昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

悔しさは福田の不甲斐なさに起因する

2008年06月27日 | Weblog
北のテロ指定解除 拉致軽視、家族会「くやしい」(産経新聞) - goo ニュース

 もうこれは政治家以前に福田康夫センセの人間性に対しての絶望なんだろうと思います。マイナスの期待しか生まない人を一国の首相に担ぎ上げた政府創価学会と自民党の責任はとても重い。しかし、主催者側にその自覚がないんだから、三葉虫滅亡、アンモナイト滅亡、マンモス滅亡が何に起因したか地球の歴史を学ぼうともしない『もののあはれ』に同情しよう。

 次期選挙で自殺しようとする『政党』に「死ぬのはよせ!」というほど日本人は酔狂ではないだろう。

 平沼赳夫氏に期待をかけてはいるのだが、彼もまた自民党のアクが抜けきっていないようである。「石橋を叩いて尚渡らず」では、勇者の誉れもどこへやらである。・・・・今は員数合わせの打算を国民は求めていない。我々の希望とは、「第一に結果を恐れない勇猛果敢な行動」である。

 本当に福田康夫さんには心がない。嘘でも良いから、「アメリカよ拉致を忘れるな」と公言する良識の持ち主であって欲しかったことか。・・・・福田康夫の跡に絶望感だけが残る=自民党に明日はない。

 しかし、本当のところ日本人は本当の低脳児ではないかと思う。国家破壊GHQ憲法などを当時の手の内が明かされて尚『自主憲法』などと、強迫観念で『信じねばならない』と自縛に駆られているんだから。拉致問題など国権としての『交戦権』を肯定すれば、起こり得ない朝鮮人による日本国への主権侵犯なんだからさ。

 我々が世界の笑いものであることを自覚するのは滅亡後か滅亡前か・・・・それが問題なのだ。


 追記:ゆりっぺさん読者になってくれて有難うございます。