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若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

ほんと、しょうがないね

2007年07月01日 | Weblog
原爆で終戦早まる、「しょうがないな」と久間防衛相(読売新聞) - goo ニュース

 件の発言の文脈はこのようなものであったとか。

 ・・・・8月9日に長崎に原子爆弾が落とされ、9日にソ連が満州国に侵略を始める。幸いに北海道は占領されずに済んだが、間違うと北海道はソ連に取られてしまう。
 本当に原爆が落とされた長崎は、本当に無傷の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、『しょうがないなと思っているところだ』・・・・と、このように「しょうがない」という一節は使われている。

 そして、先帝陛下の所謂敗戦の詔勅のハイライトは「耐へ難きを耐へ、忍び難きを忍び、以って太平を開かんと欲す」であったのだから、やはりこれは「しょうがないこと」であったんだろう。でも、日本人に対して行った原爆による人体実験が否定されるべくもない。アメリカに気を遣ってか、そこに触れないから、日本人の琴線に触れるのです。

 しかし、日本共産党(コミンテルンの日本支部)など、アメリカの占領軍を解放軍と賞賛し諸手を挙げて拍手喝采大歓迎した自己の歴史をどう評価するのか?(原爆さえ開放の光とまで呼んだかは定かではないが)、それを語らず、相手の言葉尻だけを捉えて非難するのは、某氏の東大卒幼児ぶりを遺憾なく露呈するものだし、社民党のこれまた東大卒阿呆万年女史など、「しょうがない」以外にどういう言葉があるのか言ってみるが良い!。・・・・いつもの習慣で言うほどに墓穴を掘ることになるでしょうが。・・・九間大臣にしても「許しがたい人道上の罪であるが、戦時下においてはしょうがない」とでも発言しておけばよかったんでしょうが。・・・・

 そんな能力は日本には無かったのであるが、もしも当時先駆けて原爆を開発していれば、日本とて躊躇することなく原爆使用に踏み切ったに違いない。

 皮肉にも、時が遷るにつれて国家として原水爆を保有することが、安全保障の最重要要件であることが証明されているんだから、北朝鮮あたりが核保有に血眼になるのもそれはそれで道理でもあるのだ。

 ・・・・で、九間大臣も、ここまで過去を言うのなら、「日本にも核保有という選択肢も残されているのだし、日本の将来を思うなら、検討も必要だ」・・・・この程度のことは一国の防衛大臣として発言してもらいたいよね~~。

1 コメント

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Unknown (Unknown)
2007-07-02 06:18:07
原爆を投下しなくても、ソ連が参戦しなくても、米軍の本土上陸作戦が計画ないし検討されなくても、日本は1945年12月31日以前、「あらゆる可能性を考えに入れても1945年11月1日までに」無条件降伏していただろう―広島、長崎への原爆投下について1946年7月、米戦略爆撃調査団がトルーマン大統領に提出した総括報告はこう述べている。
ならばなぜ、トルーマンは原爆投下を決定したのか。欧州支配の野望を抱くソ連に、衝撃を与えるためのデモンストレーションであったとみる歴史学者がいる。そうした政治的要因にくわえて、ロナルド・タカキ米カリフォルニア大教授は、子供のころ「いくじなし」といわれたトルーマンの性格と人種差別主義に起因していると指摘する(草思社刊『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』)。

本書(原爆を投下するまで日本を降伏させるな)も原爆投下決定の裏に働くトルーマンの劣等意識に鋭い目を向けている。ルーズベルトの急死で、はからずも大統領になった「小物」が、権力と原子爆弾という史上最も恐ろしい遺産を手にしてしまった。ルーズベルトが「日本派」のジョセフ・グルー元駐日大使とともに進めようとしていた対日政策は、トルーマンと彼の唯ひとりの相談相手ジェームズ・バーンズに忘れ去られる。日本が和平の仲介を期待するソ連は、米英との密約に基づき対日参戦の準備を進め、トルーマンはソ連の参戦を原爆投下の後に誘導することにのみ腐心していた。
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