노래 norae

 노래(歌)
 発音は「ノレ」
 英語で song ですね

 かろやかに歌うように
 一日をはじめたい

リリパット

2017年10月26日 | 書籍など
リリパット・・・それは、スウィフトの小説「ガリバー旅行記」に出てくる小人国

先日読んだ、韓国の小説にこういう一節があった。



・・・ヨンヒは、ドイツのハストロ湖のそばにあるというリリパット村の話をしたのだった。
ちゃんと聞かなくても悲しい話だ。死んだ父さんのことを考えるといつも涙が出そうになる。
リリパット村は国際的なこびとの村だ。さまざまな国のこびとたちがそこに集まって暮らしている。

・・・リリパット村以外のところでは、小人が暮らすにはすべてのものの規模が大きすぎ、不便で危険なのだ。
このこびとたちにとってリリパット村ほど安全なところはない。家や家具はもちろん、日用品のおおきさも
こびとに合うように作られている。こびとを脅かすいかなる種類の抑圧も、恐怖も、不公平も、暴力もない。
恐ろしい法律を作る人もいない。リリパット村に専制を布く者はない。

・・・自分たちだけの村を作ることを熱望していたこびとたちは、小さな力を集めてこびとの村を作ったのだ。

・・・彼らはもう、出産の心配をしなくていい。巨人たちに混じって暮らしていたころはあまりにも不幸だったのだ。

                  『こびとが打ち上げた小さなボール』(チョ・セヒ著 斎藤真理子訳)



文学の中でのフィクションに過ぎないのだが、少し考えさせられた。



朝鮮総連傘下にある、朝鮮民族学校のことが頭に浮かぶ。
僕の娘が就学の時、昔お世話になった方(朝鮮総連の専従職員)から、朝鮮学校へのお誘いを熱心に受けたことを思い出す。

「朝鮮学校へ子弟を通わせ自民族の言語を習得し歴史を学び文化を継承する心が芽生え、それが自民族への自尊心、自負心を
育成していく。人間にとってすごく重要なことだ。そして、差別と抑圧にまみれた日本社会から子供を守ってくれる場所が
まさしく朝鮮学校しかない。朝鮮学校には民族差別はないのは当然なのだから・・・」

確かにそうである。間違いない。自民族を学ぶことによって『自民族への自尊心、自負心を育成』していくというのは
少し横に置いて、朝鮮学校に差別が皆無でないことは当然だが、民族差別が存在しないことは自明である。
娘を日本社会での差別から保護してあげる側面においてはすごく魅力のある選択だった。
(結局、様々な要因があって朝鮮学校への就学の選択はしなかった。ちょうどあの阪神大震災があった年でなし崩し的でもあったが)

朝鮮学校の是非を語っているのではない。

『社会的被抑圧者が相対的に自身を多数者の属性に身を置くことではたして抑圧から解放されるのか?』という自問だ。

幸せって相対的なものなのか? それとも絶対的なものなのか?

差別から逃避し自身を小さなコミュニティーでマジョリティー化することは
逆説的にその差別を容認していることにならないか?

当然、朝鮮総連、朝鮮学校のみならず在日コリアンの諸団体は幾多の日本社会における
様々な差別と闘い権利獲得を行ってきたし今もそうだ。差別する側の社会に大いに問題があり批判されるべきは
それを取り巻くマジョリティーに存在することは知っている。

ブログにも書いたが、先日観た映画『サーミの血』のヒロインは、差別から身を護り自由を勝ち取るため
出自を隠し民族名を偽りマジョリティーの世界でそれに怯え続けながら人生を送ってきた事が容易に想像できる。
果たして彼女は自由を勝ち取り解放され幸せをつかみ取ったのか?・・・それは彼女にしかわからない。
(『サーミの血』2017年10月03日)

リリパット村はシェルターとしての役目を果たすだろうが、真の解決にはならないことも事実なのだ。
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