仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

山行8:上州武尊山 (1976年10月)

2004-04-05 22:13:54 | 想ひ出の山
場所 :上州
時期 :1976年10月
ワンポイント :千葉高山岳部:昭和51年度秋山山行
コース : 登戸集落 オリンピアスキー場 前武尊 劍ヶ峰 沖武尊 (2158mH) 名倉澤沿ひ (テント泊)~ 上ノ原 藤原湖

<メンバー(假名)>
顧問:櫻井先生
2年:寺本さん(CL)
1年:市原(渉外)、日下(氣象)、方波見(裝備)、私(SL&食糧)


3年が受驗のため引退し、山岳部の體制が新しくなつた。
CLは2年の寺本さんで、SLはなんと私が選ばれてしまつた。

ここでついでに寺本さんをご紹介。
彼はリンゴ・スターと石野眞子を足して2で割つたやうな、かはいらしい顏をしてゐる。
1年の時の文化祭では女裝大會でみごと2位の榮冠に輝いたさうな。
春山合宿では下山時に頭から轉倒し、數メートルをうつ伏せになつて泳ぎきり、無念の涙をひと雫。
しかしながら、そのかはゆい容貌とは裏腹に芯の強さでは評判がある、らしい・・・
(以上、引退した3年からの申し送り事項)


さて、新體制で望む初めての山行であるが、私は數日來の風邪の所爲で、體調が思はしくなく、
藥を飮みながらの參加であつた。

沼田の驛からタクシーで登戸集落まで。
午前3時でまだ夜明けまではかなりの時間がある。
天候は小雨模樣。
ヘッドランプをつけて歩き出すが、途中で道をまちがえてスキー場に入り込んでしまふ。
氣が附いて引き返し、林道に戻るが、暗い爲に登山口がわからない。
それらしい踏み跡を見つけて強引に斜面を登るが、登山道にぶつからないので、また林道に戻る。
そんなこんなをしてゐるうちに、明るんで來たので、朝食をとりながら地圖を睨む。
どうやら、登山口を1キロほど通り過ぎてしまつたやうだ。
引き返すのも業腹なので、無名の澤を登つて登山道に合流することにする。さいはひ雨もあがつてきた。
合流までの標高差はわずかに250メートルほどなので、澤登りならお手のものの私達にとつて何の不安もない。

さて、何といふこともない澤を鼻歌まじりに登るつもりだつたのだが、これが私にとつてつらいものとなつた。
風邪の拔けない私は、朝食時に念のため風邪藥を飮んでゐた。
その所爲か、バランスがまつたくとれない。
ちょつとした浮石を踏んだだけで倒れてしまふ始末。
登山道に合流した時には、意識がぼんやりとしてゐた。
その後のことはあまりよく覺えてゐない。
歩きながら、まつたく違ふことを考へてゐる、と云ふか、夢を見ながら歩いてゐるやうな状態であつた。
周圍がガスで包まれてゐるせいもあり、夢の中のやうだつた。

前武尊の頂上から沖武尊に向かふ途中に、劍ヶ峰という難所があり、クサリ場になつてゐるのだが、まつたく記憶にない。
記憶がよみがへるのは、沖武尊手前のピークでの晝食の時に、櫻井先生から、風邪藥を飲むなといわれたこと。
その時にやうやく風邪藥の所爲だつたのかと氣が附いた次第。
日本武尊の像があつたのは、さて、前武尊の頂上であつたか、沖武尊の頂上であつたか・・・

朝の藥がきれてきたのか、下山の途中から意識もはつきりとして、足取りもしつかりして來た。
尾根筋から下るあたりで日がくれて暗くなる。
じきに澤沿ひに出るはずなので、そこまでいつてサイトしようと云ふことになる。
ヘッドランプをつけて下つて行くが、なかなか、テントを設營できるだけの平地が見つからない。
結局、テントを張つたのは午後7時になつていた。
行動時間およそ14時間、長い長い1日であつた。

翌日は林道を下つて、上ノ原を横切り、藤原湖畔のバス停まで。
サイト地點からおよそ2時間の行程。天氣は秋晴。
昨日のことがまるで別世界のことのやうであつた。






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