【1980年】(浪人)
上智文 一次合格發表 16時
火曜日。
上智の文學部も受驗しやうと思つてゐた頃に豫定を記入したもの。
結局、受驗してゐない。
【1981年】(1囘生)
11:10~12:00 數學4(A214)
數學は通りさうにない。
クラスコンパ at ゲート
コンパ缺席(罰金のためゲルピン)
木曜日。
水曜4コマ、岩井先生の數學4の試驗。
そもそも出席した記憶がないし、試驗を受けた記憶もない。
「數學は通りさうにない」なんて、あたりまへだ。
教養部L1クラスのコンパがあつたらしい。
「ゲート」といふのは、確か元田中あたりにあつた居酒屋で、學生がコンパで使ふ定番の店。
基本的に私はコンパには出席する主義だつたのだが、ない袖は振れぬ。
17日にスピードオーバーでネズミ獲りに引つ掛かり赤キップを切られたため、¥8,000の罰金。
それを支拂ふことを考へると、金がない。
當時の私はかなり經濟的に困窮してゐたのだ。
【1982年】(2囘生)
14:00~15:00 E松田(A215)
木原敏江「摩利と新吾」。 新吾はヌマタに似てゐる!
麻雀 (オオニシ、カワムラ、ミヤシタ) 半莊8囘、-¥600
金曜日。
木曜2コマの松田先生の英語の試驗。
缺席したらしい。
手帳によれば2囘は出席してゐるのだが・・・
諦めたのかなあ。
この日、木原敏江の 「摩利と新吾」 を讀了した。
舊制高校生の生活がいい。
おそらく、この作品には北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」が下敷になつてゐるのだと思ふ。
これ以來、何度この作品を讀み返したことだらう。
40歳を超えてから、もう一度全卷買つて、讀み返したほど。
さういへば、2006年1月に こんな記事 も書いてゐた。
で、その主人公は2人ゐて、それが摩利と新吾。
その新吾が、高校山岳部の2年後輩のヌマタくんに似てゐると思つた。
いや、別に私は「少年愛の美學」信奉者ではないのだが・・・
私が實際に讀んだのがこれ。
こちらは文庫版。
左が摩利で右が新吾。
【1983年】(3囘生)
13:00 OFFSIDE 集合
ホサカ ¥2,000貸
土曜日。
「OFFSIDE」は東大路通り沿ひ、元田中の驛から北に少し行つた西側にあつた喫茶店。
ここに集まつたのは、枚方の塾で講師をしてゐる面々。
生徒達の状況を把握するため、定期的に講師會を開いてゐた。
ホサカは同じアパートに住む友人。
この日、彼に¥2,000を貸して、後日返して貰つたらしい。
【1984年】(4囘生)
プレーヤー配達される。
18:00 貝にてコンパ。
日曜日。
2日前の17日に買つたプレーヤーがこの日屆いた。
定價¥69,800と、私にしては高價な買ひ物だつたが、このプレーヤーは良かつた。
ちなみに、今でも使つてゐる。
それを思へば、安い買ひ物だつたと云へるかもしれない。
午後6時、「貝 黒潮丸」でコンパがあつた。
「貝 黒潮丸」と云ふのは、銀閣寺道交差點から南西に入つたところにある海鮮居酒屋。
安く魚貝が食べられる店で、學生にも人氣があつた。
通稱「貝」。
いまも同じ場所に 「ぎんかくじ 貝」 といふ店があるが、高級路線に切り換へたのか、かつてのやうな學生が氣輕に入れる店ではなくなつたやうだ。
また、河原町四條近くに 「黒潮丸」 といふ店もあるが、こちらはさらに高さう。
古き良き時代の「貝 黒潮丸」はなくなつてしまつた。
で、コンパなのだが、どういふコンパだつたのだらう。
コンパといふ限り、いつもの男共と飮んだわけではあるまい。
きつと女子がゐた筈だが・・・・
教養時代のクラスコンパだつたらさう書く筈だし、國文のコンパでもそれは同じこと。
いつたい、どんなコンパだつたのだらう・・・
火曜日。
上智の文學部も受驗しやうと思つてゐた頃に豫定を記入したもの。
結局、受驗してゐない。
【1981年】(1囘生)
11:10~12:00 數學4(A214)
數學は通りさうにない。
クラスコンパ at ゲート
コンパ缺席(罰金のためゲルピン)
木曜日。
水曜4コマ、岩井先生の數學4の試驗。
そもそも出席した記憶がないし、試驗を受けた記憶もない。
「數學は通りさうにない」なんて、あたりまへだ。
教養部L1クラスのコンパがあつたらしい。
「ゲート」といふのは、確か元田中あたりにあつた居酒屋で、學生がコンパで使ふ定番の店。
基本的に私はコンパには出席する主義だつたのだが、ない袖は振れぬ。
17日にスピードオーバーでネズミ獲りに引つ掛かり赤キップを切られたため、¥8,000の罰金。
それを支拂ふことを考へると、金がない。
當時の私はかなり經濟的に困窮してゐたのだ。
【1982年】(2囘生)
木原敏江「摩利と新吾」。 新吾はヌマタに似てゐる!
麻雀 (オオニシ、カワムラ、ミヤシタ) 半莊8囘、-¥600
金曜日。
木曜2コマの松田先生の英語の試驗。
缺席したらしい。
手帳によれば2囘は出席してゐるのだが・・・
諦めたのかなあ。
この日、木原敏江の 「摩利と新吾」 を讀了した。
舊制高校生の生活がいい。
おそらく、この作品には北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」が下敷になつてゐるのだと思ふ。
これ以來、何度この作品を讀み返したことだらう。
40歳を超えてから、もう一度全卷買つて、讀み返したほど。
さういへば、2006年1月に こんな記事 も書いてゐた。
で、その主人公は2人ゐて、それが摩利と新吾。
その新吾が、高校山岳部の2年後輩のヌマタくんに似てゐると思つた。
いや、別に私は「少年愛の美學」信奉者ではないのだが・・・
私が實際に讀んだのがこれ。
摩利と新吾〈第1巻〉 (1981年) (花とゆめCOMICS) | |
木原 敏江 | |
白泉社 |
こちらは文庫版。
摩利と新吾―ヴェッテンベルク・バンカランゲン (第1巻) (白泉社文庫) | |
木原 敏江 | |
白泉社 |
左が摩利で右が新吾。
【1983年】(3囘生)
13:00 OFFSIDE 集合
土曜日。
「OFFSIDE」は東大路通り沿ひ、元田中の驛から北に少し行つた西側にあつた喫茶店。
ここに集まつたのは、枚方の塾で講師をしてゐる面々。
生徒達の状況を把握するため、定期的に講師會を開いてゐた。
ホサカは同じアパートに住む友人。
この日、彼に¥2,000を貸して、後日返して貰つたらしい。
【1984年】(4囘生)
プレーヤー配達される。
18:00 貝にてコンパ。
日曜日。
2日前の17日に買つたプレーヤーがこの日屆いた。
定價¥69,800と、私にしては高價な買ひ物だつたが、このプレーヤーは良かつた。
ちなみに、今でも使つてゐる。
それを思へば、安い買ひ物だつたと云へるかもしれない。
午後6時、「貝 黒潮丸」でコンパがあつた。
「貝 黒潮丸」と云ふのは、銀閣寺道交差點から南西に入つたところにある海鮮居酒屋。
安く魚貝が食べられる店で、學生にも人氣があつた。
通稱「貝」。
いまも同じ場所に 「ぎんかくじ 貝」 といふ店があるが、高級路線に切り換へたのか、かつてのやうな學生が氣輕に入れる店ではなくなつたやうだ。
また、河原町四條近くに 「黒潮丸」 といふ店もあるが、こちらはさらに高さう。
古き良き時代の「貝 黒潮丸」はなくなつてしまつた。
で、コンパなのだが、どういふコンパだつたのだらう。
コンパといふ限り、いつもの男共と飮んだわけではあるまい。
きつと女子がゐた筈だが・・・・
教養時代のクラスコンパだつたらさう書く筈だし、國文のコンパでもそれは同じこと。
いつたい、どんなコンパだつたのだらう・・・