昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

大紀元日本万歳

2007年10月14日 | Weblog
 これは、とても心を揺さぶられる記事であるから、全部を書き留めておこう。

 中国の腐敗を知る中国人記者が脱党

 大紀元日本10月14日:脱党の道を選んだある中国人記者の話によると、中国で報道機関関係者には、自由と尊厳がまったくない。中国共産党の都合に合わせてニュースを作ることしかできないという。取材最前線にいた当該の記者は、より一層中国共産党の裏と腐敗が分かっているようだ。

 国際ラジオ「希望の声」によると、当該記者は中国共産党の腐敗を悪性腫瘍に例えた。中国の民衆が自由と新生を手に入れたいなら、この悪性腫瘍を切除するしかない。彼は大紀元ウェブサイトで脱党を宣言。これまで中国共産党に協力して、多くのニュース捏造し、人々を騙した罪を少しでも償うために脱党の道を選んだという。

 中国のニュースはほとんど作り話、つまり真実を報道することは有り得ない。共産党にとって、都合のいいニュースしか報道が許されない。例えば、私はある地方の行政職員に取材したことがある。共産党の官員は大抵同じく、国民を騙して、お金を集める。訴えられたら、上層部に賄賂を贈り、勤務地を変えてまた同じことを繰り返す。所謂悪性腫瘍のようにどうしようもない。

 この記者は、現在の中国共産党は既に末端まで全面的に腐敗している、と指摘し、特に利益に深く関わっている党組織の下層部、役人同士が庇い合って、自分の利益のため、着服、賄賂、汚職など悪事を尽くし、まったく恥知らずになった。

 例えば、あなたに、官員に何か不平不満があった場合、我慢しましょう。大げさにしてはいけない。上層部に陳情しに行っても、ほとんど無意味である。なぜかというと、上層部が解決策を下しても、具体的に執行するのはまた地方の官員が当たる。この官員たちが執行しない限り、どうしようもない。腐敗は悪性腫瘍のようにもう体の至るところに転移して治らない。

 近年、経済が急速に発展しているとともに、土地の需要も増え続け、権力と金銭の汚いやり取りによって、農民は土地を奪われ、農業ができなくなる。それだけではなく、生活できなくなった農民が陳情や反抗するとき、地方官員と裏社会や悪徳商人は手を組んで、警察とヤクザは一体となって、残虐な鎮圧を行う。このような事件は全国に広がっている。

 僕の故郷はまた農民の耕地を徴収したそうだ。学校を建てる名目で、しかし、賠償金はまったくなかった。人々は訴えるところはない。政府も裁判所も警察も皆、中国共産党のもので、中国の国民は心から共産党を憎んでいるが、何もできない。この国にいる限り、不平不満を我慢するしかない。外国にいるなら、国民の権利が守られているが、中国にいる限り、平等や人権など夢見たいな話ですね。

 いままで、脱党を宣言した中国人は2600万人を越えた。人々は目が覚めて一刻も早く脱党を宣言すれば、共産党という悪性腫瘍をきっと切除できる。その時こそ、中国の人々は本当の自由と幸せを迎えるのである。(以上引用)


 しかし、日本にはとてもへんてこりんな新聞があって、一部ではチョウニチ、又一部では売国新聞などと囃されたりしている。中国人も大嫌いな中国共産党がとてもお好きなようです。どうして中国から独立した日本国のメディアが中国共産党のケツノ穴を舐め続けなければならないのか?、普通の日本人には到底理解できません。悔しかったら一丁前に『中国共産党批判』でもしてみろっつうの!。

 ところで、同類のM新聞が公立図書館から追放されたようであるが、とても歓迎されるべきことだと思います。国民感情からすれば、赤いハートのAのほうが先であるべきだと思うのですが。今後の公立図書館の動向に期待したい。日本人なら、「No more Zhongguo!」を合言葉とすべきだと思います。

広く国民が認識すべき課題

2007年10月14日 | Weblog
心臓移植、手術できず6割死亡 循環器学会追跡調査 (神戸新聞) - goo ニュース

 恥ずかしながら、心臓移植手術に必要なドナー数が国内でどれ程不足しているかなどこの記事で初めて知りましたが、本当に深刻な事態だと思ったことです。

 これじゃ、中国の臓器狩りも一方的に非難できませんわね。しかし、日本という国も倫理、倫理という割には道徳が欠如しているんだろう。
 倫理だの道徳などとけたたましく叫んでも、年間の自殺者は3万人にも及び、交通事故の死亡者も相当数存在する。・・・・だから、臓器提供せよなどというのは暴論であるが、年間四十数件のドナーがいれば国内で必要な心臓を賄うことができるとあらば、決して不可能な数でもないと思う。
 しかし、心臓の提供となると即、死という観念が前面に出てしまって、そこはかとなく恐ろしく感じてしまいますね。

 移植手術を受けた元患者の皆さんも最近では積極的にピーアール活動をなされているようであるが、兎に角、国家国民的規模で真正面から臓器移植医療について真摯に考えてなければならない時節が到来しているのだと思います。

 人も、生き物である以上いつかは絶命するのだから、縁あって人様の役に立てるなら、臓器提供も辞さないと思う(尤も、年齢が若くなければ使い道もないか)のですが、万一の不幸に備えてドナー側はどういう手続きをしておけば宜しいのでしょうかね。