あるとき、鶫(つぐみ)が出てくる夢を見た。(大きさと色からそう思った)
すこし気になったので近くの縄文公園になんとなく探しに行ってみた。
季節は11月、もうシベリアあたりから渡って来ている頃のこと。
その気で探すとすぐにそれは見つかった。
(気にしていないときは、本当にいないけれど、見ようとすると彼らはその辺にいるから不思議)
それは数メートル先をホッピングしたり、早歩きしたりして、ぼくとの距離をけっして縮めることはないようにおもえた。
誘導しているような、逃げているような。
そこで歩幅を大きくしてみたら、それは飛び立ってしまった。 そして、すこし先の木の枝にとまった。
櫟(くぬぎ)の木だった。
しばらくのちどこかにそれは飛び去ったので、ぼくは公園に沿って流れる川の辺りにいってみた。
そこには、ベンチがひとつ設けられており、脇には3本の胡桃(くるみ)の木があった。
初冬の澄んだ空気の中でのことだ。
しかし、本当はこれだけではなかった。
枯れ草の上を歩いているとき、遠くで犬のなく声がうるさく聞えていたし、
見上げた櫟の枝のずっと先の空には、ジェット旅客機の残響音がひびいてもいたのだ。
だからぼくがこの日、つぐみ、くぬぎ、くるみ、と、共通の母音(U・U・I)を、公園での出来事から見つけて喜んだとしても、
それは、ぼくの脳髄の思考(嗜好?)の襞のちょっとした絡まりにしか過ぎないことで、
本当は、日常の単なる恣意的な一場面にしか過ぎないことなのだ。
けれど、ほんとうにそれだけで、意味なんてないと言いきれないぼくは(→参照{嘱目の光景})、このあと、
”胡桃”の実 と ”鶫” を石膏で作り、以前描いた”櫟”の葉のデッサンと組み合わせた。(写真)3点ともほぼ実物大
すこし気になったので近くの縄文公園になんとなく探しに行ってみた。
季節は11月、もうシベリアあたりから渡って来ている頃のこと。
その気で探すとすぐにそれは見つかった。
(気にしていないときは、本当にいないけれど、見ようとすると彼らはその辺にいるから不思議)
それは数メートル先をホッピングしたり、早歩きしたりして、ぼくとの距離をけっして縮めることはないようにおもえた。
誘導しているような、逃げているような。
そこで歩幅を大きくしてみたら、それは飛び立ってしまった。 そして、すこし先の木の枝にとまった。
櫟(くぬぎ)の木だった。
しばらくのちどこかにそれは飛び去ったので、ぼくは公園に沿って流れる川の辺りにいってみた。
そこには、ベンチがひとつ設けられており、脇には3本の胡桃(くるみ)の木があった。
初冬の澄んだ空気の中でのことだ。
しかし、本当はこれだけではなかった。
枯れ草の上を歩いているとき、遠くで犬のなく声がうるさく聞えていたし、
見上げた櫟の枝のずっと先の空には、ジェット旅客機の残響音がひびいてもいたのだ。
だからぼくがこの日、つぐみ、くぬぎ、くるみ、と、共通の母音(U・U・I)を、公園での出来事から見つけて喜んだとしても、
それは、ぼくの脳髄の思考(嗜好?)の襞のちょっとした絡まりにしか過ぎないことで、
本当は、日常の単なる恣意的な一場面にしか過ぎないことなのだ。
けれど、ほんとうにそれだけで、意味なんてないと言いきれないぼくは(→参照{嘱目の光景})、このあと、
”胡桃”の実 と ”鶫” を石膏で作り、以前描いた”櫟”の葉のデッサンと組み合わせた。(写真)3点ともほぼ実物大