仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 2月19日 (82年:「摩利と新吾」)

2012-02-19 00:01:00 | 昔の手帳から
【1980年】(浪人)

上智文 一次合格發表 16時

火曜日。

上智の文學部も受驗しやうと思つてゐた頃に豫定を記入したもの。
結局、受驗してゐない。




【1981年】(1囘生)

11:10~12:00 數學4(A214)
數學は通りさうにない。
クラスコンパ at ゲート
コンパ缺席(罰金のためゲルピン)

木曜日。

水曜4コマ、岩井先生の數學4の試驗。
そもそも出席した記憶がないし、試驗を受けた記憶もない。
「數學は通りさうにない」なんて、あたりまへだ。

教養部L1クラスのコンパがあつたらしい。
「ゲート」といふのは、確か元田中あたりにあつた居酒屋で、學生がコンパで使ふ定番の店。
基本的に私はコンパには出席する主義だつたのだが、ない袖は振れぬ。
17日にスピードオーバーでネズミ獲りに引つ掛かり赤キップを切られたため、¥8,000の罰金。
それを支拂ふことを考へると、金がない。
當時の私はかなり經濟的に困窮してゐたのだ。




【1982年】(2囘生)

14:00~15:00 E松田(A215)
木原敏江「摩利と新吾」。 新吾はヌマタに似てゐる!
麻雀 (オオニシ、カワムラ、ミヤシタ) 半莊8囘、-¥600

金曜日。

木曜2コマの松田先生の英語の試驗。
缺席したらしい。
手帳によれば2囘は出席してゐるのだが・・・
諦めたのかなあ。

この日、木原敏江の 「摩利と新吾」 を讀了した。
舊制高校生の生活がいい。
おそらく、この作品には北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」が下敷になつてゐるのだと思ふ。
これ以來、何度この作品を讀み返したことだらう。
40歳を超えてから、もう一度全卷買つて、讀み返したほど。
さういへば、2006年1月に こんな記事 も書いてゐた。
で、その主人公は2人ゐて、それが摩利と新吾。
その新吾が、高校山岳部の2年後輩のヌマタくんに似てゐると思つた。
いや、別に私は「少年愛の美學」信奉者ではないのだが・・・

私が實際に讀んだのがこれ。
摩利と新吾〈第1巻〉 (1981年) (花とゆめCOMICS)
木原 敏江
白泉社


こちらは文庫版。
摩利と新吾―ヴェッテンベルク・バンカランゲン (第1巻) (白泉社文庫)
木原 敏江
白泉社

左が摩利で右が新吾。




【1983年】(3囘生)

13:00 OFFSIDE 集合
ホサカ ¥2,000貸

土曜日。

「OFFSIDE」は東大路通り沿ひ、元田中の驛から北に少し行つた西側にあつた喫茶店。
ここに集まつたのは、枚方の塾で講師をしてゐる面々。
生徒達の状況を把握するため、定期的に講師會を開いてゐた。

ホサカは同じアパートに住む友人。
この日、彼に¥2,000を貸して、後日返して貰つたらしい。




【1984年】(4囘生)

プレーヤー配達される。
18:00 貝にてコンパ。

日曜日。

2日前の17日に買つたプレーヤーがこの日屆いた。
定價¥69,800と、私にしては高價な買ひ物だつたが、このプレーヤーは良かつた。
ちなみに、今でも使つてゐる。
それを思へば、安い買ひ物だつたと云へるかもしれない。

午後6時、「貝 黒潮丸」でコンパがあつた。
「貝 黒潮丸」と云ふのは、銀閣寺道交差點から南西に入つたところにある海鮮居酒屋。
安く魚貝が食べられる店で、學生にも人氣があつた。
通稱「貝」。
いまも同じ場所に 「ぎんかくじ 貝」 といふ店があるが、高級路線に切り換へたのか、かつてのやうな學生が氣輕に入れる店ではなくなつたやうだ。
また、河原町四條近くに 「黒潮丸」 といふ店もあるが、こちらはさらに高さう。
古き良き時代の「貝 黒潮丸」はなくなつてしまつた。
で、コンパなのだが、どういふコンパだつたのだらう。
コンパといふ限り、いつもの男共と飮んだわけではあるまい。
きつと女子がゐた筈だが・・・・
教養時代のクラスコンパだつたらさう書く筈だし、國文のコンパでもそれは同じこと。
いつたい、どんなコンパだつたのだらう・・・







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