昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

songzhaoのボケ封じ数学講座第38講

2007年06月23日 | Weblog
 今回は数学的雑談としたい。

 三日ばかり前の読売新聞にとても良い記事があったので、書き記しておきたい。(なにとぞ悪しからずや)

 桜美林大学教授 吉沢光雄先生が執筆されたものです。

 最近、情報技術(IT)を中心とした経済発展が目覚しいインドの数学教育が注目されている。背景には日本の学力低下問題を受けて、諸外国の教育を参考にしたいという意識があるのだろう。
 テレビや雑誌は、インドの数学教育に関して「日本の九九のように19x19までの計算を暗記している」「2桁どうしの掛け算で瞬時に答えを言える人がたくさんいる」と繰り返し報道している。それを見る限り、「インドの人たちは掛け算などの基礎的計算が得意だから、世界に冠たるIT立国なった」という結論が導かれる。
 しかし、インドの数学教育に関して、計算だけを取り上げるメディアの姿勢は大きな誤解を国民に与えることになる。
 インドの小学校から高校までの標準的な数学の教科書および大学入試問題集を参考に、インドの数学教育の全体像を俯瞰すると、報道されているのはいかに表層部分に過ぎないかが分かる。そして、日本の数学教育でも参考にしたい点に気付かされる。
 まず、教科書には、19x19の計算などの記述はない。むしろ、そのような計算への関心は低下しているようだ。
 日本の学習指導要領に相当する書籍には、国の発展にとって数学の役割が本質的なものであること、或いは人文・社会系の学問にも数学が重要であることが述べられている。「数学の勉強は入試のため」「数学は理工学系学問の基礎」という捉えかたをしている日本は大いに参考にすべきだ。
 約30万人が受験して、約5000人しか合格できないというインド工科大学の入試の数学問題集を見ると、微分方程式や三次行列式のような日本の大学入試では出題されない内容も多くあるが、大半の問題が証明問題であることが分かる。
 プロセスを問う記述式問題を重視していることに注目したい。ITばかりでなく、異なった国々の人たちに対して自らの立場を説明することが大切な「国際化」という側面から考えても、証明問題重視は意義あることである。インド工科大が米国の名門大学と並んで世界的にIT分野で注目される理由もここにある。答えだけで採点するマークシート式の問題が全盛の日本は謙虚に考え直してはどうか。
 証明を大切にするインドの姿勢は、学校教育全般で徹底している。例えば四則の計算に関しても、規則を暗記させることから始まる日本の指導法と違って、「なぜ規則を設けなくてはならないか」の説明に、教科書の多くのページを割くことから始まる。図形の証明問題は、日本では「ゆとり教育」の影響で極端に少なくなってしまったが、インドの教科書には多様な問題が数多く載っている。
 生物学、経済学などの多分野からも注目される統計学でも同様だ。統計を中心とした応用面の記述が日本の教科書の比ではない。かつて日本の高校生が全員学習した対数は様々な自然社会現象の記述に必須道具であるが、現在では一部の理科系進学高校生しか学習していない。しかし、インドでは日本の中学三年に相当する学年で全員が学習している。
 現在のインドを見ると、日本が戦後しばらくの間、国を復興させたいと国民が一致してひたむきに努力していた時期の姿と重なるように感じる。日本もインドの数学教育の神髄をすくい取るような改革を目指したいものだ。(以上引用)

 たいへん感銘を受けるお話である。さすがにゼロという観念を地球上で最初に発見したインド人の見識はすばらしいと思います。

 「国の発展にとって、数学の役割が本質的なものであること。人文・社会系の学問にも数学が重要である」・・・・こういう認識で数学教育を推し進めるインドは、程なくしてアジアのブレインとなること間違いなしであろう。うかうかしていると日本人はインド人の後塵を拝することになるのが決定的といえる。

 変なうぬぼれを捨て、世界の教育レベルを認識することが急がれる。

市中引き回しの上、獄門打首が妥当

2007年06月23日 | Weblog
社保庁職員のボーナス・給与カット検討、首相も一部返上へ(読売新聞) - goo ニュース

 ここまでのいい加減さを見せ付けられると、親方日の丸体質どころの騒ぎで収まりは付くまい。市中引き回しの上獄門打ち首、とった首を白骨化するまで三条河原に晒しても国民の気持ちはおさまらない。

 親方日の丸が日の丸を食い物にし、集金した(実際には天引きした)保険料は管理せず丼勘定、どこへいったのやら分からないと居直り、仕事はせずにとりわけ熱心なのは『政権の倒閣運動』。それに、『朝鮮人に選挙権を与えよ』などとふざけた活動ばかり熱を上げてきた『国賊集団』もいよいよお裁きの俎板の上に乗りつつある。
 反省するだの出直すなどとしおらしいことを言って、猫なで声を上げても一切聞き入れるべきではない。・・・・社会保険庁など即刻解体して民営化する以外に治療方法は無い。『駿河路や馬鹿は死ななきゃ治らない(遠州森の石松)』といった類の病気なのです。

 驚いたことにボーナスを『勤勉手当』などと人を食った表現がとても忌々しい。とりあえずボーナスなしの給与一律三割カットが応分のお仕置きであろう。

 日教組にしても官公労にしても、民主党を使って必死の延命策をこうじてくるであろうが、国民は彼らの本質を見抜く審美眼を持たなければならない。ゆめゆめ、『甘言』に惑わされてはなりませぬ。

 戦後の日本の根本的な問題点にメスを入れ、その返り血を浴びているのが現在の安倍晋三首相である。ここで、彼を頓挫させてしまうと今後の日本の発展にとって、百害あって一理無しだと私などは思います。

 そういう意味で、安倍晋三氏に心より同情する。最近では高杉晋作を地で行っている程の心意気とお見受け致す次第です。

裁判官は大丈夫かとさえ思う

2007年06月23日 | Weblog
日弁連内に批判 元会長関与「信頼損なった」(朝日新聞) - goo ニュース

 日弁連など、本来不合理を合理とでっち上げるのを稼業としているかのようであり、存在目的が犯罪の弁護なんだから、『信頼性』などという言葉を発すること自体、本分を省みない暴言なんだろうと思う。大方の犯罪者以外の国民もそう思っているところに、今回の元日弁連元会長、土屋公献センセの架空売買に基づく所有権移転登記の実行である。これによって、果たして『弁護士職の信頼性は元々無い』ことがあらためて証明されたのです。

 ・・・で、事件が発覚してしまって、恥も外聞も無く、所有権を元に戻したというが、登記原因を『架空取引の発覚』とでもしたのだろうか。単に、登記原因は『錯誤』で済まされる問題ではなかろう。

 私など不動産業に従事していたころは、人相も悪いことも幸いして、周旋屋だの博労などと呼ばれることもあったのですが、最近では弁護士さんも公安も北朝鮮の手先に成り下がったようである。既に国家の品格などという言葉は死語となった模様である。

 こういう悪の連鎖が裁判官にまで及ぶ事態となれば、すでに日本は国家とはいえない。本当に日本の裁判官は大丈夫なんだろうか。

 弁護士会もこういうふとどき者(おそらく弁護士という地位を利用した犯罪人予定者)を組織から締め出せないようでは、社会正義を語る資格は無い。身内の犯罪者をかばい立てして、せいぜい世間の嘲笑を浴びなさい。