中には、真実の解明に今私が上に述べたような類の根本的な影響力を発揮する、彼の言説のような言説が幾つか存在するものなのです。そのような類の言説の取り扱いの際は、そのことで自分の精神の力量が試されることにもなるものです。従って、論者としては、細心の注意を払わなければならないものと私は考えます。

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