今回は数学的雑談としたい。
三日ばかり前の読売新聞にとても良い記事があったので、書き記しておきたい。(なにとぞ悪しからずや)
桜美林大学教授 吉沢光雄先生が執筆されたものです。
最近、情報技術(IT)を中心とした経済発展が目覚しいインドの数学教育が注目されている。背景には日本の学力低下問題を受けて、諸外国の教育を参考にしたいという意識があるのだろう。
テレビや雑誌は、インドの数学教育に関して「日本の九九のように19x19までの計算を暗記している」「2桁どうしの掛け算で瞬時に答えを言える人がたくさんいる」と繰り返し報道している。それを見る限り、「インドの人たちは掛け算などの基礎的計算が得意だから、世界に冠たるIT立国なった」という結論が導かれる。
しかし、インドの数学教育に関して、計算だけを取り上げるメディアの姿勢は大きな誤解を国民に与えることになる。
インドの小学校から高校までの標準的な数学の教科書および大学入試問題集を参考に、インドの数学教育の全体像を俯瞰すると、報道されているのはいかに表層部分に過ぎないかが分かる。そして、日本の数学教育でも参考にしたい点に気付かされる。
まず、教科書には、19x19の計算などの記述はない。むしろ、そのような計算への関心は低下しているようだ。
日本の学習指導要領に相当する書籍には、国の発展にとって数学の役割が本質的なものであること、或いは人文・社会系の学問にも数学が重要であることが述べられている。「数学の勉強は入試のため」「数学は理工学系学問の基礎」という捉えかたをしている日本は大いに参考にすべきだ。
約30万人が受験して、約5000人しか合格できないというインド工科大学の入試の数学問題集を見ると、微分方程式や三次行列式のような日本の大学入試では出題されない内容も多くあるが、大半の問題が証明問題であることが分かる。
プロセスを問う記述式問題を重視していることに注目したい。ITばかりでなく、異なった国々の人たちに対して自らの立場を説明することが大切な「国際化」という側面から考えても、証明問題重視は意義あることである。インド工科大が米国の名門大学と並んで世界的にIT分野で注目される理由もここにある。答えだけで採点するマークシート式の問題が全盛の日本は謙虚に考え直してはどうか。
証明を大切にするインドの姿勢は、学校教育全般で徹底している。例えば四則の計算に関しても、規則を暗記させることから始まる日本の指導法と違って、「なぜ規則を設けなくてはならないか」の説明に、教科書の多くのページを割くことから始まる。図形の証明問題は、日本では「ゆとり教育」の影響で極端に少なくなってしまったが、インドの教科書には多様な問題が数多く載っている。
生物学、経済学などの多分野からも注目される統計学でも同様だ。統計を中心とした応用面の記述が日本の教科書の比ではない。かつて日本の高校生が全員学習した対数は様々な自然社会現象の記述に必須道具であるが、現在では一部の理科系進学高校生しか学習していない。しかし、インドでは日本の中学三年に相当する学年で全員が学習している。
現在のインドを見ると、日本が戦後しばらくの間、国を復興させたいと国民が一致してひたむきに努力していた時期の姿と重なるように感じる。日本もインドの数学教育の神髄をすくい取るような改革を目指したいものだ。(以上引用)
たいへん感銘を受けるお話である。さすがにゼロという観念を地球上で最初に発見したインド人の見識はすばらしいと思います。
「国の発展にとって、数学の役割が本質的なものであること。人文・社会系の学問にも数学が重要である」・・・・こういう認識で数学教育を推し進めるインドは、程なくしてアジアのブレインとなること間違いなしであろう。うかうかしていると日本人はインド人の後塵を拝することになるのが決定的といえる。
変なうぬぼれを捨て、世界の教育レベルを認識することが急がれる。
三日ばかり前の読売新聞にとても良い記事があったので、書き記しておきたい。(なにとぞ悪しからずや)
桜美林大学教授 吉沢光雄先生が執筆されたものです。
最近、情報技術(IT)を中心とした経済発展が目覚しいインドの数学教育が注目されている。背景には日本の学力低下問題を受けて、諸外国の教育を参考にしたいという意識があるのだろう。
テレビや雑誌は、インドの数学教育に関して「日本の九九のように19x19までの計算を暗記している」「2桁どうしの掛け算で瞬時に答えを言える人がたくさんいる」と繰り返し報道している。それを見る限り、「インドの人たちは掛け算などの基礎的計算が得意だから、世界に冠たるIT立国なった」という結論が導かれる。
しかし、インドの数学教育に関して、計算だけを取り上げるメディアの姿勢は大きな誤解を国民に与えることになる。
インドの小学校から高校までの標準的な数学の教科書および大学入試問題集を参考に、インドの数学教育の全体像を俯瞰すると、報道されているのはいかに表層部分に過ぎないかが分かる。そして、日本の数学教育でも参考にしたい点に気付かされる。
まず、教科書には、19x19の計算などの記述はない。むしろ、そのような計算への関心は低下しているようだ。
日本の学習指導要領に相当する書籍には、国の発展にとって数学の役割が本質的なものであること、或いは人文・社会系の学問にも数学が重要であることが述べられている。「数学の勉強は入試のため」「数学は理工学系学問の基礎」という捉えかたをしている日本は大いに参考にすべきだ。
約30万人が受験して、約5000人しか合格できないというインド工科大学の入試の数学問題集を見ると、微分方程式や三次行列式のような日本の大学入試では出題されない内容も多くあるが、大半の問題が証明問題であることが分かる。
プロセスを問う記述式問題を重視していることに注目したい。ITばかりでなく、異なった国々の人たちに対して自らの立場を説明することが大切な「国際化」という側面から考えても、証明問題重視は意義あることである。インド工科大が米国の名門大学と並んで世界的にIT分野で注目される理由もここにある。答えだけで採点するマークシート式の問題が全盛の日本は謙虚に考え直してはどうか。
証明を大切にするインドの姿勢は、学校教育全般で徹底している。例えば四則の計算に関しても、規則を暗記させることから始まる日本の指導法と違って、「なぜ規則を設けなくてはならないか」の説明に、教科書の多くのページを割くことから始まる。図形の証明問題は、日本では「ゆとり教育」の影響で極端に少なくなってしまったが、インドの教科書には多様な問題が数多く載っている。
生物学、経済学などの多分野からも注目される統計学でも同様だ。統計を中心とした応用面の記述が日本の教科書の比ではない。かつて日本の高校生が全員学習した対数は様々な自然社会現象の記述に必須道具であるが、現在では一部の理科系進学高校生しか学習していない。しかし、インドでは日本の中学三年に相当する学年で全員が学習している。
現在のインドを見ると、日本が戦後しばらくの間、国を復興させたいと国民が一致してひたむきに努力していた時期の姿と重なるように感じる。日本もインドの数学教育の神髄をすくい取るような改革を目指したいものだ。(以上引用)
たいへん感銘を受けるお話である。さすがにゼロという観念を地球上で最初に発見したインド人の見識はすばらしいと思います。
「国の発展にとって、数学の役割が本質的なものであること。人文・社会系の学問にも数学が重要である」・・・・こういう認識で数学教育を推し進めるインドは、程なくしてアジアのブレインとなること間違いなしであろう。うかうかしていると日本人はインド人の後塵を拝することになるのが決定的といえる。
変なうぬぼれを捨て、世界の教育レベルを認識することが急がれる。