昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

偉大なる教育の成果

2006年08月13日 | Weblog
同居女性4人に入れ墨や殴打、19歳少年を逮捕 (読売新聞) - goo ニュース

 確か、男性女性などの本質的な性差と言うのは曖昧なもので、決定的な性差というのは社会の要請によって決まるのである。従って、外的要因(社会)が要請すれば女性は男性に、男性は女性に変幻自由自在なのである。これ自体、実に馬鹿げた理論であると思うのである。しかし、このイカレタ教義が小、中学校の精神教育の金科極上となっているという。

 そして、このイカレタ教義は、所謂フェミニストと呼ばれる連中に、すこぶる馴染むらしい。フェミニズムの発祥の地はジャンヌダルク(フランスの愛国女性で、英仏100年戦争の末期、救国の神託を受けた彼女は1428年自らフランス軍を率いてイギリス軍を撃破した。豊満な乳房を振り乱して戦った雄姿は絵画の主題にもなっている。当時ブラジャーなるものは発明されていなかった)の国フランスである。

 フェミニズムとは、一般的に女権主義、女性尊重主義と訳され、フランス革命の理念となった人権思想の影響を強く受け、フランス、イギリス、アメリカにおいて発達した。女性の社会的、政治的法律的、性的な自己決定権を主張し、男性支配的な文明と社会を批判し組み替えようとする思想・運動。女性解放思想。女権拡張論。(広辞苑等)

 女性が自らの権利を主張するのは時代の趨勢(進歩)として当然の帰結であると思う。私が青春だった頃、ウーマンリブ活動に燃えていた若き乙女達も今では皺くちゃ婆に一歩づつ近づく恐怖に怯えているのだ。
 しかし、このフェミニスト達の功罪の罪の部分とは自らの『母性の放棄』だと思う。女性の権利=母性の否定=男性への権利の主張。・・・・それが男女平等と勘違いしている浅はかさに思い至らないのだから、もはや救われる術もない。

 ところで、根本的に理解しなくてはならないのは、『人間とて所詮動物である。男性には男性の生理があり女性には女性の生理があるということである。これは、決して逆らえない神の摂理なのだ』・・・この動物としての性格である。
 
 ジェンダーフリーなどと言う人為的な背徳の教義を叩きこまれた若き脳は、やがて発現する本能という性差に逆らうことも克服することもできない。このようにジェンダーフリー教育は痛ましい犯罪と言う形で破綻する。

 今後、この種の性差認識した上でお互いを尊重し合うことを無視した教育の成果を反映した犯罪は今後益々増え続けるに違いない。間違った教育が痛ましい性犯罪の心地よい揺り篭であるとは何とも皮肉である。